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「ナオミさん……。すみません、あまりに景色が綺麗だったので」
「……そうね。十一月の空気は澄んでいるから。でも、あんたはすぐ無理をするんだから、これでも羽織ってなさい」
ナオミはそう言うと、自分が手に持っていた大判のストールを、穂乃果の肩にふわりと掛けた。
カシミアの柔らかな感触と共に、ナオミの使っている、あのスパイシーでいて甘い香水の残香が、穂乃果の鼻腔をくすぐる。
「勘違いしないで。アンタに熱でも出されたらアタシが困るの! ただ、それだけだからね!」
ナオミは、まるで自分自身に言い聞かせるように鋭い口調で付け加えた。けれど、ストールを整えてくれるその指先は、言葉の鋭さとは裏腹に、驚くほど慎重で優しい。
「……あ、ありがとうございます」
ストールの端をぎゅっと握りしめると、ナオミの体温がカシミアの繊維を通して、じんわりと穂乃果の肩に伝わってきた。
十一月の冷たい夜風が、二人の間を吹き抜けていく。
白く濁った吐息が重なり、夜の闇に吸い込まれていく様子を眺めながら、穂乃果はふと、隣に立つナオミの横顔を盗み見た。
街の灯りを受けたナオミの横顔は、化粧を落としてなお、息を呑むほど整っていた。
高く通った鼻梁。形のいい唇。伏せた睫毛の影が、影絵のように頬に落ちている。
バーでスポットライトを浴びている時の完璧な女性とは違う、どこか無防備で、それでいて男性としての|峻厳《しゅんげん》さが匂い立つような、飾らない静けさ。
綺麗だ、と心から思った。
男とか女とか、そんな境界線はどうでもよくなってしまうくらい。ただ純粋に、この人に惹きつけられてしまう。
「……何、ジロジロ見てるのよ」
ナオミが視線をこちらへ流す。穂乃果は心臓を跳ねさせ、慌てて正面の夜景に目を逸らした。
「す、すみません。つい、あまりに綺麗で……」
「つい、って……。あんたねぇ」
ナオミは呆れたように鼻を鳴らしたが、それ以上は追求してこなかった。静かな沈黙が二人の間に降り積もる。冷たい夜風が吹くたびに、ナオミのストールから伝わる甘くスパイシーな香りが、穂乃果の脳を心地よく痺れさせた。
「……今日、よく動いてたじゃない」
不意に、ナオミが低い声で零す。
「え?」
「グラスの補充。アタシが言う前に済ませてたでしょ。……客の顔も、よく見てた」
見ていないふりをして、ナオミはちゃんと自分を見てくれていた。その事実に、穂乃果の胸の奥がギュッと締め付けられる。
「……看護師の、職業病かもしれません。無意識に、人の顔色とか、場の空気の変化を拾ってしまうので」
「そう。……でも、悪くないわね。その『癖』」
ナオミの言葉が、じんわりと鼓膜に溶けていく。
「思ったより、使えるじゃない。……助かったわ」
「え……。それ、もしかして褒めてくれてる?」
あや
恐る恐る尋ねると、ナオミは一瞬だけ口を噤み、それからわざとらしく顔を背けた。
「……褒めてるわよ。一度しか言わないから、よく噛み締めなさい」
ぶっきらぼうな、けれど熱を帯びた即答。その瞬間、街灯りに照らされたナオミの耳の付け根が、微かに赤く染まっているのが見えた。
「っ……はい! 噛み締めますっ」
嬉しくて、穂乃果は思わず顔を綻ばせる。そんな穂乃果を、ナオミは「……バカね」と独り言のように呟きながら、ふっと柔らかく唇を緩めた。
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