え?
キノコ娘で良かったことでございますか?
そうですわねぇ……いろいろとあるのですが、一番は幼馴染みのキノコ嫌いがなくなったことでしょうか。
幼馴染みのキノコ嫌いは病的だったのですわ。
しかも思い込みでしたの。
えーと……御存じかしら?
寄生される恐怖、マタンゴの逆襲! という童話を。
ホラー映画なら知っている……ですか?
あら……では元ネタはホラー映画だったのかしら。
幼馴染みは絵本で知ったようですわ。
幼稚舎の頃に姉弟で読んでしまって……以降、食べるどころか視界に入れるのすら怖がりましたの。
私も見せていただきましたが、キノコの良さを知っていなければ……いえ、知っていても恐ろしゅうございました。
内容も悍ましいのですが、絵柄がこう……何ともリアリティを追求した作品でしたの。
例えば夜中に、廊下に落ちているのを見てしまったら卒倒してしまうレベルですわ。
幼馴染みの名字は京《かなぐり》。
こちらも喜熨斗家と同じく平安の頃より名が残っている名家でございますわ。
喜熨斗家とは逆に男の子が生まれにくい家系との経緯がありまして、真逆の家系である喜熨斗家とはお互いの足りぬ所を補いましょう、と古くから仲睦まじい関係を築いておりますの。
私たちの代でも勿論仲良くしております。
二人とも随分と性格は違いますけれど、大変好ましい方々ですの。
姉の名前は凜《りん》。
男装の麗人というのが相応しい、麗しくも頼りがいのある女性ですわ。
宗一郎兄様と同い年ですの。
物心つく前は婚約者に……というお話もあったようですが、今は親しい友人といった関係に落ち着いております。
むしろ凜姉様……そう呼んでほしいと本人に懇願されましたの……は、龍之介兄様を狙っておられるようです。
知的な年下が最高なのよ! とよくおっしゃっておりますの。
龍之介兄様はひっそりと、自分の手には負えないかな……とひっそり囁いていらっしゃいますわ。
……何となくですが、遠くない未来に。
凜姉様の力押しに負けそうな気もいたしますけれども。
弟の名前は崇《たかし》。
こちらは女装が似合いそうな、線の細い男性ですの。
泣き虫と皆様はおっしゃいますが、私の前では大変男性らしい方……に見せようと励んでいらっしゃいますわ。
亜久里兄様と同い年の関係で、毒舌の洗礼にあいましたが、不思議と泣かれませんでしたわね。
何故かと尋ねましたら、亜久里の毒舌は言葉が鋭いだけで悪意がないからね、とおっしゃっておられました。
相性がよろしいようで何よりです。
ええ、そんな随分と外見も内面も違うお二人ですが、キノコは苦手でしたの。
凜姉様がしゃくり上げるほど泣かれたのを見たのは、想像もできない規格外のキノコに遭遇して驚かれたときが初めてで最後だったように思います。
そう……あれは、喜熨斗家好例のキノコ狩りピクニックの日でしたわ。
京家の御両親は喜熨斗家の両親と相談して、強制的にキノコへの恐怖を克服させるべく、喜熨斗家のピクニックに参加させましたの。
恒例のキノコ狩り……という点は伏せて。
後になって思い起こせば亜久里兄様より上のお兄様たちは、何処か緊張しておられましたわ。
京家の二人が暴走したときのために、あらかじめ言い含められていたのでしょう。
実際。
二人は暴走いたしましたわ。
その日は七番目のお兄様、大維志《たいし》兄様のリクエストで、キヌガサタケの観察をしましたの。
キヌガサタケはレース様の菌網が大変美しいので有名ですわね。
あとは臭いが酷いにもかかわらず美味なキノコとしても知れておりますわ。
京家のお二人は、最初キヌガサタケの観察とは思っておられなかったようですの。
例によってキノコ娘スキルが発動して、掌に可愛らしく載ってしまうサイズのキヌガサタケがバスケットボールほどの大きさでしたから。
卵から動物が生まれるんだ! そんな勘違いをされておりまして。
違うと教えようとした、瑳和希《さわき》兄様……八番目のお兄様ですわ……の口は塞がれてしまいましたから、ぎりぎりまで気がつかれなかったのです。
気がつかれたのは、そう。
キヌガサタケが急激に成長し始めて、美しいレースのスカートが現れた頃だったでしょうか。
既に宗一郎兄様の腰ほどにも成長していたキヌガサタケの、全体像を見て、凜姉様が気付いてしまったのです。
「そう……宗、一郎?」
「何かな、凜」
「信じたくないんだけど、さ?」
「うん?」
「この生物って、動物なんかじゃなくて、その……き、キノコなんじゃないかな?」
「そうだね。キヌガサタケだよ。臭いは酷いけど、とても美しい……」
だろう? と続くはずだった、宗一郎兄様の声は、凜姉様と崇君の絶叫に消えましたわ。
「きゃああああああ」
「うわああああああ」
ちなみに、きゃあが崇君。
うわあが凜姉様ですのよ?
「はーい、落ち着こうか、凜姉」
幸乃進兄様が脱兎の如く逃げようとした凜姉様を捕まえて、完全拘束しました。
まるで犯罪者でも捕まえるような体勢でしたが、俊敏な凜姉様を捕まえるのは、さすがの幸乃進兄様でも手に余ったのでしょう。
「たか君もねー。ほーら泣かない、泣かない」
亜久里兄様はへたり込んでしまった、崇君の頭を撫ぜましたわ。
「泣いてない! 僕は、志桜里ちゃんの前では泣かないんだからねっ!」
涙目なのは当然見なかったことにして差し上げます。
これぞ、武士の情けですわね。
ぐっと拳を握り締めた私の頭を、何故か瑳和希兄様が微笑ましい表情をしたまま、撫ぜてくださいましたわ。
「大丈夫だって。キノコはお前らを襲わねーから」
「わからないわよっ! こ、こんなに早く育つなんてあり得ないでしょう? きっと特殊個体よ! マタンゴよ!」
「マタンゴではないよ。このキノコは確かに特殊個体だけどね。マタンゴではないんだ。優美なレースで有名なキヌガサタケ。だよね、志桜里」
「はい。宗一郎兄様。スカートが広がる過程を見たい私たちのために、大急ぎで広げてくださった、優しいキヌガサタケさんですわ」
私が素敵なレースのスカートを撫ぜれば、キヌガサタケが答えてくれますの。
『私はキヌガサタケですわ。怖くありませんのよ? あのマタンゴ絵本によるキノコの風評被害は深刻ですわねぇ……』
「あら? そうですの」
『ええ。何故か小さい子に読み聞かせたがる、大人が多いですわ。悪い子を食べに来るぞーみたいに、えーと。教育的に使っている大人がいますのよ』
「そうなのですか。悪趣味ですわね。それで……実際マタンゴみたいなキノコはこの世に存在いたしますの?」
『……いないと断言はできませんけれど、少なくとも遭遇した! という話は聞きませんわ』
「まぁ、それは朗報ですこと! 凜姉様、崇君。マタンゴと遭遇したキノコたちはいないそうですわ!」
「え?」
「……志桜里ちゃん。どうしてそんなことがわかるのかなぁ?」
「えーと……宗一郎兄様?」
「この二人にならいいだろう。二人とも、これから言うことは志桜里だけでなく喜熨斗家の秘密だ。心して聞いてほしい」
宗一郎兄様の言葉に、二人がこくりと喉を鳴らしましたわ。
外見も内面も似ていない二人だけれど、所作はとてもよく似ておりますの。
「私、キノコの声が聞こえますの」
「えぇ?」
「……まさか志桜里ちゃんが、そんな特殊能力を持っていたなんて、驚きね」
「ちょ! 凜姉! 信じるの?」
「あら、崇。志桜里ちゃんを嘘つき呼ばわりするつもり?」
凜姉様の冷ややかな声に、お兄様たちが反応しましたわ。
「もし……凜姉の言うとおりなら、俺はお前と絶縁するぞ」
亜久里兄様の毒舌よりも鋭い一言が放たれましたの。
崇君は大きく首を振りましたわ。
「僕が志桜里ちゃんを嘘つき呼ばわりするなんて、ありえないからな! 誰が疑っても、僕は志桜里ちゃんを信じるよ! ただ……びっくりしただけじゃないか。僕の想像の中では、キノコとお話なんて、物語の中でしかない状況なんだってば!」
崇君が必死に言い訳をしていましたわ。
彼の言うとおり、純粋に驚いただけだと思いますの。
一般的には凜姉様の反応の方こそ、レアですわね。
「驚かせちゃって、ごめんなさい。あと内緒にしてて……許してくれるかしら?」
「勿論だよ! 人に言いにくい秘密だもんね! 教えてもらえて嬉しいよ!」
落ち込んでいた崇君は私の言葉で、満面の笑みを見せて、私の手をきゅっと握ってくださいましたの。
「はいはい。志桜里ちゃんが可愛いのはわかるけど、手を握るのは許可しませーん」
亜久里兄様にすかさず、離されてしまいましたが、崇君の笑顔は維持されていましたわ。
「はぁ……でも意思の疎通ができるなら、怖くないかも?」
「……そうだよね。凄く大きいけど、綺麗だし」
『綺麗と言われるのは嬉しいですわ。せっかくなので、美味しくいただいてくださいませ。スープがオススメですわよ?』
「ふふふ。綺麗と言われて嬉しいっておっしゃっておいでですわ! あとは、スープがお勧めとのことですのよ」
「……スープにして美味しく食べてね! とか言ってくれるキノコを、怖がっているなんて……ないね」
「うん。ないよね。凜姉。これって、荒療治?」
「でしょうね。両親にしてやられるのは悔しいけど、志桜里ちゃんの秘密を共有できたのは嬉しいわ」
先ほどの錯乱が嘘のように、美しく微笑まれた凜姉様が優しく頭を撫ぜてくださいましたの。
それからは、何時ものパターンですわ。
キヌガサタケのスープは大変美味しゅうございました。
あの独特の香りも、発生する場所が決まっているので、きちんと処理すれば全く匂いませんのよ?
そしてキヌガサタケは食感が秀逸ですの!
他では絶対に食べられない大きさのレース部分は、食べ応えもありましたわ。
凜姉様は、三杯。
崇君も二杯お代わりをしていらっしゃいましたの。
キノコへの恐怖は完全に克服できたようで何よりでしたわ。
ええ、これが、キノコ娘体質になって一番良かったことで、嬉しかったことですのよ。
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