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バスを降りて田園風景の広がる中を歩いていると、農作業をしていた顔見知りのおばさんたちに声をかけられた。
「あら~、唯由ちゃんじゃないの。
偉い男前の人連れて」
「彼氏?」
「あ、もしかして、練行さんに結婚のご挨拶?」
いや~、と唯由は笑ってすべてを流したが、蓮太郎は横で固まっていた。
「……お孫さんを嫁にくださいと言っても斬り殺されるかもしれないのに。
愛人にくださいとか言ったら、どんな目に遭わされるんだろうな」
だから別に挨拶に来なくてよかったんですけどね。
なにに操られて行きたいと言ってきたのやら……。
まあ、大王父か。
大王父にそう言えと言った、真伸様だろうなと唯由は思っていた。
真伸の住まいよりは庶民的だが、大きな日本家屋を覗くと、お手伝いの雅代が出てきた。
近所の年配の主婦の方々が交代で家政婦として入っているのだ。
「お帰りなさい、唯由さん。
先生は唯由さんがお友だちを連れてこられると聞いて、張り切ってハウスの方にいらっしゃいますよ」
雅代は笑って、少し離れた場所にある大きなハウスを指差す。
蓮太郎はお手伝いの人たちで食べてもらえるように、老舗の百貨店で買ってきたという手土産をひとつ、雅代に渡した。
それでというわけでもないだろうが、雅代は、
「まあ、ほんとに唯由さんは素敵な方を連れてこられて。
きっと先生もお喜びになられると思いますよ」
とご機嫌だった。
……お喜びになられるか。
その場で誰かになにかをそっと命じたりするかは謎ですけどね、と思いながら、二人は畦道を通ってハウスに向かう。
「いや~、いいところだな」
と蓮太郎は田舎の空気を吸い、なにも遮るもののない空を見上げていた。
「こういうところに来ると、心が解ける感じが……」
しなかったようだ。
伸びをしかけた蓮太郎の両腕が止まる。
ハウスの前にいる隙のない目をしたダークスーツの男二人が目についたからのようだ。
彼らの耳にはイヤホン。
もちろん、ラジオを聴いているとかではない。
古澤練行のボディガードだった。
蓮太郎も、そんな人たちは見慣れているはずなのだが。
彼らがいずれ自分を狙う暗殺者に変わってしまうのでは、と勘繰っているようだった。
いや……、その人たちボディガードで、始末人とかじゃないんで、と思いながら、唯由は、ぺこりと彼らに頭を下げる。
「おじいちゃん、来たよ~」
と言いながら、ハウスの扉を開けた。
むっとする熱気のビニールハウスの中に、蓮太郎は唯由に導かれ入っていった。
テレビで見たのと同じ顔の古澤練行が麦わら帽子に作業着姿でそこにいた。
身長は蓮太郎と比べると、そう高くはないが、全身から滲み出す迫力が大きく見せている。
スーツを着たら、ニヒルでハードボイルドな感じになるその顔には、孫娘に会えた嬉しさからか、今は満面の笑みをたたえていた。
「おじいちゃんっ」
と唯由が駆け寄る。
今の唯由にとっては、実家よりも祖父母の許の方がくつろげる場所なのかもしれないな、と蓮太郎は思った。
久しぶりの再会を喜ぶ祖父と孫娘。
実に微笑ましい光景だ。
だが、今の蓮太郎には、その祖父が肩に担いでているクワがライフルに見えていた。
もちろん、自分を殺るためのライフルだ。
練行の足許にたくさんなっているスイカが、ゴロゴロ転がっている生首に見えた。
もちろん、彼が殺った連中の生首だ。
次は葉巻をくわえるに違いないと思ったが、練行がくわえたのは細身の電子タバコだった。
ブルーベリーの香りがしてくる。
それでも唯由に臭いと言われ、すまんすまんと離れる様は好々爺そのものだったが。
背中を向けたときに、こちらに刃先が見えたクワはやはり、蓮太郎の中ではライフルだった。
孫娘を大事にしない奴は殺るっ、というのが伝わってくるからだろう。
は、早く挨拶をしなければ。
挨拶は人間としての基本だしな、うん。
蓮太郎は練行に向かい、頭を下げた。
「雪村蓮太郎です」
そこで一旦、止まってしまった。
頭を下げたまま、数秒の時が流れる。
こんなときは一秒でも長く感じるのに、数秒。
まずい、と思った蓮太郎は迷いながら、口を開いた。
「……よろしくお願いいたします」
顔を上げると、
なにをよろしくっ!?
という目で唯由が見ていた。
練行は無言で自分を見下ろしている。
やはり、このままではいけないようだ……。
もっとハッキリご挨拶しなければ。
蓮太郎は覚悟を決めた。
「唯由さん……」
唯由さんを愛人にしています。
自分が雪村の後を継ぎたくないがために、お孫さんを利用しています。
申し訳ございません。
せめて、ハッキリそう言って謝罪するのが人としての道だろう、と蓮太郎は思っていた。
だが、その瞬間、足許に転がるスイカのひとつが目に入った。
割れているそのスイカからは、崩れ落ちた赤い実とたくさんの黒いタネが見えている。
いつもなら完熟で美味しそうだ、と思うそれが頭をかち割られた未来の自分にしか見えない。
「唯由さんと……」
いろんな意味で
「お付き合いさせていただいてます。
これどうぞ。
お好きだと伺ったので」
大王情報で練行が好きだと聞いた季節限定のマスカットの和菓子だ。
練行は笑って言う。
「そうか。
こちらこそ、落ち着きのない孫だが、よろしく頼む。
……だが、その菓子を受け取る前に、ちょっと来なさい」
ちょっとなんですかっ? と思ったとき、練行が蓮太郎目掛けてクワを振り上げた。
ひっ、と思った蓮太郎が瞬時に見たのは、唯由だった。
最後に目に焼き付けたいと思ってしまったようだったが、唯由は特になんの感慨もなく、下を見ていた。
薄情だな、愛人っ。
めんどくさいことを言ってくる俺なんて、さっさと死ねばいいと思っているのかっ、と自虐的になる。
っていうか、背後にいるボディガードはなにをしてるんだ。
いや、俺のボディガードではないが、お前たちの雇い主が殺人犯になろうとしてるんだぞ。
止めなくていいのかっ。
それとも、俺の死体を埋めるのまでがお前たちの仕事かっ。
頼むっ。
このジイさんが俺の頭をかち割る前に、撃ってくれっ。
そんな、
「いやいや、民間のボディガードなんで、銃は持ってないですよ」
と呑気に唯由が言ってきそうなことを思ったとき、
ドカッと蓮太郎の足許のスイカが真っ二つになった。
「これがよく熟れてるだろう。
二人で水道で洗って、川でも見ながら食べなさい。
とれたては美味いぞ」
と練行は最初に見たときと変わらぬ好々爺な顔で笑う。
「蓮太郎くん、こんなところまで、わざわざ挨拶に来てもらってすまなかったね。
雪村の皆さんにもよろしく」
練行はクワを離して空いた手で蓮太郎の手土産を受け取った。
真っ二つのままではさすがに食べにくいので、練行に更にスイカを割ってもらう。
それでもまだまだ大きなスイカを抱え、唯由たちはビニールハウスを出た。
外にいたボディガードの人たちに、
「スイカ、いかがですか?」
と唯由は訊いてみたが、彼らは苦笑いし、断ってくる。
「いえ、結構です。
ありがとうございます」
トイレが近くなると困るからかもしれないが。
おじいちゃんに日々、
「食べなさい」
と笑顔で勧められて、もう飽きているのかもしれないな、と唯由は思った。
蓮太郎と二人、少し歩いて山の陰になっている場所に腰を下ろした。
ちょうど川も山に沿うようにカーブしていて、緩やかに水が流れている。
川には山影がかかっていなかったので、日差しが水面に反射して眩しく、
小魚とかいるかな~と思って眺めてみたが、よく見えなかった。
「そういえば、一時期、うなぎをとるのが流行ってて」
「うなぎ、とれるのか? この川で」
「もっと下の方かもなんですけど。
みんな罠かけてはとってたんですよ。
で、YouTube見ながら、さばいて」
「大活躍だな、YouTube」
「うなぎ、血に毒があるから、さばくの結構危険みたいなんですけどね。
結構とれるんで、みんな段々、さばくのもめんどくさくなってきて。
とれたうなぎを飼いはじめたらしいです。
家の巨大水槽で泳ぐうなぎ、壮観みたいですよ。
……うなぎ、食べたくなりましたね」
そういえば、私の中で、うなぎとスイカ、何故かワンセットで出てくるのだが。
同じ季節のものだからだろうかな、と思いながら、甘いが生あたたかいスイカを食べる。
……これ、冷やした方が美味しかったよね。
そう唯由が思ったのと同じタイミングで、蓮太郎が言った。
「これ、冷やした方が美味かったよな」
ふたりは目の前でちょろちょろ流れている川の水を見た。
だが、今から冷やしたら、赤い実の部分が流れていってしまうことだろう。
「割る前に冷やすべきでしたね」
「そうだな」
「戻る前に、ハウスに寄って、一個甘そうなのもらいましょう。
で、井戸水で冷やしましょうよ。
美味しいですよ、井戸水で冷やすと。
……小さい頃、井戸で冷やしたスイカを引き上げると女の霊が一緒についてくるとか従兄妹たちが言ってたから、未だにちょっと怖いんですけどね、引き上げる瞬間」
「……そうか。
俺はもう一度、あのハウスに戻る方が恐怖だけどな」
クワで割られた真っ赤なスイカを見つめながら蓮太郎が呟く。
「あの密室に、クワ持ったじいさんと閉じ込められたとき、血が凍った……」
いや、私もいましたし。
ビニールハウス、外から丸見えですけどね。
久しぶりに再会した孫と祖父、それに蓮太郎。
まあ、外にボディガードはいるが……。
そんなのどかなビニールハウスの中、蓮太郎の頭の中でだけ、緊迫したなにかが繰り広げられていたようだ。
孫を愛人にしている後ろ暗さからだろうか。
まあ、この人のしている悪さのほとんどは、勝手に手をつなぐ、くらいのものなのだが……。
「足許にゴロゴロ転がるスイカが、お前のおじいさんに殺られた連中の生首に見えて……」
そのときの恐怖を思い出したのか、青ざめて語る蓮太郎。
だが、唯由は、ふと疑問に思い、食べかけのスイカを手にしたまま訊いてみた。
「生首って……
生きてるんですかね?」
「死んでるだろうよ……」
「でも、『生』って言うくらいだから」
「いや、生ビールも死んでるぞ」
……死んでるんですかね? あれ。
「酵母菌が生きてる生ビールも中にはあるけどな」
酵母菌を濾過して取り除いただけで、熱処理はしていないビールが生ビールらしい。
生ビールの定義はともかく、生首の定義については改めて訊かれるとわからなくなったらしい蓮太郎が小首を傾げながら言ってきた。
「落としてすぐでイキがいいから、生首なんじゃないのか?」
そうなんですか~、と言いながら、川を眺めてスイカを食べた。
なんかのどかだな~と思う。
愛人として過ごす休日。
こんな感じなのか、と思いながら、蓮太郎と二人、田舎の澄み渡った空を見上げた。