パックさんの自宅兼研究施設兼病院で―――
そこの主が、イスに座りながら一人の青年を
診ていた。
「呼吸、問題無し……
心音、異常無し……
傷も綺麗に治っていますし、大丈夫でしょう」
それを聞いた青年は深々と頭を下げる。
彼は養殖池に落ちた後、救助された人物で……
それから4日ほど後、パック夫妻が公都に
戻ってきた事で、念のため治療後の具合を
確認してもらったのである。
そしてさらに3日後の今日、晴れて最後の
確認が行われ、
「一応、浄化魔法かけておきますので。
あと気を付けてくださいね。
魚に限らず、生き物によるケガは悪化する事が
多いので―――
あ、依頼中のケガですので治療費は共同の
保険から支払われます。
もう帰って頂いて結構ですよ」
「は、はい!
ありがとうございました」
こうして彼は帰っていき―――
そこで医者姿のパック夫妻と視線が合った。
「塩素水……
『浄化水』の量産にまさか成功するなんて」
パックさんは、やや白く薄く濁った水が入った
ビンを手に取って見つめていた。
夫妻と一緒に廊下を歩き、たどり着いた部屋には
複数の研究員らしき人が『それ』を作っている
最中で―――
「ザース様、ユーミ様。
お疲れ様です」
私の言葉に、白衣姿の2人が振り返る。
「シン殿!」
「パックさん、シャンタルさんも……
それであの患者さんはどうなったんだい?」
ブラウンのダブルレイヤーをした、20才
そこそこの青年と―――
同じ髪色のロングの女性が歩み寄ってきた。
2人ともドーン伯爵家の次男次女……
年齢的にはマリサ様とアリス様の中間なのだが、
実際の年齢よりやや下に見える。
「問題ありませんでした。
初期治療が早かったのと……
この『浄化水』のおかげかと」
「効果があった、という事でしょう。
期せずして臨床実験みたいになりましたが、
成果は確認されました」
パック夫妻の言葉に、ユーミ様がザース様を
ヘッドロックのように抱きしめる。
「やったぜオイ!
これで成功だな!」
「ま、待ってユーミ姉さん!
こちらにも報告が―――」
ん? と思って室内を見渡す。
現状ここには、改めてギルド支部で集められた
雷魔法の使い手がいた。
ザース様と同じく、使えはするものの―――
威力が微弱で『役立たず』と思い、その魔法を
使える事自体、隠していた者が複数いたのだ。
そしてこちらの呼びかけで4人ほど集まり……
今では『浄化水』の製造に従事してもらっている。
「報告とは?」
私の問いに、室内では明らかに年齢高めの
男性が近付いてきた。
この人は、雷魔法の使い手とは他に―――
王都から急遽呼び出され、ワイバーンで
運ばれた鑑定魔法持ちだ。
「卵の浄化について、でしたな?
確かにこの『浄化水』で―――
『有毒な卵』が無害化されました」
その記録書であろう書類をパック夫妻に渡し、
3人で目を通す。
「……うん、なるほど。
これだけ何度も繰り返し確認されたとなれば、
『浄化水』の効果は十分証明されたと思います」
パックさんの言葉に、ユーミ様は首を傾げて、
「でもさぁ。
そんなに卵がナマで食える事が重要なのかい?」
「ユ、ユーミ姉!」
弟が慌てて姉をたしなめるが、
「卵の毒は知っているでしょう?
それを洗うだけで無害化出来るという事は、
たいていの毒は消せるという事ですよ?
人体に何の影響もなく、です」
銀髪よりも白い長髪をなびかせながら語る
シャンタルさんに全員が聞き入り、
続けて彼女の夫が
「そういう事です。
今後、卵の浄化に限らずこの『浄化水』は―――
医療関係者の必需品になるはずです。
冒険者や旅人たちもこれを持っていれば……
ケガや傷を負っても、ただ水で洗うよりずっと
生き残る確率が上がります」
それを聞いていたユーミ様が、また弟を
抱きしめて、
「そっかあ~!
これでやっとザースにも正当な評価が……!
おねーちゃんは嬉しいよ」
困惑する弟と、抱きつく事を止めない姉―――
その光景をしばらく周囲は注意出来ずに見せつけ
られる事になった。
その後、私は応接室へパック夫妻と共に移動し、
ここしばらくの情報共有を行う事になった。
彼らが帰ってきた時点である程度の話や説明は
あったが、パックさん目当ての患者が待っていた
事で、その治療に専念せざるを得ず、
今日はより詳しく―――
近況や状況の情報交換を行う感じだ。
「では、ニーフォウルさん一家はまだ、
ポルガ国に滞在していると」
「ええ。母エイミさんが生きていた事で……
死亡記録を訂正するのと、また娘エイミさんを
ひ孫として認める手続きが必要との事でして」
「それとアーロン君は、娘エイミさんの
専属奴隷になるとの事。
これはまあ、彼をロッテン伯爵家の保護下に置く
ためですね。
時期が来れば解放するそうです」
多分、将来のひ孫夫婦になる事は確定だし……
初期のアリス様とニコル君の関係のようなものか。
「しかし、ラミア族はそれで大丈夫なんで
しょうか?」
確か、長い間住処は空けられないと、長である
ニーフォウルさんが言っていたはずだが。
「一応、一週間後にまた迎えに行きます。
もし各手続きが終わっていなければ、
ニーフォウルさんだけでもいったん帰ると」
「なるほど。
あと、伯爵の奥方様はどうなりました?」
聞くまでも無いが、念のため確認を取る。
「それは私が治療しました。
たいした病気でも無かったので―――
今では、ひ孫の子供の顔を見るまで
死ねないと言っておりましたよ」
苦笑するパックさんにつられ、シャンタルさんと
私も笑う。
そこで不意にパックさんが真面目な顔に戻り、
「それと、ズヌク司祭についてですが」
こちらも笑うのを止めて、耳を傾ける。
「以前、ウィンベル王国から『質問状』を
送った事がありましたが……
(62話 はじめての たっぐまっち参照)
どうもその一件以降、彼の立場は微妙に
なっていたようです」
アーロン君を保護した際に、王国まで巻き込んで
『創世神正教・リープラス派』への質問状を、
新生『アノーミア』連邦の主な宗教団体へ
送っていたのである。
「微妙と言われますと?」
「風魔法の使い手でもあるので、失脚とまでは
いかなかったようですが……
派閥間の争いに言い分を与えてしまったようで、
しばらく大人しくしているようにと周囲からも
圧力が掛かったようです」
反省というよりは、内部の争いに利用されて
動けなくなっただけか。
「じゃあ今回の件は……」
「よりによって他国の王家の結婚式で―――
ですからね。
しかも彼が使っていた魔導具ですか?
非合法・禁忌に近いものだったようで……
二度と表舞台には戻って来れないでしょう」
恐らく処分は闇から闇へと葬り去られる
だろうが―――
『リープラス派』にしてみても、これ以上
ロッテン伯爵様の機嫌を損ねたくないだろうし、
どこの世界・組織でも、トラブルメーカーと
いうのは必要無いのだ。
「それにしても―――
わたくしたち以外の手で『これ』が出来ている
なんて、思いもしませんでしたよ」
シャンタルさんが、改めて液体の入ったビンを
持ち上げ、パックさんと見つめる。
「ええ、『浄化水』の大量製造……
この目途が付くとは思いもしませんでした。
私も作れはしますが、専念する事は
出来なかったですしね」
そう―――
電気分解という製造方法自体はパックさんの
協力により、確立していたのだが、
当のパックさんは浄化魔法を使った方が早い上、
医者として周辺の村や集落を巡回している事も
あって……
そこに時間を取られるわけにはいかなかったの
である。
「冒険者の中にも雷魔法の使い手がいるとは、
盲点でしたよね、パック君」
「私も少し前までは……
強力な魔法ではないという事は、無いも同然だと
思い込んでいましたから。
もしかすると―――
使える人は意外と多いのかも知れません」
とはいえ、今やこの公都で100人を超える
冒険者で……
その中の4人しかいなかったのだから、貴重な
人材には違いない。
「シンさんの方では、変わった事は?」
「巨大化させた魚の……
さらに巨大化という事件がありました。
ほら、さっきの患者さん―――」
そもそも彼がケガをしたのは、それが
原因でもある。
状況を一通り夫妻に説明したが、
「一匹だけですか。う~ん……」
「他に特別な事をしているとは思えないし、
同じ条件なら、他の魚も巨大化していると
思うのよね」
特別と言えば、ドラゴンのアルテリーゼの影響を
受けたメルの水魔法こそ特別と言えるのだが、
養殖池にいた他の魚も同じ条件である以上、
結論は出せないのだろう。
「そういえば、今日お二人は?」
「パックさん、シャンタルさんが帰ってきた事も
あって、今は巨大ウナギの準備をしてます。
ただ異常な巨大化の件があったので、
万一に備えて常時張り付いている状態で……」
現状、すでに冬に突入して久しい。
雪はまだ降っていないが、川は完全に表面が
凍っていて、漁は出来なくなっている。
そのため、タンパク質の確保は最優先事項だ。
「あと、鑑定魔法の使い手の人はどうします?
寒さがこれ以上厳しくなると、ワイバーンでの
移動も難しくなると思いますけど」
すると夫妻はいったん顔を見合わせて、
「あの人は、しばらく留まってもらう事に
なりました」
「ワイバーンの巣から持ち帰った、希少な
鉱石や植物などを見てもらいたいので」
私はその答えに驚いた。なぜなら……
「え? いやでも確かあの人―――
1日につき金貨10枚くらい払わないと
いけない方では」
レオニード侯爵家でも鑑定魔法の使い手に会った
事があるが、その人件費はバカにならないと
聞いている。
特に今回連れて来てもらった方は、毒の有無や
真贋、動植物など多岐に渡って『鑑定出来る』
有能な人で―――
「いえそれが……」
「公都『ヤマト』での食事やら何やら、いろいろと
気に入ったらしく―――
ここにいる間の生活さえ面倒見てもらえれば、
『鑑定』は無料でいいとまで」
いや王都にいた人だよね?
そこまで生活レベルが離れているわけでは……
あるんだろうなあ。
「まあ、当人がいいのであれば……
それじゃ引き続き、『浄化水』、重曹、
メープルシロップシュガーの作成もお願い
いたします」
季節的に、メープルシロップの生産量が上がって
きた事もあり―――
また外の漁や猟に出れなくなりつつあるので、
あぶれたブロンズクラスの人たちの雇用も兼ねて、
ここで作ってもらっている。
単純に水分を飛ばして固形化させるだけだが、
煮詰める→煮詰める→煮詰める→煮詰める→
もっと煮詰める……
を繰り返し行う必要があるので、現場では空調服と
氷魔法が大活躍している。
「シュガーですか。
あれも労力要りますからね。
冬で無ければ無理でしょう」
「それを使った新しい料理、
楽しみにしていますよー」
そこで私はパック夫妻と別れ―――
屋敷を後にして、次の目的地へと向かった。
「おー、シン」
「こちらもちょうど終わったところじゃぞ」
同じ黒髪の、ミドルとロングヘアーの2人の
女性が出迎える。
私は同じ新規開拓地区・西側の―――
さらに南、鳥や魚・貝の養殖施設のある
地区へ来た。
そこでメル・アルテリーゼと合流したのだが、
2人の妻はなぜか一仕事終えたような顔で、
「終わったって……
もしかして、もうラージ・イールを
仕留めたのか?」
周囲に人がいるので、巨大化という言葉は使わず
質問する。
「……まあ、ちょっと特殊な獲物だったよね」
「見てもらった方が早いな」
そこで妻2人に促され、解体現場へと急いだ。
「う~ん……」
その『獲物』を見て、私は思わずうなる。
前回、ウナギが巨大化した際は―――
確かエラを噴出口のようにして、水を吹き出し
空中に浮かぶ怪物になったのだが、
「もしかしてこれ、翼?」
「そう。多分胸ビレにあたる部分だろうけど」
「これでバサバサと羽ばたき始めたものだから、
速攻で仕留めたわい」
まるでポケ〇ンの進化を見ているようだ……
それに大きさも前回より一回り巨大なような。
食べる量が多くなるのはいい事だけど。
そこへ解体中の職人が通りかかり、
「いやー、こんな魔物は初めて見ましたけど……
よく捕まえられましたね」
ナマズもウナギもカニも―――
巨大化ではなく、あくまでもアルテリーゼ=
ドラゴンが獲ってきた事になっているので、
「空なら我の敵ではないわ。
むしろ水中から出て来たのが、こやつの
運の尽きよ」
彼女の答えに周囲にいる職人たちも、おおー、
と声を上げ、彼も仕事へ戻って行った。
「ちなみに下半身は?
もう解体されているっぽいけど」
「そっちはまあフツー」
「これと言って、特に変化は見られなかったのう」
となると、『より高い飛行能力を得た』くらいか。
それだけでも十分脅威なんだけど。
「しばらくは念のため、常時監視が必要か。
一応記録しておこう」
こうして、食料の調達と討伐を終えた妻2人と
共に、いったん宿屋『クラン』へと、食事のため
向かう事にした。
「ふーん。
エイミちゃんたち、帰ってくるの
遅くなるんだ」
「死んだと思っていた家族との再会じゃ。
まあ仕方なかろう」
「ピュウ」
魚と貝のフライを頬張りながら、家族で
得た情報を共有する。
「ドーン伯爵様は屋敷に戻って……
入れ替わりでギリアス様がここに来るとか
言ってたっけ」
「ディーン君もルクレさんと供に、
一度チエゴ国へ帰国しているんだよね。
ナルガ辺境伯様御一行と一緒に」
神獣・フェンリルが自国の国民と結婚する事は、
チエゴ国に取って決して悪い話ではないだろう。
「つい先日、クラウディオとオリガ―――
あの2人も王都へ戻って行ったのう」
「一方は子爵令嬢だけど、2人とも冒険者
だからね。
結婚式には協力するって約束したけど、
まあ冬に式は挙げないと思うから、
次に会うのは春が来てからかな」
すでに来年の予定が入っている事に、
少々複雑な気持ちになるが……
めでたい事なのでそれは素直に喜ぼう。
「そういえば、メン専門の施設を立てるって
噂があるけど、本当かい?」
そこへエプロン姿の、布で髪を後ろにまとめた
この宿の女将さんが料理を運んできた。
「ええ、力仕事ですけど作業自体は単純なので、
身体強化が使える人なら誰でも、という感じで
今人を集めています」
ウドン・ラーメンの麺類は、作る事自体は簡単だ。
ならば工場のように専用の作る施設を作れば、
大量生産も可能だし雇用促進にもなる。
特にウドンなら、小麦・塩・水で済む。
ラーメンは重曹を使うので、まずはその原料の
海藻を安定して確保する必要があるが。
「ン!? その話は初耳だよー、シン」
メルが疑問と共に視線を向ける。
「募集の話だけで、まだどこに作るのかも
決まってないんだよ。
そもそも公都の中にもう作れる場所が無いから、
また新規に開拓するかって話も出ているんだ」
「確かにここも人が多くなったからのう。
冒険者ギルド支部も、また職員寮を建て増し
したそうじゃぞ」
「ピュ~」
飲み物を口に付けて一息つくと、
「あんたもいろいろと大変だねえ。
気軽にメン類が使えるようになれば
助かるけどさ。
あ、あと前にもらった……
メープルシロップを乾燥させたもの?
ありゃ何に使えばいいんだい?」
料理に関する試作品は、まず宿屋『クラン』に
行くのが半ば当たり前になっていたので提供したの
だが、その用途までは詳しく言っていなかった。
「鰻のタレならそのまま液体のヤツを使うし、
やっぱり甘味かフルーツかねえ」
んー……
日本では料理の基本として『さしすせそ』が
あるけど、ここに来た時点で塩と酢くらいしか
無かったものなあ。
「いや私の国では料理にフツーに使うので……
あと調味料も作りますし」
「え? タレじゃないの?」
そこで私は考え込み、
「ちょっとまた時間がかかるんですけど、
やってみましょうか。
それが出来れば、またいろいろと用途が
広がると思いますので」
「お、シンの新しい料理教室じゃな?
我も覚えるぞ」
そこで、そのまま『下ごしらえ』を
『クラン』で教える事にして―――
料理人の人たちにも声をかけてもらい、
一晩寝かせる必要があるので、お披露目は
明日にするという事で話はまとまった。
「何かもう、うまそうな匂いがするんだが」
白髪交じりのアラフィフの男が、ただよう
香りを鼻で感じ取る。
「何なんスかコレ?
今までにない、食欲をそそる匂いッス!」
「うぅ、ヨダレが止まりません……!」
次いで、黒髪・短髪の褐色の青年と、
ライトグリーン・ショートヘアの丸眼鏡の
女性がそれを堪能する。
翌日の昼―――
宿屋『クラン』には、いつものメンバーに
召集をかけておいたのだが、
ジャンさん・レイド君・ミリアさんはすでに
表情をとろけさせ、
「何なんだろう。
ハンバーグよりも美味しそうな……」
「匂いだけで、これだけ期待出来る料理が
あるなんて」
細身の長身で短髪の夫と、亜麻色の髪を
三つ編みにした妻も、すでに香りの虜に
なっているようだ。
そして、ギル君・ルーチェさんの前に料理が
並べられると……
「……アレ?」
「いつものフライやカツ、天ぷら……?」
他のメンバーも似たような表情と感想を漏らすが、
「いや! この小皿に入ったコレ……!
コレが匂いの正体ッス!」
目ざとくレイド君が匂いの元を見つけ、
「おう、これだな」
「えっと……これを付けるの?」
ギルド長がスプーンでつつき、ミリアさんも
興味津々の目で見つめる。
「まあ付けるというか、かけてみてください」
「このように、こうして……」
メルとアルテリーゼが小皿を持って、各揚げ物の
上にかけると、料理を配られた全員が真似をする。
そして口に入れると―――
「!!」
「これは!」
「うっま……!」
ちなみに上から順に、ジャンさん、レイド君、
ミリアさんの感想だ。
「すごい! 塩より断然うまい!」
「匂いも味も強烈ですけど、何なんですか
コレ!?」
ギル君とルーチェさんにも好評のようだ。
「私たちも味見したけど」
「これだけでご飯が食えそうじゃ」
「ピュ!」
妻たちも、その味を絶賛する。
「これは……
マヨネーズに匹敵するかも」
「シュガーを使った料理と聞きましたが、
食欲が止まりません!」
パック夫妻も舌鼓を打ち、満足気に味わう。
今回作ったのは―――
地球でいうところの、ソースを再現したものだ。
まず適当に野菜を炒めてもらい、後に水と一緒に
煮込む。
水分がある程度無くなってきたところで―――
砂糖を入れ、その後に塩を入れて味を調える。
それからまた煮込み、さらにそこでお酢を投入。
またひと煮立ちさせた後、一晩寝かせ……
それをかき混ぜてドロドロにした後、荒い布で
絞り、少し温める程度に煮込む。
これでお馴染みのブルドッ〇ソースの完成、
と言いたいところだが……
しょせんは素人の思い出し料理、足りない
素材も多く、地球に比べれば今イチだ。
だがこの世界では初体験だろう。
一応、そこそこ味は再現出来た事で、私も
ホッと胸をなでおろす。
「おう、シン。
何か厨房でジャージャー焼いているようだが、
まだ料理があるのか?」
実はメインが控えていたのだが、ジャンさんが
それを察知して聞いてくる。
「そうですね。そろそろ―――」
と言っている間に厨房からウェイトレスの
人たちが、『それ』を持って出てきた。
次々にメンバーのテーブルに置かれていった
それは……
「これ、ウドンってヤツじゃ?」
「こっちはあのラーメン……
まさか焼いたのか!?」
ロンさんとマイルさんも来ていたのだが―――
彼らの言う通り、それは焼かれた麺類だった。
さらに、すでに『ソース』は付けて焼かれており、
最初の一口を口に運ぶと……
「うまっ!!」byミリア
「うまままっ!!」byルーチェ
「肉も魚も絡み合って……」byメル
「味が全て『ソース』になっておる!」
byアルテリーゼ
「でもそれがオイシイ!!」byシャンタル
女性陣が感激しながら食べ続ける。
ウドンは魚と野菜を、中華麺の方は肉野菜を
中心にした―――
いわゆる焼きうどんと焼きそばにした。
「いやー、チビどももこれは喜んで食べると
思うッスよ!」
「味付けと、煮るのを焼くのにするだけで
こんなに違う料理になるなんて……!
やっぱり、シンさんはスゴいです!」
「シュガーはどれくらい使うんでしょうか……
冬のうちに可能な限り量産を……!」
レイド君、ギル君、そしてパックさん男性陣も、
ひたすら口に運び続ける。
「しかし、結婚式の後で良かったな。
もしこの味を知ったら―――
帰らない貴族様が続出したぜ?」
ギルド長の言葉に対し、全員が苦笑と共に
同意した。
―――3日後。
パックさんの屋敷に、私を含む……
5組の夫婦が集まっていた。
家主のパック夫妻を始めとして、レイド夫妻、
ギル夫妻、そして私とメル・アルテリーゼ。
その中でも一番カップルになって若い組の……
ボサボサの赤髪をした無精ひげの夫が、うろうろと
動物園の檻に入った動物のように右往左往する。
「ケイドさん、気持ちはわかりますが……
落ち着かないと」
「それはわかるんですけど―――
やっぱり……
ああもうっ、何も出来ないのがこれほど
もどかしいとは」
彼は、魔狼ライダーのリーダーであり……
またパートナーである魔狼、リリィと子を成した
アラサーの青年である。
(69話 はじめての にんしん参照)
そしていよいよ、その出産が迫り―――
本来、ポルガ国へニーフォウルさん一家を迎えに
行く予定だったパック夫妻はそれを延期して残り、
産婆さんの元、女性陣が新しい命の誕生のため
協力していた。
「リリィさんはその……
人間の姿にもなれるッスけど、産むのは
どちらの姿で?」
「あ、はい。
やはり慣れている方がいいとの事で、
魔狼の姿のままで産むと」
気を使ったのか、レイド君が質問するが……
その答えが終わるとまたケイドさんはソワソワ
し始める。
「大丈夫ですよ、パックさんがついているん
ですし―――
何よりシンさんもいますから!」
ギル君が元気づけるように話す。
いや私に医療技術を求められても……
と思ったが、さすがにそれは空気を読んで
喉元で止める。
「でも、少し時間がかかり過ぎのような気が……」
不安そうに話すケイドさんに、私はあえて
笑いながら、
「いや、魔狼の出産なんて初めてでしょう。
かかり過ぎかどうかなんてわからないじゃ
ないですか」
「それはそうですが……」
その時、バタバタと慌ただしくなる気配がした。
足音、大声、騒々しい空気―――
それらが一体となってこちらへ迫る。
「シンさん、いますか!?」
白衣姿の、声でルーチェさんと判断出来る
女性が姿を現す。
マスクをしたその下の表情からは―――
状況が決して楽観出来ない事を伺わせた。
「すぐ行きます!」
私は備え付けの塩素水を入れたビンを開け、
両手にかけてこすりながら答え、そのまま
彼女の後を追うように走った。
「どうしました!?」
病院の一室に入ると、そこには―――
パック夫妻と産婆さんと思われる女性、
そして女性陣が立っていた。
彼女たちが取り囲むようにしているベッドの
上には、リリィさんと思われる魔狼がおり、
そのお腹の近くには、すでに授乳のために
密着している魔狼の赤ちゃんの姿が、2匹ほど
目に入る。
「生まれたんですか、良かっ……」
そこまで言いかけて、あるものを目にして言葉が
止まる。
同じベッドの上の片隅、そこに一匹だけポツンと
物のように置かれた小さな魔狼。
リリィさんもそちらに視線を向けたまま、
動こうとはせず……
ベッドへ駆け寄ると同時に女性陣がスペースを
開け、パックさんと私がその魔狼の赤ちゃんの
前へ陣取る。
自分が呼ばれたという事は、当然私の能力を
使う前提と見て―――
小声で彼に確認する。
「(どういう状況ですか?)」
「(魔力過多です。
ナイアータ殿下のような……!
それを治したのはシン殿と聞いております。
ですので同じ処置を早く)」
(76話 はじめての りはーさる参照)
それを聞いた私は、子犬のような赤ちゃん魔狼に
向き直り―――
「(自分自身を苦しめる、または……
自身に害を及ぼす魔法・魔力など
・・・・・
あり得ない)」
小声でつぶやいた後、パックさんの顔を見る。
彼はうなずいて魔力暴走が治まった事を伝えて
きたが、
「……!?」
それでも、赤ちゃん魔狼の息は弱々しく……
事態が改善したようには思えない。
「思ったより体力が……」
「じょ、浄化魔法は?」
パックさんは私の問いに首を横に振る。
「毒や病気ならば、それも効くでしょうが―――」
そのまま彼は黙り込む。
恐らく私よりも、この部屋の誰よりも……
医学知識のある彼に取っては、絶望がわかって
しまっているのだろう。
それが周囲に伝わったのか、他の女性陣もまた、
沈痛な表情になる。
母であるリリィさんも、半ば諦めと懇願するような
目をこちらへ向けていた。
「呼吸、心臓停止を確認。
残念ですが、この子は……」
何か無いか、何か……!
待てよ、アウトドアの救命講習で確か―――
心肺蘇生の方法を学んだはず。
呼吸停止の場合はまず気道の確保、そのために
人工呼吸、そして……
いや、悩んでいる時間は無い!!
「!? シンさん!?」
パックさんが驚く声を上げるそのすぐ横で、
私は魔狼の赤ちゃんに対して人工呼吸を始めた。
幼児や赤ちゃんは、息を入れ過ぎると胃が膨張して
しまうので、量を調節しながら吹き込む。
それが終わったら、1分につき30回ほどの
ペースで胸を圧迫。
2回呼吸、圧迫、これを繰り返す。
そして30分ほどが経過し……
「ケイドさん」
「はいっ!!」
病院の待合室のような空間で、呼びかけに対し
赤髪の男が弾けたように立ち上がる。
「シャンタルさん……
どうなったッスか?」
レイドの質問に、彼女はマスクと被っていた
頭巾のような白衣を外すと笑顔で、
「男の子が2人、女の子が1人。
女の子が一時危ない状態でしたが……
母子ともに何とか無事です。
おめでとうございます!」
それを聞いたケイドは、崩れ落ちるようにして
両ひざをつき、安堵のため息をついた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!