(暁人さんの前でみっともない姿は見せられない!)
自分に言い聞かせた私は、暁人さんに勇気をもらい、レティに微笑みかけた。
《いらっしゃいませ、ジャクソン様》
私はプロのホテリエとして、胸を張り堂々と挨拶をした。
アメリカから逃げ帰ったあと、知りたくなかったけれど彼女の事を調べた。
レティ――スカーレット・ジャクソンは、アメリカの大手銀行〝ジャクソンホールディングス〟の令嬢だ。
SNSでは、レティが映画女優やモデル、女性実業家と仲良く写っている投稿を沢山見た。
勿論、男性の知り合いも多く、彼女はパーティーに出ては老若男女問わず大勢の人と交流しているらしい。
レティのアカウントを見た私は、自分とかけ離れた華々しい世界を見て、惨めになったあまりブロックしてしまった。
そんな手段でしか自分を守れないのが情けなく、帰国した頃はSNSそのものを開けなかった。
――完璧な女性が、完璧な男性の隣に立つのは当たり前。
だから彼女が今、私を虫でも見るような目で見ていてもおかしくない。
[ねぇ、ウィル。本当にこのホテルに泊まるの?]
レティは甘ったれた声を出し、ウィルの腕を組む。
[仕事だよ? ハニー。ビジネスの滞在が終わったら、君の気に入るホテルを手配させるから]
[そうして。不愉快なスタッフがいるホテルなんて、長居したくないわ。でも、日本食はヘルシーだから好きなの]
レティは見せつけるようにウィルにキスをすると、ヒールの音を立ててゆっくりと立ち去って行った。
不愉快と言いつつも、ネチネチ絡まれずに一旦安心した。
(結局、私なんて眼中に入っていなかったんだわ)
彼女みたいな面倒臭そうな女性に、ライバル視されたいなんて思っていない。
でも同じ男性を想っていたのに、歯牙にも掛けられていなかったと思うと、本当に自分は三下なのだと思わされる。
やがてウィルたちのチェックインが終わり、彼らは暁人さんと一緒に上階へ向かった。
「芳乃さん、大丈夫ですか? 前の職場が〝ゴールデン・ターナー〟とは聞きましたが、あんな嫌な人がいたんですか? 嫌な展開になりそうなら、すぐヘルプを出してください」
お客様が切れた時を見計らい、木下さんが囁いてくる。
「ありがとう。でも大丈夫です」
私は微笑み、カウンターの下でグッと拳を握ってみせた。
「今回のお客様が帰られたら、飲みに行きましょう」
「そうだね。ありがとう」
彼女のお陰でグッと勇気が出た。
今は職場に恵まれているし、ウィルたちに無理難題を出されても、きっと乗り越えられる。
彼らの宿泊予定は一週間で、外出する時はフロントの前を通るだろうけれど、私を呼びつけて用事を言いつける事はないだろう。
(うん、何とかなる)
自分に言い聞かせた私は、すぐに仕事モードに戻ってフロントに近づいてきたお客様に微笑みかけた。
**
けれど事態は思っていたほど簡単ではなかった。
ウィルは最初の四日は、神楽坂グループの経営陣と話をし、接待として都内のあちこちに行っていたようだった。
レティはそれについていく事もあったし、気が乗らない時は部屋でダラダラしている。
彼女は私を呼びつけ、ネチネチと文句を言うという〝遊び〟に興味を持ったようだった。
[ねぇ。昨日チェックインしたら、一泊目なのにバスルームに髪の毛が残っていたんだけど。信じられない。日本のホテルって質が低いのね]
(嘘だ)
私はとっさにそう思った。
ホテル業界の主なクレームは、小さなゴミが残っていたとか、アメニティの補充ができていなかったなどが挙げられる。
物事に〝完璧〟はない。
けれど〝エデンズ・ホテル東京〟では、完璧に近いクリーンさを目指している。
清掃会社の人が二人一組で掃除や整頓をしたあと、最後にきちんと確認してから次の部屋に移るようになっている。
契約している清掃会社は、仕事の丁寧さ、速さで表彰された経歴のある、信頼できるところだ。
髪の毛があったと言われても、実はお客様自身の髪だったという事もよくある。
けれどホテルでは、お客様の言う事は絶対だ。
可能な限り希望に添い、気持ちのいいステイをしていただかなくてはならない。
[申し訳ございませんでした。確認の上、しかるべき対応を取らせていただきます]
私は謝罪して担当部署に連絡しようとしたけれど、レティは首を横に振って言った。
[確認するならあなたが見てよ]
コメント
1件
レティ…それは違うと思うけど💢