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「旦那様、ティアお嬢様。おかえりなさいませ!」
何事もなかったかのように使用人たちから暖かい笑顔を向けられてしまい、ティアは固まってしまった。
どうやら気まずいと思っていたのは、ティアだけだった。
ただ使用人一同は笑みこそ浮かべているが、なんかグレンシスとバザロフを交互に見ながらソワソワしている。ちなみに彼らは、バザロフとティアの関係について察している。
グレンシスの上官であり、ティアの親代わりであり、なさぬ仲でありながら超が付くほどの親バカだということを。
そんな3人が揃って帰宅した。これはまさか「お嬢さんを僕に下さい」的なアレか!?
期待に満ちた使用人一同の視線が、一直線にグレンシスに向かう。
「そんなんじゃない」
グレンシスが全力で否定すれば使用人たちはあからさまに、がっかり感を出す。
そんな中、一人状況が分かっていないティアはコテンと首を横に倒した。
「あの……なにが、そうじゃないんですか?」
袖をツンツン引っ張りながら尋ねるティアは可愛らしいが、尋ねる内容はえげつない。
「な、なんでもない……悪いが、談話室を至急、用意してくれ」
なんとか動揺を抑えたグレンシスは、ティアから視線を逸らして執事ルディオンに命じる。
執事が頷いたのを確認すると、すぐさまティアの腕を掴んでずんずんと談話室へと歩き出した。
談話室にティアを含めた3人が着席すれば、すぐにミィナの手でお茶が並べられた。でも今日に限って、妙にもたもたとしている。
無駄な動きで時間稼ぎをしているミィナは、おそらくこの会話の行く末を聞いてくるよう、他の使用人たちに頼まれたのだろう。部屋の外にも人の気配がする。
「お前の屋敷の連中は、随分と好奇心旺盛だな」
バザロフの嫌味に、グレンシスは返す言葉が見つからず深く頭を下げると、ごほんと威圧する咳ばらいをする。
あっという間に、部屋に居たミィナはもちろん、廊下に居た人の気配も消える。それらを確認したグレンシスは、再度バザロフに頭を下げた。
そうすればバザロフは、やっと重い口を開いた。
「さてティア、説明が遅くなったが、ここに連れてきたのは、はっきり言ってお前を避難させるためだ」
「そうですか」
表情が変わらないティアに、少し眉間に皺を刻んだバザロフだが説明を続ける。
「端的に言えば、国王陛下がティア、お前に会いたいと言っているんだ。王女が無事、オルドレイ国で挙式をされ、外交は以前よりも滑らかに進んでいる。つまり、ここまでつつがなくことが進んだのは、供として同行したお前の功績でもある。それを称えて、直々に礼を言いたい。とのことだ」
ティアはこくりと頷いたが、バザロフとグレンシスの表情は浮かない。
だからティアは、とても言いにくいことをはっきりと口にする。
「それが表向き……の理由だったりしますか?」
「ああ、そうだ」
今度は、グレンシスが苦々しく頷いた。バザロフも同じ顔をしているということは、ここからが本題だということ。
知らず知らずのうちに、ティアの背筋が伸びる。
「国王陛下は、お前の移し身の術に興味を持った。是非とも自分の目でそれを見たいとおっしゃられている」
「……あー……そうですか」
ティアは溜息を隠すように、お茶を一口飲んだ。
わかっていた。人の口には戸が立てられないことくらい。
状況が状況だったから、あの時口止めもできなかったし、善良でお騒がせな市民の怪我を癒した時、この術が噂になるかもしれないという予感があった。
それでも自分の保身など考えず、怪我人を救いたかった気持ちは本物だから後悔はしていない。
(まぁ……まさかこんなに早いとは思わなかったけど……)
国王にまで噂が届いてしまったなら、ティアはもう少しこの状況を詳しく知る必要がある。
「ところで王様は、どこまでご存知なのでしょうか?」
「かなり詳しく知っている」
ティアの質問に、バザロフが感情を殺した平坦な声で答えた。
力のない笑みを浮かべて、ティアは遠くを見る。
移し身の術は、もともとオルドレイ国の秘術だ。もしかして国王は、かつての戦争でこの秘術が戦争の明暗を別けたことすら知っているのかもしれない。
なら求めているのは、自分ではない。自分が使える秘術のみ。
移し身の術には、3つの禁忌がある。
一つ目は、長い苦痛を与える為に移し身の術を使うこと。
二つ目は、移し身の術を生業としないこと。
三つ目は、移し身の術を戦争の道具にしないこと。
ティアはそれを守り続けている。言い換えるなら、それを破るのであれば、移し身の術を使う資格はない。
とはいえ禁忌は、術を引き継ぐ者のみが知る。何も知らないウィリスタリア国の国王は、自分に3つ目の禁忌を犯させようとしているのかもしれない。
まかり間違っても、移し身の術を披露して『わぁーすごい』と拍手と共に、褒美の菓子を土産で貰って、はい解散っということにはならないだろう。
「断ったら、どうなりますか?」
アジェーリアはティアの大切な友人だ。けれどその父親が、ティアにとって優しい存在であるとは限らない。
そんな不安を抱くティアに、グレンシスは強い眼差しを送る。
「どうもしないし、させない。それだけだ。ティア、今は不確かな危険にばかり目を向けるな。お前がどうしたいかが一番重要なんだ」
「どうしたい……ですか」
突然身に降りかかったことがあまりに厄介で、ティアは困惑したまま固まってしまう。
正直言って、国王と会うなんてご免だ。
だがティアは、この国の人間だ。深く関わって生きてきたつもりはないし、半分はオルドレイ国の血を受け継いでいたりもするけれど、生涯この国で過ごしていく。
難しい問題に黙り込むティアに、グレンシスは優しく声を掛ける。
「メゾン・プレザンには数日のうちに、王宮から使者が来る。だからマダムローズは、お前をここに移したんだ」
「でもそれは……娼館の皆さんにご迷惑が掛かってしまうのでは?」
「案ずるな、ティア」
ざっと青ざめるティアに、バザロフが説明を引き継いだ。
「メゾン・プレザンは、治外法権だ。だから使者達も強くは出ることができないし、お前が娼館に居るという体でのらりくらりと誤魔化しておけば、時間が稼げる」
なるほど。ティアはこくりと頷いた。けれど、それは単なる時間稼ぎにしか過ぎない。
いずれ、メゾン・プレザンに自分が居ないことがバレる。そうなった時、誰に迷惑がかかるのか。考える必要などない。
「あの……私、」
「ティア、すぐに答えを出さなくて良い。マダムローズももちろんだが、今、宰相が必死に止めている。陛下も宰相の言葉には耳を傾けるからな。だから、今日、すぐに答えを出さなくて良い。これはお前の一生に関わることになるだろう。しばらくここで考えなさい」
バザロフはティアの言葉を遮って、慈愛に満ちた視線を向けるがもう答えは出ている。
縁もゆかりもない宰相に期待できるほど、ティアは楽観的な性格ではない。
でも、バザロフとグレンシスが心から案じてくれているのもわかるから、ティアは素直に頷くだけにした。