眩しい。
瞼を閉じていても分かる、光が満ちていると。
眩しさに耐えながら、俺はそっと眼を開けた。やはり、周りは明るい。だが、それだけだ。真っ白な空間に、立っている。立っている、という感覚はあるが、床らしきものはない。そして、壁も、天井も。ここを部屋と位置付ける物が、何も存在していなかった。ただ、俺がいる、それだけだ。
なんだ、ここは。
俺は、誰だ?
お前は、誰だ?
声、ではない。ただ、意識の中に、直接入ってくるような、声のような、文字のような、映像のような、不思議な感覚。しかし、俺に問いかけられているのは、わかった。
「俺は…。」
自分の手を見る。シルバーのブレスレットと、黒い指輪が見えた。服装は、白い襟付きシャツと、淡いピンクのジャケットとパンツを履いているらしい。
「俺は…若井、滉斗。」
その名前を呟くと、とてもしっくりきた。そうだ、俺は、若井滉斗だ。
若井は今、何をしている?
何…? 俺は、何をしてるんだろう。
急に、肩に重みを感じて、また自身の体を見下ろした。いつの間にか、ギターを抱えていた。ギター…ああ、ギターだ。
「俺は、Mrs. GREEN APPLEのギター、若井滉斗、です。」
何も視線を向ける物がないので、取り敢えず真っ直ぐに前を向いて答える。
護衛隊長でも、写真家でも、調理師専門学校に通う学生でもなく、Mrs. GREEN APPLEのギター、若井滉斗だな?
なに…? なにを言ってるんだ?
「そう、だけど…え、なに?」
お前は、いつの若井滉斗だ?
いつ…?
俺は、もう一度自分の服装を確認する。そういえば、コレは…衣装だ。この淡いピンクのスーツは…。
「あ…そうだ、Utopiaだ。」
お前の相手は、誰だ?
相手…? 相手って…恋人のこと?
ふと、頭の中に、彼の笑顔が浮かんだ。
「…え…涼ちゃん…?」
涼ちゃんが、お前の相手か?
今頭に浮かんだ顔は、確かに、涼ちゃん…だ。だけど、なにか、違う。涼ちゃんだけど、涼ちゃんじゃない、みたいな。
「…涼ちゃん…じゃなくて…。」
リョーカ
その名前が頭に響いた瞬間、全ての記憶が流れ込んできた。
涼ちゃんの中のもう一つの人格である、リョーカと出逢い、恋に落ちたこと。
期限付きの恋人のリョーカと、限られた時間の中で精一杯に愛し合ったこと。
そして。
リョーカが、消えたこと。
思い出したことによって甘い痛みが蘇り、胸元に手をやると、シャツの中に硬い物があるのに気付いた。首元から手を入れて、それを取り出すと、ネックレスのチェーンに繋がれた、リョーカの指輪だった。俺は、それを、ギュッと握った。
忘れていないのか?
忘れてない。忘れられない。忘れられる訳がない。
愛しているのか?
愛してるよ。当たり前だろ。リョーカが消えてから今まで、ずっと、ずっとずっと愛してる。もう二度と逢えないのに、想いは余計に募るばかりだ。
また逢えるとしたら?
「…は?」
つい、声に出してしまった。逢える…って、リョーカに? まさか。だって、どうやって?
オレが、カミサマだとしたら?
「オレ…?」
そう繰り返した途端、目の前に人が現れた。俺より少し背の低い、神話に出てきそうな真っ白な衣装に身を包んだ白い長髪と白く長い髭を蓄えた、老人…のように見える。しかし、眼鏡の奥の眼は、なんだか知っているような気がした。
「…え、誰?」
「だから、カミサマだって。」
その声は、もはや聴き覚えしかなかった。
「…元貴?」
「違うって、カミサマ。」
「いや元貴じゃん。なにこれ特殊メイク? すご。」
「ちょ、触んな。触んな!」
俺が元貴の顔を触ろうとすると、手で避けながら身を逸らして顔を顰めた。
「お前さ、普通カミサマの顔面触ろうとするか? カミの鉄槌落とすぞ? マジで。」
「いや絶対元貴やん。なにこれ? ドッキリ?」
「ちゃう。生誕祭。 」
「誰の?」
「お前の。」
俺? 確かに、もうすぐ誕生日…いや、明日か。もう明日が誕生日だ。
「お前の願いを、ひとつだけ叶えてやれるとしたら、どうする? 」
「え?」
「どうする?」
俺は、胸に手を当てて、出しっぱなしになっていたネックレスの先に付いた指輪を触った。
「…ホントに、叶うの? 」
「うん。」
「…じゃあ…。」
俺の周りに、写真が幾つもひらひらと舞い落ちる。俺が印刷して箱にしまっている、リョーカの写真だ。そっとその一枚を手に取って、見つめた。俺の願いなんて、これに決まってる。
「…リョーカを、俺の元にかえしてくれ。」
「…涼ちゃんの、中に?」
「違う。リョーカを、一人の人間として、かえして欲しい。」
元貴…じゃない、カミサマが、腕組みをして、うーん、と唸る。
「人間増やすのって、結構面倒なのよね。」
「できねーのかよ。」
「いや出来るけど…大変なのよ?」
「頼むよ元貴!」
「カミサマだっつってんだろ、次言ったらはっ倒すぞ。」
んー、と何か考えながら、カミサマが服の中から本を取り出した。ペラペラとめくり、ふんふん、と頷く。
「あー、なんか、いけそ。」
「マジ?!」
「細かい設定とかは、こっちでリョーカと詰めとくわ。てか、リョーカが嫌がったらこの話消えるから。」
「…リョーカが嫌がる訳…。」
「あ、ちょっと不安になった。不安になったでしょ、今。」
「うるせー!」
ピピピピ…と空間全体に、アラームの音が鳴り響く。
「あ、終わりだ。じゃ、誕生日おめでと。」
「え? は? ちょ、リョーカは?!」
「まあまあまあ、上手くやっとくから。」
「頼むぞ! 絶対だからな!」
「うるせーって! 早く起きろ!!」
ピピピピ…
もぞ、とスマホを置いている辺りに手を伸ばして、音の元を止める。そのまま時間を確認すると、朝の6時。あれ、こんな時間にアラームセットしたっけ…? そんな事を考えながら、どーせ今日は一日休みだし、と、もう一度意識を心地よい睡眠へ戻そうとする。
ピンポーン
今度は、インターホンが鳴った。ぼんやりとした頭で、その音をただ聴く。
ピンポーン
…あれ? この音、おかしくね? エントランスなら、ピロリロリロリロ、だった気がする。ピンポーンてことは…。
ピンポーン
流石に身体を起こして、モニターの所へ行くと、やはり、そこには玄関前が映し出されていた。見覚えのある人影。でも、なんで?
玄関へ行き、鍵を解いてドアを開ける。
「涼ちゃん?」
もう一度、インターホンを押そうとしていた手を止め、その人は俺をゆっくりと見つめた。
俺と同じくらいの背丈で、顔は、涼ちゃん…に似ているんだけど、ちょっと違う。薄く小さな唇や、スッと高い鼻は一緒で、でも、眼が、違う。同じく目尻は垂れて可愛らしいのだが、まつ毛が凄く長くて、多い、気がする。そして、髪の毛も、前髪が作られているし、顔周りの髪は綺麗に横に流されて、かなり長めのポニーテールに纏められている。そして、髪色が、ベージュに近い金髪だ。瞳の色も、薄い茶色で、全体的に色素が薄い。
極め付けは、その胸元。あまり視線を遣るのは好ましく無いとは分かっていても、そこにある二つの膨らみが、決定的に、涼ちゃんとは違う。そして、身体全体も、涼ちゃんのようにがっしりした感じはなく、撫で肩だがその線はかなり細い。黒いデザインTシャツの上に、袖口が膨らんだデザインの黒い長袖の上着を着て、レザー調の黒い短パンからスラリと伸びる脚には、黒のロングブーツを履いている。
どこからどう見ても、明らかな女性が、家の前に立っていた。
「…あれ…?」
俺が、まだ寝起きの回りきっていない頭で考えようとしたが、口から出たのは情け無い声だけだった。
涼ちゃん、じゃない。じゃあ、この人は一体…。
その人の眼に、涙が溜まる。綺麗だな、なんてぼんやり考えていると、彼女が口を開いた。
「……滉斗……。」
涼ちゃんの声質に似ているが、若干高いその音で、俺の名が呼ばれた。
その声は、その言葉は、驚く程真っ直ぐに俺の中に入ってきて、俺の心の奥底からこの名前を優しく掬い出してきた。
「………リョーカ………?」
彼女が、ゆっくりと頷く。俺は、自分で言っておきながら、混乱していた。え? リョーカ? なの? え、でも、は? どーいうこと?
「大森くん…じゃなくて、カミサマがね、俺に、チャンスをくれたんだ。」
リョーカが、涙を零しながら、話し始めた。
「滉斗が、お前を望んでるって。だから、向こうに戻れるけど、どうする?って。」
その言葉で、俺はさっきまで見ていた夢を思い出した。そうだ、俺は願ったんだ。リョーカが、俺の元にかえってきますように、って。リョーカが、頬を流れる涙を、手の平で拭っている。
「もちろん、すぐに戻りたいって言ったよ。そしたら、涼ちゃんの身体では戻れないって言われて。面倒くさいんだって、カミサマが。まあ、そうだよね、涼ちゃんが二人になっちゃったら、こっちの世界がめちゃくちゃになっちゃうもんね。」
ふふ、と笑って、眼を伏せる。涼ちゃんとは少し違う、その大人っぽい仕草に、俺は懐かしさで胸がいっぱいになった。
「だからね、どうせ身体が変わるなら、女性にしてくださいって、お願いしてみたんだ。もっと好きにカスタマイズしていーよ、ってカミサマが言うからさ、俺ちょっと可笑しくって。」
リョーカが、少し両手を広げて、俺にその身体を見せる。
「涼ちゃんの雰囲気を残しつつ、滉斗の好きそうな感じにしてみたんだけど、…どうかな…?」
少し不安そうに俺を見つめるリョーカを、ギュッと抱きしめた。リョーカは、ホッと息を吐いて、背中に腕を回す。
「リョーカ…。」
「うん。」
「リョーカぁ…!」
「ふふ、うん。」
「おかえり、おかえり…!」
「うん…ただいま…。」
俺は涙をぼろぼろ流しながら、リョーカに縋りつく。リョーカも、涙に声を振るわせながら、ずっと俺の背中を優しくポンポンとしてくれた。
「ごめん、俺、あんな事言ったけど、全っ然ダメだった。リョーカの事、全然忘れらんなくて。」
「…ん…。」
「よかった…忘れらんなくて、よかった…。」
「…滉斗。」
名前を呼ばれて、俺は身体を離す。リョーカの頬に片手を添えて、キスをし
「滉斗、とりあえず、中入れてよ。」
口を手で押さえられて、リョーカが、ぴしゃりと言う。
「…思いっきり、外だから、ここ。」
俺は、玄関ドアを開けたまま、そこでずっとリョーカを抱きしめていた事に気付いた。不満気な顔でリョーカを見ると、ふふ、と笑って、ほら早く、と俺を促す。俺の身体をそっと押すその手を絡め取って、俺は玄関へと招き入れた。
玄関ドアが閉まった瞬間、俺は振り向きざまにリョーカにキスを
「んしょ、これ脱ぎにくいな。」
そう言いながら、身を屈めてブーツを脱ごうと格闘しているリョーカの上で、俺はキスの空振りをしていた。いやいや、コントかよ。
「…リョーカ、わざとでしょ。」
「…え? バレた?」
片方のブーツを脱いだリョーカが、俺を見上げてニヤリと笑った。うわ、めっちゃ可愛い。
「なんで?! そんな意地悪だった? リョーカって!」
「ははは、だって、恥ずかしいじゃん、なんかさ。」
そう言いながら、もう片方のブーツをようやく脱いで、さっさと部屋の中へ入って行く。
「へえ、こんな部屋になったんだ。」
リビングのドアを開けて、リョーカが部屋を見回す。涼ちゃんとの共同生活を終わりにして引っ越した、一人暮らしのマンション。リョーカが来るのは、初めてだ。
「ふぅん、割と綺麗にしてるね。やっぱり、あの部屋散らかしてたのは涼ちゃんだったんだ。」
ふふ、と笑って振り向いたリョーカを、今度こそしっかりと抱きしめて、逃がさない。
じっとリョーカを見つめて、首の後ろに手を添えてキスを
「待って。」
また、口に手を当てられて、阻まれてしまった。
「なんで?! 」
「滉斗、寝起きだろ。俺、ヤなんだよね、寝起きのキスって。歯磨いてきてよ。」
俺は、「もー!」と言いながら、洗面所に駆け込む。くすくすと笑い声が聞こえて、「お茶もらうねー。」とキッチンから声がした。歯を磨きながら、キッチンを覗き込むと、リョーカがコップを二つ用意して、麦茶を注いでいる。その光景を見ただけで、俺は何故だか胸が締め付けられて、涙が込み上げた。俺の方を見て、ふ、と目を細めたリョーカに、「まっへへ。」と伝えて、急いでうがいをしに行く。
リビングに行くと、リョーカはソファーに座って、お茶を飲んでいた。ひと口、ふた口とお茶を飲むのを確認した後、俺はソファーに片膝をついてそのコップを取り上げ、ローテーブルに置いた。そのままお尻をソファーに降ろし、リョーカの肩に手を置く。
「歯、磨いてきたけど。」
「…うん。」
「もう、キスしていいよね?」
ふふ、とリョーカが伏し目がちに笑うと、目を細めて俺を見た。
「そういうのは、あんまり確認しないの。」
ああ、リョーカだなぁ。俺の大好きな、リョーカだ。俺は、リョーカにキスをすると、もう止まらなかった。ソファーにそのまま押し倒して、何度も何度もキスを交わす。舌を絡めて、久しぶりのリョーカの味を確かめた。服の裾に手を入れて、その腰を触る。涼ちゃんの身体の時より、細く、そして柔らかい感触に、俺はますます心躍った。単に女性の身体を抱けるからじゃない。リョーカが俺を想って、この身体になってくれたという、その気持ちが堪らないんだ。そのまま服を首元までたくし上げると、リョーカの胸元が露わになった。ブラックコーデとは真反対の、真っ白な下着。レースが繊細で、決して大きくはないが、確かな膨らみをしっかりと包み込んでいる。
「……おっぱいだ。」
「ばか…!」
リョーカが俺の腕をベシッと叩く。俺は、 にへら、と笑って、両手でそこを包み、顔をリョーカに近付ける。
「これ、リョーカが自分でカスタマイズしたの?」
「…うん…。カミサマには、『もっとデカくしといたら? Iカップとか』って言われたけど、デカすぎても俺が邪魔だし、と思って。」
「なんでー! 勿体無い!」
「は…? なに、巨乳好き?」
「いやいやいやいや、リョーカ好き。」
俺は慌ててそう告げると、背中に手を入れて、ホックを外した。ふわ、と緩んだその隙間に手を差し入れて、柔らかな膨らみを手で包む。手の中にしっかりと収まる、丁度いい、本当に、丁度いい大きさ、うん。
「………ちっさいとか」
「思ってない思ってない!!」
「しょーがないだろ! 細身なのにボインとか、そんな都合のいいカスタマイズ出来なかったんだから!」
「だからなんも言ってないじゃん!」
顔を赤くしてなんだか怒っているリョーカを黙らせる為に、キスを交わした。そして、下着もガバッと上げて、優しく手でその柔らかな感触を確かめながら、片方の蕾に口を付ける。
「ぅ…!」
リョーカが、手の甲を口に押し当てて、声を押し殺す。この身体に、きっとまだ慣れていないのだろう。その初心な反応を愉しみながら、俺はリョーカのズボンに手を掛けた。スルスルと脱がせると、上とお揃いの、白い下着が見える。両手の指をそこに掛けると、リョーカが手を掴んで止めてきた。
「ち、ちょっと、待って…。」
「…待てないけど。」
「待って…!」
リョーカが、頬を上気させて、眼を潤ませる。頭を小さく振って、明るすぎる、と零した。
「えー…見たいんですけど…。」
「ぜっっったいダメ!!」
「…なんで?」
「な…んで…って…。」
俺は、パジャマをガバッと脱いで、身体を見せる。
「ほら、俺も見せるから、リョーカも見せて。」
眼を見開いたリョーカが、みるみる内に涙を溜めて、ぽろぽろと垂れた目尻からそれを零した。なんだ? と思っていると、震える指先が、俺の首元に伸びる。かつ、と指輪に手を触れた。
「………滉斗…これ………。」
「あぁ、リョーカの指輪、ずっと付けたままだった。」
手を首の後ろに回して、チェーンを外して指輪を手の中に落とすと、チェーンだけをローテーブルに投げる。リョーカの左手を持って、指輪をその薬指にそっと嵌めた。涼ちゃんの身体の時より僅かに細い指には、少しだけ指輪が余裕を持っている。あるべき場所に戻った指輪が、嬉しそうに輝いて見えた。
「もう…滉斗…!」
リョーカが起き上がって、首に抱きついてきた。俺はギュッと背中へ腕を廻すと、そのままお姫様抱っこに移行して優しく抱き上げ、寝室へと運んでいく。背丈はあるが、細身になったその身体は、驚くほどに軽々しく持つ事ができた。
遮光カーテンが引かれたその部屋は、恐らくリョーカの羞恥心を隠してくれるくらいには、暗かった。ベッドにそっと降ろして、俺は下の服も脱ぎ去った。リョーカの上の服も同じように取り去り、再び下着に指をかける。リョーカは、恥ずかしそうに顔を隠してはいるが、もう俺の手を阻止することはしなかった。
リョーカを愛おしみながら愛撫を続け、そっと下を触ると、その、物凄く、潤いがあった。これは、嬉しい。すーげー嬉しい。だって、リョーカも気持ち良いと感じてくれてるって事、だよな? だけど、そこに言及すると、またきっとリョーカが怒っちゃうので、俺は至って静かに、その興奮を自分の中だけに留めた。指でそこを解すと、俺は避妊具を自身に付けて、ふと、その手を止めた。ある疑問が、頭に浮かぶ。
このリョーカの身体って、もしかして、「初めて」…?
どうしよう、そんなところ、訊いちゃっていいのかな、ダメかな。デリカシー無い男だと思われるだろうか。でも、初めてかそうじゃないかって、今からの挿入には若干必要な情報だし…だよな? そうだよな?
俺は無理矢理自分で理由を納得させて、覆い被さるようにリョーカをぎゅっと抱きしめて、おずおずと耳元で訊ねてみた。
「あの…さ、リョーカって…これ、…その…初めて…に、なるの…?」
リョーカが、そっと背中に腕を廻す。すん、と鼻を啜る音が聞こえた。え、泣いてる…? 身体を少し離してその顔を見ようと身体に力を入れると、ぎゅっと力を腕に込められて、リョーカはそれを拒んでいるようだった。
「…リョーカ…?」
「………ごめん。」
「え…なにが?」
「………初めてじゃ、無い………。」
その言葉は、なかなかにショックなものではあったが、その後に続く話の方が、もっと衝撃的だった。
「俺、カミサマと、どんな身体を持って、どんな過去を持った人間としてこっちに来るか、って話し合った時にね…。『何も無かった過去で、何も無かった身体で行けるよ』って、言われたんだ。」
俺は、涼ちゃんの中でリョーカが過去に経験した、リョーカという人格が生まれるきっかけにもなったあの事を思い出した。
「…だ、だけど…俺、どうしても、そう、出来なくて…。だって、俺だけが、何も無かった事にしちゃったら、じゃあ、涼ちゃんは? って…。涼ちゃんだけに、あの過去を押し付けて、俺だけ何も無かった人生になんて、出来ない。絶対にしちゃダメだって、そう思って…だから、だから…。」
リョーカの腕の力が、ふっと抜けた。俺は、身体を離して、リョーカを見下ろす。
「…俺、の過去も、涼ちゃんと同じ事、起きてる…。だから、…ごめん、初めてじゃ無いし、…汚れてる…。」
その言葉を聞いて、俺はカッと頭に血が上った。
「リョーカ、汚れてるなんて、言うな。」
両手でリョーカの顔を包み、真っ直ぐにその瞳を見つめる。
「…俺、その話聞いて、ごめん、なんか、嬉しかったっていうか、安心したっていうか…ごめん、ホント、言葉絶対違うと思うんだけど。」
俺も涙ぐみながら、一生懸命にリョーカに伝える。
「リョーカが、ちゃんとリョーカじゃん、って。涼ちゃんの事を、涼ちゃんの幸せを一番に考えて行動してた、やっぱり、あのリョーカなんだ、ってさ、嬉しく…なった…。」
最後の方は、泣いちゃって、リョーカの肩に顔を埋めた。二人して鼻をずびずび鳴らしながら、しっかりと抱きしめ合う。
「…一応、ちゃんと、その、あの後検査とかもして、病気とかは何も無かったって…カミサマがそういう過去を描いてくれた…から…。そこは、安心、して、くだ…さい…。」
「うん、うん…良かった…よしよし、頑張ったね、リョーカ…。」
頭を優しく撫でて、リョーカにティッシュを渡し、俺も涙を拭いて鼻を噛む。二人で、へへ、と笑い合いながら、また抱きしめ合って、何度もキスを交わす。
無事に元気を取り戻した俺の熱を、リョーカに当てがう。
「…大丈夫? 怖くない?」
「…滉斗なら、怖いわけないよ。」
ふふ、と笑う。
「…知ってるでしょ?」
その笑顔と、その言葉に、俺の理性はどこか遠くへ吹っ飛ばされていった。それでもリョーカを傷付けないように、気を付けて、頑張って、優しく抱いた。リョーカも、恥ずかしがりながらも、途中からは、あの頃の積極性を取り戻して、今度は俺が必死に耐えないとヤバいくらいに、妖艶な姿を見せてくれた。一回じゃとてもじゃないけど冷静さを取り戻せず、この会えなかった時間、リョーカを想って涙していた時間、そしてその時の苦しさ、寂しさ、恋しさ、それらを全て拾い上げて、無駄じゃ無かった、想い続けてて良かったんだと慰め昇華させながら、俺達は体力の続く限り、何度も身体を重ねた。
素肌のままで抱きしめ合いながら、布団の中でこの幸せと奇跡を、噛み締める。
「…奇跡だ…。」
俺が呟くと、リョーカが頷いた。
「だけど、もう、期限付きじゃないよ。」
リョーカが俺を見上げて、優しく微笑む。俺は、その唇にそっと唇を重ねた。キスを深くしていくと、リョーカにまた口を手で押さえられて、「流石にもうダメ。」と釘を刺されてしまった。ちぇ。まぁ、俺も流石にもう、うん、役立たずになってますけど。
スマホで時間を確認すると、まだ朝の9時前。んー、と伸びをして、起き上がる。
「リョーカ、朝ごはんでも食べようか。」
「うん。…あ、あそこ行きたい、ダメ?」
俺は、あ、と言って、二人同時に声を出した。
「「ガレット。」」
あの日の朝、モーニングを食べにいったお店に行って、また半個室の席に通してもらう。お店の人は俺たちを覚えていなかったし、俺たちも微妙に説明しづらいこの状況を敢えて伝える事もないか、と顔を見合わせて、大人しく席に着いた。
俺も、リョーカに合わせて黒を基調とした服装に着替えたので、側から見れば、まあ立派なバカップルに見えるだろう。俺は、目の前の、メニュー表に釘付けになっているリョーカを見つめて、ニヤニヤと緩む頬をどうする事も出来なかった。
リョーカが、眉を下げてメニュー表から顔を離した。
「あー…やっぱないや、ガレット…。」
「え? あ、そっか、あの時は無理言って朝に作ってもらったんだった。」
「そっか、そうだったね、ごめん。普通のモーニングにする?」
「そうだね、どんなんがある?」
一緒にメニュー表を覗き込んで、モーニングのセットと飲み物を選ぶ。
「ま、ガレットは、またランチにでも食べに来よう。ね。」
リョーカが俺に笑いかける。「また」の言葉に、鼻の奥がツンとした。ヤバ、俺。これからもずっと会える、なんて、こんな当たり前の事なのに、すげー幸せだし、すげー奇跡に感じる。
二人で、運ばれてきたモーニングに舌鼓を打ちながら、リョーカの事について、話をした。
「リョーカは、名前はどうなってるの?」
「えっと、藤澤は使えないから、勝手に、藤澤と若井と大森を組み合わせて、藤井森、にしちゃった。」
「はは! 藤井森か、いいねえ。え、名前は?」
「名前は、大丈夫って言われたから、そのままリョーカ。だけど、一応漢字をつけたらってカミサマに言われたから、『涼しい』に『香り』で、『涼香』にした。」
「へえー、良いじゃん、可愛い。」
「ありがと。」
「じゃあ俺は、このまま、リョーカって呼んでいいのね。」
「そうだね、俺もそっちの方が嬉しいし。」
リョーカがたまごサンドを口に入れて、「ん〜。」と眼を閉じて味わう。俺も、バタートーストを口に入れて、ゆで卵を齧る。
「ん、そうだ。リョーカって、何歳?」
「んん、涼ちゃんと同じ。だから…29? かな?」
「んー、そこは同じか。え、仕事とかの設定は?」
「設定言うな。まあ、そうなんだけど。えっとね、両親は分からなくて、多分外国の血が入ってるっぽい、だったかな。で、赤ちゃんポストに入れられた、って事になってて、今はもう閉鎖された養護施設で育った後、ネイリストを目指して独学で資格を取って、自宅でネイルサロンを開くって事になってた気がする。」
確か、と言いながら、コーヒーを口に運ぶ。俺は、ふんふん、と話を聞きながら、首を傾げる。
「え、自宅ってどこ?」
「え、…わかんない。」
「え?!」
「カミサマと話し合って色々決めた後、眼を閉じろってなって、じゃあ行ってらっしゃい、って言われて。眼を開けたら、滉斗の玄関の前だったの。」
「え、雑ぅ…。」
「一応、戸籍とか、そういうのはちゃんとやってくれたらしいし、記憶の中に昔の事は全部入ってるから、まあ大丈夫なんじゃない? 荷物とか後で届けるって言ってたし。」
「誰が?」
「カミサマ。」
「え、そんな宅配便みたいな事もすんの? カミサマって。」
「ね、ふふふ。」
二人で笑い合って、モーニングを楽しんだ。
手を繋いで、タクシーで次なる場所に向かう。お店に着くと、あの時対応してくれた店長さんが、俺の顔を見て驚いてくれた。
「あ、あの時の…、当日どうしても受け取りたいって…。」
「そうですそうです! すごい、覚えててくれたんですね。」
俺達は、お揃いの指輪を買った、個人工房のお店に来ていた。リョーカの指が細くなったので、サイズを合わせてもらう為だ。
「もちろん、すごい気迫でしたもんね。忘れられませんよ、はは。…こちらが?」
店長さんが、俺の隣にいるリョーカに手を向けて、俺に尋ねる。
「そうです、どうしてもあの次の日に、指輪を贈りたかった、人です。」
「初めまして、その節は、大変お世話になりました。」
リョーカが、手を前に揃えて、深くお辞儀をした。俺も、それに倣って頭を下げる。
「いえいえ、お力になれていたようで、安心しました。あ、それで、本日はどのような…?」
「あ…彼女の指が、その…指輪に合わなくなってしまって…。この指に合わせてサイズ調整をお願いしたいんですけど。」
「もちろんです、では、こちらへどうぞ。」
「よろしくお願いします。」
リョーカが、会釈して挨拶しながら、工房の奥へと案内されて行った。俺は、商品を色々と眺めて、また何か、リョーカにプレゼントしようかな、と考えながら、出来上がりを待っていた。
「お待たせ、滉斗。ほら。」
奥から出てきたリョーカが、手を掲げて俺に見せてきた。その指には、ピッタリと指輪が収まっている。俺は、顔を綻ばせて、リョーカを近くに呼んだ。
「ね、リョーカ、これなんか、どう?」
リョーカの指輪についているのと同じ、青い石のネックレスを指差す。
「滉斗、これが欲しいの?」
「え、違う違う、リョーカに。」
「え、いや、なんで俺。今日は滉斗の誕生日でしょ。」
「………あ。」
思いがけないリョーカの登場に、俺はすっかり今日が誕生日だという事を忘れていた。慌ててスマホを確認すると、元貴と涼ちゃんから、連絡が入っている。ヤバい、今日一緒に過ごすって言ってたの、それすらもすっかり忘れてた。
「どうしたの?」
「…元貴と涼ちゃんから、連絡来てた…。」
「…忘れてたの? 大丈夫?」
「…とりあえず、一回帰ろっか。」
「そーだね、その方がいいかも。」
二人で、よくよく店長さんにお礼を言って、帰宅の途についた。家に着いて玄関を開けると、いくつかの段ボールが、上がり框の隅に積まれていた。もしかして、これが。
「カミサマからの、荷物?」
「俺のが入ってんのかな、ちょっと開けてみていい?」
「そーだな、俺運ぶから、ドア開けてくれる?」
「ん。」
リョーカが、廊下を歩いてリビングのドアを開けた。俺は、意外と重量のある段ボールを、一つずつ中へと運び入れた。
「ちょっと、中身確認しといて、俺、元貴達に連絡するわ。」
「ん、わかった。」
俺は、スマホを手に取り、元貴達にメッセージを送る。リョーカの事は伏せて、夕方からうちに来て欲しい旨を綴った。すぐに二人から返信があって、多分一緒にいるな、と顔が綻んだ。前は、こういう時に少し羨ましさに心が痛んだりもしたけど、今は、全く平気だ。俺は、そのままの笑顔で、リョーカに視線を遣った。段ボールを開けて、服やら、靴やら、生活必需品なんかを次々と取り出している。
「あ、通帳だ…。」
そう呟いて、リョーカが中身を確認する。「見て。」と言うので、俺も隣にしゃがみ込んで、中を見させてもらった。そこには、『ネイルサロン オドゥール』と書かれていて、9年前から毎月、3万円ずつ貯金されている。その総額は300万程になっていた。
「…多分、18で施設を出て、独学で2年くらいで資格取って、20歳くらいから9年間毎月3万円ずつ貯めた…って事だろうね。」
「…なんか、無駄にリアルだな。」
「ホントだね、でも助かった、俺財産あるんだ、一応。」
リョーカが、ほっと胸を撫で下ろす。俺は、そんなリョーカを見つめて、呟いた。
「…別に、無くても俺が養うのに。」
「え?」
「だって、俺達、夫婦でしょ?」
そっと、指輪を嵌めているリョーカの左手に、手を添える。リョーカが、少し俯いた。
「ん…すごく嬉しいんだけど…ごめん、まだ、結婚とかは…。」
「えっ!!??」
まさか、そんな風に拒絶されるとは思ってなくて、俺はデカい声で驚いてしまった。
「あ違う違う! 嫌とかそんなんじゃ無くて!!」
「な、なんだ、びっくりした…。」
「滉斗、今、バンドの大事な時期でしょ? だから、結婚とか、そんな事で騒がせて、俺、邪魔にはなりたくないんだよ。」
「邪魔なんて」
「そう言うと思うけど、そこは譲れないから。でも、ずっと一緒にいるし、周りにバレちゃうような届出はまだ出したくないってだけ。そこは、絶対譲らないよ、俺。」
真っ直ぐに見つめられて、俺は、渋々了承した。リョーカは微笑んで、「ありがと、大好き。」と言った。
一つの段ボールからは、ネイルの道具らしき物が沢山出てきた。リョーカは、ふんふん、とそれらを見つめて、整理している。やっぱ、記憶はちゃんとしてんだ、俺には何が何だかさっぱり分からんけど。
服とかの片付けられそうな荷物は、俺の部屋にそれぞれしまってもらって、ネイルの道具は、取り敢えずあまり使っていないキャスターワゴンを開け渡して、そこに整理してもらった。ダイニングテーブルに二人で座り、お茶を入れてホッと一息ついた。
「これ、俺の自宅無いね、多分。」
「そーだな、まあいいんじゃん? ここにこのまま一緒に住めば。」
「うーん、そういう世話のなり方はしたく無かったんだけど、しょうがないか…。」
お世話になります、とリョーカが頭を下げる。この妙に堅い感じ、リョーカっぽいな、と俺は口角を上げた。
「ね、リョーカ、ネイル出来んの?」
「うん、出来るよ。ちゃんとそこは、身に付いてる。」
「じゃあさ、俺にちょっとやってみてくんない? お客さん第一号。」
俺が両手を差し出すと、リョーカが、ふふ、と笑った。
「いいよ、じゃあこれが、誕生日プレゼントね。」
「…ま、最大のプレゼントはさっきいっぱいもらったんだけどね。」
ニヤリと笑ってそう言うと、「もう。」とリョーカが頬を赤くして顔を顰めた。ああ、可愛い。
ダイニングテーブルにネイルの道具を並べ始めて、ライトとクッションを最後にセットした。
「じゃあ、ここに乗せて?」
「ん、はい。」
「何色がいい?」
リョーカが俺の手を触って、何かの液を垂らしてマッサージを始めた。リョーカに手を包んでもらっているだけで、幸せで心が暖まる。
「ははぁ…くすぐったい…。んー…じゃあ、オススメで。」
「ふふ、はーい。」
俺は、手元では無くて、ずーっと、リョーカの顔を見つめていた。真剣に俺の指先を見つめるその顔がとても美しくて、素敵だ。
「…涼ちゃん達に、なんて送ったの?」
無言で見つめられるのに耐えられなくなったのか、リョーカが話しかけてきた。
「えっとね、夕方に来てって。3時に行くっつってたよ。」
「俺の事は?」
「へへ、内緒に決まってんじゃん。」
「うわ、悪戯っ子だな、滉斗。」
「だってその方がぜってーおもしれーじゃん。ビックリするだろね、2人とも。」
「俺だってわかるかなぁ。」
「涼ちゃんは泣くね、絶対。」
「大森くんは、どうかな。」
「元貴は、ホッとすんじゃない? 色んな意味で。」
「…そうかもね。」
元貴とリョーカは、涼ちゃんの姿の時には色々あったから。リョーカの姿が変わって、一番ホッとするのは元貴なんじゃ無いかな、なんて思ったりした。
それからも他愛無い話をしながら、しばらくしてリョーカが道具を置いて、ふう、と一息ついた。
「はい、出来上がり。」
「おお〜、カッコいいねえ。」
俺は両手を並べて、腕を伸ばして見つめる。俺もリョーカも大好きな、黒で爪が丁寧に塗られている。
「すごいすごい、上手! よく知らんけど。」
「はは、ありがとう。」
「やっぱ、指輪に合わせてくれた?」
「ふふ、うん。滉斗の爪に、あんまり色は乗らないかな〜と思って。」
「うん、黒めちゃくちゃカッコいい。ありがとう!」
「どういたしまして。」
ニコッと笑って、使った筆なんかを紙で拭き取って片付けをしている。俺は立ち上がって、後ろからそっと抱きしめた。
「…ねえ、ちょっと、片付けにくいから。」
「んー…。」
ギューッと抱きついていると、リョーカがポンポンと腕を叩いた。顔を覗き込むと、リョーカもこちらを向く。そのまま、キスをした。やっぱりまだまだ、暇さえあればくっついていたくなる。少しの不安が、どうしても消えてくれない。
「…ほら、もうすぐ涼ちゃん達来ちゃうよ。」
「ホントだ。お昼抜いたから、腹減ったなぁ。」
「なんか用意するの?」
「いや、元貴達が全部持って来るから気にすんなって。」
「そう? なんか悪いね。」
「あ、でもリョーカの分が無いか。」
「いいよ、俺そんな食べないし。」
テーブルの上を片付けながら、リョーカが話している。
「あ、でもお酒は欲しいな。」
「あー、どうだろ、元貴達買って来るかな。」
「じゃあ、お酒だけ自分で好きなの買って来るよ。」
「待って、俺も行く。」
「いいよ、すぐそこのコンビニだし。」
「嫌だ。」
俺がなんだか必死に縋り付くと、リョーカは困った笑顔を見せた。
「…じゃあ、一緒に行こ。」
二人で手を繋いで、道路の傍を歩く。
「そこまで、不安にならなくても、俺、もう消えないから。」
「…うん。」
「…ま、俺のせいだけどね、滉斗がそんなに不安になっちゃうの。」
「ごめんね。」とこちらを見て言う。俺は首を振って、リョーカを見つめた。
「違う、リョーカのせいじゃ無い…けど、やっぱどーしても怖い。明日になったら、消えちゃうんじゃないかって。今日だけの、誕生日だけの奇跡なんじゃないかなって…。」
「ふふ…大森カミサマに怒られるよ、『信じてないのかー!』って。カミの鉄槌落ちるかもよ。」
「だってアイツ結構テキトーっぽかったしさー。」
「あはは。」
「大丈夫大丈夫。」と言って、リョーカが俺の手を強く握ってくれる。俺は心の中で、頼むぜホント、とカミサマに今一度お願いをしておいた。
部屋に帰って暫くすると、インターホンがピロリロリロ…と鳴った。エントランスに、元貴達が到着した合図だ。
「はーい、どうぞー。」
元貴達に応答してから、急いでリョーカを寝室に押し込む。俺が合図をしたら、出てきてもらう算段だ。
そわそわしながら元貴達を玄関で待つ。ふと下を向くと、リョーカのブーツがそのままになっていた。急いで下駄箱に詰め込んで、他にリョーカの痕跡はないかと部屋の中を見回す。ネイル道具は寝室に入れたし、他の物もそれぞれにしまってあるから、うん、大丈夫。
ピンポーン
玄関でまたインターホンが鳴って、画面を確認する。元貴と涼ちゃんが、並んで映っていた。やっぱりこう見ると、涼ちゃんとリョーカは似ているようで、少し違うな、と思った。今朝、こうしてリョーカも来てくれたっけ、と顔を綻ばせながら、玄関ドアを開ける。
「いらっしゃい。」
「誕生日おめでとう。」
「おめでと。」
「ありがと。どーぞー。」
俺はついニヤけてしまう顔を誤魔化すためにすぐ室内を振り向いて、元貴達を招き入れた。
「あれ。」
元貴が、声を出した。ドキッとして、振り向くと、俺の手を見ている。
「これ、自分でやったの?」
俺の手を取り、爪を眺める。さすが元貴、一瞬で俺の変化を見つけ出した。ちょっと怖くもある。
「ああこれ? やってもらったの。」
「誰に?」
「え、ネイルの人だよ。」
「ふーん、サロン行ったの?」
「まあ。」
「へえ、俺も今度やろっかな。いいじゃん、素敵。」
元貴に褒められながら、リビングへと案内する。
「元貴すごいね、僕全然気付かなかった。」
あはは、と涼ちゃんが笑う。なんか、涼ちゃんとリョーカが全然別人に見えてきて、少し安心するような、ちょっとそわそわするような、なんとも言えない不思議な感覚がしていた。元貴達がテーブルに食べ物を用意してくれてる間、俺はチラッと寝室のドアを見る。あの中に、リョーカがいる…よな?
なんだか、朝からずっと一緒にいて、こんなに姿を見ない時間が無かったから、俺の心臓がざわざわし始めた。いる、よな。ドアを開けたら消えてました、なんて事には、ならないよな。俺は焦り始めて、今すぐドアを開けたい衝動に駆られながら、せめて急ごうと、元貴達を手伝った。
「食器出すわ。」
俺が、棚から適当に食器を取り出して、テーブルに並べる。四人掛けのテーブルに、明らかに四人分の食器を並べてみる。
二人が、顔を見合わせた。涼ちゃんが、おずおずと俺に尋ねる。
「あの…若井、これは、誰の?」
俺と元貴が並んで座ってるので、涼ちゃんの隣に揃えられた食器を指差している。
「ん? …もちろん、リョーカの。」
俺が微笑んでそう言うと、二人とも憐れな者を見るような視線を俺に向けた。俺は、吹き出しそうになるのを堪えて、悲しげな表情を作る。
「いいだろ…だって、俺の誕生日なんだから…。」
涼ちゃんが泣きそうになって、元貴は真剣な顔で俺の肩に手を置いた。
「…待ってて、リョーカを呼んでくる。」
俺がそう呟いて立ち上がると、いよいよ二人がヤバいヤツを見る眼に変わった。二人に背を向けて笑いを噛み殺していると、後ろからひそひそと声がする。
「…若井、大丈夫かな…。」
「…いよいよってなったら、先生んとこ連れてくか…。」
あーおもしろ、と笑いながら寝室のドアに手を掛けるが、やはり一抹の不安が過ぎる。いるよな、リョーカ。頼む、カミサマ、もしリョーカがいなくなってたら、俺一生お前を許さないからな。無駄に胸騒ぎがするのを手で押さえながら、意を決してドアを開ける。
ベッドに腰掛け、俺の想い出の箱の中を見つめている、リョーカがいた。ちゃんと、いてくれた。俺は、思わず泣いてしまった。元貴達へのドッキリのはずが、なぜか俺がドキドキハラハラして、結果、泣くっていう。リョーカがこちらを見て、困った笑顔を見せる。俺が涙を拭いて頷くと、そっと箱を置いて、こちらへ歩いてきた。
「ほら、リョーカだよ。」
俺の声に、顔を突き合わせてひそひそと話していた二人が、こちらを見た。俺の後ろから、リョーカが姿を現す。その途端、二人とも眼を見開いて、ついでに口も開けて、そのまま固まった。
リョーカが、ニコッと笑いかける。
「涼ちゃん、大森くん、…久しぶり。」
その声で涼ちゃんが、元貴より先に動きを取り戻し、椅子から立ち上がって、リョーカをじっと見つめた。
「………え、…リョーカ…くん…?」
「うん。俺、性別は変わっちゃったけどね、ちゃんと、心はリョーカだよ。」
「…ホントに? …ホントにぃ…?」
涼ちゃんの両眼から涙が溢れ出して、リョーカへと歩み寄った。リョーカも、涼ちゃんに向かって手を広げて、しっかりとハグをした。
「涼ちゃん、会いたかった。心配してたよ、ずっと。大丈夫? あれから、苦しくなってない?」
「うん…! うん…! 元貴が、若井も、いてくれるから…大丈夫…! 僕も、ずっと、ずっと、会いたかったよ…リョーカくん…!」
同じ背丈の二人が涙ながらに抱擁する姿を、俺も涙ぐみながら、笑顔で見つめていた。元貴が立ち上がって、俺の肩に手を置いて顔を寄せる。
「いや待って待って、なんでみんな受け入れてんの? どーゆーこと? これ。」
「元貴だよ、リョーカをここに呼び戻してくれたの。なあ。」
俺が、リョーカに呼びかけると、微笑んでこくんと頷いた。元貴は怪訝な顔で俺とリョーカを見比べる。俺達は、取り敢えずテーブルへと戻り、ゆっくりと今朝の夢から順を追って、今日の出来事を二人に説明をした。
二人は心底驚いた顔をして、改めてリョーカを見つめた。
「マジかよ、そんな事って…あり?」
「ありに決まってるよ、元貴。だって、若井の誕生日なんだよ? それに、リョーカくんだって、若井だって、僕達だって、みんな幸せになれるんだよ。こんなに嬉しいプレゼントって…無いじゃない…。」
また、涼ちゃんが感極まって涙を零す。涼ちゃんの隣に座るリョーカが、嬉しそうにティッシュで涼ちゃんの顔を優しく拭く。ちょっとちょっと、過保護すぎやしません? リョーカさん。
「はい、席替えターイム!」
俺がそう言うと、リョーカが眉を下げて俺を見た。呆れてるみたいだけど、いーじゃん、俺誕生日なんだし。
俺が涼ちゃんを元貴の隣に追いやって、リョーカの隣に陣取る。リョーカに顔を覗かれた。
「…滉斗、ヤキモチ?」
「…そーですよ。」
「ふふ、はい、滉斗も拭いてあげるよ。」
新しいティッシュで、俺の頬を優しく拭いてくれる。涼ちゃんは微笑みながら、元貴は眉根を顰めながら、その様子を見つめていた。
「…しかし、こう見ると、確かに似てるな…。でも、性別が違うからか、鏡みたい、とまではいかないかな。言われてみれば、面影がある、くらいの絶妙さだな。」
元貴が、リョーカと涼ちゃんを見比べて、沁み沁みと言った。どうやら、元貴もこのリョーカが存在するという事をなんとか受け入れてくれたようだ。
「…大森くん、涼ちゃん、滉斗をずっと支えてくれて、ありがとう。」
リョーカが二人に頭を下げる。涼ちゃんは涙眼で首を小さく振り、元貴は緩く微笑んだ。
「これからは、お前が支えるんだろ?」
元貴が、笑顔でリョーカに問い掛ける。リョーカは、嬉しそうに、うん、と頷いた。
「良かったねぇ、ホントに良かったねぇ、若井。ホントに、二人とも、おめでとう。」
涼ちゃんが、胸の前で小さく手をパチパチと叩く。俺達は、お互いを見つめ合って、涼ちゃんに向き直ると、ありがとう、と答えた。
元貴達と楽しい誕生日会を過ごして、二人は、お幸せに、と帰って行った。片付けも全部やって帰ってくれたので、何もやる事は無い俺達は玄関で伸びをして今日の疲れを少し逃した。
「お風呂、入っちゃおっか。」
「うん、そうだね。」
「…一緒に」
「ダメ。」
リョーカがそっぽを向いて、リビングへ向かう。俺は肩を落として、リョーカの方を恨めしそうに眺めていた。リビングのドアを開けて、少しこちらを振り向いて、リョーカが言った。
「…そんなに焦んなくても、またいつでも入れるでしょ。今日全部しちゃうんじゃなくて、お楽しみは少し残しとこうよ。」
リョーカが、頬を染めて柔らかく笑う。俺は、リョーカに駆け寄って、ギュッと抱きしめた。
順番にお風呂を済ませて、寝る準備を整えると、俺達は揃ってベッドへと入った。
「これ、ベッド変えなきゃだな。流石にシングルは狭いわ。」
「そうだね、明日からまた仕事?」
「うーん、12月からツアーが入ってるから、まあまあ忙しいかな。今日は誕生日だから休みもらえたけど。」
「だよね。またどこかで時間みて行ける日にさ、選びに行こうよ、ベッド。」
「うん…。」
俺は、リョーカをぎゅう、と抱きしめた。明日から、仕事の間は会えないのかぁ。そんな当たり前のことでも、なんだかすごく寂しい。その内慣れてくれるのかな、俺の心は。
「…そういえば、リョーカはどうなるんだろ? 仕事。」
「うん…架空の個人サロンしかしてなかったもんね。明日から、ちょっと求職活動してみるよ。」
「そっか、無理しないでね。」
「うん全然。まだ子どももいないのに、家庭に収まる気はないよ、安心して。」
リョーカがさらりと言って、俺は心底ビックリした。そうか、婚姻届はまだ先、とは言われたけど、子どもは考えてくれてるんだ。俺は、顔が勝手にニヤけていって、ついでに下半身も少し元気になってきた。
「…リョーカ…。」
そっと顔を覗き込むと、リョーカは俺の腕の中ですやすやと寝息を立てていた。あ、そうですね、今朝あんなにしましたもんね。今日一日色々あったし、お疲れですよね、リョーカさん。少しガッカリする心と下半身を納得させながら、俺もそっと眼を閉じた。しつこいようだが、素直に眠りに落ちることは出来なくて、最後にもう一度だけ、カミサマに念を押しておく。
明日からも、ずっとずっと、リョーカが俺の傍に居てくれますように。マジで、頼みます。
眩しい。もう朝か? と瞼をうっすら開けると、また真っ白な空間に居て、眼の前ではカミサマが腕組みして顔を顰めていた。
「…お前ね。どんだけ信用してないの、オレを。」
「…いや、そういう訳じゃないけど…。 」
「………どう? 幸せだったでしょ?」
カミサマのその言葉に、俺は背筋がゾクッした。
「…え、やめて、やめてやめて! リョーカ取らないでよ、ホントお願い!!!」
「ウソ! ウーソ! ごめん、マジごめん! ウソ!!!」
カミサマが慌てて、俺の肩を手で押さえる。なんだコイツ、ぶん殴ってやろうか。
「怖。お前が結構失礼だから、揶揄ったの。でもごめん、ダメなやつだったわ今の。」
「大丈夫なんだよな? 絶対いなくならないよな?」
「だからならないって、カミサマの本気舐めんなよ。どんだけ大変だったか、リョーカちゃんを世界に組み込むの。マジ頑張ったよオレ。」
カミサマが、肩を回して疲れた感じを醸し出す。俺は、ふふ、と笑って、カミサマに抱きついた。
「ありがと、もと…カミサマ。」
「おいいま元貴って言いかけただろ。いい加減にしろよ。」
はは、と笑って、俺は身体を離した。
「でもさ、お前マジでそろそろリョーカちゃんを信じないと、可哀想だぞ。このままだと束縛野郎になっちゃうぞ。」
俺は、う…と言葉に詰まる。確かに、リョーカにこれ以上窮屈な思いをさせたら、それこそ俺の元から去ってしまうかもしれない。
「分かった、もう、不安になるのはやめとく。カミサマを信じます。」
「おう。ま、頑張れよ。リョーカちゃんと幸せにな。」
じゃ、とカミサマが手を挙げた。
頬に、暖かな感触がして、俺はそっと眼を開けた。リョーカが、笑顔で俺の頬にキスをしている。もう着替えを済ませて、ベッドの傍にしゃがみ込んでいた。
「おはよ、滉斗。そろそろ起きなきゃなんじゃない?」
スマホを見ると、朝の8時。おお、確かに、そろそろヤバい。俺は急いで起き上がると、リョーカに顔を近づけそうになって、あそうだった、と急いで洗面所へ向かう。顔を洗って歯磨きを済ませてから、キッチンのリョーカの元へ近づき、キスをせがんだ。ふふ、と笑って、リョーカはそのキスに応える。
「俺、またカミサマの夢見た。」
「へえ。なんて言ってた?」
「いい加減にしろって。」
「あはは、ほら、怒られた。」
「…あと、リョーカはもう絶対にいなくならないから、信じてやれって。」
リョーカが、じっと俺を見つめて、またそっとキスをした。
「…そうだよ、俺は、ずっと滉斗の傍にいる。その為に、帰ってきたんだから。」
「うん。今日も、ちゃんとここに居てくれたから。俺、もうホントに、大丈夫だわ。ごめんね、ずっとウジウジしてて。」
「ううん。それだけ、俺を愛してるってことでしょ?」
「当たり前。」
くすくすと笑い合って、一緒に朝ごはんの準備をする。リョーカが、俺のスマホを持って来て、「はい。」と渡して来た。
「ねえ、あの曲流してくれない?」
あの曲。それを聞いただけで、俺の指はある一曲を探し当てた。
あの日の後悔を
食べれてしまえばいいのにな
あの頃にはどうしても
言えなかった2文字もあったっけな
そろそろお腹が空いてきたな
毎日のサイクルはもう飽きた
実は彩られているんだと
気づくのは あと何世紀先だ
ワタクシのお仕事は
・素材になること
全てになんかなれずに
・一部になること
どうかずっとこの世界を大好きでいてね
朝も来たし夜も来たし変わりないよ
今日もいつもの様に
Good morning, good night
I love youでgood-bye
But 離れられない
明日へと庶幾う唄
Happyなlifeは素晴らしい
まだ始まったばっかりだ
俺は、この曲を聴いても、もう悲しくなることなんかない。隣には、確かにリョーカが居てくれるんだから。俺たちの幸せな日々は、まだ始まったばかりだ。愛に満ちたこの日々を大切に、リョーカと一緒に生きていこう。そう心に誓って、一緒に朝ごはんを向かい合って食べた。
眼の前でリョーカが微笑んでいる。
ああ、幸せだ。
それから、元貴に、リョーカがミセスの専属ネイリストに任命されて、俺達の地方公演にも着いて来てくれるようになった。涼ちゃんは俺の黒いネイルをいたく気に入ったらしく、リョーカに僕にもお願い、と言って嬉しそうに二人で笑い合ったりしていた。元貴とも、もうすっかり気を許し合って、いい関係になれている。
リョーカはもう、涼ちゃんの素材でもなく、一部でもない。この世界の、素材であり、一部になれたんた。
隣に座った涼ちゃんとお喋りをしながら、元貴の手を取り、その爪を綺麗に塗っているリョーカを、俺は眼を細めて見つめていた。
そんなリョーカのお腹が、大きくなるのは、まだ、もう少し、先のお話。
カミサマの贈りもの
完
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七瀬さぁぁぁぁん😭😭覚えてますか??最近全然コメントできてなくてすみません〜 文化祭やら受験に向けての試験やらで忙しくて、、多分一ヶ月くらいコメントできてなかった😭でもしっかり全部読んでましたよ!?これからもコメントでお話しできる頻度は減っちゃいますがよろしくお願いします笑 庶幾う唄一番大好きだから、ほんとに通知のタイトル見た瞬間からもう涙出てました笑笑 でも結局最後で号泣。 リョーカと💙再開できて心から喜んでます🥰 ちょくちょく出てくるもとk、ではなくカミサマも最高です🫶 もうほんっっっっっっとうに嬉しすぎる幸せすぎるリョーカぁぁぁ(語彙力どっか行った) とにかく二人ともお幸せにです💙💛 これからも素敵な作品待ってます!
七瀬さん私2時間かけてメイクしたのに崩れそうですリョーカ……😭やばいリョーカはもう涼ちゃんの中の人格じゃないんだもんね😭ちゃんと一人の人間として生きるんだ😭あとリョーカ‼️私もネイルしてるよ‼️マグネット‼️私にもしてよ‼️😄😄 おおも カミサマに感謝すぎるありがとうカミサマ😭😭ほんとに私今幸せですメイクなんかどうでもいいやほんとに幸せ心から幸せすぎるありがとう七瀬さん カミサマ 🥲
わわわ、リョーカでたー!!おかえり👋 最高じゃん。大森カミサマ、口悪いけどミセロで涼ちゃんいじる元貴くんぽくてスキ🫶 ひろぱへのLoveとは違う、涼ちゃんを想うリョーカ。笑顔と幸せを私の方が貰えちゃった感じ🥹 そして、なになに!?リョーカのお腹...もう少し先...てことは?た、たのしみー♫