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「ぐわああああっ!」
侯爵の顎にシンデレラのアッパーが決まる。
海老ぞって飛んでいく侯爵。
警備にあたっていた騎士たちが騒ぎを聞きつけ集まってくる。
そこかしこで悲鳴が上がり、倒れる令嬢もいるようだが、まだ始まったばかりだ。
すべての視線がこちらを見ていることを確認した上で、ソフィアは静かに語りかける。
「ブルーベル王女、こちらは賓客としてあなたをもてなしたつもりだけれど、あなたはこの国を引っ掻き回すことしか考えていないようね。高位貴族たちを味方につけて勝ったつもりでいるのでしょう? あなたの切り札がそれしかなくて、本当にお可哀そう」
同情をこめた目で上から目線で見てやると、みるみるうちにブルーベル王女の頭に血が上るのが分かった。
この王女さま、最初から感情を隠すのが苦手よね。
「何を言っているの、後ろ盾がなくて可哀そうなのはあなたでしょう! 私はこの国に多大な利をもたらすことが出来るわ! 米が安く手に入れば国民は喜ぶでしょう? 高級な香辛料だって優先して輸出してあげられる。私がディランシア王国の王女だから出来ることよ! あなたには出来ないでしょう!」
叫んだことでハアハアと呼吸を荒げ、こちらを睨んでいるブルーベル王女。
さすがに3曲も続けて踊るから息が上がるのよ。
楚々とした美人からだいぶんかけ離れてきたわね。
その調子でどんどん素を出して行ってちょうだい。
「米については我が国は一切困っておりませんの。いらないと言っているのに押し付けるのはどうかと思いますわ。それから高級な香辛料はサフランと言うのでしたっけ? グレイス、夫君、私に代わって説明をお願いしてもいいかしら?」
「待ちかねたわよ、ソフィア。そこの女をボコボコにしたいのね? 私がその高々とした鼻をへし折ってあげるから、よく見ていなさい」
マウントの鬼、グレイスが腰をふりながら私に近づいてくる。
夫君はニコニコしてその後に続く。
ほんと、ここの夫婦は幸せだわ。
ダンスホールが一瞬だけ静けさに包まれたが、夫人たちのヒソヒソ話が再開された。
「あら、ご覧になって! なんて鮮やかなんでしょう!」
「今まで見たことがない黄色ね、目立つわ!」
「どこか異国情緒を感じるわね、美しいこと」
グレイスは裾を揺らし、隅々までドレスを余すところなく会場中に披露すると、ブルーベル王女に向かって労わるように声をかけた。
「ふふ、秘密を明かしましょうか? このドレスはね、サフランで染められているのよ」
「なんですって! 貴重なサフランを染料に!?」
王女さまもビックリしただろう。
ソフィアだってそうだ。
料理長の話をすっかり忘れていたソフィアが、どこでサフランを見聞きしたのかと言うと、それはグレイスが送ってきたドレスのデザイン画の中だった。
人目を惹く鮮烈な黄色の染料として書かれていたサフランが、まさか香辛料のサフランと同じものだとは。
ソフィアもすぐには結び付けられなかった。
だが次にグレイスが、もうすぐこの国に戻るからそのときにサフランドレスを見せてあげるわ、と手紙をくれたので、もしかしてと思った。
グレイスの言葉を補足するように夫君がさらに詳しい説明をする。
「ディランシア王国ではサフランの栽培に力を入れ始めて間もないが、大昔からサフランを栽培している国では染料に使えるほど豊富にサフランがある。ひとつの花から手摘みで3本しか取れないサフランは貴重ではあるけれど、出し惜しみするほど無いわけではないんだよ」
もしお望みの方がいらっしゃるなら、いくらでも輸入してきますよと夫君は周りの貴族に営業をかける。
再びダンスホールがざわつき始める。
負けじとブルーベル王女が声を張る。
「ほ、ほかにもあるわ、特殊な方法で栽培しているお茶よ。これはサフランより貴重よ!」
「ああ、私を招いたお茶会で出した緑茶ね。たしかに、この世界で見たのは初めてだったわ」
「あなた……緑茶を知っていたの? もしかして特殊な栽培方法のことも知っているの?」
ブルーベル王女は、ソフィアを恐ろしいものでも見るような目で見ている。
そうそう、そうやって恐れなさい。
人生二度目のソフィアは怖いんだからね。
「私が知っているお茶はかぶせ茶と言って、日の光をあてないようにして育てられていたわ。通常より甘味がでるのですって」
あら、光が苦手なかぶせ茶ってなんだかセオドアさまみたいじゃない?
セオドアさまもとっても甘いしね。
そんなことを思いついていたソフィアの前で、もうブルーベル王女は蒼白だ。
何もかも追いはぎに剥がされた旅人のよう。
自分の立場を有利にしてくれるものが無くなったからだろう。
だが制裁はまだ続く。
「ブルーベル王女、あなたはその貴重な香辛料やお茶の販売権をちらつかせ、我が国の高位貴族たちを収賄したわね? これは間違いなく我が国への越権行為よ。ディランシア王国に対して、正式に抗議させてもらいます」
ビシッと決まったわ!
そんなソフィアの肩にはセオドアさまがいまだキツそうにもたれかかり、ガクガク震えて座りこんだブルーベル王女を見ていた。
「君は、母親にこの国を乗っ取ってこいとでも言われて、駒のように送り出されたのだろう? だが簡単にくれてやるわけにはいかないんだ。君を利用してこの国の膿を取り除き、もっといい国にしたいと僕が思っているうちはね。レオ、ディランシア王国に強制送還するまで、ブルーベル王女を軟禁してくれ」
セオドアさまの後ろに控えていたレオさんはうなずき、ブルーベル王女を立ち上がらせ会場から連れ出していく。
その姿を見て、慌てて逃げようとした高位貴族たちも、騎士にどんどん捕まえられていく。
豪奢な宴の会場は、阿鼻叫喚の坩堝だ。
だけどこれで終わったんだ。
肩の荷が下りたと思ったのに、ズシッと右肩に重みが加わった。
あれ? とソフィアが隣を見たときには、セオドアさまはすでに気を失い、真っ青な顔をしていた。
「セオドアさま! 大変、スミスさんを呼ばないと――」
ソフィアは、捕り物に加わっていたシンデレラを呼びつけ、スミスさんを呼んでくるように頼んだ。
しかし、シンデレラはそこで思わぬ騎士見習い教育の成果を発揮する。
「こんな騒がしい場所に寝かせていても危ないだけよ。私に任せて!」
おそらくはシンデレラの先輩だろう騎士たちから槍と上着を奪い、二本並べた槍に万歳の形をさせた上着を通す。
状況を把握した先輩たちが、簡易な担架にセオドアさまを動かさないようにそっと載せ、スミスさんが待機する控え室まで運んでくれることになった。
「グレイス、せっかく来てくれたのに、慌ただしくてごめんね。また改めてお礼をさせてちょうだい」
「何を言っているのよ、あれだけの注目を浴びたのよ? 私は満足したわ。それより王子さまを載せた担架を追いなさい。具合が悪いのでしょう?」
「そうですよ、麗しのグレイスの言う通りです。今日は私もいい営業をさせてもらいました。どうぞ我々のことは気にせずに」
ソフィアはグレイスと夫君の言葉に頭を下げて、運ばれていった担架の後を追った。
ソフィアが控え室に着くころには、スミスさんによってセオドアさまの専属医が呼ばれ、診察が始まっていた。
ソフィアは診察の邪魔にならないように、音を立てずに部屋にそっと入った。
スミスさんがソフィアに気がつき、大丈夫ですよと言うように頷いてくれた。
それだけで涙が出るほど安心した。
「極度の眼精疲労が引き金となって、軽度の意識の混濁が見られます」
セオドアさまの専属医の先生からそう説明があった。
やはりあの会場の装飾は、セオドアさまにはきつかったんだ。
セオドアさまは、こちらの呼びかけに応じてときどき目を覚ますが、すぐにまた眠りにつく。
「先生、どうしたらいいのでしょう? セオドアさまはどうしたら良くなりますか?」
「これまでにも、何度かこのような状況になったことがあります。だいたい数日ほどで回復はされるのですが、その間はつきっきりの看病が必要です」
「その看病、私にもできるでしょうか?」
「看護師と一緒にでしたら、できると思いますよ」
先生にお墨付きをもらい、ソフィアはその日からセオドアさまの看病に専念するのだった。
セオドアさま、早く良くなりますように……。