テラーノベル
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元いた席に戻り、濡れた髪に洸くんのハサミが滑り込む。シャキ、シャキ、と規則正しい音が静かな店内に響く中、ベースのカットが終わり、洸くんが「よし、じゃあ次はパーマの準備するな」とロッドを手に取ろうとした、その時だった。
僕の脳内に、一瞬の閃きと、オタクとしての強烈な防衛本能が働いた。
……待って。今日パーマまで全部終わらせてしもたら、僕と洸くんが2人きりになれる時間なんて、もう2度と訪れへんのちゃう?
僕が洸くんの仕草や言動にいちいち動揺しているのに対して、洸くんは他人の好意やリアクションを受け流すことに関しては、すでに達人の域にいる。それはまさにプロのアイドルのようだ。でも、彼はアイドルなんかじゃない。一般人の彼に、握手会や撮影会がこの先開かれるわけではないのだ。
だからこそ、僕はいいオタクでいるために、これからも自我を押し付けることなく、洸くんが作ってくれる受け入れ体制の隙間に、カッコ悪くならないよう平静を装って飛び込んでいくしかない。
今日のような幸せな時間を、もう一度、あまり日を空けずに過ごすには……もう、手段はこれしかない。
ここでパーマをお預けにすれば、確実に「もう一回」の約束が手に入る。
僕は鏡の中の自分の髪を見つめ、大人の余裕を装いながら、あえて少し困ったように微笑んでみせた。
「あの、洸くん。……僕、今のこのカット、めちゃくちゃ気に入っちゃいました」
「え? でも、これからパーマあてる予定やで?」
「はい。でも、まずはこのスタイリングを数日間、楽しみたいなって思って。……だから、パーマはまた、別の日に改めてお願いしてもいいですか?」
我ながら、なんて完璧な『おかわり作戦』だろう。
洸くんはロッドを持ったまま「えー、そうなん?……まぁ、新くんが気に入ってくれたんなら、ええけど」と、少し拍子抜けしたように瞬きを繰り返した。そのぽかんとした顔すら、僕の思惑通りで、可愛くて仕方がない。
ドライヤーの温風が髪にふわふわとあたり、ワックスを少量手に取って髪全体に揉み込むようにしてシルエットを整えると、洸くんは満足そうに胸を張った。
「できた! ほら、新くん見て!」
鏡の中にいたのは、見違えるほど垢抜けた僕の姿だった。金髪だった髪がすっきりと収まり、上品で落ち着いた大人の色気が漂うカットスタイルに仕上がっている。
「うわぁ……凄い。……カッコよく……なれましたか?」
どさくさに紛れて、洸くんからの「カッコいい」を違和感がないように催促してみる。
「うん、ほんまにもっとカッコよくなったわ。普段の服装にも絶対合う!」
洸くんは自分の作品を愛おしむように、僕の髪を優しく指先で整えながら、満面の笑みを浮かべた。
あぁ、なんて素敵な時間なんだろう。洸くんにカッコよくなったって言われた。カッコよくなったって言われた。もっとカッコよくなったって言われた!!!
………あっぶな!!! こんな幸せな時間にカッコよくなったに取り憑かれて気を失うとこやった!!!
僕がクロスを外してもらい、お財布を出そうとした時、洸くんがふと店内の時計を見上げて、ぽつりと呟いた。
「……パーマせんくなったから、予定よりだいぶ時間余ったな?」
「そうですね。僕のワガママで予定変えちゃってすみません」
「ううん、ほんまはカラーもパーマも一気にするのって髪に良くないからね。新くんの選択は正しいと思うよ。何より、新くんが疲れるし」
そう微笑んでくれた洸くんの優しさに、胸がギュッとなる。
でもなぁ、パーマをカットした分、洸くんと一緒にいられる時間も短くなってしまった、ということでもあるねんな。
「……じゃあ、片付けが終わったら、帰りますか?」
カッコよくお礼を言ってスマートに去りたかったのに、本音が滲み出て、名残惜しさが丸出しの言い方になってしまった。
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きっとそれに気づいたのだろう。優しい洸くんは、「じゃあ時間空いたし、2人でお茶でもしにいかへん?」と、本当の友達のように僕を誘ってくれた。
「……え?」
考えもしなかった誘いに、間抜けな声が出た。
「今日のお代はいいから。代わりに美味しいケーキ奢ってよ」
服の袖を少し弄りながら、少し照れたように言う。
初めて、かもしれない。本当の友達になってから、彼が僕に対してこんな風に甘えて話しかけてくれたのは。あまりの可愛さに、本当に気を失いそうになるのを必死で耐える。
「もももも、もちろん、喜んで、ど、どんなメニューでも、全部、奢ります!!!」
今まで必死にカッコをつけて押さえ込んできたオタク脳が、興奮で一気に大爆発を起こしてしまった。
キョトンとした洸くんの目の前にして、やってしまった!と猛烈に後悔した。赤くなった顔を必死で両手で隠すと、視界が塞がれた僕の両手を、洸くんが「それでいいんよ」と優しく剥がした。
ここここ、洸くんにてててて、手を握られている!!!!! 全然よくない!!! こんなカッコ悪い姿を見せようもんなら、もう、洸くんに合わせる顔がない!!!
パニックを起こしてのけぞろうとする僕の手を、洸くんは逃がさないようにしっかりと繋ぎ止めたまま、僕の目を真っ直ぐに見つめて、少しだけ拗ねたように唇を尖らせた。
「……新くん、俺の事好きって言うた癖に、全然俺に好きになって欲しいって思って無さそうなんやもん。もしかして、俺の事好きって思ってるだけで満足してるやろ?」
「そ、そんな事あるわけないです!!」
必死で言い返そうとしたものの、言われてみればそうかも知れん。
僕は可愛い洸くんを堪能するばかりで、洸くんに好かれるような努力なんてこれっぽっちもしていなかった。ただ迷惑をかけないようにとカッコつけて、自分だけが幸せになってそれで満足していたのかも知れん。
「……だったら、もう、敬語はなし! いい子ぶって感情隠すのもなし! でも、さっき、自分からお仕事への気持ち、話してくれたのは100点でした!」
驚く僕の目の前で、洸くんは少しだけ背伸びをすると、さっきセットしたばかりの僕の頭を、小さな手でぐしぐしと大きな犬をあやすように笑顔で撫で回した。
もう……やから、僕は。
「……そんな洸くんが大好きです!もっと洸くんと一緒にいたい!友達なんかじゃ満足できひん!!デートにも誘いたい!!」
叫ぶようにそう伝えると「おう!いつでもかかってこい!」といつもの可愛い笑顔とは真逆の、最高に男らしい口調で僕に微笑んでくれた。
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