テラーノベル
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私は今、きっと、とても煮え切らない顔をして歩いているのだろう。
自分でも頬の筋肉が中途半端に引き攣っているのが分かる。
そりゃそうだ。
わざわざ気合を入れてダンジョンに入ったというのに、ほぼ手ぶらで帰されたのだから。
ゲートから放り出され、振り返ると――そこにあったはずの亀裂は、跡形もなく消えていた。
代わりに、あった場所の足元には、小さな宝箱がぽつんと置かれている。
まるで「ごめんね、これで許して?」とでも言いたげな、申し訳なさそうな佇まいだ。
肩の力が抜けるのを感じながら、宝箱の蓋を開ける。
中には、いくつかの金貨と魔石。そして――試験管に入った紅い液体と、鮮やかな青色の髪束が収まっていた。
試験管と髪の束を指先で摘まみあげ、私は思わず呟いた。
「なんなんだ、これ……」
『回答します。アイテム名:魔族の血。アイテム名:魔族の髪、です。どちらも装備作成する際に触媒とすることで非常に高い効果を発揮します』
脳裏に響く【全知】の無機質な声。
淡々とした説明とは裏腹に、手の中の二つはどう見ても厄ネタである。
青い髪。
さっき対峙した魔族の少女――カレンと同じ色だ。ほぼ間違いなく、本人のものだろう。
(……血と髪をお土産にして送ってくるって、普通に考えて嫌がらせでは?)
正直、背筋がぞわりとした。
けれど同時に、「触媒として有能」という情報が、私の中の収集癖をくすぐってくる。
捨てるべきか、取っておくべきか――。
常識的に考えれば即ゴミ箱行きなのだが、ダンジョン関連の「レア素材」と言われると、話が変わってくる。
「ま、まあ……装備が作れるほどダンジョンが世界に浸透したら必要になってくるし……?」
自分に言い訳するように小声で呟き、二つをポーチにそっと収納した。
気味は悪い。だが、素材として使えるのなら、仕方がない。
金貨と魔石は本部の係員に渡し、軽く会釈してその場を後にする。
車へ戻ると、後部座席で倒れていた沙耶と七海が、ちょうど起き上がってくるところだった。
「戻ったよ」
「あぁ……お姉ちゃん……おかえり」
「っす……」
ふたりとも、魂が半分抜けたような顔をしている。
いつも元気に騒いでいる姿からは考えられないほど、肩が落ちていた。
前のシート越しに小森ちゃんのほうを見ると、彼女はそっと首を横に振る。
――起きてからずっとこの調子らしい。
魔力増加法がよほど堪えたのだろう。
今日中に潰さないと溢れそうなダンジョンは、すでに攻略済みだ。ならば無理を続ける理由もない。
「今日はもう帰ろっか。無理させても仕方ないし」
そう提案すると、三人ともほっとしたように息をついた。
私自身も、さっきの魔族カレンとのやりとりで妙な疲れがたまっている。
体力というより、精神的な消耗だ。今日はおとなしく引き上げるのが正解だろう。
◇ ◇ ◇
家に帰り着き、真っ先に風呂を沸かして一番風呂に飛び込んだ。
熱めの湯が肌を刺し、じわじわと筋肉の張りがほどけていく。
「はぁぁぁ……生き返る……」
湯船に顎まで浸かりながら、今日一日を振り返る。
魔族、カレン、謎の素材、そして魔力増加法で死にかけた三人。
湯から上がる頃には、頭の中までふやけて、考えるのが馬鹿馬鹿しくなっていた。
タオルで髪を拭きながらリビングに戻ると、床に突っ伏した三人が目に入った。
ちょうど私が風呂に入っている間に、二回目の魔力増加法をやっていたようだ。
「へへっ……最初よりは痛くないや……」
「分かるっす。コレで強くなれるなら何度でもできるっす……」
うつ伏せのまま、器用に会話を交わしている沙耶と七海。
小森ちゃんは、私とすれ違いで、ふらふらとした足取りで風呂場へ向かっていった。
そんな三人の前に、今日のダンジョンで手に入れた技能書をぽん、と置く。
「これ、今日の成果ね。沙耶は【水弾】と【土槍】、七海は【強射】。それぞれの分、取得しといて」
「了解っ!」
「うっす!」
ふたりが顔を上げ、嬉しそうに技能書を手に取る。
小森ちゃん用の技能書――さっきの【解析】は、脱衣所のほうに持っていこう。
着替えの上にでも置いておけば気づくだろう。
そう思って、何も考えずに脱衣所の扉を開けた。
「えっ?」
そこには、見事なまでに生まれたままの姿の小森ちゃんがいた。
白い肌が湯気に霞み、濡れた髪が肩に張り付いている。
「ごめんね。コレ、小森ちゃんの分だから取得しといて」
「あっ、はい」
小森ちゃんは真っ赤になって、胸元を片手で隠しながらこくこくと頷いた。
私も少しだけ視線の持って行き場に困りつつ、何事もなかったかのような顔で技能書を着替えの上に置き、そのまま脱衣所を後にする。
(ノックしろ、私……)
心の中で自分にツッコミを入れながらソファに戻ると、どっと眠気が押し寄せてきた。
「ちょっとだけ寝るから、全員お風呂上がったら起こして」
「任せて!」
沙耶にそう言い残し、ベッドへダイブする。
疲れているときの布団ほど優しく感じるものはない。身体を包み込む柔らかさに抗えず、そのまま意識が沈んでいった。
◇ ◇ ◇
「お姉ちゃん、お風呂上がったよ」
「んぅ……ありがと……」
肩を軽く揺すられて、眠りの底から引き上げられる。
寝ぼけ眼で時計を見ると、寝入ってから一時間半ほど経っていた。
(……夕飯作らなきゃ)
ふらふらと足元がおぼつかないまま、キッチンへ向かう。
頭はまだ霧がかかったようで、考え事をするには少々心許ない。
冷蔵庫を開け、一番最初に目に入ったものを手に取る。
「……鶏肉だ」
漬け込んでおいた鶏肉。
ここまで決まってしまえば、メニューは自動的に決まる。
「唐揚げにしよ」
半分寝た頭でも作り慣れている料理なら、ほとんど反射で手が動く。
「あれ、大丈夫っすかね?」
「包丁は使ってないから大丈夫だと思う……」
「わたし何か手伝おうかな」
ソファから、ひそひそと声が聞こえる。
こちらを心配そうに眺めている三人に振り向き、私は親指を立ててみせた。
大丈夫、大丈夫の意思表示。
……きっと伝わったはずだ。多分。いや、伝わっていてくれ。
油のはぜる音とともに、頭のモヤも少しずつ晴れていく。
揚がった唐揚げをバットに並べながら、ふと冷蔵庫の中身を思い出した。
「そういえばアロエあったな……ヨーグルトと和えようか」
デザートのメニューも決まり、準備は順調に進んでいく。
(……アロエなんて買ったっけな?)
小さく首を傾げたが、まあいいかと気にしないことにした。
出来上がった唐揚げは大好評だった。
レモンをかける派とかけない派の戦争を未然に防ぐために、小皿を用意して各自好きなように味変してもらう。
私は、そのまま派だ。カリッとした衣に滲み出る肉汁をストレートで味わいたい。
食後、テーブルにヨーグルトとアロエを出し、一口口に運んだ瞬間――。
『防御力が永続的に1上昇しました。今後、同じものを食しても効果は得られません』
「うわっ!?」
不意打ちのように響いた【全知】の声に、思わず変な声が出てしまった。
当然ながら、私以外には聞こえていない。
三人の視線が「何事?」と言いたげに集まるが、何も言わずにヨーグルトをもぐもぐと飲み込んだ。
(……アロエ? あぁ、前に手に入れたスライムのやつを砂糖水に着けてたんだっけ)
心の中で答え合わせをしつつ、黙々とデザートを平らげる。
食器を片付け終え、ソファに腰を下ろす。
対策本部から渡されたリストを手に取り、明日どのダンジョンを潰すか目星を付け始めた。
◇ ◇ ◇
皆でダンジョンの攻略を始めて、十日が経った。
最初はぎこちなかった連携も、今ではずいぶん形になってきている。
それぞれが自分の役割を理解し、私が逐一指示を飛ばさなくても、自然と同じ動きを取るようになってきていた。
聞けば、三人は毎晩、寝る前に小さな「反省会」をしているらしい。
今日の戦いで上手くいかなかったところ、良かったところ、次に試してみたい動き――そんなことを話し合っているのだという。
その成果か、同じミスはほとんど見なくなった。
……ちなみに、その反省会に私も参加しようとしたところ、なぜかやんわりと除け者にされた。
その夜は、枕を涙で少しだけ湿らせたのは、ここだけの話である。
(まあ、上司が毎回の飲み会に付いてきたら気を使うのと同じ、ってことなんだろうけど……)
理屈では分かっていても、感情は別だ。
ダンジョン内での私は、どうしても口調がきつくなりがちだし、厳しいことも多く言ってしまう。
その鬱憤もまとめてあの場で吐き出しているのだと思えば、私が居ないほうがいいのだろう。
そう納得したつもりでも、胸の奥に小さな寂しさは残る。
「今皆、レベルいくつ?」
そう考えてもしょうがないことから意識を逸らすように、私は三人の今の状態を確認した。
「私は22!」
「ウチは19っす」
「17です……」
頼もしい数字だ。
渋谷でミノタウロスを倒したときの私は、レベル21だった。
(まあ、私の場合は回帰したときに能力値の一割を持ち越してるから、実質レベル100とかなんだけど……)
今の私のレベルは37。
朝のランニングと称して、一人で近場のダンジョンを攻略しに行っていた成果でもある。
今のうちにやれるだけやっておかなければならない。
覚醒方法が一般に知られ、魔石が正式な資源として認知され、通貨が切り替わり、ハンターという職業が成立するようになれば――
ダンジョンは「好きなだけ行っていい場所」ではなくなる。
応募制、あるいは依頼制。
もしくは、攻略権そのものが売買されるようになるだろう。
ついこの間まで完全な未知の脅威だったものが、慣れれば商売のネタになる。
人という生き物の逞しさには、感心するやら呆れるやらだ。
「お姉ちゃんはいくつなの?」
「私は37だよ」
「嘘っすよね!? 一緒に攻略してるのに……先輩、まさかウチらの見ていないところでコソ練してるっすか?」
「……してないよ。ほら、次のダンジョンに早く行くよ」
核心を突かれそうになったので、話題ごと全力でスルーすることにした。
返事を待たずに軽く走り出すと、三人も慌ててついてくる。
最近は、車で十数分以内の距離なら、あえて走って向かうようにしている。
それ自体がいいトレーニングになるし、魔力増加法の効果で身体が明確に変わってきているのが分かるのも気持ちがいい。
(全員のレベルが20になったら、下水道ダンジョン行かないとな……)
脳裏に、あの独特の、鼻が曲がるような臭いが蘇る。
回帰前の記憶だと、下水道ダンジョンは二回目のオーバーフローと同時にゴブリンが地上に溢れ出してきた。
本部も下水道の調査を進めているらしいが、全員が覚醒しているわけではないため、魔力を感知できる人間が少ない。
結果として、ダンジョンの位置特定に手こずっている――と、相田さんがぼやいていた。
そんなことを考えているうちに、次のダンジョン前に着いた。
許可証を提示し、ゲートへと歩み寄る。
視界が揺らぎ、次に現れたのは――。
「――遺跡だ」
今までの草原や洞窟とは明らかに異なる景色。
陽に焼けた石造りの建造物が連なり、崩れかけた柱や壁がそこかしこに残っている。
「皆、今までのダンジョンとは違うから気を引き締めてね」
「分かったよ、お姉ちゃん」
見晴らしの良い小さな丘へ移動すると、遺跡全体を見渡すことができた。
石畳の広場では、数匹のゴブリンが見張りのように周囲をうろついている。
別の場所では、武器らしき棒を振り回して訓練している個体もいる。
さらに奥では、畑のような場所で何かをせっせと耕している姿すらあった。
見張り役、待機組、見回り、農耕。
粗末ではあるが、そこには確かに「役割」と「生活」が存在していた。
――まるで、もうひとつの社会を眺めているかのようだった。
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