司寧々です。
pixivに上げたものをこちらにも載せておきます。
いつかちゃんとチャットノベルにするので待ちきれない方は約13,000字あります頑張って下さい。
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教室にチャイムが鳴り響く。
やっと今日も学校が終わった。
疲れが溜まりまくっていて授業を受けるのはしんどかったが、今日が金曜日であるという事実でなんとかやりきれたのだ。
わたしは少し伸びをしたあとノートの 草薙寧々 という名前を確認し、鞄の中に詰め込んで教室を出た。
廊下ではたくさんの人がたわいもない話をしたりして盛り上がっている。中にはスマホで動画を撮っている人もいるようだ。
わたしはそんな集団の中をささっと抜けて階段へ向かった。部活へ行ってもいいのだが、ほとんど幽霊部員でショーの練習もあるのでそのまま行くことにした。
そこはまだ静かで、小鳥のさえずりも聞こえてくる。そんな階段をわたしは少し急ぎ足で降りていく。人が沢山いる状況を避けたいからだ。
そんな時、足の先が階段の少し出っ張った部分に引っかかってしまった。
周りがまるでスローモーションに見える。立ち直ることも叶わず、そのままわたしの身体は前へぐらりと倒れていった。自分のバクバクと鳴る心音だけがわたしに響いている。
――――落ちる。
わたしは咄嗟に目を瞑った。
ドサッという音と共に、体に鋭い痛みが走った。
目を開けてみるとそこは階段の踊り場だった。
少し、いや割と痛かったが、なんとか立ち上がることが出来た。頭も打ったようでズキズキと痛む。
とにかく周りに人が居なくてよかった。もし誰かに見られていたら恥ずかしさでもう一回転びそうだ。
わたしは手すりにもたれ掛かりながら、フラフラとした足取りで階段を降り昇降口へ向かった。
校門を抜けるとそこには紫色の髪に水色のメッシュの入った男がわたしに向かって手を振っていた。その男とは神代類、わたしの幼馴染だ。
「やあ、寧々」
「類」
わたしは類の前で立ち止まった。
「髪が少し崩れているように見えるけれど、大丈夫かい?足も打撲が出来ているようだね」
「そ、それは…えっと…」
やばい。階段でつまづいてド派手に落ちましたなんて恥ずかしくて言えない。わたしは必死に言い訳を考える。
「ハロウィンが近いから」「気のせいだよ」「心の汚れた人にしか見えない」…。
自分で考えておいてなんだが、訳が分からない。
めちゃくちゃな言い訳を頭の片隅にしまって、もう一度考え直してみる。
「階段から落ちた…とかじゃないかい?」
あ、言われた。図星だ。
類はたまに心を読んでるんじゃないかってレベルで当ててくる。正直ちょっと怖い。
とりあえずわたしは階段で誰かとぶつかったということにしておいた。これなら事故なのでまだマシだ。
「そうかい…気を付けるんだよ」
「はいはい。というか類はなんでわたしを待ってたの?」
「ああ、今日は少しショーのことで話したいことがあったからね。三人で行こうかと思って」
わたしは三人、という数字に少し違和感を覚える。えむとも待ち合わせているのだろうか。
そう考えているとこちらに手を振って金髪の男がやってきた。
「よう!類、寧々!!」
「やあ、司くん」
…は?
え、誰?話したことあったっけ…。
多分ないはず…。
というかなんで名前を知ってるの?なんでそんなに馴れ馴れしいの?!
さっき考えためちゃくちゃな言い訳よりも訳が分からない…。
そうあたふたしていると類が顔を覗き込んできた。
「どうしたんだい?寧々。随分混乱しているように見えるけれど……」
「あ…。いや……、えっと…」
これはわたしがおかしいのだろうか…。でもわたしの記憶の中にその男と話したようなことも全くない。
勇気を出して言ってみることにした。
「そ、その……。この人、わたし、知らない……」
わたしがそう言った途端、二人の動きが固まった。
「え……寧々?ほら、司くんだよ?司くん」
「だから分からないんだって…」
やっぱりわたしがおかしいのだろうか。でもその 司くん と言われた人物に全然ピンとこない。
「寧々!?このオレを忘れたのか?!輝きすぎる未来のスター、天馬司だぞ!?」
「ご、ごめんなさい…」
こんなに言うということはわたしが彼のことを忘れてしまったのだろうか…。記憶喪失的な。有り得るとしたら階段から落ちたときだろう。でもそんな映画みたいなことあるのだろうか…。
……分からない。でも類の反応からして彼とはそれなりに付き合いがあったようだ。
そんな中、遠くから凄い足音がしてきたと思うと、わたしたちの近くにえむが全力疾走でやって来た。
えむはきょろきょろとわたし達を見回して、全員頭を抱えている状況に少し混乱している様子だ。
「どうしたの?みんなむむむーってしてるけど…」
そうだ、えむに聞いてみよう。
もしかしたら本当にわたしは彼を知らなくて、ただの類の勘違いかもしれない。まあ、反応からしてその線は薄そうだが、そんな僅かな可能性に懸けて口を開いた。
「ねえ、えむ。この人…知ってる?」
そう聞いてみるとえむは一瞬固まった。そしてわたしと金髪の男を交互に見る。
「…え?知ってるも何も司くんだよ!…どうしたの?」
えむは目を丸くしてわたしの方をだけを見た。やっぱりわたしがおかしいようだ。
「えっと…その……。司?って人の記憶がなくて……」
「ええええ?!?!」
ざわめきの中でえむの叫び声が響いた。
そのあとも色々聞かれたがやっぱり彼に関しては何も記憶になかった。
えむと類から聞いた話によると、彼はわたしたちのショーユニットの座長らしい。覚えていないが。
類に病院への受診を勧められたので、今日はショーの練習を休むことにした。
***
重い瞼を持ち上げ目を覚ます。今日は休日なのでどれだけ寝てようが何も言われないが、何となく横に置いてあるスマホを手に取った。
メールアプリを開くとそこには 天馬司 という名前があった。わたしが忘れてしまったと思われるあの男の人の名前だ。履歴を見る限り必要最低限の会話くらいしかしていなかったが、タメ語を使っているしごく稀に雑談もしているので割と親しかったのだろう。そう思うと少し申し訳なくなってくる。
昨日帰ってすぐに病院へ行ったが、特に脳に異常もなく「階段から落ちたショックで一時的に脳が混乱しているのだろう」と言われただけだった。でもそれだけで記憶がなくなるなんて有り得るのだろうか。まあ、自分に知識がある訳でもないので医者の言ったことを信じるしかないが。
それからしばらく適当にスマホをいじっていると、類からのメッセージの通知が来た。わたしはその通知を押してメッセージアプリを開く。
〔おはよう、寧々。少し話したいことがあるんだ。僕の家に来てもらってもいいかい?〕
話したいこと…か。多分わたしの記憶についてだろう。
わたしはメッセージアプリで了解、というスタンプを類に送って、ベッドから起き上がった。
もう行き慣れた道を進む。そして、類がいつも作業しているガレージの扉を軽くノックして開けた。
そこには小さなロボットを手に持った類がいた。わたしが来たことに気付いていなさそうなので声をかける。
「類、来たけど」
「ああ、寧々。急に言って悪かったね」
類はそう言うとロボットを優しく置いて立ち上がり、ソファの方を指さした。わたしはそのソファに座る。もうこの空間も慣れたものだ。
「で、話したいことって何?」
多分記憶についてだろうが、一応聞いてみる。
「寧々の記憶について…だね。昨日病院に行っただろう?結果が聞きたくて」
「ショックで一時的に失ってるだけじゃないかって。解決法は特に何も示されなかった」
「そうかい…。ありがとう」
これだけで会話は終了した。もう少し情報があればなんだが、本当にこれしか言われていないのでどうしようもない。少し申し訳なくなる。
すると、類は手元にあったスマホを開いた。
「ん?何するの?」
「セカイに行ってみればなにかヒントが見つかるかもしれないだろう?」
そう言いながら、類は『セカイはまだ始まってすらいない』をタップした。
その瞬間、わたし達の周りがまばゆい光で包まれた。
「あ~っ!寧々ちゃんに類くん!」
行き着いた先はワンダーランドのセカイ。想いから出来たセカイだ。あれ、誰の想いからなんだっけ…。
とりあえず…わたし達の名前を呼んだのはこのセカイの初音ミク。ツインテールをぴょこぴょこと揺らしながらこちらへ駆けてきた。
「2人とも、遊びに来てくれたの?」
「今日は少し相談があってね。少し聞いてくれないかい?」
「もちろん!カイト達も呼んでくるね!」
そう言うとミクはステージの方へ駆けて行った。元気だな、といつも思う。
でも、ミク達に相談したところでわたしの中の問題だし解決するのだろうか。記憶を戻す特殊能力なんてもってないだろうし…。
「ミクくん達と話していたらなにか思い出すことがあるかもしれないだろう?思い出すまで行かなくともきっかけにはなると思うんだ」
類が急に話し出した。しかも丁度疑問に思っていたこと…やっぱり心を読んでるとしか思えない。ありえないけど。
わたしはどう反応すべきか分からずとりあえず頷いておいた。
そうしている内にミク達がこちらへ到着した。今日は珍しくルカさんが眠くなさそうだ。
「やあ、寧々ちゃんに類くん。いらっしゃい」
カイトさんがそう言いながら優しく微笑んだ。
「今日はどうしたんだい?相談があるとミクから聞いたんだけれど…」
「えっと、それが……」
「「司くんの記憶が無い?!」」
レンとリンの声がハモる。2人は一瞬見つめ合った後、興味津々なまなざしでまたわたしの方を見た。
わたしは階段から落ちたところから記憶について全て話した。案の定、みんな驚いている。
「だから、今日はその人の記憶を戻す手がかりが欲しくて…」
みんなは協力してくれるだろうか。記憶なんてどうしようもないと言われるかもしれない。
でも、その人の記憶は無いけれど、何故かそれでも取り戻したいと強く思うんだ。
「ミク達に任せてよ!」
ミクが胸に手を当てて言った。
「うん、ありがとう…!」
とても嬉しかった。
「――でね、これがとっても素敵だったよね!」
ミクが写真を見ながら言う。
この写真はぬいぐるみ達が撮ってくれていたらしい。今まで気が付かなかった。
今、わたし達はカイトさんの提案で昔したショーについて振り返っている。題して思い出から記憶を掘りだそう大作戦。ちなみに作戦名はミクの考案だ。
わたしにもショーに関しての記憶はしっかり残っていた。けれど、その記憶には主人公が居ない。そう、主人公はだいたい、忘れてしまった人…天馬司さんが演じていたそうだ。なのでわたしの記憶では主人公のいない、かなりぶっ飛んだショーになっている。
「あ!ピアノ弾きのトルペ!司くん、凄かったな~」
リンが写真を指さして言う。
だがわたしの記憶に天馬司さんが演じたトルペは全くいない。
「どうだい、寧々。なにか思い出せそうかい?」
類がわたしの顔を覗き込んで言う。
「うーん、ショーをした記憶はあるんだけど…。」
「そうかい…なかなか上手くいかないものだね」
「記憶を戻すとなるとやっぱり難しいものねぇ…」
類とルカさんが困った顔をして言う。
すると、リンが何か思い立ったように立ち上がった。そして少しした後、はいはーい!と手を挙げて話し出す。
「寧々ちゃんの記憶が消えちゃったのって階段に落ちたときなんだよね?じゃあ、もう1回落ちたら戻るんじゃないかな!」
映画やアニメでもよくある戻し方だ。今まで見てきた中で実際に戻ることも多くある、が。そんな体を張った戻し方は最終手段にしておきたいという気持ちがあった。階段から落ちた時、普通に激痛だったからだ。あの時は人が来たら死ぬほど恥ずかしいし、知られるのも恥ずかしくて強がっていたがマジで痛かった。
「う…うーん、それはやめておきたいかな…」
キラキラ輝くリンの瞳をチラッと見ながら言った。
「そっか~。それじゃあ…――」
その後も沢山案を出し合って試して見たが記憶が戻ることはなかった。
けれど、このことで 天馬司 という人物がどういった感じなのかがだいぶ掴めた、気がする。記憶を失う前よりかは全然なのだろうが、少しずつ掴んでいければいつかは戻るはずだ。
そして、その日はもう夜が近づいているので帰ることにした。
***
月曜日の朝、わたしは自分の席で単語帳をなんとなくで見つめていた。
今日は英語の小テストがあるらしい。
小テストがあるなんて聞いてない、なんなら範囲すら分からない。なのでとりあえず周りに合わせて単語帳を開いてみたという感じだ。
簡単であることを願うしかない。
「草薙。そこは範囲じゃないぞ」
「ひっ…?!」
バッと声の聞こえた方を向くとそこには青柳くんの姿があった。反射的に声が出てしまった。申し訳ない。
「あ…えっと…」
「ここからここまでだ」
青柳くんが単語帳を指さしながら言った。
「あ、ありがとう…」
教えてもらえてよかった。青柳くんは近寄りづらい雰囲気があるけれど、本当はいい人なんだなと改めて実感する。
わたしが勉強を再開しようとしたとき、青柳くんが
「あと……」
と言いながらポケットを探り始めた。そしてポケットから何かを出す。
「金曜日、これが階段に落ちていたんだが…草薙のじゃないか?」
そうして手から出してくれたもの。それは星型のキーホルダーだった。
自分でも何故だか分からないけれど、わたしは奪い取るように青柳くんの手からそれをすぐに取って大事に握りしめた。確かにわたしのものだけれど、何故大事に感じるのだろう。
「あ…そんなに大切だったのか?見つけた時にすぐに追えば良かったな、すまない」
「あ、いや…ごめん。ありがとう」
わたしが礼を言うと、青柳くんは自分の席へ戻って行った。
なにか、大切なものを少しだけ取り戻した気がする。
***
ゆっくり慎重にあの日落ちた階段を下っていく。あんなにド派手に落ちるのはもう勘弁だ。
青柳くんから渡してもらった星型のキーホルダー。おそらく階段から落ちた衝撃で落としてしまったのだろう。多少欠けてしまっていたが、まあ仕方が無いだろう。大切なのだったら尚更、これ以上壊す訳にはいかない。なにか新しいものに取り替えてどこかにしまっておこうか。
そんなふうにぼんやりとキーホルダーを眺めていると、不意に声を掛けられた。
「草薙」
「あ、青柳くん。えっと…朝はありがとう」
「ああ、届けられて良かった。パーツに欠けはなかったか?取り残しがないようにはしたんだが…」
「うん、本当にありがとう」
……。
やばい、会話が繋がらない。
無言のまま階段を二人で下っていく。
すると、視界の中に金髪の男――天馬司さんが現れた。一瞬目が合った気がしたが、何となく気まずくて目を逸らしてしまう。
「司先輩に用があるのか?」
「えっ…いや、全然……」
全く全然なんかじゃなくて、なんなら用しかないのだが本人に直接会う勇気がない。きっと普通に行けば良いだけなのだろうが、今はその普通すら分からない。
「司先輩と何かあったのか?」
青柳くんは真剣な眼差しでわたしを見る。
ご名答、その通りだ。いくらなんでも鋭すぎないだろうか…。
というか、司先輩と呼んでいるということは知り合いか何かなのだろうか。
「えっと……。青柳くんはその人と知り合いなの?」
「ああ、幼い頃からお世話になっている尊敬する先輩だ……話したこと、無かったか?」
「あ…どうだろう」
「司先輩は、とても思いやりがあって誰にでも分け隔てなく接することが出来るんだ。また困難に直面しても努力をし続けることが――」
なんだかこの絶え間なく語られる感じ覚えてる気がする…。
何はともあれ、青柳くんも彼についてよく知っている人物みたいだ。何か見つけ出せるかもしれない。
「えっと…青柳くん?」
すると青柳くんはハッと我に返ったようにわたしの方へ向き直った。
「すまない、何か言ったか?」
「…わたしがその司先輩?を忘れたって言ったら――」
「えっ…?!」
今までで一番大きな青柳くんの反応を見た気がする。
「…どうだ?思い出せそうか?」
「うーん…やっぱりピンと来ないな。ごめん、付き合わせて」
青柳くんはとても協力的だった。天馬司さんをとても尊敬しているみたいで、どのような人物なのか、そして過去の話まで細かく話してくれた。
また図書室で記憶に関する本を探してまとめてくれたりと、随分尽くしてもらった。
しかし、わたしの記憶にあるのは青柳くんの語りっぷりだけで天馬司さんについては何も出てこない。
「そうか…力になれなくて申し訳ない」
青柳くんは本当に申し訳なさそうに俯く。
「いや、わたしが付き合わせただけだし…それに、その人についてもっと掴めてきた気がするから…」
「十分助かったよ。ありがとう」
「なら良かったが…。司先輩とは話したのか?」
「それが…話せてなくて……」
「そうか…。でも、記憶については謎な部分が多いからな。ふとした瞬間に思い出すかもしれない」
「あまり無理せず、ゆっくりで大丈夫だ。きっと司先輩も待っていてくださるだろう」
「…そっか。本当にありがとう、またね」
「ああ、またな」
そう言って青柳くんとわたしは別れた。
根本的な解決には至らなかったけれど、青柳くんのおかげで少し気持ちが軽くなったような気がする。
***
今日は久しぶりにショーの練習に出てみることにした。
流石に休みすぎているので罪悪感が湧いてきたのもあるが、青柳くんの言葉で少し楽になったのもある。
「おや?寧々。来れたのかい?」
「うん、体調は問題ないし、流石に休みすぎだから…」
「ふふ、そうかい。良かったよ」
類はニコッと微笑むと、舞台裏へ装置のメンテナンスに向かった。
となるとここにはわたし一人。このタイミングで彼が来てしまうとやっぱり気まずい。そう思ってわたしも舞台裏に足を進める。
「あ、寧々…」
わたしを呼び止めたのは天馬司さんだった。
全然心の準備が出来ていなかったので一瞬逃げようか迷ったが、さすがに失礼なので振り返る。頑張って目は合わせたが、傍から見てもわかるくらいに足がガタガタと震えてしまっている。
記憶を失う前もこんなに怖かったのだろうか。
「えっと…どうも」
わたしから出てきたのはそんな言葉だけだった。
周りの音は全く聞こえなくなって、自分の心音だけが響いている。
やっぱり駄目だ。怖い。怖くて仕方がない。
そうだよ。今まで普通に話していた人に忘れたなんて言われたら、今までの時間は何だったんだって恨まれるに違いない。きっと彼は今のわたしにいい感情を抱いていない。
…考えすぎだっただろうか。
わたしの考えていたこととは真逆に、彼はニカッと微笑んだ。
「練習に来たのか?」
「あ……はい」
呆気にとられて少し返事が遅れてしまう。
今まで何をしていたんだろう。せっかく色々な人に協力してもらって、彼について知っていったはずなのに。勝手に怖くなって、悪い方にばかり想像して。
「良かった、内容は覚えているか?」
「あ、はい…内容は大体。えっと…司さんの部分は抜けちゃってるんですけど…」
「む、そうか。では読み合わせからにしようか」
「は、はい……!」
大丈夫、ゆっくり思い出していけばいいんだ。
「どうだったかい?久しぶりの練習は」
練習が終わって、類と話しながら家へ帰っていた。
案外普通だったな、というのが第一の感想だ。周りの態度もいつも通り…司さんについては覚えていないが。
「うん、普通」
「それは良かったよ」
類はニコニコと微笑みながら、また進行方向へ向き直った。
わたし達の間に沈黙が流れる。いつもは怖い沈黙だが、なぜだか幼馴染との間では苦にならない。
そんな中でふと、今日のことについて振り返ってみる。
全体を通しての感想は類に伝えた通り、普通だ。
ただ、一つ違和感がわたしの胸に残っている。
それは、司さんについてだ。話を聞いていると何やら目立つ人のようだったのだが、なんというか大人しい。初めて知った人だから大袈裟に受け止めていた部分もあるだろうが、それにしても大人しい。ずっとなにか満たされないみたいな、そんな表情だった気がする。
「ねえ、類」
「どうしたんだい?」
「司さんって、あんなに静かな人なの?」
「うーん…言われてみれば、今日は静かだったかもしれないね」
「まあ、それだけ真剣だったんじゃないかな?」
「ふーん、そっか」
そもそもまだよく分からない人だし、そうなんだろうなと思って話は終わった。
***
今日はずっと、雨が降り続いていた。
あの日からは練習のある日には毎日出て、徐々に日常を取り戻しつつある。
だが、 天馬司 については全く思い出せていない。あの日類は真剣だっただけと言っていたが、あの後もずっと静かだった。
気のせいかとは思うが、わたしと話すときだけ苦しそうな顔をするような気がする。また考えすぎだろう。悪い癖だ。
だって、あんなに笑顔で受け入れてくれたのだから。
ただ、今日はショーの練習も学校も休みで、ゆったりとした休日が流れている。
だからと言って、ずっと部屋に篭もりっぱなしでゲームも余りよろしくない。
とりあえず掃除でもして、少しでも人間らしく過ごそう。
そう思って玄関へやって来たはいいものの、どこを掃除すればいいのか分からないくらいに綺麗だった。お母さんが掃除したばかりだったのだろう。本人は出かけているので確実ではないが。
とりあえず雑巾を持ってきてみて、靴箱の上を拭いていく。ここは手が届いていなかったのか、まだ埃まみれで中々にやりがいがあった。
そこでふと、靴箱の上に飾ってあった写真が目に入った。埃まみれでどんな写真なのかはほとんど分からない。埃を拭いていた雑巾で写真を拭いた。
そこには、ワンダーランズ×ショウタイムのみんなでパンフレットに掲載するために撮った集合写真があった。そういえば貰ったから飾っておいたんだっけ。前は頻繁に埃を拭いていた気がする。最近は色々あって写真の存在すら忘れていた。
その写真にはもちろん司さんも写っていた。わたしが忘れてしまったからだが、少し違和感がある。
ただ、写真の司さんはわたしが見てきた司さんよりも活き活きとして見えた。なんなら写真の方が映像で、わたしが見てきたものの方が写真のようにも感じる。
わたしはその写真を丁寧に戻して、その場に立ち上がった。
その時、ピンポーンと玄関チャイムの音が鳴った。
わざわざインターホンまで向かうのも面倒なので、そのままドアを開ける。
目の前には、司さんが立っていた。
何かわたしの家で予定があっただろうか。それなら全然部屋の片付けもしていないし…結構まずい。
わたしが固まっている間相手も特に行動を起こさずじっと立っている。とにかく沈黙が怖い。
「え、えっと…なにか約束してましたっけ…?」
なんとか沈黙を打ち破ることに成功した。頑張った、わたし。
「いや、特にしていないが二人で話したくてな。急に押しかけたことは謝るがどうしても話したいんだ」
「えっと…ここで良ければ…」
記憶をなくしてから初めて行った練習の時くらい、恐怖と緊張で全身が震えている。震える声を隠しながらなんとか応答した。
「すまんな。では、単刀直入に話させてもらおう」
二人で話す。何か大切なことなのだろう。
ゴクリと唾を飲む。心音がどんどん大きく速くなっていく。
「お前は、本当にオレを忘れたのか…?」
一瞬時が止まったみたいに、動きも思考も全て停止してしまった。
ハッと我に返って急いで返す言葉を考えるが全く出てこない。
「あんなに、たくさんの時を過ごしたのに。それで忘れたなんて…そんなことあるわけないだろう」
ふざけて、とか軽いノリ、って感じではなく真剣な空気だった。
そんな空気に押し潰されそうで中々言葉が出ない。
すぐに受け入れてくれたと思っていた。でも、そんなことは無かった。
わたしが感じた大人しさ。苦しそうな顔も。全部全部、気のせいなんかじゃなかった。
話を聞いて、彼は心の広い人物だと思った。でも、長期間だ。心がいくら広くとも、流石にキャパシティを超えてしまったのだろう。
なぜそんな簡単なことに気付かなかったのだろうか。
きっと彼を過信していたのだろう。優しい対応をしてもらって、彼は大丈夫なんだと思い込んでいた。
重い空気に罪悪感も乗っかってきて、どんどん言葉を放つことが難しくなっていく。
「何か…何か言ってくれよ…!」
なんて言えばいいんだろう。
謝る?でも、謝ったって綺麗に収まるとは思えない。ああ、今記憶が戻るのが一番最適なのに。
なんて言おう、なんて言おう…。
緊張と焦りで汗が止まらない。足は未だにガタガタと震えている。
「つ、司さ――」
「違う!」
「寧々は、寧々なら……。なんで!なんで忘れたんだ!」
「あ…あ………」
喉になにか詰まったかのように声が出ない。
「何か、何か言えよ!」
バンッと何かを叩いた大きな音が鳴った。その直後、何かが落ちてくる影が見えた。
わたしは咄嗟に目を瞑った。
頭に鋭い痛みが走る。その直後、ガラスの割れた音がした。
「あ……」
バタンと扉が閉まった。
恐る恐る目を開ける。
目の前には誰もいなくなっていた。濡れた傘が放置され、割れたフォトフレームが散乱している。
それは先程掃除した集合写真を飾っていたもので、幸いなことに写真自体に傷はついていない。
その写真を拾い上げて、とりあえず棚の上に置いた。
もう一度割れたフォトフレームに目線を戻すと、破片以外に何かあることに気がついた。ガラスが刺さらないよう慎重にそれを拾い上げる。
……!
「司…!」
わたしはドアを乱暴に開けて、傘もささず、靴もちゃんと履けないまま家を飛び出した。
いない、いない…。
当たりを見回しながら走るがどこにも見当たらない。
ちゃんと謝りたいのに。このままじゃ……。
わたしはあの日落とした星型のキーホルダーと色違いのものを握りしめて走り続ける。
もう既に息は切れ切れで、少しでも気を抜いたらそのまま倒れてしまいそうだ。
雨も相変わらず降り続いていて、じんわりと濡れているのが伝わってくる。
それでも走り続けなければならない。もう、二度と逃げないんだ。
わたしはあの日、逃げたんだ。
いつだっただろうか。無意識に目で追いかけるようになっていた。誰かと話しているのを見るだけで、胸が締め付けられて息もできないほどに苦しくなった。行動、発言の一つ一つに心がかき乱された。
ああ、これが恋なんだ。
わたしは、天馬司に恋をしたんだ。
そんな感情に気付いてしまった。自分だけのものにしたい。そんな子供みたいな欲望がわたしを塗りつぶしていった。
そんなふうに思ってしまう自分が嫌だった。だから恋心ごと独占欲も消し去ろうとした。でも、ホワイトボードに油性ペンで書いてしまった文字のように、簡単には消え去ってくれない。どうしても諦めをつけられなかったのだ。
何度も告白しようとして、でも気持ちを知られて関係性が壊れるのも嫌で、あと一歩が踏み出せなかった。贈りたい気持ちとプレゼントだけが山のように降り積もっていった。
辛くて辛くてたまらなかった。恋心を抑え込むのも、抑えきれない自分に嫌悪感を抱くのも。
だから、いっそ忘れてしまえばいいのにと思った。
今握りしめているキーホルダー。本当はお揃いにしたくて買ったものだけれど、これも忘れてしまいたくてフォトフレームの裏に封印した。
そう、天馬司を忘れたいと強く願っていた時、わたしは階段から落ちて記憶を失った。結果的に願いが叶ったのだ。
でも、あまりにも身勝手すぎる。自分に勇気がないだけなのに、逃げて。何事も無かったかのように忘れてしまって。
相手はどんな気持ちだっただろう。隠していたつもりではあったけれど、今までと違うことには多少勘づいていただろう。そんな人が、急に忘れたなんて。
司がどう思ってるかなんて知らない。もしかしたら、叶わない恋だったから忘れたのかもしれない。でも、思い出せた。
自分の気持ちにけじめをつけるんだ。
告白して、諦めをつけてやるんだ。
雨に濡れてどんどん視界が悪くなるけれど、わたしは前を向いたまま走り続けた。
ふと、雨のなかわたしと同じく傘をささずに歩く人影が目に入った。
一度は忘れてしまったあの姿。もう一生忘れるはずがない。
「司!」
走ってきた勢いを殺しきれず、そのまま司の背中に飛び込む。
「寧々…?!」
司はわたしを支えながらゆっくりと振り向いた。
「ええと…さっきは本当に申し訳ない。感情的になってしまってだな…」
「そのことじゃなくて…わたし、わたし……!」
いざとなると言葉が全く出てこない。自分の壊滅的な国語力を恨みたい。
大丈夫、きっと司なら聞いてくれる。
わたしは荒い息を整えるため深呼吸した。しっかり司に目線を合わせる。
司はじっとわたしを待ってくれていた。
そんな姿に背中を押されたように、急に勇気が湧き出てくる。わたしは大きく息を吸った。
「まず、記憶を失ったのも全部全部わたしのせいなの。わたしが司を忘れたいなんて思っちゃったから…。だからその、ごめんなさい」
「でも、えっと……」
わたしはキーホルダーを強く握りしめる。
もう後戻りなんかできない。いや、しちゃいけない。
言え、言うんだ!
「つ、司のことが…好きだから……」
やっと言えた。躊躇して、忘れてしまって…。随分遅くなってしまったけれど。
これでもう心残りなんてない。伝えたんだから。
「なあ、寧々」
司が口を開く。
わたしの心臓は痛いくらいに激しく鼓動している。
伝えられればそれでいいと思っていた。けれど、心は素直じゃないようだ。良い返事を期待してしまっている自分がいる。馬鹿、諦められないじゃん。
「その…だな」
「オレもお前が好きだ、と言ったら…可笑しいか?」
「えっ…?!」
あまりにも唐突で、みっともない声が出てしまった。
「えっと…嬉しいんだけど……ほ、ほんとに?」
「もちろんだ」
「司のこと、忘れてたのに?」
「ああ。好きな人に忘れられたとなると少々傷ついたがな。気持ちに揺るぎはない!」
「え、ええ……」
期待しておいてなんだという話だが、正直予想外すぎて頭が追いついていない。
まさか両思いだとは…。
そんな素振り見せていただろうか。わたしはずっと他の人と同じ対応をされていると感じていたが…。
思い返してみると、確かに親切にしてもらった場面は山ほどある。けれど、司は誰にでも分け隔てなく親切なことを考えると特別だった訳では無いと思う。
「…もう、馬鹿」
「な、なぬ?!」
「早く言ってくれれば良かったのに。無駄に気を遣ったじゃん」
きっと今だ。わたしは手に握っていたキーホルダーを司の方に差し出す。
「濡れちゃったけど…これ、あげる」
司は迷いなくすぐに受け取ってくれた。それを目線の高さに持ち上げて眺める。その姿はまるで、初めて見るおやつを与えられた子犬のようだった。
「このようなキーホルダー…寧々も付けていなかったか?…もしや、お揃いなのか?!」
「う、うるさい」
「はは、ありがたく受け取ろう!オレと寧々の仲直り兼交際の証だな!」
「もう、さっきから口に出しすぎ…!」
思わずため息が出る。けれど、心地の良いため息だった。
司は笑顔のまま、わたしの方へ向き直る。
「改めて、これからよろしく頼むぞ!寧々」
「うん…!」
雨はいつの間にか止んでいて、空には大きな虹がかかっていた。
二人並んで歩き出す。
この沈黙も、今は苦しくない。
ずっと曇り空だったわたしの心に光が差し込んだ。
***
身だしなみを整えて、家を出る準備を進める。
鞄の中身もチェックしておいたし、授業での忘れ物は無いはずだ。
鞄を持ち上げて肩にかける。玄関にたどり着くと、写真立ての埃を払ってから靴を履いた。
うん、大丈夫。
わたしは玄関のドアを開けて、学校に向かって歩き出す。
少し欠けてしまった星型のキーホルダーが風に揺れていた。