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その後――「お腹が空いて動けない」とその場にぺたんと座り込んだカレンを、小脇に抱える形で私は帰路についていた。
街並みを飛び移りながら、心の中で【全知】に問いかける。
――【全知】、【宣言】スキルを……カレンを信用してもいいのか?
『回答します。【宣言】スキルの強制力は絶対に逆らえるものではありません』
「そうか……」
少なくとも「危害は加えない」という部分については、信用していい、ということだ。
「ん。あーちゃん、お腹空いた」
私に抱えられたまま、カレンが器用に腕を伸ばして、ぽす、ぽす、と私の太ももを叩いてくる。
そういえば、魔族って普段何を食べて生きているんだろう。人間と同じ食事で大丈夫なのか、それとも――。
「カレンって何が主食なんだ?」
「血、精気、魂、自然力……なんでもござれ」
「自然力って何……? ハイエルフの主食?」
「そう。ここ、自然が無さすぎ。絶望した」
さらりと重い単語を並べながら、カレンがビルの谷間を見下ろす。
確かに、森のダンジョンや山岳系のフィールドに比べれば、この世界は圧倒的に緑が少ない。
都心なんて尚更で、コンクリートとガラスの海ばかりだ。
ぐぅ、と、私の腕越しに腹の音が伝わってきた。
「いつから食べてないの……?」
「もう、3レンツ……こっちの単位だと3週間。頑丈さが取り柄の私でも流石に限界」
「3週間!?」
あまりの数字に思わず足を止めてしまった。
カレンを地面に降ろし、私は顎に手を当てて考える。
見知らぬ土地で、帰り道もなく、一人きりで三週間。
飲まず食わずで彷徨って、唯一顔を知っている相手に出会ったら――。
……そりゃ、なりふり構わず助けを求めるよね。
私だって、そうする。
さっき「血でも大丈夫」と言っていたのを思い出し、決心して人差し指の腹をナイフで軽く切った。
「ほら、私の血でいいなら」
「……いいの?」
今にも噛みつきそうな顔なのに、それでもちゃんと確認を取ろうとしてくるあたり、魔族といえど根は律儀なのかもしれない。
こくりと頷き、私は指先をカレンの口元へ差し出した。
カレンがそっと指を咥えた瞬間――腰が抜けそうな甘い感覚が、脊髄を駆け上がった。
沙耶たちとシたときの、あの波のような快楽に似ている。
いや、それ以上に直接的で、指先から脳まで「甘さ」だけで満たされるような感覚が襲ってくる。
舌が指の傷口をなぞるたび、体の芯にビリビリと何かが走る。
喉の奥から、聞いたこともないような声が漏れそうになって、慌てて反対の手を噛みしめた。
5分、10分――永遠にも思える時間が過ぎたように感じたが、カレンがようやく指を離した。
へなへなとその場に尻もちをつき、震える指で時計を確認する。
「……30秒しか経ってない……?」
「すっっっごく美味しかった。今まで飲んだ血の中で1番。生まれ変わった気分」
「今のは……?」
「吸血は吸われている側が苦痛にならないように快感を与える。知らなかったの?」
「知るわけ……ないよ……」
ほとんど腰砕けだ。
脚に力が入らず、立ち上がる気力も湧いてこない。
――【全知】、これは攻撃じゃないのか!?
『回答します。貴女から提案し、相手からは念押しに確認されています。承諾したのは貴女のため攻撃ではありません』
「私は淫魔の血も継いでる。だから、他の吸血鬼より快感が強い……らしい」
さらっと爆弾を投げ込んでくるな、この魔族は。
回帰前から、私は「モンスターを倒すため」の知識ばかりを集めてきた。
こういう、「倒す必要のない」部分の知識がすっぽり抜け落ちていることを、今ほど悔やんだことはない。
事前に知っていれば、もう少し心構えぐらいはできたはずだ。
カレンが私の頬に片手を添え、耳元に唇を寄せる。
「首筋だと、今の快楽の数倍……試してみる?」
「――っ! やっ……」
囁き声が耳をくすぐった瞬間、腰の辺りにぞくりとした寒気が走った。
カレンの人差し指が、喉元から首筋をゆっくりなぞる。
ぞわ、と鳥肌が立ち、耐えきれず声が漏れそうになる。
ごくり、と唾を飲み込む音が、自分でも嫌になるほど大きく聞こえた。
――数倍、への期待を抱くな。気を保て、私。
じわり、と口の中に広がる鉄の味。
内側の頬を噛んで意識を痛みに引き戻すと、頭にかかっていたモヤが一気に晴れていった。
私はカレンから飛び退き、剣を顕現させて構える。
「私の【|魅了《チャーム》】を破った……流石、あーちゃん。快感に溺れる人族ならいけると思ったのに」
「やっぱりか。おかしいと思ったんだ」
いくら私が「流されやすい」とはいえ、さっきの流れで「首をどうぞ」なんて差し出すほど馬鹿じゃない。
何か見えない力が働いているとは薄々感じていたけれど、案の定、スキルだったわけだ。
口の中に溜まった血を吐き捨てる。
それを見て、カレンが「もったいない……」と小さく嘆息した。
「口の中、切っちゃった? 大丈夫? お姉ちゃんが消毒しようか?」
「どこからそういうの覚えてくるのさ……嚙んだ傷ならもう治ってるから大丈夫」
「……本当に人族?」
手をワキワキさせてにじり寄ってきたカレンを、一歩踏み込みで牽制する。
口の中の傷は、魔力を流した瞬間じわりと温かくなり、すぐに塞がった。【高速再生】だけでなく【竜体】にも似た効能があるのだろう。
すっかり元気を取り戻し、むしろテンションが上がっているカレン。
この制御不能な爆弾を、家に連れて帰って三人と同居させて、本当に大丈夫なんだろうか……。
攻撃はしないと【宣言】しているとはいえ、今みたいな「別の意味で危険な行為」は想定外だ。
私がじっと疑いの眼差しを向けていると、カレンがぱちぱちと瞬きをしてから口を開いた。
「大丈夫。あーちゃん以外には、しないよ」
「本当に?? 今みたいのもダメだからね?」
「うん、他の子と話してみたかったんだよね。わくわく」
……「しないよ」と言い切った後で、「他の子と話してみたい」と付け足すあたり、どこまでを「しない」の範囲に含めているのか、非常に不安ではある。
とはいえ、これ以上ここで押し問答しても埒が明かない。
私が跳び上がると、カレンも何事もない顔で同じ速度でついてくる。
少なくとも、脚力だけで言えば、今の沙耶たちより余程高い。
家に着いたら、色々と質問攻めにして正体と能力を洗い出す必要がある。
庭に着地すると、ちょうど玄関から沙耶が顔を出した。
「……お姉ちゃん。その人、誰? また拾ってきたの?」
「人を捨てられた子猫とかをよく拾ってくるみたいな言い草だね……」
「間違いじゃないでしょ。それ繰り返して実家に猫と犬が3匹ずついるの分かってる?」
「うぐ……」
何も言い返せない。
確かに、雨の日に震えていた子猫とか、山の中で迷っていた犬とか、いろいろ連れ帰った記憶はある。
さて、カレンのことを何と説明したものか。
――そういえば、短剣で戦っていたし、前衛もできる。
……うん、新しいパーティーメンバー、ということにしておこう。
「あっ、新しいパーティーメンバーだよ。斥候と前衛をしてもらう予定」
「ん。初めて聞いたけど多分そう。カレン・アート・ザレンツァ。カレンって呼んで?」
「橘さん……? その方、人間じゃない、ですよね……?」
小森ちゃんが、おずおずと口を開いた。
【解析】スキルで見られているのか、隠しようがない。
「小森ちゃんの【解析】か。隠せそうにないや、カレン。自分で説明して3人を納得させて……」
親指を立てると、カレンはこくりと頷き、三人の方へと歩いて行った。
私から説明するより、本人から話してもらった方が早いだろう。うん、多分。
私は庭の椅子に腰かけ、遠巻きに様子を眺めることにした。
ほどなくして、カレンは私と初めて出会ったときのダークエルフ風の姿になったり、背中から黒い翼を生やしたり、尻尾を増やしてみたりと、変幻自在にデモンストレーションを始めた。
「尻尾は、収納できない。だから腰に巻く。肌の色は、気合で変えれる……」
聞き耳を立ててみれば、説明も説明でカオスだ。
……気合なのか。すごいな、魔族。
三人の反応を見ていると、最初こそ目を丸くしていたものの、やがて質問を重ねたり、笑ったりと、いつもの空気になっていく。
どうやら、受け入れる方向でまとまったらしい。
最後に、沙耶がカレンとしっかり握手を交わし、カレンがこちらへ戻ってきた。
「全部、説明した。妹ちゃん、話が分かる子」
「なら良かった。家の中でお昼でも食べながら、この後の予定を擦り合わせようか」
椅子から立ち上がり、大きく伸びをする。
玄関のドアを開けながら、私は心の中で小さくため息をついた。
――本当に、これから忙しくなりそうだ。