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 夏を迎える準備が人々の心の中に芽生え始めたある日の朝、いつものように寝起きの悪い顔を生涯の恋人に見せつけていたのは、くすんだ金髪が肩の下辺りにまで伸びていたリオンだった。

 いつも一括りにしているためにあまり気付かなかったが、結構な長さになっているなぁと起こしに来たウーヴェが微苦笑すると、寝ぼけ眼で頭を掻きむしったリオンがスケベだから髪の伸びが早いんだと本気か冗談かが分からないことを呟き、今はそんな事よりも早く朝食を食べさせるべきだと思い出したウーヴェに促されてベッドから降りる。

「スクランブルエッグで良いか?」

「……ん、ベーコンも付けてくれたら嬉しい」

「分かった」

 まだ眠っていたい頭を振って何とか眠気を覚まそうとするリオンに笑いかけたウーヴェは、早く朝食を食べて出勤する準備をしようと腰に腕を回すと甘えるように肩に頬が宛がわれる。

「そろそろ髪を切らないか?」

「んー?邪魔になってきたか?」

 本人ではなくウーヴェが髪の長さについて問えば、昨日は思いっきり髪を引っ張ってたくせにと夜に聞くのがふさわしい声が密やかに笑いを届けてくるが、腰の辺りを抓られて小さな悲鳴に取って代わられる。

「ベーコンは要らないんだな」

「ウソですごめんなさい」

 お願いだからベーコンを食べさせてダーリンと心底情けない声で懇願されて溜息をついたウーヴェは、早く食べようと気持ちを切り替えて笑いかけると、リオンもすっかり目が覚めた顔で大きく頷き、二人で食べているのに何故か賑やかになる朝食を今日もしっかりと食べるのだった。


 今日も良い天気だ、なのに何故仕事をしなければならないんだ。

 ご機嫌の証の鼻歌ではなく自作の仕事をサボりたいソングを歌いながら椅子を軋ませたリオンは、前方と左右から投げかけられる呆れの視線と声も何のその、その歌を最後まで歌いきって周囲に多大な脱力感を覚えさせていた。

「そんなに仕事が嫌ならば辞めてしまえばどうだ」

「オーヴェのヒモになれって?」

 いつものように煮詰まっているコーヒーを今朝は不味そうに飲んでいるコニーの言葉にリオンが顔を向け、確かにそれも悪くはないが己の恋人が真っ当な理由もなく働かないでいることを許してくれるだろうかと想像し、即座に顔を青ざめさせる。

「……真っ当に働くか」

「ドクは厳しいだろうなぁ」

 己の想像の中での恋人は、それはそれは綺麗な顔に似つかわしい笑みを浮かべてさっさと仕事をしろ、しないのであれば実家に帰って教会の運営の手伝いをしてこいと言い放っていて、仕事も嫌だが教会の手伝いなどもっと嫌だと絶句したリオンが想像の旅から戻ってきた現実の方が遙かにマシだと気づき苦手な書類仕事に取りかかる。

「ようやく訳の分からない歌を止めたか」

「上手いでしょ」

 己の部屋から出てきて苦笑するヒンケルに反り返って笑いかけたリオンだったが、その顔に書類を軽く叩きつけられて不満の声を上げる。

「ぶっ!」

「誤字脱字が多すぎる。もう一度基礎学校で国語の文法を学んでこい」

「分かってるなら訂正してくれても良いのに」

 リオンの報告書の誤字脱字の多さは有名で、何度も書き直しをさせられてはぶつぶつと文句を言っているため生真面目なマクシミリアンなどに提出する前に誤字脱字がないか読み直せと何度も忠告される有様だった。

 だがそれでも一向に懲りることなく報告書を提出しこうしてやり直しを命じられているのだが、そんな日常のごく当たり前の光景に今では誰も何も言い返すことをしなくなっていた。

 この課の刑事達が暇を囲っているのは良いことだとリオンの頭に拳を押しつけつつぼんやりとヒンケルが思案したとき、コニーのデスクの電話がけたたましく鳴り響く。

 一本の電話の音で一瞬にして部屋の空気が入れ替わり、先ほどまでの自作ソングなど遙か遠くに投げやったリオンがコニーの受け答えに集中し、ヒンケルと己の出動があるかどうかを見極めようとする。

「……ああ、分かった。すぐに向かう」

 その言葉でデスクに座っていたリオンの同僚達が一斉にヒンケルを見、見られた上司も部下の顔を一巡するように顔を巡らせる。

「二つ向こうの駅前広場で男が日本刀を振り回しているようです」

 死者は今のところ出ていないが制服警官が一人手を切られて負傷しているため応援に来て欲しいと切羽詰まった声で頼まれたことを教えられて頷いたヒンケルが自ら出向く事、リオンを連れて行くから後のことはコニーに一任すると伝えると室内の空気が再度一瞬で変化をする。

「ボス、車を取ってきます」

「ああ、頼んだ」

 自作ソングでは何故働かなければならないと歌っていたリオンだったが、本質は仕事人であり事件があればどうしても心がざわめいてしまうのだ。

 その癖が元で今まで幾人もの彼女と別れてきたが、最後にして最愛の恋人はそんなリオンのことを良く理解しているからか、今朝も仕事に励んでこい、疲れたら俺の横で羽を休めろと言って背中を押してくれたのだ。

 その力を今不意に思い出し、さー行ってきますかーと、事件の大きさと反比例するような明るい表情で鼻歌交じりに呟いて同僚達に呆れた様な視線を貰うのだった。


 通報のあった現場に駆けつけたリオンとヒンケルがコニーから聞いた話を再確認するために負傷した警官の治療をしている救急隊員の傍に駆け寄ると、少し離れた場所から男女の悲鳴と喚き散らす男の声が響いてくる。

 警察署から二駅の現場は冬になればスケートリンクが登場する広場で、初夏を迎えた今は豊かな水が涼しさをもたらしてくれる噴水となっていて、悲鳴が上がったのはその噴水付近だと察したリオンにヒンケルが市民が多いから発砲はなるべくするなと命令を飛ばし、手を挙げることで返事に代えたリオンが顔なじみの警官とともに人々の流れに逆らうように走っていく。

「なー、日本刀ってあれか、サムライが腰にぶら下げてるやつか?」

「そうじゃないか? 俺もよく知らないが……そのようだな」

 顔なじみの警官が前方で陽光に光る銀の煌めきを発見し、あれだと緊張した顔でリオンに合図を送るが、リオンはと言えば警官とは対照的にのんびりとした顔をしていた。

 それが表情だけのものであることをヒンケルや他の同僚達もよく知っているがこの警官は知らなかったようで、どうしてそう暢気な顔をしていると睨んできたため、瞳にだけ真剣な色を浮かべ口元には不敵な笑みを浮かべる。

「んー、どうにかなるだろ」

 そういう問題か、そうだという問答を繰り広げたとき、日本刀を振りかざした男が二人に気付いて異様に目を光らせる。

 リオンが日本刀を見たのはこれが初めてで、西洋のレイピアのような細さはないが切っ先が肌を掠めただけで肉まで切れるのではないかと警官に注意を促すが、それをあざ笑うように男が日本刀をやたら滅多と振り回す。

「リオン!」

「うひぃ!」

 頭上を掠める刀をしゃがんで交わし、ついで石畳に手をついて受け身を取るように転がったリオンだが、一瞬前までいた場所に日本刀が叩きつけられたのを目の当たりにしてさすがに血の気を引いてしまう。

 リオン目掛けて再び刀が振り下ろされ、身体能力の高さを示すように飛び起きてその攻撃をやり過ごしたものの、頭上を水平に走る銀の閃光に首を竦めてしゃがみ込む。

 右から抜けた閃光が今度は左から右へと駆け抜けるのを何とか交わすものの、くすんだ金髪がぱらぱらと風に乗って散っていく。

「げっ! もしかしてオーヴェに俺の散髪を頼まれたのか!?」

 でもお生憎様、オーヴェが髪を切れと言ったのは襟足であって頭頂部じゃ無いとも叫ぶものの、その怒声の意味をこの場にいた誰もが理解できずにいた。だが頭頂部の髪を少しばかり斬られてしまったリオンにとっては大問題なのか、俺が育った教会はトンスラをする宗派じゃねぇし、あんなハゲ頭は断固拒否すると吼えて何とか男に日本刀を手放させなければと瞬間的に思案する。

「リオン、市民の避難が終わったそうだ!」

 制服警官が少し離れた場所でヒンケルとなにやら相談していたが、規制テープが張り巡らされて市民が直接の被害を受けにくくなったことをリオンに伝えたため、ヒップホルスターから銃を抜くと日本刀を振りかざす男に銃口を向ける。

「ヘイ!」

 お兄さん、今から俺と警察署でデートしないかと、誰が聞いても呆れるようなことを言い放ったリオンは、犯人ですら呆気にとられたのか一瞬動きを止めた隙を逃さずに刀身ではなく男の手元を狙って一発だけ射撃する。

 その弾は見事に鍔に当たり衝撃で男をよろめかせたため、銃を片手に男との間合いを一気に詰めると、黄色い目を光らせる男に不敵な笑みを見せつけながら今度は男の手の甲目掛けてショートブーツに包まれた足を振り上げる。

「っ!!」

 男が痛みから体勢を崩しながら日本刀を手放したためにその横っ腹目掛けてタックルしたリオンは、石畳に男を押し倒すものの、全力で暴れる背中を膝で押さえつけて腕をひねり上げる。

「ぎゃあ!」

「ぁだっ!! ……ボス!」

 男の悲鳴が辺りに響く中でリオンがヒンケルを呼び、確保の体勢になっている上司が駆けつけると同時にバトンタッチをし、己の年齢と大差ない職歴を持つ上司が犯人を確保する手際を学ぶようにじっと見つめ、そんなリオンの前で同じように駆けつけた制服警官の手を借りてヒンケルが犯人を立ち上がらせると、署に連行する手配をてきぱきと行う。

 普段はどれ程ふざけてからかっていたとしても、心の奥底では尊敬しているヒンケルの刑事としての行動を見守っていたリオンは、顔馴染みの警官が慌てた声で名を呼び肩を掴んだ為に驚きに飛び上がりそうになる。

「リオン、手当てをして貰え!」

「へ? ケガしてるか?」

 警官の声にヒンケルが顔を振り向け、次いで驚きに目を瞠ったことから己が負傷したことを察したリオンは、汗が流れる額を手の甲で拭うが、汗ではあり得ない赤い色をそこに発見して瞬きを繰り返す。

「いつ斬られたんだ!?」

「いや、切られてねぇ。タックルした時に何処かにぶつけたのかもな」

 血が流れている事を認識すると同時に痛みが芽生え、無意識に手を宛がったリオンの掌にぬるりとした感触も芽生えていて、ああ、手当てを受けた方が良いかもとまるで他人事のように呟いてしまう。

 ちょうど救急隊員もいることだから手当てを受けろと制服警官に犯人の身柄を託したヒンケルが慌てて駆け寄り、こちらもまた日頃はどれ程怒鳴り散らしていようとも今最も気に掛けている部下の負傷の具合が気になる様子で、額から血を流すリオンに救急隊員の所に行けと命じれば、普段は断固拒否と言い放つはずのリオンが素直に頷いて歩き出す。

「警部、大丈夫ですかね」

「頭の傷は出血が多いからな」

 リオンの背中を見送ったヒンケルは応援に駆けつけた他の部署の刑事達に手短に事情を説明し、現場で指揮を執る同期の警部を発見すると、後の事は頼んだと手を挙げてリオンを追うように踵を返すのだった。


 ウーヴェが開業しているクリニックの最寄り駅-と言っても駅は眼下の広場の片隅にあった-で日本刀を振り回していた男が警察に取り押さえられた、男は妻が不倫をしていることを知り骨董市で手に入れた日本刀を手に妻をまず襲い、その不倫相手の男も切りつけた後に広場で無関係の市民を相手に刀を振り回したようだった。

 その報道をウーヴェが目にしたのは一日の診察を無事に終わらせ、リオンから連絡がなかったために一足先に帰宅し、食事の用意を済ませてリビングのソファでテレビを見ている時だった。

 その広場は二人でショッピングの後に食事をしたり、冬になればスケートリンクが作られる為に見学に出掛けたりする場所だったため、ウーヴェにとっても馴染みの深い場所で、そんな場所で無差別殺人になりかねなかった事件が発生したことを知り、犯行の動機を知ってくっきりと眉間に皺を寄せてしまう。

 殺人や傷害事件のニュースで誰でも良いから人を殺したかったと逮捕された犯人が供述しているのを聞くと、誰でも良いと言いながら決して己よりも強い人を襲わないのは何故だと皮肉を込めて呟いてしまっていたが、今回は無差別でその場に居合わせた人ならば誰でも良かったことを知り、警察の取り調べで精神鑑定もなされるだろうと溜息を吐く。

 この事件があった為に己の恋人から連絡がなかったのだと知ると、この様子では今夜中の帰宅は無理かも知れないとも気付き、ソファに投げ出していた携帯を見れば、メールが届いていることを知らせるアイコンが点滅していた。

 慌てて携帯を手に取りメールをチェックしたウーヴェは、己の予想に反しリオンがもうすぐ帰宅する事を教えられ、事件は良いのかと短いメールを送ると、程なくして携帯から軽快な映画音楽が流れ出す。

「Ja」

『ハロ、オーヴェ。事件はマックスとコニーが引き継いでくれた』

「そうなのか?」

 お前の優秀な同僚達が引き継いでくれたのならば大丈夫なのだろうが、それにしても事件が発生してからまだ時間が経っていないのに良く帰って来られたなと、素朴な疑問を口にしたウーヴェの耳にリオンが誰かに今日も働きましたよーと答えている声が流れ込む。

『オーヴェ、ドア開けて』

 その声がアパートの警備員に対するものだと気付いたのは携帯からは声が、玄関からはドアベルの音が鳴り響いてからだった。

 携帯をソファに再度投げ出して長い廊下を玄関へと向かったウーヴェがドアを開けると、少し草臥れているがそれでも職務を精一杯果たした満足を全身から漂わせるリオンを発見し、労いの思いを込めて腰に腕を回してそっと抱き寄せる。

「お疲れ様、リーオ」

「うん、さすがに今日は疲れたかな」

 いつもならば飛びつくようにハグをしてくるのに穏やかな声が違和感を覚えさせたためウーヴェが顔を上げて間近にあるリオンを見つめると、髪の生え際に貼られた大きめの絆創膏に気付いて目を瞠る。

「リオン、それはどうしたんだ?」

「ああ、これか?」

 ウーヴェの顔から一瞬で血の気が引いたのをしっかりと見たリオンは安心させるように逆にウーヴェの腰に腕を回し、広場での事件の経緯を簡単に説明をするが、腕の中の身体が小刻みに震えだしたことに気付いて白っぽい髪に口付ける。

「大丈夫だ、オーヴェ。絆創膏を貼ればいけるぐらいだから大したケガじゃない」

 己の恋人が心身のどちらかに傷を負うことに対し己が考える以上に敏感になり悪い方へと物事を考える癖があることに気付いたのは、付き合いだして様々な感情をぶつけ合い、それでも手を繋いで触れあえる距離で笑いあっていたいと思う関係を築き上げてからだった。

 だからウーヴェを安心させるように本当に大丈夫だ、犯人を取り押さえる時にぶつけて出血しただけでボスから名誉の負傷と誉められたと囁き、髪に頬を宛がって震える背中を撫でる。

「ザビエルにもならなかったしさ、名誉の負傷だから誉めてくれよ」

 日本刀というのは本当に良く切れるもので、髪を少し切られたものの恐れている頭頂部をそり上げたような髪型にならなくて済んだと笑うと、ようやく腕の中から小さな小さな笑い声が流れ出す。

「ザビエル?」

「そう! てっぺんハゲの修道士がいるだろ?」

 危うくアレになってしまうところだったと笑い、リオン曰くのザビエルになり損ねた頭を見て髪を撫でたウーヴェは、自然と髪が薄くなるのは仕方がないが半強制的になってしまうのは自分も嫌だと笑い、名誉の傷を癒す為にそっと額に口付ける。

「……よく頑張ったな、リーオ」

「うん、頑張った。だからさ……」

 もっともっとハグしてくれ。それが何よりの薬になると笑ってウーヴェのこめかみにキスをすると、頑張ったから腹が減ったとも笑い、ウーヴェから食事の用意をしてあることを教えられて笑みを深める。

「ハグは良いのか?」

「ハグも良いけど、晩飯もね」

 ウーヴェが気分を切り替えるように溜息を零した後に茶目っ気を込めて問いかけると、そんなウーヴェに朝のように腰に腕を回して肩に懐くように頬を宛がったリオンが片目を閉じる。

「良し。じゃあ食べようか」

 今日一日の疲れを食べる事で癒し、ベッドの中で望むままにハグをしていようとウーヴェがひっそりと告げればリオンがその頬にキスをする。

「ダンケ、オーヴェ」

「ああ」

 互いの腰に手を回してキッチンに向かった二人は、ウーヴェが用意をしてくれた食事を朝と比べれば少しだけ静かに食べ、肉体の疲労を取るのだった。


 リオンの頭の傷は本人が笑って告げた様にウーヴェが心配するようなものでもないことを身体の奥で感じる熱と背中を抱く手の熱さから感じ取ったウーヴェは、一足先に意識が白濁するような時間へと押しやられ、程なくして同じように熱を出して倒れ込んでくるリオンを受け止める。

 汗ばむ背中を撫で肩胛骨をなぞってうなじへと手を移動させると自然とそのままくすんだ金髪を抱くように手を差し入れ髪を撫でていると、ザビエルにならなくて良かったというリオンの感慨深い声が蘇り、つい悪戯っ気を出して手の中に髪を握りこむ。

「ぃて。止めてくれよー。せっかくザビエル化は避けられたのにっ」

 ウーヴェの肩に懐きながら息を整えていたリオンだったが、髪を引っ張られる痛みを軽口で訴えて同じく汗ばむ顔を見下ろせば、握っていた髪をウーヴェが手放す代わりにそっと抱き寄せる。

「……本当に、今以上に髪を切られなくて良かったな」

「うん」

 頭の傷も瘤だけで済んだことだし、この絆創膏もすぐに取れると笑ってウーヴェの首筋に顔を寄せてリオンだけが出来るキスをそこに落とすと、ウーヴェの肩がぴくりと揺れるが頭を抱く手はそのままだった。

「あ、でもさ、朝に言ってただろ?」

「うん?」

「髪を切らないのかって。切って貰っても良かったかなー」

 あの日本刀は切れ味が良かったから散髪に行かなくても良かったかもと、ウーヴェが呆れて咄嗟に何も言えなくなることを呟いたリオンだったが、今し方まで互いの背中を抱き包むように頭を抱いていた手が乱暴に頭を押し退けたことに気付き、何するんだよーと情けない声を挙げる。

「うるさいっ!」

「あー、まーたそんな事を言う」

 この陛下は本当に素直じゃないんだからと、抱き寄せてくれた時とは雲泥の差の強さで顎を押し上げられてぶつぶつと文句を垂れたリオンにウーヴェが溜息一つで背中を向ける。

「オーヴェ?」

「うるさいっ! もう寝ろ」

「寝るけどさ、その前に」

 忘れていることがある、そう声を潜めてウーヴェの背中に胸を宛がうように身を寄せたリオンは、ウーヴェの肩に背後から顎を載せて耳朶にキスをする。

「お休みのキス、ちょーだい」

「………………」

 帰って来たお疲れ様のキスも貰っていない気がすることを告げれば腕の中のウーヴェが気怠げに寝返りを打つが、その顔に浮かんでいるのは負傷しても犯人を無事に逮捕したリオンに対する自慢の色で、どきりと鼓動を早めたリオンの頬を撫でて鼻の頭と額、そして期待に薄く開く唇にキスをする。

「お休み、リーオ」

「うん。オーヴェもお休み」

「良い夢を」

 お互いに良い夢を見よう。そして朝が来ればまた互いの力を発揮出来る様にしようと笑うと、リオンもくすぐったそうに顔をくしゃりとし、次いで大きく欠伸をするのだった。


 リオンが負傷した事件から数日後の休日の昼下がり、バルコニーのディレクターズチェアに腰を下ろしたリオンがクロスワードに取り組み、ウーヴェがそんなリオンの髪を慎重にカットしていた。

「……リオン」

「んー?」

「頭の瘤はもうマシになったか?」

「うん、平気。毎日オーヴェがキスしてくれたから治った」

「バカたれ」

 そんな会話を顔を見ないで交わしているとウーヴェが満足そうに吐息を零し、肩に散る髪を手で払って足下の新聞の上に落としていく。

「なぁんでそんな事言うんだよー」

 本当なのにと泣きべそを掻くフリをするリオンの頭を指で突いたウーヴェは、終わった事を知らせるように肩を撫でて背後からクロスワードを覗き込む。

「惜しいな、リーオ。そこはBじゃなくてOだ」

「げ…………うー、悔しいっ」

 毎日時間があれば雑誌や本を読んでいるウーヴェに太刀打ち出来る筈もなかったがそれでも悔しいと吼えたリオンは、クロスワードをパンと閉じて頭を仰け反らせる。

「もう終わった?」

「ああ」

 少しだけ短くなった髪を掻き上げたリオンが満足そうに頷き、仰け反ったままウーヴェにキスをする。

「ダンケ。でもさ、あんまり短かったら髪引っ張れねぇよな、オーヴェ」

「…………うるさい」

 下らないことを言ってないでさっさと片付けろと背後から命じたウーヴェだが、見上げてくる蒼い瞳がにやりと笑ったため、額をぺちりと叩く。

「ぃて」

「……後で買い物に行って、そのままホームに寄ろうか」

 久しぶりにお前の母に元気な顔を見せようと笑えばリオンの笑みの質が変化をし、後ろに伸びてくる手に頭を抱き寄せられる。

「……ダンケ、オーヴェ」

 髪をカットしてくれたこともこの後の予定もありがとうとウーヴェに感謝の思いを伝えてキスをしたリオンは、己の腿にそっと座るウーヴェの腰に腕を回し、その肩に額を押し当てて目を閉じるのだった。




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