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人を好きになるって、もっと綺麗なもんやと思っとった。
例えば映画とか漫画とか、そういう中にある恋って、もっと優しくて、もっとあったかくて。
好きな人の幸せを願えて、笑って、「お幸せに」って送り出せるような、そんな綺麗なもんなんやと思っとった。
でも、僕は違った。
ないちゃんが誰かのものになるなんて、耐えられへんかった。
ーーー
「結婚、するんだよね」
その言葉を聞いた瞬間、世界の音が全部止まった気がした。
大学近くのカフェ。
窓際の席。
夕焼けがガラス越しに差し込んで、ないちゃんの横顔を赤く染めていた。
綺麗やな、って。
そんなことを考えた次の瞬間だった。
「……え?」
自分でも間抜けな声やと思った。
ないちゃんは困ったように笑う。
「いや、そんな驚く?笑」
「……誰と」
「同じ会社の人。付き合って三年くらい」
知らんかった。
三年?
三年も?
僕は何を見とったんやろう。
毎日のように会って。
毎日のように話して。
ずっと隣におると思っとった。
なのに。
ないちゃんの一番大事な部分を、僕は何も知らへんかった。
「初兎ちゃんには最初に言おうと思ってたんだ」
そう言って笑う顔が、やけに優しかった。
その優しさが、胸を抉る。
「……へえ」
「式はまだ先だけどさ」
「……そっか」
うまく笑えてたやろか。
わからん。
ただ、胸の奥がぐちゃぐちゃやった。
苦しい。
吐きそう。
息ができへん。
なんで。
なんでそんな顔するん。
なんでそんな幸せそうなん?
なんで僕以外の誰かを見て笑ってるん。
その時、ようやく気づいた。
ああ。 僕、ないちゃんのこと好きなんや。
幼なじみとか。
親友とか。
そんなんやなくて。
もっと汚くて、独占したくて、壊したくなるくらい。
どうしようもなく。
好きや。
帰り道、何をどうやって帰ったか覚えてへん。
気づいたら自室にいて、制服のまま床に座り込んでいた。
スマホが震える。
『大丈夫?』
ないちゃんからだった。
『今日、顔色悪かったから』
その文字を見ただけで涙が出た。
「……っ、なんやねん……」
優しくせんといて。
期待してまうやろ。
僕のこと、大事にしてくれてるって。
特別なんやって。
勘違いしてまうやろ。
画面が滲む。
返信できへん。
代わりに、机の引き出しを開けた。
カッター。
銀色の刃。
昔から、苦しくなるとやってしまう。
痛みがあると、少しだけ頭が静かになるから。
袖を捲る。
細い傷がいくつも並んでいた。
「……ほんま、気持ち悪」
自分で呟いて、笑った。
ないちゃんに知られたら、どんな顔するやろ。
困るかな。
悲しむかな。
それとも。
……気づいてくれるかな。
僕がどれだけ好きか。
ーーー
次の日。
「初兎ちゃん」
講義終わり、教室の外で名前を呼ばれた。
振り返ると、ないちゃんが立っていた。
「昨日返信なかったから」
「寝とった」
「嘘」
「……なんで」
「初兎ちゃん、嘘つく時目逸らすから」
昔からそうだった。
僕のことを、ないちゃんは何でも知ってる。
なのに。
肝心なことだけ、何も気づかへん。
「……なあ」
気づけば口が動いていた。
「その人のこと、そんな好きなん」
ないちゃんは少し驚いた顔をしたあと、ふっと笑った。
「うん」
即答だった。
ぐしゃ、と胸の奥で何かが潰れた。
「一緒にいると安心するし」
「……へえ」
「ちゃんと俺のこと見てくれるから」
やめて。
「優しいし」
「……」
「将来も考えられる」
やめてや。
それ以上。
聞きたない。
「……初兎ちゃん?」
気づけば、ないちゃんの腕を掴んでいた。
ぎり、と力が入る。
「……っ、痛」
「あ、ごめ……」
反射的に手を離す。
ないちゃんの白い肌に、赤い跡が残った。
その跡から目が離せなかった。
僕がつけた痕。
僕のものみたいで。
ひどく綺麗やと思った。
「……初兎ちゃん、最近変だよ」
帰り道。
公園のブランコに座りながら、ないちゃんがぽつりと言った。
「変って?」
「なんか……怖い」
その一言で、胸が冷えた。
「……怖い?」
「ごめん。でも、時々何考えてるかわかんない」
違う。
わかってほしい。
僕はずっと、ないちゃんのことしか考えてへんのに。
「……ないちゃんはさ」
声が震えた。
「僕がおらんくなっても平気なん」
「は?」
「結婚してさ。僕よりその人優先してさ。僕のこと、どうでもよくなるん」
「そんなわけないだろ」
即答。
優しい声。
その優しさが、また僕を壊す。
「初兎ちゃんは大事だよ」
「……大事って何」
「え?」
「友達として?」
「……」
ないちゃんが黙る。
それだけで充分やった。
ああ。
終わったんや。
僕は、選ばれへん。
ないちゃんの隣に立てるのは、僕やない。
「……っは」
笑いが漏れた。
「そっかぁ」
「初兎ちゃん」
「ごめんなぁ、変なこと言って」
立ち上がる。
そのまま帰ろうとして。
腕を掴まれた。
「待って」
「……なに」
「俺、初兎ちゃんのこと嫌いになったわけじゃ」
「でも好きでもないやん」
ないちゃんが息を呑む。
図星やったんやろ。
「……初兎ちゃん」
「僕な」
振り返る。
夕暮れの中、ないちゃんの顔が泣きそうに見えた。
「ないちゃんがおらんかったら、生きてる意味ないねん」
沈黙。
風の音だけが響く。
「……そういうこと言うなよ」
「なんで?」
「重い」
「……」
重い。
その言葉が、頭の中で何度も反響した。
重い。
重い。
重い。
ああ。
やっぱり。
僕の愛は、気持ち悪いんや。
でも。
それでも。
止められへんかった。
その夜。
ないちゃんから電話が来た。
『今日、ごめん』
開口一番、それだった。
『言い方きつかったよな』
「……別に」
『初兎ちゃんのこと、大事なのは本当だから』
ありふれた言葉。
優しい言葉。
でももう、何一つ信じられへん。
「……なあ、ないちゃん」
『ん?』
「僕が死んだら悲しい?」
沈黙。
数秒。
それだけで充分やった。
『……悲しいに決まってる』
遅いねん。
即答できへん時点で、もう答え出てるやろ。
「そっか」
『初兎ちゃん、ほんと最近変だって』
「……ないちゃん」
『ん?』
「君だけが幸せになれるなんて、思わんといてな」
『……え?』
電話を切った。
静まり返った部屋。
窓の外には夜景。
涙が止まらへん。
苦しい。
好き。
大好き。
誰よりも。
なのに。
なんで僕やないん。
机の上に置かれた結婚式の招待状。
白い封筒を、ぐしゃりと握り潰した。
「……絶対」
幸せになんか、させへん。
その時の僕は、まだ知らへんかった。
この恋の終わりが。
取り返しのつかへん地獄になることを。
ーーー
結婚式まで、あと二週間。
その文字を見るたび、胃の奥がねじれるみたいやった。
大学の講義なんか頭に入るわけもなくて、気づけば窓の外ばっか見ていた。
ないちゃんは最近、前より僕に優しくなった。
それが余計に苦しかった。
「初兎ちゃん、ちゃんと寝てる?」
「……寝とるよ」
「嘘だ。隈やばい」
昼休み。
購買で買ったパンを片手に、ないちゃんが眉を下げる。
その顔。
ほんま昔から変わらへん。
僕がちょっとでも無理してたらすぐ気づくくせに。
一番気づいてほしいことだけ、ずっと気づかへん。
「最近ちゃんと食べてる?」
「食べてるって」
「痩せたじゃん」
「気のせい」
ないちゃんがじっと僕を見る。
その視線に耐えきれず、僕は顔を逸らした。
「……初兎ちゃん」
優しい声。
やめて。
「俺、心配なんだけど」
「なんで」
「なんでって……」
ないちゃんが困ったように笑う。
「幼なじみだから」
その言葉だけで、胸が抉れた。
幼なじみ。
ただそれだけ。
結局、僕はそこ止まりなんや。
帰り道、ないちゃんと並んで歩く。
夕焼けが長い影を作っていた。
昔はこうやって帰るのが当たり前やった。
小学生の頃も、中学の頃も。
高校も。
ずっと隣にいた。
「そういやさ」
ないちゃんがふと思い出したように笑う。
「小学校の時、初兎ちゃん泣き虫だったよな」
「……急になに」
「すぐ泣いて俺の後ろ隠れてたじゃん」
懐かしそうに笑う声。
僕は黙ったまま歩く。
「喧嘩した時とかもさ」
「……」
「初兎ちゃん、怖くなると俺の服ぎゅって掴むの」
やめろ。
そんな顔で思い出さんといて。
「可愛かったなぁ」
可愛い。
その言葉が嫌いだった。
男として見られてへんみたいで。
弟みたいに思われてる気がして。
「……今も変わらんよ」
気づけば呟いていた。
「え?」
「怖い時、ないちゃんのこと掴みたくなる」
ないちゃんが少し目を丸くする。
でもすぐに笑った。
「なにそれ」
「……」
「大丈夫だって。俺いなくならないから」
──嘘つき。
結婚するくせに。
僕の前からいなくなるくせに。
その言葉を飲み込む。
代わりに、爪が掌に食い込んだ。
数日後。
僕は、ないちゃんの婚約者を見た。
駅前。
ないちゃんが女の人と歩いていた。
黒髪の、綺麗な人。
柔らかそうに笑う人だった。
ないちゃんは、その人の隣で笑っていた。
僕には見せへん顔で。
「……っ」
呼吸が浅くなる。
胸が痛い。
頭の奥がぐちゃぐちゃする。
なんで。
なんでそんな幸せそうなん。
僕といる時より。
ずっと。
ずっと。
気づいたら、あとをつけていた。
二人は楽しそうに話しながら歩いていく。
指先が触れる。
笑い合う。
その全部が気持ち悪かった。
ないちゃんの隣は僕やのに。
なんでその女がいるん。
「……邪魔」
小さく呟く。
その瞬間、自分の声にぞっとした。
でも止まらへんかった。
頭の中で、ぐるぐる同じ言葉が回る。
消えろ。
消えろ。
消えろ。
そいつさえおらんかったら。
ないちゃんは僕の隣に戻ってくるのに。
その夜、ないちゃんから電話が来た。
『今日駅前いた?』
心臓が跳ねた。
「……なんで」
『見かけた気がして』
ばれてた。
けど、ないちゃんの声は責めるようなものじゃなかった。
『声かければよかった』
「……」
沈黙。
そのあと、ないちゃんがぽつりと笑う。
『初兎ちゃん、最近避けてるだろ』
「別に」
『避けてるって』
少し寂しそうな声。
それだけで期待してしまう自分が嫌やった。
「……婚約者さん」
『え?』
「綺麗な人やな」
数秒、沈黙。
『見たんだ』
「うん」
喉が痛い。
でも聞かずにはいられへんかった。
「……好きなん?」
『好きだから結婚するんだよ』
その一言で、頭が真っ白になった。
好き。
ないちゃんの口から出る「好き」。
それが僕以外に向けられてる事実。
胃がひっくり返りそうやった。
「……そっか」
『初兎ちゃん?』
「幸せそうやったね」
『……』
ないちゃんが黙る。
「よかったやん」
『そんな言い方すんなよ』
「なんで?」
『なんか……怒ってるみたい』
怒ってる。
そんな生易しいもんちゃう。
僕は。
僕は。
「……ないちゃん」
『ん?』
「僕のこと、置いていかんといてよ」
声が震えた。
情けないくらい。
『……置いていかないって』
「結婚したら変わるやん」
『変わらない』
「変わる!!」
気づけば叫んでいた。
息が荒い。
電話の向こうで、ないちゃんが息を呑む。
「絶対変わるやん……っ」
『初兎ちゃん、落ち着いて』
「なんでそんな簡単に言えるん」
『……』
「僕は、ないちゃんしかおらんのに」
沈黙。
長い沈黙。
その静けさが、答えみたいやった。
『……ごめん』
違う。
謝ってほしいわけやない。
僕を選んでほしいだけやのに。
電話が切れたあと、僕は床に座り込んだ。
涙が止まらんかった。
それから数日。
ないちゃんは明らかに僕を警戒するようになった。
前みたいに不用意に距離を詰めてこなくなった。
目が合うと、少し困った顔をする。
その顔を見るたび、胸の奥が黒く染まっていく。
怖がられてる。
気持ち悪がられてる。
でも。
それでも。
好きやった。
結婚式前日。
ないちゃんから呼び出された。
夜の公園。
昔よく二人で遊んだ場所。
ブランコに座るないちゃんの顔は、ひどく疲れて見えた。
「……久しぶりやな、ここ」
「うん」
短い返事。
風が吹く。
「初兎ちゃん」
ないちゃんがゆっくり口を開く。
「俺さ」
「……」
「初兎ちゃんのこと、大事だよ」
またそれ。
聞き飽きた。
「でも」
「……」
「このままじゃ駄目だと思う」
心臓が冷えていく。
「最近の初兎ちゃん、見てて苦しい」
「……」
「俺に執着しすぎてる」
執着。
その言葉が刺さる。
「俺、それに応えられない」
頭の中で何かが切れた音がした。
「……応えられへん?」
「ごめん」
また謝る。
なんで。
なんでそんな悲しそうな顔するん。
悪いと思うなら、僕を選べばええやん。
「俺、結婚する」
「……」
「ちゃんと前に進みたいんだ」
前に進む。
つまり僕を置いて。
僕のいない未来へ。
「だから初兎ちゃんも」
「黙れや」
低い声が出た。
ないちゃんが目を見開く。
「……初兎ちゃん」
「前に進む?」
「……」
「僕置いて?」
呼吸が荒くなる。
視界が滲む。
「なんでそんなこと言えるん」
「……」
「僕はずっと、ないちゃんだけ見てきたのに」
立ち上がる。
ないちゃんの肩を掴む。
「初兎ちゃん、痛」
「なんでわかってくれへんの!!」
叫び声が夜に響いた。
「僕、こんなに好きやのに!!」
「……っ」
ないちゃんが苦しそうに顔を歪める。
その顔を見た瞬間。
ぞくり、とした。
胸の奥が熱くなる。
僕のせいで乱れるないちゃん。
僕だけが作れる表情。
それがどうしようもなく愛しかった。
「……っ、離して」
「嫌や」
「初兎ちゃん」
「嫌や嫌や嫌や……っ」
気づけば首に手が伸びていた。
細い首。
白い肌。
少し力を入れれば壊れてしまいそうで。
でも。
壊したくなるほど愛しかった。
「……っ、しょ、う……っ」
「なんで僕やないん……」
「くる、し……」
涙が落ちる。
ぐしゃぐしゃやった。
「僕の方がずっと好きやのに……っ」
「……っ、は……」
ないちゃんの手が僕の腕を掴く。
その感触で、ふっと我に返った。
「……あ」
力を抜く。
ないちゃんが激しく咳き込んだ。
首には赤い痕。
僕がつけた痕。
消えない傷。
「……ごめ」
「……」
ないちゃんは何も言わへんかった。
ただ、震えてた。
その姿を見た瞬間。
全部終わったってわかった。
僕は、ないちゃんにとって。
もう「怖いもの」になってしまった。
「……明日、来ないで」
掠れた声。
「え……」
「結婚式」
ないちゃんは僕を見なかった。
「来ないで」
その一言が、胸に突き刺さる。
「……嫌や」
「初兎ちゃん」
「嫌や!!」
叫ぶ。
でも、ないちゃんは首を振るだけだった。
「俺、もう無理だ」
無理。
その言葉で、世界が終わった。
「……そっか」
笑ったつもりやった。
でもきっと歪んでた。
ないちゃんが泣きそうな顔をする。
その顔が憎かった。
最後まで優しい顔するんや。
最後まで僕を捨てるくせに。
「……ないちゃん」
「……なに」
「君だけが幸せになれるなんて、思わんといてな」
ないちゃんの顔が凍る。
僕は笑った。
壊れたみたいに。
結婚式当日。
白いチャペル。
祝福の拍手。
綺麗な花。
幸せそうな笑い声。
──吐き気がした。
こんなん、認められるわけない。
ないちゃんの隣は。
僕やのに。
スーツのポケットの中。
冷たい金属に触れる。
ナイフ。
小さな果物ナイフ。
手の中でぎゅっと握りしめる。
拍手喝采の大団円。
そんなもん。
僕が全部、汚してやる。
ーーー
結婚式の鐘が鳴っていた。
澄んだ音。
祝福みたいな音。
その音が、僕には呪いにしか聞こえへんかった。
白いチャペル。
赤い絨毯。
並ぶ参列者。
みんな笑ってる。
幸せそうに。
──なんで。
なんでそんな顔できるん。
ないちゃんは、僕を置いていくんやで。
僕だけを置いて。
僕だけ苦しませて。
それなのに、なんで。
こんな綺麗な終わり方をしようとしてるん。
後方の席から、祭壇を見つめる。
白いタキシード姿のないちゃんが立っていた。
綺麗やった。
悔しいくらい。
昔からそうや。
ないちゃんは、僕の世界の中心やった。
泣いた時も。
笑った時も。
苦しかった時も。
全部。
全部、ないちゃんがおった。
「……っ」
息が苦しい。
視界が滲む。
逃げたい。
壊したい。
抱きしめたい。
殺したい。
感情がぐちゃぐちゃに混ざって、自分でも何を思っとるのかわからへん。
でも、一つだけはっきりしてる。
ないちゃんを、誰にも渡したくない。
オルガンの音が響く。
扉が開いた。
ウェディングドレス姿の婚約者が入ってくる。
綺麗やった。
白くて。
優しそうで。
ないちゃんは、その人を見て笑った。
──その瞬間。
頭の中で何かが切れた。
気づけば立ち上がっていた。
参列者がざわつく。
ないちゃんがこちらを見る。
目が見開かれた。
「……初兎ちゃん?」
その声。
昔みたいに名前を呼ぶ声。
優しくて。
泣きそうで。
それだけで胸がぐちゃぐちゃになる。
「……来ないでって言ったよね」
震えた声。
ないちゃんは怖がってた。
僕を。
その事実が、胸を深く抉る。
「……ごめんなぁ」
一歩、前へ進む。
「でも無理やった」
「初兎ちゃん」
「見たくなってもうた」
ないちゃんの隣に立つその女を睨む。
その人は怯えた顔をしていた。
当たり前や。
僕は今、きっとまともな顔しとらん。
「……その人と結婚するんや」
「……」
「僕やなくて」
ないちゃんが何か言おうとする。
でも、その前に僕は笑った。
「なあ、ないちゃん」
ポケットの中。
ナイフを握る。
「ほんまに、それで幸せなん?」
参列者がざわつく。
誰かが「警備員呼べ」と小さく言った。
でも、どうでもよかった。
僕の世界には、もうないちゃんしかおらへん。
「初兎ちゃん、落ち着いて」
「落ち着いてるよ」
嘘や。
全然落ち着いてへん。
心臓が痛いくらい暴れてる。
「……俺、お前のこと嫌いになったわけじゃない」
「その言葉、もう聞き飽きた」
ないちゃんが苦しそうに顔を歪める。
「大事なんだよ」
「大事ならなんで僕選ばんの」
「……」
沈黙。
その沈黙だけで充分やった。
「あぁ、そっか」
笑う。
涙が出る。
「やっぱり僕じゃあかんのや」
喉が焼けるみたいに痛い。
それでも、笑った。
泣いたら終わりな気がしたから。
「初兎ちゃん」
ないちゃんが祭壇から降りてくる。
一歩ずつ。
まるで猛獣を刺激せんようにするみたいに。
「……話聞くから」
「今更?」
「お願いだから、ナイフ置いて」
ああ。
やっぱり見えてたんや。
参列者の悲鳴が遠くで聞こえる。
でも不思議と頭は静かやった。
「……ないちゃん」
「ん」
「僕、ずっと好きやった」
空気が止まる。
ないちゃんの目が揺れた。
「小学校の頃から」
「……」
「ないちゃんが笑うたび嬉しくて」
「……」
「他のやつと話してるだけで苦しくて」
声が震える。
「でも、こんなん言ったら困らせるってわかってた」
だから隠してた。
幼なじみのままでおれば、ずっと隣にいられると思ったから。
「……なのに」
涙が落ちる。
「結婚するとか言うから」
ぐしゃぐしゃになる。
「僕、どうしたらええかわからんくなってもうた……っ」
ないちゃんの顔が歪む。
悲しそうに。
泣きそうに。
「……ごめん」
またそれ。
最後まで。
最後まで謝るんや。
「俺、気づいてた」
その言葉に、息が止まった。
「……え」
「なんとなく」
ないちゃんは苦しそうに笑った。
「でも、認めたら駄目な気がした」
「……なんで」
「初兎ちゃん壊れそうだったから」
壊れてたんは、ずっと前からや。
ないちゃんが僕を見てくれへんかった時から。
「俺、どうしたらよかったかわかんなかった」
「……」
「傷つけたくなかった」
優しい。
ほんまに残酷なくらい。
「でも」
ないちゃんが震える声で続ける。
「俺、お前の気持ちには応えられない」
その瞬間。
世界が終わった。
何かが崩れる音がした。
自分の中の最後の理性みたいなものが、音を立てて壊れていく。
「あ……は」
笑いが漏れる。
おかしい。
苦しいのに。
なんで笑えてまうんやろ。
「……そっかぁ」
ないちゃんが一歩近づく。
「初兎ちゃん」
「来んといて」
声が低くなる。
ないちゃんが止まった。
「……もう無理や」
ナイフを強く握る。
白い手袋に血が滲んだ。
「僕、ないちゃんおらんかったら生きてけへん」
「そんなこと」
「あるねん!!」
叫ぶ。
参列者が悲鳴を上げる。
でも止まらへん。
「ないちゃんだけやったんや!!」
「……っ」
「僕の全部は!!」
涙で前が見えへん。
「なんで選んでくれへんの……」
「……ごめん」
「なんで僕じゃないん……っ」
苦しい。
苦しい。
苦しい。
愛してるだけやのに。
こんなに好きなだけやのに。
なんで届かへんの。
「……初兎ちゃん」
ないちゃんがゆっくり手を伸ばす。
昔みたいに。
泣いてる僕を宥める時みたいに。
「帰ろう」
その一言で、涙が止まらんくなった。
帰ろう。
昔みたいに。
二人で。
そんな夢を、一瞬見てしまった。
「……っ、ない、ちゃん……」
手が触れる。
あったかい。
大好きな手。
何度も僕を助けてくれた手。
「大丈夫だから」
「……う、ぁ」
「もうやめよう」
優しい声。
その声に縋りつきたくなる。
でも。
でももう遅かった。
だってないちゃんは、僕を選ばん。
この手も。
この声も。
全部、他の誰かのものになる。
「……嫌や」
ぽつりと呟く。
「初兎ちゃん」
「嫌や嫌や嫌や……っ」
次の瞬間。
僕はないちゃんを抱き締めていた。
強く。
逃げられへんように。
「……っ、しょ、う……」
「離さへん」
「苦し……っ」
首に腕が回る。
ぎり、と力が入る。
「初兎ちゃん、やめ……」
「なんで僕やないん……っ」
涙がぼろぼろ落ちる。
「僕の方が好きやのに……」
「……っ、ぁ……」
ないちゃんが苦しそうに喘ぐ。
参列者の悲鳴。
誰かが駆け寄る音。
でももう、全部遠かった。
「……あの日みたいに」
震える声で呟く。
「抱き合いたかっただけやのに」
ないちゃんの体温。
鼓動。
全部愛しかった。
「だからお願い……」
僕を見て。
僕だけを。
「……離、して……お願い……」
掠れた声。
その瞬間。
胸の奥で、何かが完全に壊れた。
「あ……」
力が抜ける。
ないちゃんの身体が崩れ落ちた。
首には赤黒い痕。
苦しそうに咳き込む姿。
その瞬間。
周囲から悲鳴が上がった。
「誰か!!」
「救急車!!」
視界が揺れる。
何してるんやろ、僕。
ないちゃんを傷つけたかったわけちゃう。
ただ。
ただ。
僕だけを見てほしかっただけやのに。
「……初兎ちゃん」
ないちゃんが掠れた声で僕を呼ぶ。
涙が出そうな顔で。
「……もう、やめて」
その一言で、全部終わった。
ああ。
ほんまに終わったんや。
ないちゃんはもう、僕を愛してくれへん。
怖がってる。
拒絶してる。
僕のことを。
だったら。
もう。
生きてる意味なんかない。
ふらり、と後ろへ下がる。
チャペルの扉。
外。
高い崖が後ろにある。
走る。
はしゃぐ少年みたいに。
空は青かった。
綺麗なくらいに。
「……初兎ちゃん?」
ないちゃんの声。
振り返る。
泣きそうな顔。
昔みたいに僕を心配する顔。
その顔が、最後まで好きやった。
「……ないちゃん」
笑う。
きっとひどい顔やった。
「幸せでいて、とか」
涙が落ちる。
「呪いやんな」
ないちゃんの目が揺れる。
「僕の幸せは、ないちゃんとおることやったから」
一歩、下がる。
風が吹く。
「……っ、待って!!」
ないちゃんが手を伸ばす。
でも届かへん。
「それでも」
息を吸う。
「僕は、ないちゃんが大好きやった」
その言葉を最後に。
僕は、後ろへ倒れた。
落ちる。
空が近づく。
風の音。
悲鳴。
全部遠い。
不思議と怖くなかった。
ただ。
ただ少しだけ。
「もっと普通に恋したかったなぁ。」
そう思った。
落ちながら見えた空は、泣きたくなるくらい綺麗だった。
ーーーー
初兎ちゃんが死んで、一年が経った。
なのに俺は、まだあの日の夢を見る。
白いチャペル。
泣き叫ぶ声。
首に残る痛み。
そして。
最後に見た、初兎ちゃんの笑顔。
『それでも僕は、ないちゃんが大好きやった』
耳に焼きついて離れない。
「……っ」
息が詰まる。
夜中。
暗い部屋。
汗で濡れたシャツ。
時計を見ると午前三時だった。
最近ずっとこうだ。
眠っても、夢を見る。
忘れたいのに、忘れられない。
ベッドから起き上がる。
喉が痛い。
首に触れると、少しだけ盛り上がった痕が指に触れた。
あの日、初兎ちゃんにつけられた痕。
もうほとんど見えなくなっている。
でも完全には消えなかった。
「……ほんと、馬鹿だな」
誰に向けた言葉なのかわからなかった。
初兎ちゃんか。
それとも自分か。
結婚式は中止になった。
当然だ。
式場で首を絞められて、そのあと幼なじみが飛び降り自殺した。
ニュースにもなった。
SNSでは好き勝手言われた。
『メンヘラ幼なじみ』
『執着系』
『怖すぎる』
画面越しに並ぶ文字を見ながら、何度も吐いた。
違う。
あいつはそんな簡単な言葉で片づけられる人じゃない。
もっと不器用で。
もっと優しくて。
もっと弱かった。
なのに。
俺は最後まで、何もわかってやれなかった。
婚約者とは別れた。
向こうからだった。
『ごめん。もう普通にあなたを見られない』
当然だと思った。
あんなことがあったあと、普通でいられるわけがない。
彼女は悪くない。
悪いのは全部、自分だ。
俺がもっとちゃんとしていれば。
もっと早く気づいていれば。
初兎ちゃんは、あんなふうにならなかったかもしれない。
でも。
結局俺は、何一つできなかった。
窓の外を見る。
雨が降っていた。
あの日もこんな感じだった気がする。
初兎ちゃんと喧嘩した日。
『重い』
そう言ってしまった。
今でも後悔している。
あんな言い方、するべきじゃなかった。
でも。
怖かったんだ。
初兎ちゃんの目が。
俺しか見えていないみたいな、あの目が。
愛情というより、祈りみたいで。
信仰みたいで。
壊れそうだった。
昔は違った。
もっと普通だった。
小さい頃の初兎ちゃんは、本当に泣き虫だった。
すぐ泣くし。
怖がりだし。
でも優しくて。
公園で転んだ時なんか、自分も膝擦りむいてるくせに、先に俺の怪我を心配するようなや
つだった。
『ないちゃん、大丈夫!?』
半泣きで俺を見る顔。
今でも覚えてる。
昔から、あいつは俺ばっかり見てた。
でも俺は、それを「幼なじみだから」だと思っていた。
そう思い込んでいた。
大学に入ってからだったと思う。
少しずつ違和感を覚え始めたのは。
俺が他の友達と話してるだけで、初兎ちゃんの機嫌が悪くなる。
恋人ができたと噂されれば露骨に避ける。
俺が誰かを褒めると黙り込む。
でも、それでも。
俺は見ないふりをした。
だって認めたら終わる気がしたから。
初兎ちゃんの想いに気づいてしまったら。
もう今までみたいにはいられなくなる。
「……最低だな、俺」
ぽつりと呟く。
結局俺は、自分が可愛かっただけだ。
傷つけたくないとか言いながら。
本当は、壊れる初兎ちゃんを見るのが怖かっただけ。
だから曖昧にした。
優しくした。
期待させた。
見て見ぬふりを続けた。
その結果が、あれだ。
机の引き出しを開ける。
一冊のノート。
初兎ちゃんの遺品だった。
家族から渡されたもの。
『これ、ないこくんに渡してほしいって書いてあったから』
震える手で受け取った。
最初は開けられなかった。
でも結局、数日後に読んだ。
そこには、俺のことばかり書いてあった。
『今日ないちゃんが笑ってた』
『他のやつと話してるだけで苦しい』
『僕じゃだめなんかな』
『ないちゃんの隣にいたい』
ページをめくるたび、息ができなくなった。
最後の方なんか、文字が滲んでいた。
多分、泣きながら書いたんだろう。
『ないちゃんが結婚する』
『苦しい』
『でも幸せになってほしい』
『でも嫌や』
『取られたくない』
矛盾だらけだった。
愛したいのに壊したい。
幸せを願いたいのに奪いたい。
ぐちゃぐちゃで。
不器用で。
でも全部、本物だった。
だから苦しい。
ページをめくる。
最後のページ。
『ほんまは』
『普通に恋したかった』
「……っ」
視界が滲む。
涙が落ちて、文字がぼやけた。
「……馬鹿」
声が震える。
「なんで、一人で抱え込むんだよ……」
もっと早く話してくれればよかったのに。
いや。
違う。
話せる空気を、俺が作ってやれなかったんだ。
初兎ちゃんはずっと怖がってた。
嫌われるのを。
気持ち悪いと思われるのを。
だから隠して。
隠して。
限界まで溜め込んで。
最後に壊れた。
スマホが震える。
母からのメッセージだった。
『明日、お墓参り行くけど一緒に行く?』
少しだけ迷ってから、『行く』と返した。
翌日。
空は曇っていた。
墓地には静かな風が吹いている。
初兎ちゃんの墓の前に立つ。
白い花が供えられていた。
「……久しぶり」
返事はない。
当たり前だ。
でも、まだどこかで期待してしまう。
ひょこっと現れて。
『ないちゃーん』
って笑いながら駆け寄ってくるんじゃないかって。
そんなわけないのに。
しゃがみ込む。
墓石に触れる。
冷たい。
「……俺さ」
喉が詰まる。
「まだ、お前の夢見る」
風が吹く。
「首絞められる夢とか」
「泣いてるお前の夢とか」
「最後に落ちる時の顔とか」
全部。
全部離れない。
「……なあ」
笑おうとする。
でも声が震えた。
「お前、最後まで俺のこと好きだったんだな」
知ってる。
そんなの、ずっと前から。
でも。
ちゃんと向き合わなかった。
向き合うのが怖かったから。
「……ごめん」
その言葉しか出てこない。
「俺、お前を救えなかった」
涙が落ちる。
墓石に小さな染みを作る。
「もっと早く気づいてればとか」
「もっとちゃんと話してればとか」
「今でも考える」
後悔ばっかりだ。
でも。
どれだけ考えても、時間は戻らない。
ふと、昔の記憶が蘇る。
小学生の頃。
二人で帰った夕焼け道。
『ないちゃん、大人になっても一緒におろな!』
無邪気に笑う初兎ちゃん。
俺も笑って答えた。
『当たり前じゃん』
──約束、破ったな。
俺が。
お前を置いていこうとしたから。
「……っ」
喉が痛い。
息が苦しい。
「なあ、初兎ちゃん」
墓石に額を押し当てる。
「俺、どうしたらよかったんだろ」
答えは返ってこない。
静かな風だけが吹く。
「……俺さ」
目を閉じる。
「今でも、お前が怖い」
あの時の目が忘れられない。
壊れそうなくらい愛してくる目。
全部を捧げるみたいな愛情。
苦しかった。
怖かった。
でも。
「……それ以上に」
涙が零れる。
「お前がいなくなったことの方が、ずっと苦しいよ」
声が掠れる。
「会いたい」
返事はない。
「もう一回、馬鹿みたいなことで笑って」
「隣歩いて」
「くだらない話して」
そんな普通のことがしたい。
でももう叶わない。
風が吹く。
花びらが揺れる。
空を見上げる。
どこまでも灰色だった。
「……初兎ちゃん」
小さく笑う。
「お前、最後に言ってたよな」
──幸せでいて、とか呪いやんな。
「ほんと、その通りだよ」
お前がいないのに。
幸せになれるわけないだろ。
帰り道。
夕焼けが街を染めていた。
昔と同じ景色。
でも隣には、もう誰もいない。
ふと、風が吹く。
その瞬間。
懐かしい声が聞こえた気がした。
『ないちゃん』
振り返る。
当然、誰もいない。
「……はは」
乾いた笑いが漏れる。
「ほんと、重症だな俺」
でも。
少しだけ。
本当に少しだけ。
隣に初兎ちゃんがいた気がした。
夕焼けの中を、一人で歩く。
もう二度と戻れない「あの日」を、心の中で何度もなぞりながら。
#幸せになってね。
コメント
26件
やっっばいめっちゃ好き。 なんか1本映画見たみたいな気分なんですけど‼️🥰💕 というか見るの忘れてて…🥲 凛ちゃんの作品はやっぱ世界一よね☝🏻🥰️
よければ合作もしてみたいです。
お気に入り、入れました。 この作品を一番最初に見た時本当に言葉選びが素敵だなぁと思って 気づけば同じような作品を書きたいってなって愛が重い系の小説を書いていました。 (決してパクリではありません) もっと愛が重い系の小説を読んでみたいです。 仲良くしてみたいです。 返信待ってます。
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あおば
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