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side omr.
ゆるやかな丘を覆う、紫の波。
風が吹くたび、無数のラベンダーが揺れて、
甘く落ち着いた香りが空を満たす。
午後の陽射しはやわらかく、
光が花の上で静かにきらめいた。
「……わ、すご」
僕は思わず足を止める。
見渡す限り、どこまでも続く紫。
その横で、若井は軽く目を細めた。
「ね? 言ったでしょ、来たらハマるって」
「写真で見るより全然いい……っていうか、空気まで違う…」
僕は深く息を吸い込んだ。
「香り、強いけど嫌じゃない。なんか……落ち着く」
「でしょ。ラベンダーはリラックス効果あるんだって。……ほら、ほのかに甘い…」
僕はふと、若井の肩越しに風を感じるように
目を閉じた。
「若井、なんでそんな花詳しいの」
「んー、調べた」
「調べた?」
「元貴と来るって決めたから」
そう言って笑う若井の声は、
ラベンダーの香りと一緒に僕の胸に落ちてくる。
「……なに、それ笑」
「嫌?」
「……嫌じゃないけど」
視線を逸らす僕の耳は多分、
夕陽に照らされてほんのり赤い。
僕たちはゆっくり歩き出す。
足元で小さな蜂が花から花へ飛び、
遠くでカメラのシャッター音が響く。
「ほら、これ見て。茎の緑と花の紫、すごく映える」
「なに…インスタ用?」
「違うって。……元貴の顔も一緒に撮る」
「やめろよ」
「いいじゃん、記念」
若井がスマホを構えると、
僕は渋々笑顔を作った。
隣の若井の笑顔に、僕はほんの一瞬だけ
見惚れてしまう。
風がふっと吹き抜けた。
ラベンダーの香りが一層濃くなり、
僕の髪が頬にかかる。
若井は衝動のまま、僕の髪を指で払った。
「……何」
「花の匂い、めっちゃついてる」
「そっちもだよ」
若井がくすっと笑う。
笑顔と香りに包まれて、
僕の心臓が少し速くなった。
「ねぇ、若井」
「ん?」
「……この香り、帰っても残っててほしい」
「え?」
「だって、今日のこと、忘れたくないから」
若井は言葉を失ったまま、
僕の視線を受け止める。
その瞳は、花よりも深い色をしていた。
次の瞬間、若井は僕の手を取った。
香りに包まれたまま、指先がぴたりと重なる。
「……帰っても、残すよ。俺の香りと一緒に」
若井の小さな呟きは、風に紛れて
聞こえたかどうか分からない。
紫の海は、夕暮れまで二人を包み込み続けた。
「ラベンダー」 花言葉 serenity(安らぎ)
2025_8/8.
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