テラーノベル

テラーノベル

テレビCM放送中!!
テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

シェアするシェアする
報告する

route.1 無陀野無人



「……わかった。頼んでも、いいか?」

「ああ」

無陀野の突拍子も無い提案に頷いてしまった。早くも後悔のようなものが四季の中で苦みとなって暴れ出そうとしていたが必死に堪えた。むしろ迷惑をかけているのはこっちのほうだという意識が四季にはあったから。だってこのセックスで益があるのは四季だけだ。別に無陀野にはなにもない。どちらかといえば無料で奉仕をしてくれている側だ。だったら四季が文句や泣き言など言えるはずがないだろう。こんなことを頼めるのが無陀野しかいないのも事実だし。

「やるなら今からだ」

「はっ!? 今っ!?」

「なにか不都合があるか?」

「流石に急すぎるだろ!? せ、せめて明日以降、とか……」

「引き延ばすことに意味はない。むしろお前みたいなタイプはその分覚悟を固めるのも遅くなりそうだ」

「う……」

案外そうかもしれない。時間が経てば本気で後悔して「やっぱなし」と言いそうではある。だが一度了承した手前出来ればそんなことは言いたくない。それなら勢いのある内にやってしまったほうが、後々楽なのではないだろうか。

「さっきも言ったがこれは応急処置だ。時間は取らせない。今からやれば寮の門限には間に合う」

「わ、わかったよ……。でもどこで?」

ここは空き教室だ。まさかこんな場所でやるわけはないだろう。

四季の疑問に無陀野はひと言「秘密の部屋だ」と言った。



その部屋に一歩足を踏み入れた際に、最初に感じたのは「居心地悪いな」だった。六畳ほどの面積の部屋は壁や天井、床が不自然なほど真っ白で、真四角に縁どられた真っ赤な窓枠がいやに目立っていた。一番奥に設置されたベッドはシーツや枕カバーといった、フレーム以外の部分が真っ白で部屋とほぼ同化しているほどだった。

後は簡易的なテーブルと椅子、小さな冷蔵庫とエアコン、洗面台と鏡付きの戸棚くらいしか設置されていない部屋は生活感があまり感じられず、普段使いされているわけではなさそうだった。

「こんな部屋あったんだ……」

「校長の私室のひとつだ」

「えっ? そんな部屋使っていいのかよっ?」

「本人が提案してきたんだ」

(なに考えてんだっ? あの人……)

入学初日に少し話をしただけの相手だが、たったそれだけでも少々変わり者なのはわかった。しかしなにに使うかわかった上で私室を明け渡すなんて。次会う時一体どんな顔をすればいいんだ。

内心焦っている四季の様子を知ってか知らずか、無陀野は後ろから四季の両肩に手を置いた。途端にびくっと身体を震わせて反射的に肩越しに無陀野を見上げた。高い位置にある無陀野の真っ黒な目からはなんの感情も読み取れなくて、四季は唾を飲み込んで委縮してしまう。

固くなった四季に気づいたのか、無陀野はぎこちないながらも優しく肩を撫でてきた。もしかしたらこんなことになって彼も戸惑っているのかもしれない。最初は四季に触れるつもりはないと宣言していたくらいだ。一教師として、自分の生徒とセックスなんて、彼だって出来ればやりたくはなかっただろう。そうだ、そもそもこれは四季のためなのだ。だったら四季自身も協力しないと。受け身なんて駄目だ。未経験だからなんて、なんの言い訳にもならない。

四季は肩に置かれた無陀野の手を取り、自らベッドに向かった。緊張で手は震えていたし手汗も出ていたからきっと無陀野には気づかれていただろうが彼はなにも言わず四季についてきた。ふたりでベッドに座り、四季は「先に服脱がせたほうがいいのかな」と思いつつ無陀野のネクタイに手をかけた。しかしその手はやんわりと掴まれて止められた。無陀野の手のひらは四季より少しだけ体温が低かった。

「その前にこれを」

「? なんだ? 薬?」

「避妊薬だ」

「ひに……」

「男のΩは女と違い発情期以外での妊娠リスクはそこまで高くないようだが、0%ではない以上万が一があるからな。用心は必要だ」

まったく考えていなかったことを言われてフリーズした。そうだ。精液を取り込むというのは要するに中出しをするということだ。中出しをするということは、子種を仕込むということで――。

(お、俺……やっぱ早まったか……?)

ぐるぐる考えている四季に気づいているのだろう。無陀野は静かに問いかけた。

「やはりやめるか」

「え……でも……」

「どう転んでも負担がかかるのはお前だ。お前が出来るだけ楽になる方法をとっていい。ちゃんと支えるから」

「ムダ先……」

「万が一があった際には、責任は取る」

無陀野の真っ黒な瞳は真摯に四季を見据えている。厳しくてムカつくこともあるけれど、真面目で真っ直ぐな男なのは短い付き合いの中でも充分わかっていた。正直責任は取るとか、そういうことをさせるのは忍びない。恋人でもなければ番でもないのだ。彼の人生を縛るのは避けたいことだ。けれど彼が四季を最大限慮ってくれているのがわかるから、それに答えたいと思った。だから敢えて一度了承したことを撤回しない選択をした。

無陀野の手から薬と水を受け取り、一気に飲み干した。ふう、と大きく息を吐き出し、目を合わせる。覚悟は決まった。



無陀野は四季を努めて優しくベッドに横たえた。寝転がりながら見上げる無陀野はいつも以上に男を感じさせて、四季はどうしたらいいのかわからなかった。顔を背け、手持ち無沙汰に自身のシャツを握りしめる。無陀野は常に身に着けている指輪を外し、四季の頭の向こうにあるベッドヘッドに手を伸ばしていた。なにやらごそごそしていたかと思えばその手には半透明のボトルが握られていて、経験は無いが年頃らしく耳年増である四季はそれの正体に思い当たって顔を真っ赤にした。それは、そのボトルは。

「む、ムダ先、それ……っ」

「? ああ、ローションだ。Ωは自ら愛液を出すが、発情もしてないのに最初からは濡れないだろう」

「ぬ、濡れ……」

あの無陀野の口からそんな言葉が出てくるのが信じられなくて、四季の脳みそはパンク寸前だった。だというのに本人はそんな四季の様子などどこ吹く風で早速四季のベルトに手をかけ、パンツを脱がし始めた。それは初めて出会った時にされた蛮行を彷彿とさせ、じわじわと身体が熱くなってきた。無陀野が手のひらにローションを垂らし込み、両手で擦るように揉み込んだ。

「力を抜いておけ」

「えっ……、んあっ……」

いきなりまだ萎えた状態の陰茎を握られて身体全体が反応した。ローションまみれの手で数回擦られただけで熱く硬くなったことが恥ずかしくて、思わず無陀野の腕を掴んでしまうがそんなことでは止まらない。ぬるぬるした感触が気持ちよくて、他人に触れられることに慣れていない未使用の陰茎は先端を濡らしながら簡単に勃起してしまう。あの時も充分恥ずかしかったが、無陀野の人となりをある程度理解している今は、あの彼にこんなことをされているのが信じられないという気持ちでいっぱいだった。相手は教師だということも相まって背徳感でさらに気持ちが昂る。

「あっああっ、んぅっ、そこ……っ」

「ん、そろそろいいか……」

あっさりと完勃ちさせた陰茎から一旦手を放した無陀野は、ローションをさらに足して奥の孔に指を這わせた。その気配にぎくりと身体を緊張させるが、とりあえずとばかりに挿入された人差し指はほとんど抵抗もせずに受け入れていた。どうやら四季が気づかない間に少々濡れ始めていたようだ。

「……四季、痛みは?」

「、ない、けど……なんか変な、感じ……違和感、っつーか……」

「異物感は仕方がない。慣れろ」

「んな、無茶な……、ああぁっ!」

会話をしながらも中で動き続けていた無陀野の指がある一点を掠めた途端、驚きと快楽で腰が跳ねた。俗に言う前立腺だ。ちらっと話に聞いたことはあったが、こんな感じなのかという新鮮な驚きも、与えられる刺激を前に霧散してしまう。

「ぅあっ、あ、はっ……」

「指を増やすぞ」

「んいっ……ふっ……ああっ……」

中で器用に動き回る指に翻弄される。長くて少し硬い大人の男の指。宥めるように四季の頭を撫でてくれるもう片方の手。意識するとどうにかなってしまいそうだった。

「は、やくっ……いれろよぉ……っ」

これはセックスだけどセックスじゃない。ただの応急処置であって恋人同士がやるようなことじゃない。別に快楽を感じさせてくれなくてもいいから、早く広げて挿入したらいい。

「……」

そんなことを思いながら懇願めいた口調で訴えれば、無陀野はなにやら言いたげな表情をした後、指を引き抜いて四季をうつ伏せにした。このほうが受け入れる四季が楽だかららしい。後ろのほうで衣擦れやジッパーを動かす音がする。視界情報もなく音だけだと余計に恥ずかしいが、ようやく本番だと思えば気は楽だった。

「力を抜け」

解された孔に熱いなにかが触れている。そのことを認識した瞬間、それが一気に押し入ってきた。急激な圧迫感に一瞬呼吸を忘れてしまう。

「ーー! はっはっ、あっ……」

「落ち着け。よく頑張ったな」

無陀野は大きな手のひらで震える四季の身体をゆっくり撫でながら動かず待っててくれていた。その時間のおかげでだんだん身体が慣れてくるともどかしさを感じはじめていた。中に入っている無陀野の陰茎は固くて熱い。この男にもそんな場所があったのだと妙にどぎまぎしてしまった。

「む、むだせん……」

「……なんだ」

「……うごいて……」

その後の記憶はほとんど無い。しかし四季を抱く無陀野の腕が妙に優しかったことだけはなんとなく憶えていた。



それから二週間。無陀野とは特別なことはなにも無かった。当然だ。単なる「応急処置」なのだから。そして次の応急処置は練馬での研修から帰った後にやることになっていた。その予定があるから、四季は練馬への研修に行く前から妙にそわそわして落ち着かなかった。とある理由により、それどころではなくなってしまったが。


書き置きを残して消えてしまった皇后崎を探すため、練馬の偵察部隊隊長の淀川真澄と副隊長の並木度馨と共に、なにかしら情報を握っているであろう一般人の半グレ集団のアジトに乗り込むことになった。その前に変装を解いて戦闘服に着替えた四季は、真澄にじっと見られていることに気がついた。真澄の真っ黒な目は無陀野以上に感情も温度も感じられず、一目で苦手なタイプだと思った。

「な、なんだよ?」

「くせぇ」

「えっ!? 俺匂う!? 今日はまだだけど昨日はちゃんと風呂入ったのに……」

「ちげーよバカ」

真澄は音も立てずに静かに四季に近寄ると、耳元でぼそっと言い放った。

「無陀野の匂いがべったりだって言ってんだよ」

「え……」

「堅物な顔して、教師のくせに生徒に手ぇ出してんのかアイツは」

「ちょ、ちょっと待ってくれっ、ムダ先の匂いって、手ぇ出すって……」

「あ?」

真澄は黙って四季の顔を見ていたかと思えばすぐに合点がいったと言うような顔をした。四季が真澄の言葉を理解していないとわかったようだ。

「アイツなんも説明しねぇでお前みたいなガキに手ぇ出したのか」

「だ、だから、俺とムダ先は……」

「バカが無理に隠そうとすんな。ΩがαとセックスするとΩからそのαのフェロモンの匂いがすんだよ」

「えっ?」

初耳だ。無陀野はαフェロモンの耐性がつくとしか言ってなかった。知らなかったとは考えにくいが言わない理由が思い当たらないのも事実だった。しかし真澄の言葉もどこまで真実なのか四季にはわからない。

「……でも、誰もんなこと言ってなかったけど」

「そりゃそうだろ、αフェロモンを嗅ぎとれるのはαとΩだけだ」

「そうなん?」

そういえば、同期は四季以外は全員βだ。通りで誰もなにも言ってこなかったわけだ。では真澄はどちらなのだろう。Ωっぽくはないがαな感じもしなくて首を傾げた。

「けどあんたβっぽくね?」

「それはテメェが無陀野のフェロモンに慣れてっからだ。俺のは無陀野に比べりゃ弱いからなぁ」

「へえ、そんなのあんだ」

(ってことはこの人αなんだ)

フェロモン量に個人差なんてあったのか。バース性には四季が知らないことがまだまだたくさんあるのだろう。

「テメェら……、チッ時間だ。行くぞ」

「え、お、おう」

真澄がなにか言いかけたようだったが、仕事モードに切り替えた彼になにも聞けなかった。その後皇后崎を助けたり神門と再会したり暴走したりしているうちにこのことをすっかり忘れてしまっていた。



「じゃあ真澄隊長、色々世話になりやした!」

「まったくだぜ、二度と来んなよ」

「ひど!」

四季は暴走状態になった時に色々面倒かけたあげく足を吹っ飛ばして殺しかけた彼にすっかり頭が上がらなくなっていた。冷たそうに見えて意外な面倒見の良さに知らず懐いていたのかもしれない。

「……なあ、一ノ瀬ぇ」

「なに?」

「お前無陀野と番う気あんのか?」

「え?」

唐突な質問に四季は目を瞬かせた。四季の意思は最初の頃から変わっていない。無陀野と番になる気はない。例え運命だったとしても。首を横に振った四季に、真澄は真意の読めないポーカーフェイスのまま肩を竦めた。

「……じゃあ最後にもう一回だけお節介してやる」

「お節介?」

「番う気がないならアイツとセックスするのはもうやめておけ」

言われた「理由」に、自分の浅はかさを思い知って、ただ手のひらを握りしめるしかなかった。


羅刹に戻ってすぐ、「応急処置」をするために例の部屋に入った。相変わらず居心地の悪い部屋だったが、四季は今日ここには引導を渡しにきたのだ。脱がしにかかろうとする無陀野に向き合って、真っ直ぐに顔を見つめる。四季の表情になにかあると察したのだろう。無陀野は黙って腕を下ろした。

「……先生、ごめん」

「なんの謝罪だ?」

「応急処置はもうやめよう、の謝罪」

「理由は?」

「……あんたさ、いつまで応急処置やるつもりだった?」

「なに?」

真澄に聞いた話が頭の中でリフレインしている。二週間に一度というハイペースに期限を設けていない時点で気づくべきだった。そもそも最初からそんなものなかった。どちらかがやめるって言わないと終わらないことだったのだ。無陀野と四季の教師と生徒という関係性は一年で終わってしまうのに。

「俺が卒業したらどうなってたんだ? そこで終わってた? 一年応急処置しただけでなにか変わんの? 俺がΩであることは一生変わらないんだから、応急処置だって一生やんないといけないんじゃないか?」

「……」

「俺はあんたと番になる気はないし、あんたの未来を縛る気もないよ。だから……今のうちに終わらせよう。俺は大丈夫だからさ……ありがとな、気ぃ遣ってくれて」

「……わかった。お前の意思を尊重しよう」

これでいいんだ。俺が気をつければいいんだから。優しいこの人に業を背負わせる必要はないんだ。四季はまるで化膿している傷のようにじくじくしている胸の疼きに気づかないふりをして、足早に部屋から出て行った。



その日は朝からなんだか妙な胸騒ぎがしていた。ずっと落ち着かなくて授業中も上の空になって無陀野に叱られたりもしたのに、なぜか一向に改善されない。気づけば頭がぼうっとしている。もしかしたら体調が悪いのかもしれないと思い、保健室に向かっていた時、それは起こった。

「……!?」

ドクン、と心臓が一瞬大きく膨れたような感覚に呼吸が苦しくなってその場に蹲った。全力疾走の後みたいな不整脈と酸欠。身体の熱さと怠さ。そして胎の奥の疼き。この感覚には覚えがある。発情だ。学園に来たばかりの時と京都にいた時もまったく同じ症状になった。あれらと違うのはその強さだ。今までとは比較にならないほどの疼きに、四季は最後の理性を振り絞って近くの部屋に入り、震える指でなんとか鍵を掛けた。早く扉から遠ざかりたいのに、腰から下が特に力が入らなくて、腕を使って這うような状態でないと移動が出来なかった。

「あっ……あぅ……はあー……、はあー……」

あまりの熱さに視界が涙で滲む。孔からなにかが垂れるような感触にすら身震いしてしまうくらい全身が過敏になっている。誰か。誰でもいいから、この疼きをなんとかしてほしかった。誰か。

(せんせい……っ)

心の中で無意識に呼んだ瞬間、後ろの扉が大きな音を立てた。つい先ほどまで引き戸だったものは無残な姿となってギリギリリールに引っかかっている。そんな姿にした犯人である無陀野は、今まで見た事がないような表情で四季を見下ろしていた。そんな無陀野の表情は確かに恐ろしいはずなのに、四季の中の本能の部分が訴えていた。「この男の子種が欲しい」と。

「あ……せんせ……、んんっ……」

震えで舌が縺れるのがもどかしい。無言で近寄ってきた無陀野は四季の前で膝をつくと、四季の濡れた顎を掴んで奪うように唇を重ねた。応急処置でもキスはしなかったから、正真正銘のファーストキスだ。初めてなのに無遠慮に突っ込まれた舌で容赦なく口内を舐めまわされてどうしたらいいのかわからない。

「んんぅ……っふうっ、まっれ……っ」

「四季……っ、は……」

どうやら無陀野も理性を失いかけているらしい。滲んだ視界で彼のこめかみから角が生えているのが見えた。角が隠せないほど興奮してくれているのだと知ったら余計に孔が濡れる気配して、四季の理性も瓦解寸前だった。

「ああっ……せんせい……!」

「はあっ、四季……甘い、匂いがする……噛みたい……」

唇を離されたと思ったら今度は首筋を丹念に舐められた。言葉通り時折歯を立てて甘噛みされ、骨からじん、とした痺れが全身を巡った。噛まれたい。この男に噛まれたい。

「あ……、かん……」

「校長先生ここです!」

「わかった。京夜くんはそこから動かないで!」

「!?」

廊下からふたり分の鋭い声が聞こえてきた。未だ散漫な意識で声がするほうを見ると、大きな白いフードを被った人物、校長が入ってきて無陀野の頭になにかを施すと彼は気を失ってしまったようで、四季の上に崩れ落ちた。なにが起こったのかわからないまま、四季の意識も暗くなっていく。校長の「ごめんね」という声が最後に聞こえた言葉だった。



鼻腔を擽る甘い香りに覚醒を促されて四季は瞼を開いた。間接照明しか点されていない薄暗い和室は四季の知らない部屋だった。

「ここは……」

「僕の私室のひとつだよ」

「……!」

隣からいきなり声をかけられて驚愕した。四季の枕元に正座していた校長が微笑む。まったく気配を感じなかった。思えば初対面の時もそうだった。この校長は一体何者なのだろうか。

「さて、一応確認だけど、さっきの記憶はある?」

「……ああ」

そうだ。なんだかよくわからないが発情してしまって、無陀野に襲われかけて――。

「あ、む、ムダ先は……っ」

「彼なら大丈夫。別室で休ませてるよ」

「そっか……」

良かった。四季のせいで無陀野になにかあったら悔やんでも悔やみきれない。

「自分の身になにが起きたか理解してる?」

「なんか……発情して……」

「そう。君に発情期が来てしまったんだよね」

発情期。Ωが忌避される一番の理由がこれだ。Ωには三か月に一度の頻度で一週間ほど発情期に入る。その間はセックスのことしか考えられず、Ωフェロモンを辺り構わず撒き散らして誘惑する獣に成り下がる。通常Ωフェロモンはαしか感知出来ないのだが、発情期に出るフェロモンだけはβでも反応してしまう。非常に厄介な代物だった。

「本当は近いうちに京夜くんが説明するはずだったんだよ。でもその前に来てしまって……対処が遅れてごめんね」

「いや……先生たちのせいじゃないっす」

(俺がΩなのが悪いんだ……)

「……発情期は一週間続く。今は一時的に安定してるけど、あと一時間もすればまた発情モードに入る。その前に君に言っておくことがあるんだ」

「……」

「これはあくまで強制じゃなくて、選択肢には入れておいてほしいってことだけど、君は番を作ったほうがいいと思うな」

「……」

「番を作れば君のフェロモンは番しか反応しなくなるし、君も番のフェロモンにしか反応しなくなる。君にとってデメリットは無いはずだ」

「……」

「僕としては無人くんが一番いいと思うけど……まあこればっかりはふたりの問題だからね。……考えといて」

「……」

「この部屋は発情期が終わるまでの間君に貸そう。薬を飲んで安静にしていて。食事や着替えなんかは定期的に運ばせるから気にしなくていい。シャワーとトイレもちゃんとあるよ」

「……すいません、ありがとうございます……」

言うだけ言って校長は部屋から出ていった。四季の目からは無意識に涙が零れていた。あの時、無陀野になら噛まれてもいいと思った。けれどあれはどちらかと言えば本能に支配された結果だ。彼は運命の番だから、身体と本能がどうしようもなく求めていた。最初の頃より拒否反応が無いのは、やはり「応急処置」が原因だろうか。あのたった一度のセックスである意味箍が外れてしまったのかもしれない。こんなはずじゃなかったのに。

「……俺はどうしたいんだ……」

ぽつりとした呟きは誰にも届くことなく霧散して消えた。



一週間後。発情期の終わった四季は校長の私室から出ていった。定期的にお世話をしに来てくれていたスタッフの人に挨拶をして、寮への帰路につく。この一週間、ずっと無陀野のことを考えていた。厳しくてムカつくこともあるけれど、責任感が強くて誰よりも四季たち生徒のことを考えてくれている。死んだ仲間たちのことを忘れず背負おうとする覚悟。彼の前で「俺は絶対死なない」と宣言したのは嘘じゃない。この優しい人にこれ以上なにも背負わせたくなかった。だから自分の気持ちに無理やり蓋をした。

番契約は一度結んでしまうとΩから解除することは出来ない。反面、αからは一方的に切ることが出来る上、一度解除されたらΩはもう二度と誰とも番契約を結ぶことは出来ない。つまり番になんてなってしまったら、今度は四季の人生まで背負わせる羽目になる。優しい彼は一度契約したら切ることはしないだろう。それが嫌だった。だから彼の側にいたいなんて思ってはいけない。そう思っていたのだが。

『四季くんは本当にそれでいいの? 後悔しない?』

『君の人生だよ。君の望む通りに生きたっていいんだ。大丈夫、ダノッチは本当に嫌だったらはっきり拒否してくれるから。同情なんかで自分の人生かけたりしないよ』

京夜のその言葉に後押しされ、四季は覚悟を決めた。無陀野に番になってほしいと告白する。運命だからじゃない。好きだから。ずっと一緒にいたいから。


久しぶりに帰る寮の自室に荷物を置く。Ωだからと与えられた一人部屋はがらんとしていてどこかもの寂しい。

今の時刻は十三時過ぎ。今日は半日授業だから無陀野はこの時間空いているはずだ。問題は彼がどこにいるのかわからないということだ。

「ま、なんとかなるべ!」

半ば自分に言い聞かせるように呟き、四季は部屋から出て行った。逸る気持ちを抑えながら。

一番最初に見に行ったのは職員室。しかしそこに探し人の姿は無い。次に教室に行ってみたがやはりいない。京夜は知っているかもしれないが、今となってはもしそうなら複雑だ。彼らの付き合いの長さは百も承知だが、無陀野に一番近い存在になることを望んでいる身からすれば嫉妬めいた感情を覚えてしまう。あれだけ世話になっておきながらなんて薄情なのだろうか。そんな自分が嫌になる。

無陀野が保健室にいるかもしれないという一縷の望みをかけてとりあえず向かおうと廊下を歩いていると、窓の外に探し人の姿が見えた。一瞬で通り過ぎてしまったが間違いなく無陀野であったという確信が四季にはあった。

急いで近くの出入口から外に出る。無陀野が向かった先は方角的に墓地だろう。仲間の墓参りを邪魔するつもりはないが、どうしても今聞いてほしいのだ。この想いを。

「ムダ先!」

「……!」

ついに見つけた後ろ姿に声をかける。無陀野は四季の顔を見て驚いたように軽く目を見開いたが、すぐに背けてしまった。まるで顔を合わせるのを躊躇っているのようだ。いや実際そうなのだろう。

「……身体のほうは大丈夫なのか」

「え、あ、ああ。平気。もう発情期も終わったぜ」

「……そうか」

心配をかけていたのだと思う。無理もない。自分がやったことを考えれば、この人が責任を感じないわけがない。だからはっきり言わなくては。

「ムダ先、俺あんたに言いたいことがあんだよ」

「……」

「あんたが好きだ! 俺と番になってくれ」

「……なんだと?」

無陀野は信じられないものを見るような目で四季を見つめた。当の四季はこの人でもこんな抜けた表情をするんだと場違いな感想が浮かんだが真っ直ぐに見つめ返した。

どれくらいそうしていただろう。ふたりの間を少し冷えた秋の風が通りぬけていく。先に目を逸らしたのは無陀野だった。

「……四季、お前は勘違いをしているんだ。運命の番だったからそんな気になっているだけで……」

「違う! 初めて会った時に俺言ったよな、運命なんてクソ食らえだって。今だって同じこと思ってるよ。俺は俺の意思であんたを好きになって、あんたの番になりたいって思ったんだ。それを運命なんてちゃちな言葉で片付けんなよ!」

「……」

「この一週間、いやあんたに抱かれてからずっと考えてた。俺はどうしたいんだろう、先生とどうなりたいんだろうって。そんで、色々理由つけて無かったことにするのは簡単だけど、でもそれって逃げてるだけなんだよなって気づいた」

「……」

「もちろんあんたが嫌だって言うなら身を引くよ。ただ、俺のことを考えてとか、そんな理由で断るのはやめてくれ。俺のこと嫌いでもいいから、先生の本心が聞きたい」

黙って聞いていた無陀野はなにかに耐えるように目を閉じた後、四季に背を向けた。咄嗟に声をかけようとしたが「動くな」と鋭い声で制されて、足が地面に縫い留められたように動かなくなってしまった。

「……正直、お前には言いたいことがありすぎる。だが上手く纏まらなくて……困っている」

「……俺、先生のこと困らせてる?」

「ああ」

「そっか……」

やっぱり迷惑なのか。わかっていたつもりだったが、いざはっきり言われるとショックが大きい。確かに自分でもろくなことをしていないと思うし、仮に四季が教師だった場合、自分みたいな生徒なんてきっとお断りだ。そう考えれば彼の態度も妥当なのだろう。

「――妙な勘違いはするなよ。別に迷惑に思ってるわけじゃない」

「え、違うのか?」

「ああ。――ただ戸惑っているだけだ。お前にどう接するのが正解かわからない」

「……」

「ひとりの生徒を贔屓するつもりはない。だがお前はΩだし、他の生徒と勝手が違うのも事実だ。だから出来る限りのことをしてやろうと……、……」

「……?」

無陀野が言葉の途中で言いよどむように黙る。珍しい姿にどうしかしたのかと心配になったが、動くなと言われている以上なにも出来ない。

「……いや、そうだな。お前の言う通りかもしれない」

「え?」

「俺は理由を作っていたんだ。お前と線を引くために。近寄りすぎてはならないと、理性が訴えていたのかもしれないな」

「それって……」

無陀野は四季の頭を解放し、改めて向き直った。真正面から四季を見据える瞳には決意の色が見える。

「一週間前、発情期のお前相手に理性が崩壊した時」

「……!」

「本能に支配されていたのも事実だが、お前の項を噛みたいという欲求は、ただの本能だけじゃない。……と思う」

「……思うだけかよ」

「確証は無い。だから知りたいと思った」

「……どうやって?」

拗ねたような四季の声音に、クールな無陀野の表情に初めて笑みが乗ったように見えた。

「それはお前が考えろ」

「は?」

「期限を設けよう。そうだな……卒業までに発情以外の方法で俺の理性に勝ってみせてくれ。そうしたら番になってもいい」

「それってつまり、卒業までにあんたを惚れさせろってこと?」

「自信が無いならやめてもいいぞ」

あからさまな挑発だった。そして四季はそんな挑発を受け流せるほど大人ではなかった。

「上等だよ! 今度はぜってーあんたから「番にしてください」って言わせてみせるからな!」

「いいだろう。お前が勝てば跪いて懇願でもなんでもしてやる」



こうして四季と無陀野の番の座と懇願をかけた戦いの火蓋が切って落とされた。

四季が無事、無陀野の懇願を勝ち取ることが出来たかどうかは項の痛みだけが知っている。

loading

この作品はいかがでしたか?

2

コメント

0

👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚