テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
ガチャ
「ただいまー…」
吐き出すみたいな声だった。
一日分の疲れを背負ったまま、俺は靴を脱ぎ、薄暗い部屋に足を踏み入れる。
いつも俺を出迎えてくれるのは、エプロン姿で「いるくん、おかえりっ♡」って言ってくれる恋人ではなく…
🐈 にゃぁぁぁぁ
足元に柔らかい毛玉が擦り寄ってきた。
「なつ〜、ただいまぁ…」
しゃがみこむと、ふわりと温もりが腕に触れる。 俺の愛猫、なつは、目を細めて俺を見上げていた。
🐈ゴロゴロ…
「はっ、喉鳴らしてら…笑。お腹すいた?」
🐈にゃぁぁぁぁぉ
「そっか、そっか…」
くしゃり、と頭を撫でる。
さらさらの毛並みが指の間をすり抜けていく。
外の世界でどれだけ疲れても、 この小さな命が、ちゃんとおかえりをくれる。
それだけで、この疲れきった体と心が、癒されていく。
「よし、すぐご飯にすっか。」
立ち上がると、なつは嬉しそうにしっぽを立てて後をついてきた。
カラカラ、とフードが器に落ちる音が、静かな部屋に響く。
なつは待ちきれない様子で尻尾を揺らしながら、器に顔を近づけた。
餌をやりながら、ふと呟く。
「スマホでポチッとやればご飯出てくるやつ買った方がいいんかな…」
🐈にゃぁぁぁい…
まるで否定するみたいなタイミングで鳴くから、思わず笑ってしまう。
「だよな、うちにそんな金ないよな。分かってるよ。」
一人暮らしを始めて、まだ二年。 二十歳になったばかりの俺は、肩書きだけは大人でも、中身はまだ全然追いついていない。
大学とバイトの往復。 家賃、光熱費、食費。 通帳の数字は、現実的だ。
「なつが人間だったらなぁ…日頃の癒しがもっと癒せそ。」
カリカリ、と食べる音が止まる。
🐈 ?
顔を上げて、丸い目でこちらを見る。
「いや…ないか。てか、人間になられたら困るわ。俺、猫好きだし。」
もし人間になったら、 この柔らかい毛も、 小さな肉球も、 気まぐれな甘え方も、なくなる。 それはそれで、なんか違う。
なつは再びご飯に顔を戻し、満足そうに喉を鳴らす。 ゴロゴロ、と低い振動が、床越しに伝わってくる。
「……まあ、今のままでいっか。」
狭いワンルーム。 決して余裕があるわけじゃない生活。 それでも。 この小さな命がいるだけで、 帰りたくなる場所になる。 俺はしゃがみ込んだまま、なつの背中をそっと撫でた。
「明日もバイト、頑張るかぁ…」
簡単に飯を済ませ、風呂に入り、適当にスキンケアを終わらせる。 明日は休みとはいえ、朝からバイトだ。考えただけで気が重い。
俺はそのまま、逃げるみたいにベッドへダイブした。
「あぁぁぁ、バイトやだ……迷惑客嫌い……無理、無理無理無理無理無理無理無理無理。」
枕に顔を押し付けて、くぐもった声で愚痴をこぼす。
🐈んにゃぁぁぁ…
小さな声とともに、ベッドがふわりと沈む。
「んー? どしたん? あっちのベッドで寝ないん?」
なつはいつも、部屋の隅に置いた自分用の小さなベッドで寝る。でも、今日は気分的に違うようだ。
次の瞬間、 するり、と掛け布団の中に潜り込んでくる。
「うぉっ!?」
冷たい鼻先が、服の中まで突っ込んできて、腹に当たった。 もぞもぞと動いたかと思えば、 ぱっと布団から顔を出す。
🐈 にゃぁぁっ!
「……」
暗がりの中でも分かる、その毛色。 そして、吸い込まれるような、赤い瞳。 拾ったときから、少し珍しい色だなと思っていた。
あの頃、猫相手に本気で猫語を話しかけていた自分を思い出す。
「にゃー」とか「みゃー」とか、真顔で。
今思えばチョー恥ずかしい。
そんなことに気を取られていると、
ゴツン!
「い”っ…」
甘えるような、顎への頭突き。地味に痛い。
「はは、…そっか。」
なつは俺の喉元あたりに丸く収まる。 小さな体温が、じんわりと広がる。
「じゃあ、一緒に寝るか……」
ゴロゴロ、と低い振動が胸に伝わる。
俺はそっと、なつの背を撫でた。
「……ありがとな。」
返事はない。 ただ、規則正しい喉の音だけが続いた。
多分、朝だ。
嫌いなアラームが、耳障りな電子音を撒き散らしているし、 隣人がゴミ袋を出す途中で盛大に転んだ音と、 「うわぁ!」 という、間抜けな叫び声も聞こえた。
(起きたくない……)
俺は目も開けずにスマホを探り、アラームを止める。 どうせ何個も設定してある。二度寝前提だ。
(よし……九時に起きよう)
そう決めて、布団の中で丸まる。
……が。
違和感。
なつと一緒に寝た朝は、 必ず布団の中に、あのあったかい毛玉がいるはずだ。 腹のあたりに感じる重みも、 喉を鳴らす振動も、ない。
「なつ……?」
寝起きでしゃがれた声が、静かな部屋に落ちる。 すると…
「なぁに?ご主人様。」
すぐ横から、はっきりとした声。
「……ぇ?」
一瞬、夢だと思った。 重たいまぶたをこじ開けて、ゆっくりと後ろを振り返る。
そこにいたのは。
俺と同じくらいの年齢の、男。 ベッドの上に座っている。 さらりとした、金髪とも茶髪ともつかない曖昧な色の髪。 白い肌。 吸い込まれそうな、赤い瞳。 そして、ピクリと動く猫耳。
「……は?」
毛布をぎゅっと握りしめたまま、俺は固まった。 男は、にこりと笑う。 見覚えのある、どこか無防備な笑み。
「な……つ?」
恐る恐る、名前を呼ぶ。 その男、猫耳の生えた存在は、嬉しそうに目を細めた。
「うん、なつだよ。ご主人様。おはよう。」
語尾が、どこか柔らかい。
「……いや……ぇ?」
「ねぇ、ご主人様っ、俺お腹空いた!」
弾んだ声が、至近距離で響く。
「ちょちょちょ、ちょっと待て!」
「ぇ?」
首をこてん、と傾ける。 その仕草は、 完全になつ。 猫の時と一寸違わない。
「……なんで、人間になってんの?」
恐る恐る問いかけると、目の前の多分なつは自分の腕をまじまじと見つめる。 指を一本一本動かし、耳を触り、頬をぺたぺた触る。
「ホントだ! えーー! すごいすごい! 俺、人間になったん?⸝⸝✨️」
「いや、マジでなんで?」
その時。 ふと、視線が下に落ちる。 そして、俺の思考が停止する。
「…………」
白い肌。 すらりとした体。ほんで…
「てか、お前……服着てねぇし……!」
「服?」
きょとん、とするな。
「ちょ、そこで待ってろ! 服持ってくるから!」
俺は慌ててクローゼットに向かう。
「え、なんで隠すの? 昨日まで普通に撫でてたじゃん。」
「それは猫だからだ !!」
「俺、なつだよ?」
「今は人間だろうが!!」
心臓に悪い。
俺は適当にパーカーとスウェットを引っ張り出し、振り返らずに後ろへ放る。
「とりあえずそれ着ろ! ちゃんと全部!」
「全部?」
「全部!!」
もぞもぞ、と布が擦れる音。
「ご主人様ー、これどうやって着るの?」
「前後あるから! タグ後ろ!」
「タグ?」
「あーもう、こっち来て!」
数分後
ぶかぶかの黒パーカーに、ダボっとしたスウェット。 袖からちょこんと出た指。 フードの中から覗く猫耳。 そして、赤い瞳。
「どう? 似合う?」
くるっと一回転して、俺に見せつける。
「……」
(なんか、やけに似合ってるのが腹立つ。)
「サイズ感バグってるな……」
「ばぐ?」
「なんでもない。」
なつは嬉しそうに袖をぶんぶん振った。すると、袖を顔にくっつけて。
「ご主人様と同じ匂いする…///」
「……!//////」
「なんだか、すっごい安心する…/////」
無邪気にそう言って、にこっと笑う。
「っ、…とりあえず、…!なんで、人間になったか説明できる?」
「んー……」
なつは少し考えるように顎に手を当てて、
「分かんない!」
満面の笑み。
「朝起きたらこうだった!」
「軽いな!?」
ぴこ、と耳が揺れる。
「でも、ご主人様ともっと一緒にいられる?」
まっすぐな赤い瞳。 その言葉に、胸が一瞬だけ詰まる。 いや待て。それどころじゃない。
「今日、俺バイトなんだよ……」
「じゃあ、俺も行く」
「いや、なんでよ。行かせないけど?」
「やだやだやだやだやだやだやだ!!!!」
駄々をこねるように、床に寝っ転がり暴れる。
「バイトはダメ。いい子に待ってて。」
きっぱりと言い切ると、なつは露骨に顔をしかめた。
「えー、なんで?」
きゅる、と音が聞こえそうなほど潤んだ瞳。
わざとらしいくらいの上目遣い。
(こいつ……覚えたな、その顔。)
無意識に俺の弱点を突いてくるあたり、猫の頃から変わらない。
「ダメなもんはダメ! いい子に待ってなかったら……捨てる!」
「なっ……!」
赤い瞳が大きく見開かれる。
(あ、思ったより効いてる。)
喉が、わずかに鳴る。 俺は畳みかけるように続けた。
「捨てられたら、毎日うまいもん食えねーよ?
猫じゃらしでも遊んでもらえねーよ? いいの?」
冗談半分のつもりだった。 軽口の延長線上の、はずだった。 だけど、次の瞬間__
ぎゅっ…
「……!」
視界がぐらりと揺れる。 なつが、俺を強く抱きしめたのだ。
「……は?」
腕が背中に回る。 思ったよりも細い腕。 けれど驚くほど強く、離すまいと縋りつく力。
「嫌っ……」
震えた声が、胸元に落ちる。
「ご主人様と…居たいっ、おねがい…!捨てないで?」
ぽろぽろと、 赤い瞳から透明な雫が零れ落ちている。 それは冗談に対する反応とは思えないほど。 肩が小刻みに震えている。 俺のパーカーを、ぎゅう、と握り締めて。
「……っ、//////」
心臓が、強く打った。 これは、想定外だ。 猫の頃のなつが、段ボール箱の中で震えていた姿が、唐突に脳裏をよぎる。
雨の日。 濡れた毛並み。 か細い鳴き声。
「本気じゃねぇよ…ジョークだよ、ジョーク」
「…!」
なつは顔を上げる。 涙で濡れた睫毛。 潤んだ赤い瞳が、真っ直ぐ俺を射抜く。
「…ほんと?」
縋るような声音。
「ほんと。捨てるわけねぇだろ。」
俺は観念したように、そっとその背に手を回した。
「お前は俺のだろ。」
言ってから、しまったと思う。メンヘラみたいな、ジャ〇アンみたいなことを言ってしまった。 なつは一瞬きょとんとしてから、へにゃりと笑った。
「……よかった。///」
その笑顔は、安心しきった猫そのものだった。
腕の力が、少しだけ緩む。 けれど、完全には離れなかった。 まるで、まだ確かめるように。 俺は小さく息を吐く。
「……ただし、ちゃんと待ってろ。いい子にしてたら、帰ったらなんか買ってきてやる。」
「ほんと?」
「ほんと。」
ぴくり、と猫耳が立つ。 さっきまで涙で濡れていた瞳が、今度は期待にきらめいた。
(感情の振れ幅すご、…)
「……だから泣くな。」
指先で、そっと涙を拭う。 触れた瞬間、なつはまた少し頬を染めた。 そして、小さく、でも確かに囁く。
「好き…」
「は?」
「ご主人様、大好き…/////////」
「なんッ……はぁぁ?///」
顔が熱い。 心臓がうるさい。 これは猫への情なのか、それとも。 思考が追いつかないまま、俺はただ、なつの頭を乱暴に撫でた。
「……とにかく待ってろ。いいな?///」
「うんっ…!//////」
俺は家を出て、アパートの外階段を降りる 。冷たい朝の空気がまだ眠気の残る頭を刺す。
二階と一階の踊り場、その角を曲がった瞬間、人影が飛び出した。
「うぉっ!?」
「うわぁ!」
聞き覚えのある声。次の瞬間、その体がぐらりと傾く。反射的に腕を伸ばし、手首を掴んだ。細い。驚くほど軽い。
「っ、セーフ…」
「ぁ、ありがとうございます…!」
体勢を立て直したその人を見て、思わず眉をひそめる。
「大丈夫っすか?…って、既にボロボロじゃないすかあんた。」
髪に小さな葉っぱが引っかかり、頬には薄く泥。ズボンの膝には見事な穴。服もところどころ擦れている。朝から戦場でもくぐり抜けてきたのかってツッコミたくなる。
「あはは、…もう、朝から大変ですよ…笑。」
困ったように笑うその人は、みことさん。俺より年上なのに、なぜかいつも敬語。
「いるまさんは、これからバイトですか?」
「あぁ、はい。」
みことさんは、少女漫画のヒロイン並みにドジだ。よく転ぶ、よく物を落とす、よく犬に吠えられる。前なんて、自販機で買ったばかりのジュースをその場で落として穴開けてた。
ある意味才能だと思う。
でも、不思議と憎めない人だ。
隣人で、同じ猫好き。たまに廊下で合えば、猫の話で盛り上がる。なつの話をすると、目を輝かせて聞くし、何度か触らせたこともある。
「じゃあ俺、行きます。みことさんも…その、今日こそは無事に。」
「はい!いるまさんも気をつけて!」
手をひらひらさせて、そう言った。
バイト先のバックヤード。
湯気と油の匂いが混ざった空気の中、俺はトレーを拭きながら今日の出来事を必死に整理していた。
なつが人間になった。 いや、字面がおかしい。
猫が人間になるってなんだよ。 ファンタジーか? 夢か? 俺の疲労が生んだ幻覚か?
(家に帰ったら、きっといつも通り、なつなはず……多分。)
そうであってほしい自分と、 そうじゃなかったらどうしようという不安が、俺の頭の中でせめぎ合う。
「いるまくーん、これ7番テーブルに運んで!」
「ぁ、はい!」
反射で返事をし、トレーを持つ。
笑顔、笑顔。接客モード。
(今はそんな事考えてる場合じゃねーだろ……早く終わらせよ。)
7番テーブルに料理を置きながら、頭の片隅では赤い瞳がちらつく。
『ご主人様、大好き…//////』
「っ、!//////」
ぶんぶん、と内心で首を振る。
(集中しろ。油断すると皿落とすぞ。)
厨房へ戻る途中、ふと胸がざわついた。
(……ぁ、待って。)
足が止まる。
(俺……なつのご飯、用意してなくね?)
今朝はあまりの衝撃でそれどころじゃなかった。 完全に忘れてた。
(いや待て。今あいつ人間だよな? ってことは、カリカリ置いといても食えない? いやでも中身は猫だろ? どっちだ? え、まさか腹減らしてんじゃ…)
「いるまくん? 手止まってるけど大丈夫?」
「あ、すみません!」
慌てて動き出す。
(待ってろよ、なつ……!)
ちゃんと待ってる? 勝手に外出てない? ガスとか触ってない?
想像がどんどん悪い方向へ転がる。
油の弾ける音。 客の笑い声。 店内BGM。
その全部が遠く感じた。
「あーあ、今日もいるまさんに迷惑かけちゃったなぁ…俺の方が年上だっていうのに…情けない…」
階段の手すりにもたれかかり、小さく息を吐く。
大阪から上京して、もう半年。
けど、未だにこの街には馴染めへん。
田舎で育った俺は、ずっと思ってた。 早く上京したい、東京で成功したい、都会で暮らしたいって。 成人して、バイト掛け持ちして、寝る間も惜しんで金を貯めた。 やっと来れた東京。
やのに。
人、多すぎるし。 家賃、高すぎるし。 電車、路線図がもはや迷路やし。 人の目、なんか冷たいし。 初日から「無理や!」ってなった。
挙句の果てには、 よく分からん借金背負わされるわ、 怪しい壺買わされるわ、 詐欺にも引っかかるわ。
「東京は俺には無理やなぁ…地元に戻った方がええかなぁ…」
ぽつりと零れた弱音。
その時…
ギィィ…
軋む音、俺は顔を上げた。 いるまさんの部屋のドアが、ゆっくり開いた。
(ぇ、…いるまさん、バイトに行ったんじゃ)
さっき、確かに出ていったはず。 俺は恐る恐る振り向く。 そこに立っていたのは、 フードを深く被った、見知らぬ男。 ぶかぶかの黒いパーカー。 こちらを、じっと見ている。
「……ぇ?」
思わず声が漏れる。
男の唇が、わずかに動いた。
「……みこと、…さん?」
どこか、覚えがある。 胸がざわつく。 フードの影から覗く瞳。 珍しい、吸い込まれそうな赤。 いるまさんの飼っている猫、なっちゃん。 初めて会ったとき、 少し怯えたように俺を見ていた、あの赤い瞳。
「……」
時間が、妙にゆっくり流れる。
男は一歩、こちらへ近づく。 その足取りは、どこかぎこちない。 まるで… 二足歩行に、まだ慣れていないみたいに。
「な、…なっちゃん?」
冗談のつもりで口にした名前。 けれど、男はぴくりと反応した。 フードの奥で、何かが小さく揺れた気がした。
「……ご主人様、いない。」
ぽつり、と呟く。
声は低いのに、どこか幼い。
「……ぇ?」
心臓が、どくりと鳴る。
(まさか… いや、そんな…)
でも。 その赤い瞳が、俺を真っ直ぐ見つめている。 まるで、何かを確かめるように。
「……みことさん、匂いする。」
「ぇ…?」
「ご主人様の匂い。」
「っ!」
背筋が、ぞわりと粟立った。
廊下の空気が、急に冷たく感じる。 この人は、誰なんや。 それとも、本当に…
「…お腹、すいた…」
小さく、けれどはっきりとした声だった。
さっきまでの不気味さとは違う。
どこか、純粋に困っている響き。
「ぇ、…ぁ…お腹すいてる? えっと…いるまさんは、今バイトに行ってるけど…友達?」
探るように尋ねる。 フードの奥の赤い瞳が、ゆっくり瞬いた。
「ううん、ご主人様…」
「…???」
ご主人様。 その単語が、廊下の空気を一瞬止めた気がした。 俺は思わず首を傾げる。
(ご主人様? いるまさんが? いやいやいや。)
脳内で勝手に想像が暴走する。
もしかして、いるまさんてそーゆう趣味があるタイプの人なん? 極度の主従プレイ好き的な?
いや、そんなハレンチなことはせんよな…流石に。 でも、この人の言い方、本気っぽいし。
ご主人様って、あだ名とか?
いや、それにしては自然すぎる。
「……えっと、……家で、なんか食べます?」
気づけば、口が勝手に動いていた。 放っておくのも怖いし、 かといって廊下で立ち話を続けるのも落ち着かない。
何より。 ほんまに腹を空かせた小動物みたいに見えたから…
「!」
一瞬で、表情が変わる。 ぱっと、瞳が輝く 。
(缶詰開ける音聞こえた時の、猫みたい…)
「いいの?」
身を乗り出してくる。
(距離が…近い…)
フードがずれて、ちらりと覗いたものに、俺の心臓が跳ねた。 髪の隙間から、何かがぴくりと動いた気がした。
(猫耳…?)
「た、食べるだけですよ? 変な意味じゃなくて!」
自分でも何を弁解しているのか分からん。 男相手に何を焦っとるんや俺は。
「食べる。」
即答。 迷いゼロ。 その素直さが逆に怖い。 俺は一瞬だけ、いるまさんの部屋のドアを見る。 さっきこの人は、あそこから出てきた。
「…なつって、呼ばれてました?」
試すように、そう言ってみる。彼 は、ぴたりと動きを止めた。 赤い瞳が、じっと俺を見つめる。 数秒の沈黙。
それから、こくん、と小さく頷いた。
「なつ。」
名乗るように、 その瞬間、背筋を冷たいものが走る。 あの猫と、同じ名前。 同じ瞳。 同じ、どこか怯えた気配。
「……うそやろ。」
思わず漏れる本音。 けれど、なつと名乗った男は、ただ不思議そうに首を傾げるだけだった。
アレルギーとか、あります?」
自然と声が出る。
キッチンに足を運び、冷蔵庫を開ける。
冷たい金属の扉が、微かに朝の光を反射する。
振り返ると、なっちゃんはソファの端に座っていた。
「………」
だんまりと、 一点を、ただ見つめている。
見つめている方向を見る。 部屋の角。何もないのに じっと見ている。
(うわぁ…アレ、猫がやってると『え、そこになんかいるの?』ってめっちゃ怖くなるやつやん…)
「えっと…なっちゃん?」
「…………」
返事はない。 けれど、体の角度、視線の奥行きから、何か確かに存在を意識しているのは分かる。
(とりあえず、適当に作って渡すか…)
頭の中で手際よくメニューを考え、冷蔵庫にある食材をかき集める。
フライパンで卵を割り、ベーコンを焼く。
目玉焼きとベーコンだけの簡単な皿。
でも、栄養はなんとか。
「はい、…今はこれしか食材無いんで、これで我慢してくださいね。」
机に置くと、目の前で彼は一瞬手を止める。
「箸とフォーク、どっちがいいです?」
「……?」
首を傾げる。
(いや、なんで。その反応にこっちまで首傾げたくなるやろ。)
「…じゃあ、箸で。ほら、食べてください。」
差し出した箸をぎこちなく持たせる。
「……???」
再び首をかしげる。
首の 角度、表情、全てが猫そのもの。
(え…箸を知らない? まさか、いるまさん……監禁ッ!? 調教!? だから、ご主人様!?)
頭の中でいろんな妄想が暴走する。
(監禁て、…調教て…いるまさん…な、なんてハレンチな事を!////////)
※勝手に想像してるだけです。
「じゃあ、教えますね…箸は、こーやって動かすんです。」
手本を見せる。 右手で箸を持ち、ゆっくり上下に動かす。 見ている赤い瞳が、真剣そのものだ。
「…」
なっちゃんも、ぎこちなく箸を握る。
小さな手で、ゆっくり動かすその様子に、つい息を飲む。
「! すごい上手! 上手いですよ!じゃあ、…これ箸で掴んで見てください。」
ウィンナーを箸で示す。
小さな肩が震えているのが見える。
けれど、頑張ろうとする意思が、ちゃんと手に現れていた。
「……っ、」
箸を動かすその仕草、ぎこちなくも真剣そのもの。 指先に力を込め、スッ、とウィンナーを掴んだ。
「よっっしゃぁぁ! すごい! すごいよぉ! えらいえらい!」
思わず声が弾む。 わしゃわしゃ、と自然に手が伸び、なっちゃんの頭を撫でていた。
「ぁ! ご、ごめんなさい!」
思わずやってしまった。 出会って間もない(仮)人に唐突に触れるなんて。
普通怖いに決まってる。
「んふふ、/////////」
「…!///」
けれど、なっちゃんは、ふにゃっと笑った。
目尻が少し下がって、柔らかく、安心したような笑み。
猫みたいで、可愛くて、愛おしい。 小さな体に宿る好奇心と真剣さ、 ぎこちない動作と無邪気な笑顔。 それらすべてが、胸の奥をじんわり温まった。
「……可愛い」
バイトが終わった。
時計を見る暇もなく、俺はアパートに向かって全力で走った。 どうか、無事であってほしい。
変な人に連れ込まれていないといいけど……
階段を駆け上がり、二階の踊り場にたどり着くとそこには、目を疑う光景が広がっていた。
なつが、みことさんに抱きついていた。
(…いや、なんで…?)
甘えるように体を預けるなつ。 少し困った顔をしながらも、どこか嬉しそうなみことさん。
二人の距離感が、どう見ても仲良すぎる。
いや、仲良すぎるっていうか…
俺は、立ち尽くしてしまった。
言葉も動作も、出ない。
その瞬間、なつがふと気づいた。
「ご主人様っ…!」
駆け寄ってきて、俺に抱きつく。
あまりの突然さに、思わず体が固まった。
「ばっ、お前今ここでそれは…!」
言いかけて、何かが込み上げてくる。
いや、感情じゃない。状況的に困惑の嵐だ。
「ぁ、…深いことは聞かないんで。
人それぞれの趣味とかプレイとかありますよね…」
みことさんは、困ったように笑いながら、やけに落ち着いた口調で言った。
「ぇ?」
俺の頭の中は、完全にフリーズした。 え、今なんて言った? 趣味? プレイ?
(…???)
「監禁プレイと、調教も…まぁ…バレないように、気をつけてくださいね。」
「…ぇ…???」
その後、俺は一旦家に入り、なつに事情を聞いた。
「なるほど、つまり…お腹がすいてドアを開けたら、みことさんが居て、ご飯をくれたってこと?」
「うん! 飯くれた!」
その答えに、思わず微笑む。
なつの赤い瞳は、生まれたばかりの猫のように輝いていた。
「…………うん、そっか。」
(明日なんか、お詫びになるもの渡さないとな…)
頭の片隅で、明日の作戦を考える。
人間になったとはいえ、中身はやっぱりなつ。
カリカリだけじゃ足りないだろうし、ちょっと豪華にしてやらないとな。
「猫って、バレてない?」
「うん!」
自信満々に笑うなつ。 多分、バレてるんだろうなぁ…。 でも、まぁいいか。 なんか、こいつ可愛いし。 うん、可愛い。間違いなく可愛い。
「…はぁ、…もう…まじ、…ごめんなぁ? カリカリじゃダメだもんな…お前、今人間だよなぁ…」
頭をかきながら呟く。 まだ慣れない感覚だ。
いつもは小さな体にカリカリを置くだけで済んでいたのに、今は赤い瞳でこちらを見上げて、手を伸ばしてくる。
「ねぇーいるまぁ、遊ぼー?」
その声に、思わず笑いそうになる。 小さな手がぴょこっと揺れる。 無邪気で、いたずらっ子で、でも、なんだか愛おしい。
「後でなぁ…」
答えながら、胸の奥がじんわり温かくなる。
遊ぶ時間も、これからのご飯も、全部、ちゃんと守らなきゃ……。
「…ぁ、風呂」
その一言に、なつがビクッと肩を震わせた。
「シャァァォァァ!!!!」
人間とは思えない威嚇の声。 赤い瞳が一瞬きらりと光る。 いや、明らかに嫌そうだ。
「威嚇かよ…人間なんだから、入ってもらわねーと、こまるわ。」
俺が苦笑いしながら言うと、さらに声を張り上げた。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!」
全身で拒絶を示している。 でも、もう覚悟を決めた。
「問答無用!」
逃げようとするなつを、俺はすかさず抱き上げる。 その体はまだ小さく、軽い。 それでも必死に手足をばたつかせて抵抗する。
「降ろして降ろして! ご主人様! 降ろしてよぉぉ!」
「だーめーだ!」
強引に脱衣所まで連行する。 後ろから抱き上げる感触が、猫の頃と変わらない温かさで、心臓がじんわり熱くなる。
「ほら、服脱いで…」
「……脱ぎ方わかんない。」
首をかしげるなつ。 ほんとに、まだ人間になりきれていない。 いや、むしろ人間化しても残る猫の無力さが可愛すぎる。
「…まじかよ。はぁ、したかない、ほらバンザーイ。」
上着を脱がせるために、腕を上げさせる。
「?、ばんざーい?」
首をかしげる姿に、俺の心臓はまた跳ねる。
こんな無防備な姿、猫の頃には見られなかった。
「よし、…あとは自分でできる?」
「うぅん…分かんない、ご主人様、手伝って?」
上目遣い。こて、 と首を傾ける仕草。 俺の胸の奥に、ぎゅっと何かが締め付けられる。
「うぐ、…//////」
思わず視線が釘付けになる。 小さな手が俺の腕に触れそうで、触れない距離。 その赤い瞳に見つめられると、言葉が出なくなるんだよな。
「……仕方ない…手伝うか。」
シャワー中。
「に”ゃぁぁぁぁぁッ!!!!💢」
爪を立て、俺の手首を噛み、暴れ放題。 まさに猫そのものの暴れっぷりだ。 いや、目の前奴は人間なのに、仕草は完全に猫。
「暴れんなッ!あと、体洗うだけだから!!!! ほら、!足広げて!」
「シャァァァァァ💢」
全身で拒否。 湯気の中、赤い瞳が怒りで光る。
まるで小さな獣を押さえつけるハンターの気分だ。
「あー、もう、それびびんねーから!
俺がお前を拾ってから何度聞いたことやら!」
強制的に足を広げさせる。 濡れた髪、濡れた体、そして時折見せる小さな抵抗。
なんて、尊い…いや、尊ん取る場合か!
「……」
一瞬の静寂。 湯気に包まれ、赤い瞳がちょっとだけ怯える。
(あそこの毛も、この色なんだ…)
思わず目線が下に行く。 いや、見なきゃいけない場面じゃないのは分かってる。 でも、これに関しては、好奇心が勝った。
「う”にゃぁぁぁぁッ!!!!」
再び暴れる。 俺の腕に力を込めて抑える。
「あー、はいはい、暴れんな! すぐ終わらせるから!」
十分後
「ふー、ふー…やっと、…終わった。
ほら、湯船に浸かって!」
「……やだ」
小さく、でもはっきりと拒否の声。 まだ猫の本能が残っているのか、湯に警戒している。
「やだじゃない!ほら!入る!」
体を軽く押し、湯船に誘導する。 赤い瞳が、一瞬抗うように光る。 でも、腕の中で小さく震えるその姿が、可愛くてたまらない。
(……やっぱ、可愛いな、こいつ。)
人間になったとはいえ、 甘えてきたり、暴れたり、びくっとしたりする姿は完全に猫そのものだった。
湯船に浸かると、なつは静かになった。
シャワーの間の暴れっぷりが嘘みたいに、体を沈めておとなしくしている。
だが、耳はペタンと伏せている。
きっと、あのシャワーが怖かったのだろう。
小さな背中が、湯船の湯にぽちゃんと沈む。
「…なつ」
小声で呼びかける。
赤い瞳がちらりとこちらを向く。
「んにゃ…?」
首をかしげる仕草。
人間になっても、残る猫の癖が愛おしい。
「ぁ、眠いの?」
問いかけると、微かに目を細めた。
「んんぅ…」
甘く、低く、ゴロゴロと喉を鳴らす。
体をぴったりとくっつけ、俺の腕や胸にスリスリしてくる。
(はぁ…? かわいいかよ。)
思わず、心の中で叫ぶ。
猫の頃の無邪気さと、人間になった今の甘えっぷりが混ざり合って、胸がきゅっとなる。
小さな体が、湯船の中でぴったりと寄り添う。
温かさと柔らかさが手に伝わる。
それだけで、俺は完全に心を奪われた。
「…よし、もう大丈夫だ。怖くないよ。」
湯気の向こうの赤い瞳に、そっと微笑みかける。 なつは安心したように、さらに体を預けてきた。
(……いや、まじで可愛い。)
思わず頬が緩む。 人間になったなつも、猫の頃のなつも、全部が愛おしい。
風呂から上がり、体を拭いたあと服を着せる。
相変わらず大きめのダボダボで、袖や裾が手足にかかる。 それでも、ちょっと人間らしくなったなつは、必死に動きを合わせている。
「んんぅ…」
「寝る前にドライヤーだかんな?」
ドライヤーを手に持ち、声をかける。 温かい風で髪を乾かすのも、これからの習慣になりそうだ。
「…嫌」
「嫌じゃない!ほら!ここ、座る!」
膝をポンポンと叩くと、なつの顔がぱぁぁっと輝いた。 赤い瞳に好奇心と嬉しさが混ざる。
「膝、いいの?」
その小さな声に、思わず笑みが漏れる。
「ぇ、いいけど…」
まだ少し戸惑う様子。 でも、膝にちょこんと座るその仕草は、猫の頃のままの甘えん坊っぷりを残している。
(……まじで、かわいいな、こいつ。)
湯上がりの体温と、膝の上で小さく丸まるなつ。 髪の先に手を添え、ドライヤーを当てると、ぷるぷるっと小さく震える。
その仕草に、思わず胸がぎゅっとなる。
「よしよし、動かないでな。」
ドライヤー中、なつは湯船に浸かっていたときと同じで、大人しかった。
おとなしいとはいえ、猫の頃の習性はまだ残っていて、手元で軽くおもちゃをいじったりして遊んでいる。
「ん、…ぅ…」
眠そうな声が、小さく漏れた。
猫は基本的によく寝る生き物だ。
この声は、猫としての名残りだろう。
指先でそっと髪を乾かしながら、俺は心の中で微笑む。
「よし、終わり。眠いなら、もうベットで寝てな。俺は後で行くから。」
「……うん」
小さな声で返事をし、まだぎこちない二足歩行で寝室へ向かった。
後は、酒を飲んだり、テレビを見たりと、一人の時間をゆっくり楽しんだ。 猫のときのなつは、俺がこうしている間、ずっと隣で丸まって寝ていた。 そして、俺が寝ようと立ち上がると、すぐに目を覚まし、ちょこちょことついてきて、寝室で一緒に丸まっていた。
だけど、人間になったなつは…
「……はぁ、なんか、早く戻って欲しいわ、まじで。」
いや、可愛いんだけど…猫のあの感じというか、気ままな感じが人間になると…
「……めんどくせぇ彼女みたいになる。」
そろそろ寝ようと思い、寝室に向かうと、なつはもうベッドで寝ていた。 毛布にくるまったその姿は、まだ少し人間らしさに慣れていないせいか、無防備で小さく見える。
(普通に考えたら、シングルで二人って……)
心の中で呟きながら、そっとベッドに入る。
すると、なつは俺に気づき、ぱっと体を起こして、そのまま抱きしめてきた。
「ん? なに、どしたん?」
「遅い…」
小さな声に、胸がぎゅっとなる。
どこか猫の頃の甘え方が残っていて、でも人間の形になったことで、感情がよりストレートに伝わってくる。
「……ごめんな?」
頭を撫でる。猫 の頃とは全然違う手触りに、少し戸惑う。 柔らかくて、温かくて、落ち着くような、落ち着かないような感覚。
「なぁ、なつ…明日起きたら、戻ってくれてる?」
「分かんない…」
「………そっか。」
俺は小さく息を吐き、抱きしめ返えした。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!