とある町の一角にいるヘレーナ嬢は、とても不愉快そうに私の顔を見ている。
彼女とこうして顔を合わせるのは、初めてだ。にも関わらずそういった顔をしているということは、ヘレーナ嬢も私が今回の件に関与しているということを理解しているということだろう。
「まさか、あなたが直々やって来るなんて、思っていませんでした。エルメラ嬢、お噂はかねがね聞いています。優れた魔法使いであるとか」
「ええ、私程の天才は他にいないでしょうね。まああなたもそれなりの使い手であるようですが、私からしてみれば、凡人と言わざるを得ません」
「凡人? この私が?」
私の言葉に対して、ヘレーナ嬢はその表情を歪めていた。
それを見ながら、私は彼女を観察する。彼女が何か仕掛けてくることは、明白だからだ。
「それなら、試してみましょうか?」
「これは……」
次の瞬間、私の周りに光の球が無数現れた。
それはまず間違いなく、ヘレーナ嬢の魔法だ。それだけの光の球を瞬時に展開できるのは、彼女の確かな実力を表している。
ただそれでも、私からしてみればとてもちっぽけな存在であるのだが。
「私を見くびったことを後悔するのですね!」
「いいえ、後悔なんてしませんよ。そもそも、見くびってなんかいないのですから」
「……え?」
私が指を鳴らすと、周囲にあった光の球が消滅した。
それにヘレーナ嬢は、目を丸くしている。どうやら彼女の方は、実力差を正確に認識できている訳ではないようだ。
「一流の魔法使いであるなら、相手の実力はきちんと理解できるようになった方が良いですよ?」
「そんな馬鹿な……」
「といっても、魔法使いなんてものは高慢なものですからね。皆、自分が一番だと心の中では思っている。特にあなたのように半端に力を持っている者は猶更」
「し、知ったような口を……」
ヘレーナ嬢は、稀有な才能を持つ魔法使いである。
それはこの私が、認めてもいいと思えるくらいの才能だ。道を誤らなければ、良き魔法使いとして名を残せたかもしれない。
それを私は、哀れに思う。私もお姉様がいなければ、ああなっていた可能性はある。そんな考えが頭を過ってきたからだ。
ただ、だからといって、ヘレーナ嬢に容赦や情けをかけるつもりはない。
彼女は私の最も大切な存在を害する意思を持つ者だ。それを許容する選択肢なんて、私の中にはあり得ない。
「ヘレーナ嬢、特別なゲストを紹介しましょう」
「え?」
そこで私は、合図を出した。
すると物陰から、一人の男性が現れる。
その人物とは、この国の第三王子ドルギア殿下だ。彼の登場に、ヘレーナ嬢は目を丸めて驚いているのだった。
「ドルギア殿下、どうしてこちらに……」
「……エルメラ嬢」
現れたドルギア殿下は、ヘレーナ嬢の言葉に答えずにこちらを向いた。
その表情からは、困惑が読み取れる。彼はこの状況をよく理解できていないらしい。
「取り込み中であるようですが、本当に僕が出てきても良かったのですか?」
「ええ、構いませんよ。ほら、彼女も驚きながらも落ち着いてくれているではありませんか」
「それは……そうなのでしょうか?」
ドルギア殿下は、ヘレーナ嬢の顔を見た。
彼にはわからないかもしれないが、彼女の表情は確実に和らいでいる。
想い人が現れたのだから、それも当然であるだろう。ドルギア殿下に危害を加えようとする意志も読み取れないし、私の作戦はきちんと機能しているようだ。
「ドルギア殿下……あなたは、あのイルティナとかいう令嬢に騙されているのです」
「……イルティナ嬢が、僕を騙している? 何を言っているんですか?」
「あの女狐は、ドルギア殿下の地位にしか興味がありません。あなたのことを見ていないのです。でも、私はあれとは違います。あなたの人柄、全てを愛しているのです」
「イルティナ嬢のことを、悪く言わないでいただきたい」
ヘレーナ嬢は、お姉様のことを批判しながら愛の告白をした。
それに対して、ドルギア殿下は不快そうな顔をする。当然、私も不快感を覚えている。彼女は、何様のつもりでお姉様を批判しているのだろうか。
とはいえ、ここで怒って彼女に何かしようとは思わない。そんなことをする必要は、最早ないからだ。
「ドルギア殿下、私はあなたのことを本当に愛しています。だからこそ、邪魔者であるイルティナ嬢を消して、あなたと一緒に……」
「先程から何を言っているのか、理解することができません。大体、あなたは一体誰なのですか?」
「……は?」
ドルギア殿下の口から零れた言葉に、ヘレーナ嬢は固まった。
呆気に取られている彼女に対して、ドルギア殿下は目を細めている。恐らく、ヘレーナ嬢のことを観察しているのだろう。彼にとって彼女は、既にそういう存在だ。
「ドルギア殿下……私は、ヘレーナです」
「……なんですって?」
「バラート侯爵家のヘレーナです。どうされたのですか、ドルギア殿下」
「すみません。僕にはなんのことだか……」
ヘレーナ嬢の言葉に、ドルギア殿下は頭を抱えていた。
彼の方も、名乗られていることは理解しているのだろう。だが、その名前が定着しないことに違和感を覚えているのだ。
しかし、いくら考えた所で意味はない。ドルギア殿下は、ヘレーナ嬢の顔も名前も覚えられない。私の魔法が、それを阻害しているのだ。
「ドルギア殿下、どうかご冗談はやめてください。私……このヘレーナのことを、お忘れになったっとでもいうのですか?」
「その……すみません。あなたのことが、僕にはわからない。なんだ、この奇妙な感覚は……」
「そ、そんな馬鹿な。どうして、私のことが……私の名前を呼んでください。ヘレーナ嬢と呼びかけてください」
「何を言っているのか、わかりません。すみません。僕には、あなたを呼ぶ言葉が見つからない」
ヘレーナ嬢の懇願に対して、ドルギア殿下はゆっくりと首を振った。
優しい彼のことだ。お姉様のことをあれ程までに批判した相手の懇願だって、いつもなら聞いたかもしれない。
しかし今の彼には、どれだけ努力したってそれはできない。この私が魔法をかけたのだから、そんなことができる訳がないのである。
「エ、エルメラ嬢……あなた、ドルギア殿下に一体何をしたのですか!」
「曲がりなりにも魔法使いであるなら、知恵を働かせて欲しいものですね。ですが今は気分がいいので、特別に教えてあげます。ドルギア殿下には、魔法をかけたのです。ある人物に関する記憶を消して、その人物のことを永遠に認識できなくなる魔法を」
「な、そんな魔法は……」
「私が作りました」
本来私は、ヘレーナ嬢にこの魔法を使おうと思っていた。
お姉様やドルギア殿下に関する記憶を彼女から消せば、とりあえず安全は確保できる。そう思っていたからだ。
無論それでも良かった訳ではあるが、多くの罪を犯した彼女には罰を受けてもらわなければならない。だから、彼女が最も絶望しそうなことを考えて、実行したのである。
「あなたがいくら思っても、ドルギア殿下はあなたのことを覚えられません。哀れですね」
「ふ、ふざけないで。このっ……」
「この魔法を解く方法が、ないという訳ではありません。開発した私は、当然解く方法を知っています。私を殺してしまったら、解けなくなるかもしれません」
「そ、それは……」
ヘレーナ嬢は、私に対して魔法を使おうとするのをやめた。
先程まで威勢の良かった彼女が、このようにしおらしくしているのは、なんだか笑えてくる。
それで腹の虫は、少しは収まった。故にここは、慈悲の心を持って、彼女に接してあげるとしよう。
「ヘレーナ嬢、ここは一つチャレンジしてみませんか?」
「チャ、チャレンジ?」
「ええ、類稀なる才能を有するあなたならば、私の魔法を解ける可能性があるかもしれません。ドルギア殿下には、少し眠ってもらって……さあ、あなたの愛の力で記憶を目覚めさせる挑戦をしましょう」
私は、ドルギア殿下にそっと手をかざして彼を眠らせる。
するとヘレーナ嬢は、力なくこちらに近づいて来た。可能性に賭ける気になったのだろう。魔法使いとしてのプライドもあるかもしれない。
ヘレーナ嬢は、ゆっくりとドルギア殿下に手をかざす。私がかけた魔法を解くために。
「こ、これは……」
ヘレーナ嬢は、ドルギア殿下に手をかざしたまま固まっていた。
彼女は、優れた魔法使いである。だからこそわかったのだろう。私のかけた魔法が、複雑であるということが。
「魔法というものは、時折絡まった糸のようだと言われることがあります。解こうと思ったら、逆に結びを固くしてしまうかもしれない。魔法を解くというのは、繊細さと大胆さが求められるもの。まあ、こんなことはヘレーナ嬢なら言わずともわかっていますか」
「こ、こんなもの、どうやって……」
「ヒントを出してあげましょうか? 最初に触れるのがどの糸であるか……ああ、これですね」
私はドルギア殿下に手をかざして、魔法を少しだけ解いた。
それを理解したヘレーナ嬢は、なんとも言えない表情を向けてきた。怒り、絶望、感謝、それらが入り混じった感情が伝わってくる。
そして彼女は、再びドルギア殿下と向き合った。手がかりを得たことによって、再び挑戦する気になったということだろう。
「……あ、ああ」
「ヘレーナ嬢、どうかされましたか?」
「む、無理よ。こんなの……どうやったって」
「二つ目はここですね。さあ、ここまでヒントを出すなんて、大サービスですよ? ここからはヘレーナ嬢の力で頑張りましょう。諦めなければ、道は開けます」
「そんな領域の話では……」
ヘレーナ嬢は、悲痛な言葉を発していた。
自分では、その魔法を解くことはできない。それを何よりも深く感じ取っているのだろう。
「あ、あははっ……」
ヘレーナ嬢はその場でゆっくりと崩れ落ちて、力なく項垂れた。
彼女は、魔法を解くのを諦めたのだ。それが不可能であることを、優れた魔法使いであるからこそ、すぐに理解したのだろう。
私はこの魔法を自発的に解くことはない。つまりヘレーナ嬢は、自らが狂信的な愛を向ける人から、永遠に覚えられないことを悟った。だからもう、笑うことくらいしかできないのだろう。
「もう、終わりね……」
「……まさか」
次の瞬間、ヘレーナ嬢は自らの頭に手をかざした。
それからすぐに魔法が行使された。それが何の魔法であるか、それはヘレーナ嬢の状態を見れば明らかだ。
「……」
「自らの記憶を消しましたか。ドルギア殿下に覚えられない世界に絶望して……」
「あ、う?」
「既に赤子同然といった所ですか。今度はまともに育ってくれると良いのですが……さて、どうしましょうかね。まずは騎士団に連絡するべきでしょうか」
ヘレーナ嬢がこんな状態になった以上、もうお姉様に危害を加えることはないだろう。
それなら、私としてこの結末に異論はない。騎士団は文句を言うかもしれないが、それに関してはどうでもいいことだ。
問題は、お姉様がこのことで傷つくかもしれないということである。その辺りに関して、何か良い言葉などを今から考えておかなければならない。
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