先の犯罪処理も無事終わり、処理判断部は東京本部のオフィスに戻ってきた。
「全く、処理判断部の仕事は大変だねえ。」オフィスの奥から出てきた糸口が言う。彼女は栗原の先輩であり、容姿端麗成績優秀の典型的なエリートだ。
「はい、コーヒー。」
「すみません。ありがとうございます。」栗原は申し訳なさそうに少しお辞儀をして受け取った。「でも、これが国の秩序を守る大切な仕事ですから。」コーヒーに映った栗原の顔はどこか物憂いている。
「なんかあった?」糸口は隣の席に腰をかけた。
「いえ、しっかり仕事はこなしました。」
「それならそんな顔しないはずなんだけどなあ。」
「すみません…。」
「まあいいや。何かあったら私に相談して。多分答えられるから。」と、自信ありげな顔をして、
「じゃあ私、お昼食べてくる。」そう言って、糸口は軽い足取りで食堂に向かって行った。
栗原は現代の真理に悩んだ。人間は理性的であるべきだという考え。それを我々は数値で測られ、時には処罰され、時には優遇される。感情的な人間は嫌悪される。怒り、悲しみ。特にそういった負の感情は、他人の前で見せてはならない。しかしこれらの価値観はかの産業革命以来のものであり、人類史、時代を通じた普遍性を持たない。そこに彼は疑問を感じていた。人類は、感情をあたかも汚物のように蓋をして見えないようにしているが、本当は感情は美しいのではないか。もしそうだとすれば、我々は多くの宝石をゴミ箱に捨てていたことになる。その価値の損失に彼は感じたことのない感覚に悩まされていた。
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日も暮れてきた頃、金田部長から一通のメールが届いた。「先の強盗事件、妙に変だ。なぜ今どき、負の感情による、あんな高レベルな犯罪が起きたのか。しかも犯人が事件を起こした動機もまだ掴めてないらしい。もしできたらそっちで調べてくれないか。」確かに、例の犯人は珍しい感情で犯行に及んだ。
現代の感情種別は2つに分類されている。1つは「正の感情」。喜び、嬉しさ、楽しさなど、人体に良い影響を与えると科学的(理性的)に証明された感情は社会では善いものとされている。そのため、表に出すこともよしとされており、そのため行き過ぎたこの「正の感情」によってほとんどの事件は起こる。
しかし、問題は「負の感情」だ。悲しみ、苦しみ、怒りなどである。これは人体に悪影響を及ぼすだけでなく、人間の野生的という、理性とは真逆の本能を刺激する原因なので社会でも嫌悪されている。そのため、生まれて少しすると、この感情を抑制する薬や手術によって人間は「負の感情」をほとんど表に出さなくなる。まして事件などなおさらだ。昔は恋愛関係や金銭トラブルによるそのような感情で殺人事件など起こったらしいが、治安・社会安全法の制定により全国民に感情抑制手術、薬治療が義務づけられ、そのような「非理性的な事件」は起きなくなった。
だが、現実に今さっき、感情理由、しかも「負の感情」の事件が起こった。金田部長が気にするのも無理はない。栗原は自分の中のよくわからない感情をぶつけられるのではないか、と考えて引き受けることにした。
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