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父が僕を次期社長であると公表して間もなかったから、バレンタインデーに何百個とチョコをもらったのは想定内だった。チョコは本社の女子社員ばかりではなく、地方の支店の女子社員からもたくさん届けられた。でもまさかホワイトデーにも百個以上のプレゼントがもらえるとは思わなかった。ホワイトデーは男性から女性にプレゼントする日だと認識していたが、僕の考え方が古かっただけのようだ。
バレンタインデーの頃はまだ交際中だったから、釣書に趣味がお菓子作りと書かれていただけあって、歌歩さんからも素敵な手作りチョコをもらえたけど、ホワイトデーのときは別れたあとだったから、もちろん彼女からのお菓子はなかった。
結婚発表から一週間後、歌歩さんは懐妊したことも公表し、お腹の子の父親が僕だと知らない同僚たちにできちゃった婚を冷やかされながら三月末で寿退社していった。
結婚後は田代母子と同居する。田代母から見て彼女は亡き夫の不倫相手。お互いそのことに触れることはないとしても、当分ぎくしゃくするだろう。子どもは年内に生まれるらしい。僕がその子と対面するときは来るだろうか?
誰かに見られて妙な噂を立てられて彼らの新婚生活にミソをつけるわけにはいかなかったから、退職前に歌歩さんと二人で会って感謝や激励の言葉を直接伝える機会は作らなかった。
歌歩さんが退職して間もなく、田代のスマホの待ち受け画面がマタニティウェアを着た歌歩さんのポートレートに変わった。髪型は相変わらず愛らしいポニーテール。
撮影した場所は江ノ島のようだ。普通の新婚夫婦と同じように休日はデートを重ねているのだろう。二人のあいだに愛は芽生えたのだろうか? まだだとしても仮面夫婦脱却は時間の問題だろう。
彼女の退職後は花壇の整備は僕が担当することにした。そんなことは私がやりますと部下たちに言われたが、僕がやりたいんだと強く主張して押し切った。僕の体のサイズに合わせた青い作業服を作らせて、プレハブ倉庫に置きざりにされた僕のものより一回り小さな彼女の作業服の隣にハンガーで吊るすと、うれしいような悲しいような不思議な気分になった。
僕は朝晩真新しい作業服に着替え、中庭の花壇の草取りと水やりに勤しんだ。次期社長が水やりをやっていると社内ですぐに評判になり、女子社員たちが大挙して僕の作業を見に来るようになった。彼女たちは僕を〈水やりの君〉と呼んで、ときにそう声援を送ってくれた。僕は曖昧に笑って声援に応える。
見上げればまだ四月なのに真夏のように澄んだ青空。僕はまだ君のことを忘れることができない。