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未完成のまま、
夏の終わりのグラウンドは、いつも少しだけ焦げた匂いがした。
「絶対、東京行こうな」
金網にもたれながらそう言ったのは、神崎悠真だった。
隣でスポーツドリンクを飲んでいた朝比奈 湊は、汗を拭いながら笑う。
「お前、それ去年も言ってた」
「去年より本気だよ」
「毎年本気って言ってるやつの言葉、信用できないんだけど」
そう返しながらも、湊は嫌そうにはしなかった。
二人は幼なじみだった。
家が近くて、気づけばいつも一緒にいた。小学校も、中学校も、高校も同じ。周囲からは双子みたいだと言われるくらい、どちらかの隣には必ずもう片方がいた。
野球を始めたのも同じ日だった。
プロになる。
子どもの頃に交わしたその夢は、冗談みたいに聞こえながらも、二人の中ではずっと本物だった。
「お前、絶対俺より先に有名になりそう笑」
「は?エースは俺だろ」
「性格の話。俺はインタビューで余計なこと言って炎上するタイプ笑」
「それは否定できない」
夕焼けの中で、二人は笑った。
その時間がずっと続くと思っていた。
少なくとも、湊はそう信じていた。
✦
異変に気づいたのは、秋だった。
練習中、悠真が突然しゃがみ込んだ。
「おい、大丈夫か?」
「…ごめん、ちょっと立ちくらみ笑」
そう言って笑っていたが、顔色は明らかに悪かった。
それからだった。
熱を出す日が増えた。
練習を休むことも多くなった。
それでも悠真は、「すぐ戻る」としか言わなかった。
だが、冬が来る頃には、学校にもほとんど来なくなっていた。
そして、十二月。
湊は病院の白い廊下を歩いていた。
消毒液の匂いが鼻につく。
病室の前で立ち止まり、深呼吸してから扉を開けた。
「よっ」
ベッドの上の悠真は、いつも通りの顔で笑った。
けれど、その笑顔はどこか弱々しかった。
「……なんだよ、その顔」
「別に」
「嘘つけ」
悠真は窓の外を見た。
「大した病気じゃないって」
「なら早く戻ってこいよ。冬大会、どうすんだ」
沈黙。
少ししてから、悠真はぽつりと言った。
「なあ、湊」
「ん?」
「俺さ、もう野球できないかもしれない」
時間が止まった気がした。
「……は?」
「治療、長引くらしくて。身体も前みたいには動かないって」
「何言ってんだよ」
「だから、夢とか、もう____。」
「ふざけんな!」
気づけば声を荒げていた。
病室の空気が張り詰める。
「お前が勝手に諦めんなよ!」
「……勝手?」
「俺たち、約束しただろ!」
「現実見ろよ!」
悠真の声が初めて震えた。
「俺だって、諦めたくて諦めるわけじゃない!」
「だったら__!」
「もう無理なんだよ!」
その瞬間、湊は悠真の胸ぐらを掴んでいた。
点滴が揺れる。
二人とも息を荒げたまま、動けなかった。
先に視線を逸らしたのは悠真だった。
「……帰れよ」
「……」
「今のお前と話したくない。」
湊は何も言えなかった。
病室を出る直前、一度だけ振り返った。
悠真は窓の外を見たままだった。
︎✦︎
それから、二人は連絡を取らなくなった。
湊は何度もメッセージを送ろうとして、やめた。
謝るべきなのか。
それとも、あんな弱気なことを言った悠真が悪いのか。
考えるほど分からなくなっていった。
学校では、周囲もあまり悠真の話をしなかった。
教師たちもどこか触れづらそうにしていた。
時間だけが過ぎていく。
春が来ても、悠真は戻ってこなかった。
︎✦︎
雨の日だった。
下校途中、湊はコンビニの前でクラスメイトに呼び止められた。
「朝比奈、お前……知らなかったのか?」
「何を?」
「神崎、先月……」
そこから先の言葉が、すぐには理解できなかった。
耳鳴りがした。
「え?」
「いや、だから……亡くなったって」
世界から音が消えた。
雨粒だけがやけにうるさい。
「嘘、だろ」
「葬式、家族だけだったらしくて……」
湊は何も聞けなかった。
気づけば走っていた。
どこへ向かっていたのか、自分でも分からない。
息が切れて、足がもつれて、それでも止まれなかった。
最後に会った日のことが頭から離れない。
『帰れよ』
あの声。
あの顔。
もし違う言葉を返していたら。
もし、もっと早く謝っていたら。
そんなものを何度考えても、もう遅かった。
︎✦︎
それからの湊は、変わってしまった。
野球部を辞めた。
夢という言葉を聞くだけで息が詰まった。
夜になると眠れず、机の引き出しにしまったままの二人の写真を何度も見返した。
笑っている悠真を見るたび、胸の奥が痛んだ。
自分だけが生き残ってしまった。
その感覚が、ずっと消えなかった。
湊は次第に、自分を傷つけることでしか感情を逃がせなくなっていった。
けれど、何をしても心は軽くならなかった。
苦しみは消えず、ただ時間だけが過ぎていく。
︎✦︎
数年後。
冬の駅前を、湊は一人で歩いていた。
吐く息が白い。
通り過ぎる高校生たちの笑い声が、昔の自分たちみたいで、少しだけ耳を塞ぎたくなった。
駅前の大型ビジョンでは、プロ野球の特集が流れていた。
眩しい照明。
歓声。
インタビューを受ける選手たち。
かつて二人が夢見た場所。
湊は立ち止まり、しばらく画面を見上げていた。
「……お前なら、行けたのかな」
答える声はない。
当たり前だ。
もう、どこにもいない。
それでも湊は、時々人混みの中に悠真の姿を探してしまう。
角を曲がった先。
電車の窓越し。
夕暮れのグラウンド。
いるはずがないのに。
忘れられないまま、生き続けてしまう。
夢を失っても。
希望をなくしても。
終わりきれないまま。
未完成の約束だけを抱えて。
湊は今日も、生きている。
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しぐらーめん
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