テラーノベル
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アメリカ合衆国ワシントンD.C.。
深夜のホワイトハウス。
大統領執務室(オーバル・オフィス)の窓ガラスを、激しい雨が叩きつけていた。
遠くで雷鳴が轟く中、ロバート・“ボブ”・ウォーレン大統領は、革張りの椅子に深く沈み込み、アンティークの置時計が刻む秒針の音に耳を傾けていた。
彼の目の前には、飲みかけの冷めたコーヒーと、一枚の外交文書が置かれている。
それは日本政府――正確には、内閣官房参事官の日下部という男――から、極秘のホットラインを通じて送られてきた「通知書」だった。
『同盟国への重要情報の共有』という表題がついているが、その中身は事実上の「最後通牒」に近い。
ノックの音が響いた。
返事を待たずに、重厚な扉が開く。
入ってきたのはCIA長官のエレノア・バーンズだ。
普段は鉄面皮の彼女だが、今夜ばかりはその顔色が悪く、化粧でも隠しきれない疲労と焦燥が滲んでいた。
彼女の小脇には、分厚いファイル――最高機密を示す「レッド・ファイル」が抱えられている。
「……遅かったな、エレノア」
ウォーレンは静かに言った。
「日本からの『通知』は、読んだか?」
「ええ、大統領。
移動中の車内で確認しました」
エレノアはデスクの前に立ち、ファイルを置いた。
その手つきは、まるで時限爆弾を扱うかのように慎重だった。
「日本がまた、とんでもない物を作成したようです。
彼らは『情報共有』という名目で、あるシステムの稼働を知らせてきました」
「『広域位相空間レーダー(Wide-area Phase Space Radar)』……だったか?」
ウォーレンは手元の文書を弾いた。
そこにはSF小説のガジェットのような単語が並んでいる。
「レーダー?
何のレーダーだ?
イージス艦のSPY-1か? それとも次世代の早期警戒管制機(AWACS)か?
日本が新しいレーダーを作った程度で、なぜ私が深夜に叩き起こされなければならん」
ウォーレンは苛立ちを隠さなかった。
日本が軍事技術を進歩させるのは歓迎だ。
中国への抑止力になる。
だが、その報告を持ってきたエレノアの態度は、新型ミサイルが配備された時のそれとは明らかに異なっていた。
彼女は怯えているのだ。
「……大統領。
これは、空を飛ぶ鉄の塊を見つけるためのレーダーではありません」
エレノアはファイルを開き、一枚の概念図(ダイヤグラム)を示した。
それは日本側から提供されたシステムの概要図だ。
東京湾岸エリアを中心に、巨大なドーム状の領域が描かれている。
「概要にはこうあります。
『東京都新木場を中心とした半径100キロメートル圏内における、全ての空間情報をリアルタイムで3次元データとして記録・解析するシステム』であると」
「空間情報?」
「はい。
航空機や船舶だけではありません。
地上の車両、歩行者、建物内部の構造、地下鉄の運行状況、配管の中の水流……。
そして空気の微細な振動――つまり『音声』に至るまで。
その領域内に存在する、あらゆる物理現象を、神の視点で記録するシステムです」
ウォーレンは眉をひそめた。
「……なんだそれは。
SF映画の話か?
『マイノリティ・リポート』か何かか?」
「私も最初は目を疑いました。
ですが、添付されていたサンプルデータを見てください」
エレノアはタブレットを取り出し、動画を再生した。
そこに映っていたのは、東京・渋谷のスクランブル交差点の映像だ。
だが、カメラで撮影したものではない。
ワイヤーフレームと半透明のポリゴンで構成された、不気味なほど精緻なデジタルモデルだ。
視点は自由に動き回り、ビルの壁を突き抜け、地下街を歩く人々の心臓の鼓動まで可視化している。
そして、スピーカーからは雑踏の中での会話がクリアに再生されていた。
『……マジで? じゃあ明日ディズニー行く?』
『いいねー、行こう行こう』
「……これだけの情報量を、カメラもマイクもなしで収集していると言うのか?」
「はい。
彼らはこれを『レーダー』と呼んでいますが、我々の知るレーダーとは原理が根本から異なります。
壁の向こう側が見え、密室の会話が聞こえる。
プライバシーという概念を、物理的に消滅させる技術です」
ウォーレンは息を呑んだ。
そしてすぐに、疑問を口にした。
「待て、エレノア。
全然ナノマシン関係ないじゃないか。
日本が持っている切り札は『医療用ナノマシン』だったはずだ。
生物学的な奇跡だ。
それがどうして、こんな電子戦(エレクトロニック・ウォーフェア)の極致みたいな技術に繋がる?」
ウォーレンの常識では、創薬技術とレーダー技術は別分野だ。
ファイザーが最新鋭のステルス戦闘機を作るようなものだ。
脈絡がない。
だが、エレノアは首を横に振った。
彼女の目は、恐怖と、ある種の狂信的な確信に満ちていた。
「いえ、大統領。
繋がります。
むしろ、ナノマシンだからこそ可能なのです」
「どういうことだ?」
「考えてもみてください。
巨大なアンテナを建てたところで、ビルの陰や地下までは見えません。
電波には物理的な限界があります。
ですが……もし、アンテナそのものが『空気中』にあったとしたら?」
エレノアは、空中の埃を掴むようなジェスチャーをした。
「恐らく……いえ、間違いなく。
彼らはナノマシンを、空気中に散布しています」
「散布だと?」
「はい。
目に見えないほど微細な――ウイルスサイズの『自律型センサー・ナノマシン』を、新木場を中心に大量にばら撒いているのです。
いわゆる『スマートダスト(Smart Dust)』構想の究極系です」
エレノアの推論は続いた。
そしてそれは悲劇的なほどに的確で、かつ滑稽なほどに間違っていた。
実際には、テラ・ノヴァのレーダーは異次元の物理法則による「位相スキャン」であり、地球上にナノマシンなど一粒も飛んでいない。
だが、アメリカの科学常識で説明しようとすれば、この結論にたどり着くしかなかったのだ。
「空気中に漂う無数のナノマシンが互いに通信し合い、巨大なメッシュネットワークを形成している。
それらが一つ一つが目となり耳となり、空間の情報を収集して中央サーバーに送信している。
だからこそ壁の向こうも地下も死角なく『視える』のです。
空気が存在し、ナノマシンが入り込める隙間がある限り、逃げ場はない」
「……なるほど?」
ウォーレンは呻いた。
その説明には、身の毛もよだつような説得力があった。
「ナノマシンによる監視網か……。
確かにそれなら辻褄が合う。
彼らは『医療用』として人体を修復するナノマシンを作れるのだ。
『偵察用』として情報を集めるナノマシンを作れても不思議ではない。
……むしろ、技術的難易度は偵察用の方が低いかもしれん」
「その通りです。
彼らは我々が『病気を治す薬』に目を奪われている隙に、もっと恐ろしい『毒』を空気に混ぜていたのです」
ウォーレンは自分の呼吸を意識してしまった。
今、自分が吸っている空気の中にも、日本のナノマシンが含まれているのではないか?
そんな疑心暗鬼が頭をもたげる。
「しかし、エレノア。
もしそうだとしたら、なぜ『半径100キロ』なんだ?
空気に乗せてばら撒くなら、風に乗って世界中に拡散するはずだろう?
なぜ新木場周辺だけに限局されている?」
「……技術的なナノマシン制御の範囲(コントロール・レンジ)でしょうね」
エレノアは即答した。
「ナノマシンは極小です。
バッテリーもアンテナも小さい。
中央の制御塔――おそらく新木場にある施設――からの指令電波が届く範囲、あるいは収集したデータを送信できる限界距離が100キロなのでしょう。
それ以上離れると、ナノマシンは活動を停止するか、自壊するようにプログラムされているはずです」
「制御下でのみ稼働するか。
……暴走(グレイ・グー)を防ぐための安全装置でもあるわけか」
ウォーレンは納得した。
100キロという数字のリアリティが、皮肉にも「ナノマシン説」を補強してしまったのだ。
まさか「レーダーの仕様(チャンク読み込み範囲)」が原因だとは、夢にも思うまい。
「とにかく、原理はどうあれ、現実に彼らは『眼』を持っている。
そして問題は……その範囲だ」
ウォーレンは東京の地図を指差した。
新木場から半径100キロ。
その円の中には日本の主要都市だけでなく、ある重要な施設が含まれている。
「港区赤坂……。
アメリカ合衆国大使館も範囲に入っているな」
「はい。
大使館だけではありません。
横田基地、横須賀海軍施設、厚木基地、キャンプ座間……。
在日米軍の主要な司令部と戦力が、すべて日本の監視下にあります」
エレノアの声が震えた。
「これは安全保障上の悪夢です。
大使館の中での会話、軍事基地での作戦会議、艦船の整備状況、兵士の配置……。
それらが全てリアルタイムで、日本政府に筒抜けになっている可能性があります。
ウィーン条約も日米地位協定も、物理的に無効化されています」
ウォーレンは拳を握りしめた。
同盟国とはいえ、許されることではない。
外交官の寝室まで覗かれているかもしれないのだ。
「……抗議!
と言いたいところだが……」
ウォーレンは言葉を飲み込んだ。
怒りが湧き上がると同時に、彼の政治家としての本能が別の感情を呼び起こしていたからだ。
それは「羨望」だった。
「……技術的に、欲しいです!
この技術!」
エレノアがウォーレンの心の声を代弁するかのように、身を乗り出した。
彼女の目は恐怖から一転して、獲物を狙う猛禽類のような貪欲な光を放っていた。
「大統領、考えてもみてください!
もしこの『スマートダスト監視網』を我々が手に入れたら?
ワシントンD.C.に展開すれば、テロリストは息をすることさえできなくなります。
国境地帯に展開すれば、不法移民も麻薬カルテルも一網打尽です。
そして……もし北京やモスクワに工作員を使って、このナノマシンを散布できれば……」
「……世界を手中に収められるか」
ウォーレンの背筋に、ゾクリとするような快感が走った。
それは究極のインテリジェンスだ。
核兵器など、時代遅れの遺物に過ぎない。
「全てを知る」ことこそが、真の支配なのだ。
「抗議などして、彼らを怒らせてはいけません。
『やめろ』と言うのではなく、『我々にも使わせろ』と交渉すべきです」
エレノアは熱弁を振るった。
「日本側も同盟国である我々を、完全に敵に回したくはないはずです。
現にこうして『通知』をしてきた。
これは『我々は見ていますよ』という脅しであると同時に、『仲良くすれば見逃してあげますよ』というサインでもあります」
「……あるいは、『一緒に世界を見ませんか?』という誘いか」
ウォーレンは顎を撫でた。
日本――日下部という男の顔が脳裏に浮かぶ。
あの男はアメリカを出し抜くつもりはない。
アメリカを利用し、巻き込み、共犯者にしようとしている。
医療用ナノマシンの時と同じ手口だ。
「日本側は、大使館への監視について何と言っている?」
「『外交上の配慮から、大使館エリアにはマスキング処理を施す』と言っています。
『普段は見ない』と」
「ふん。
『普段は』か」
ウォーレンは鼻で笑った。
「つまり、『いざという時は見るぞ』ということだ。
そして『ログは残しているぞ』という無言の圧力だ。
……食えない連中だ。
我々がエシュロンで彼らを盗聴していたことを、根に持っているな」
因果応報だ。
アメリカが世界中でやってきたことを、今度は日本が、より高度な技術でやり返しているに過ぎない。
「……分かった。
抗議はしない。
公式には『日本の高度なセキュリティ技術を歓迎する』という声明を出せ」
ウォーレンは決断した。
「その代わり、裏で交渉を進めろ。
『在日米軍基地の警備強化のために、このシステムのデータ共有を希望する』と持ちかけるんだ。
米軍基地の周辺100キロが見えれば、我々にとってもメリットは大きい」
「なるほど。
『基地を守るため』という名目なら、日本側も断りづらいですね」
「ああ。
そうやって少しずつ食い込むんだ。
そして隙を見て、そのナノマシンのサンプルや制御アルゴリズムを入手しろ。
……100キロの制限を突破し、世界中を監視できる『アメリカ版スマートダスト』を作るために」
エレノアがニヤリと笑った。
「御意。
NSA(国家安全保障局)の技術者たちを総動員して、日本の『霧』の正体を暴いてみせます」
ウォーレンは窓の外、雨に煙るワシントンの街を見下ろした。
この美しい首都も、いずれ「見えない塵」に覆われ、硝子の迷宮の一部となる日が来るのだろうか。
プライバシーの喪失への本能的な忌避感。
だが、それ以上に「全てを見たい」という権力者としての欲望が、彼の理性を麻痺させていた。
「……日本め。
次から次へと、パンドラの箱を開けおって」
ウォーレンはコーヒーを一口啜った。
冷めきった泥水のような味がした。
だが、その苦味こそが、今の彼に必要な現実の味だった。
「エレノア。
大使館の職員たちには、こう伝えろ。
『トイレに行く時も、誰かに見られていると思って行動しろ』とな」
「……残酷な指令ですね」
「平和ボケした彼らには、丁度いい教育だ。
……世界はもう、密室を失ったのだから」
雷鳴が一閃し、ホワイトハウスを一瞬だけ白く照らし出した。
その光の中で、ウォーレンの影は長く、黒く伸びていた。
アメリカという巨人もまた、日本の作り出した「硝子の迷宮」の中に、知らぬ間に閉じ込められつつあった。
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