母上の胸にナイフが刺さった。
ドレスに潜血が滴り、それが抜けた途端に血しぶきが飛び散る。
俺はその光景を見ていることしか出来なかった。
身体が動いたのは、グエルが脱力した母上をぽいっと捨てた時だ。
支えを失った母上の身体は地面に倒れる。
俺はそれを両腕で抱き留めた。
「母上! 母上!!」
俺は母上の胸、ナイフで刺された箇所を強く抑え、呼び続けた。
しかし、血はドバドバと俺の手から溢れてくる。
こんな時、兄さんだったらどうしただろうか。得意の回復魔法で、母上に傷を塞いだだろうか。
俺にはそんな高度な回復魔法、使えない。
「ブ、ルーノ……、ちゃん」
か細い母上の声が聞こえる。
うつろな瞳で俺を見ている。だけど、焦点は合っていない気がした。
ゆっくりと母上の手が伸び、それは俺の頬に触れる。
暖かい母上の手が、段々と冷たくなってゆくのを感じた。
「嫌だ、俺を置いて行かないでください! 一人にしないで!!」
「ごめんね……、私の――」
俺の瞳には涙が流れ、それは母上の頬に落ちる。
母上の最期の言葉、それは――。
「愛しい子」
俺への愛情の言葉だった。
その言葉を最後に、母上の身体は動かなくなった。
頬にあった腕はだらんと落ち、冷たくなってゆく。
「母上! ははうえ!! あああああ!!」
俺は母上の死に耐えきれず、その場で泣き叫んだ。
「もう少し使えたら生かしたものを」
グエルの冷たい言葉に、俺はきっと睨んだ。
グエルは母上の遺体を蔑むような目で見ていた。
「ソルテラ伯爵の妻だというから近づいたのに、何の情報も得られない役立たずだった」
「なら、どうして母上を抱いた!? 俺を造った!!」
「頭は悪いが、昔のスティナは顔と身体だけは極上だった」
「母上の気持ちを弄んだのか?」
「元々、俺はそういう任務に就いていた。この女が仕事に使えないなら、愉しむしかないだろう」
「お前の身勝手な行動で――」
「ああ、お前が産まれた。最高傑作がな」
「……」
この男の血が自分に流れているなど、吐き気がする。
「ブルーノ、お前には価値がある。魔力吸収量も並み以上で高度な攻撃魔法が扱えると聞く。お前なら、秘術を扱うことが出来るのだろう? そうローベルト・アレ・ソルテラに褒められたのではないか?」
「……母上から聞いたのか?」
「ああ。会うたびにお前の話を聞いた。あの女が役に立ったのはそれだけだ」
ローベルト・アレ・ソルテラ。前ソルテラ伯爵の名前だ。
父親だと思っていたのに。
あの人に褒められるのが好きだったから、兄さんと共に、魔法の腕を磨いたのに。
努力は全て無駄だったのか。
俺の心の中でどす黒い感情がぐるぐると渦巻いていた。
「秘術は今後、マジル王国で重要な戦術になる。オリバー・ソレ・ソルテラと共に保護すれば僕の功績になり、出世も間違いないだろう」
「……マジル王国? 兄さんと共に保護?」
グエルと言う男、怪しいと思ってたが、マジル王国のスパイだったとは。
言い分だと、秘術を放った兄さんはマジル王国の手にある。
俺も兄さんと同じ道を歩むことになるんだ。
俺にはエレノアから受け取った秘術が書かれた手記がある。彼女は「オリバーから頼まれた」と言っていた。
兄さんは、このような展開になることを知っていたのだろうか。
俺と血がつながっていないことを知っていたのだろうか。
「だが、お前は僕の息子だ。僕の技術を継承させる」
グエルはその場にしゃがみ込み、俺の頤をぐっと上げて、俺の顔をじっと観察していた。
「あの女の言う通り、若い頃の僕の面影がある。やっと、僕のものになった」
「……」
「ブルーノ、僕の息子。これから、共に暮らそう」
グエルは何故、微笑んでいるのだろう。
俺の腕の中にいる、母上はもう息絶えているのに。先ほど人殺しをした男の目ではない。
息子である俺を手に入れたのがよほど嬉しいようだ。
「人殺し! 俺はあんたを父親とは認めな――」
言葉の途中で、俺はグエルに頬を殴られた。
突然殴られ、俺は呆然とした。口の中が切れ、鉄臭い血の味が口の中にじんわりと広がる。
「これから、僕のことは『父さん』と呼べ」
「誰が――、ぐふっ」
グエルの意思と反する言葉を口にすると、再び頬を殴られる。
「まあ、十七年洗脳されていたんだ。これから少しずつ親子の時間を取り戻していこう」
「……っ!」
暴力を振るったというのに、平然と微笑んでいる。
グエルの態度に背筋がぶるっと震え、俺はこいつに恐怖を覚えた。
「とう……、さん」
逆らってはいけない。
これから俺はグエルに支配されるんだ。
俺は拒絶する気持ちを抑え、グエルに従った。
「ブルーノ、そのゴミから離れなさい」
「っ!」
「離れなさい」
母上の遺体を”ゴミ”と呼んだ。
侮辱だと感じ、俺はグエルを睨んだが、彼は強い口調で俺に言う。
逆らえばまた暴力を振るわれるだろう。
俺は仕方なく、母上の遺体から離れた。
「さあ、エレノアさまを連れ戻そう」
グエルは母上が指した壁の方へ近づく。
壁へ手を伸ばし、目標の人物、エレノアのいる隠し部屋へ入った。