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ようやく自転車男の助けがなくとも、唯由のアパートにたどり着けるようになったぞっ。
思ったより早く仕事が終わり、ウキウキしながら蓮太郎は唯由のアパートの駐車場にとめようとした。
だが、先に車がとまっている。
何処のどいつが俺の指定席にっ、と憤ったが、その外車は丸っこく、カラーリングが明らかに女性好みのものだったので、なんとか堪えた。
誰なんだ?
友だちか?
俺が無理やり捻り出してきた貴重な蓮形寺との時間がっ。
人がいたのでは、ラブラブできないじゃないかっ。
ラブラブする勇気もない癖に蓮太郎は思う。
チャイムを鳴らすと、エプロンをつけ、髪をひとつにまとめた女が出てきた。
「お帰りなさい」
と言う。
蓮太郎は、
「こんばんは。
蓮形寺の友だちか?」
と彼女に訊いた。
すると、そのエプロンの女は中に戻りながら唯由に向かって叫ぶ。
「お姉様っ、騙されませんわ、この人っ」
おんなじ顔なのにっ、と言ったので、気がついた。
「おお、お前は邪悪な月子か。
実物は、そんなに蓮形寺と似てないな」
「お姉様、この人、私のこと、邪悪って言いましたわっ。
私とお姉様が似てないだなんて、目が節穴ですわっ。
ついでにお姉様のこと、まだ蓮形寺なんて呼んでますわっ」
「お前ら、姉妹は言いたい放題の家系かっ」
怒鳴りながら蓮太郎が月子について中に入ると、唯由がエプロンをつけてキッチンに立っていた。
こちらを振り返り、
「すみません。
お疲れなのに、余計、疲れる感じになっちゃって」
と苦笑いして言ってくる。
そんな唯由のエプロン姿に、
……なんか今、一気に心洗われたな、と蓮太郎は、ぼんやり見惚れ、思っていた。
蓮形寺。
お前は俺に『お帰りなさい』って言ってくれないのか?
そう思いながら、料理をつづける唯由の背を見つめていると、月子が先生に言いつけるように唯由の元に駆けていく。
「お姉様、聞いてくださいよ~っ」
「やかましいぞ、月子っ」
二人の時間を邪魔する月子に蓮太郎は文句を言う。
「お前、さては、ただのシスコンだなっ?」
キッチンに立つ唯由の背中を見ながら、蓮太郎は、ドラマに出てくるお母さんみたいだな、と感心していた。
自分の親がキッチンに立っているのを見たことがないので、そんな風に思うのかもしれない。
うちの親がキッチンに立つのって、客が来たとき、パフォーマンス的に立つときだけだからな……。
しかも、アイランドキッチンだから、バッチリこっちを向いているし。
蓮太郎はキッチンに立つ母親の背など見たこともなかった。
ちなみに、唯由の横には月子もいるのだが、蓮太郎の視界には入っていなかった。
唯由は可愛らしく料理をしながら、相変わらず阿呆な話をしている。
「この間、スーパーにいったら、『とっておきゴミ袋』ってあって。
どんなゴミ袋なんだろうな~と思って買ってみたんですけど。
『とってつきゴミ袋』でした」
まあ、それはいつも通りの光景なのだが……。
蓮太郎は、チラと横に座る女性を見る。
「あらー、月子。
なにこれ、まずいー」
蓮太郎とともにローテーブルについている女性が月子の作った煮物に文句をつける。
目鼻立ちのハッキリした美女、唯由の母、早月だった。
仕事帰りに娘のアパートに初めて寄ってみたのだと言う。
なんの案内もなく、ちょっと来てみようと思って迷わずこのアパートにたどり着ける早月を、蓮太郎はちょっと尊敬していた。
いや、まあ、大抵の人間はたどり着けると思うのだが……。
唯由が、
母よ。
ストレートすぎですよ、という顔でキッチンから早月を振り返っている。
だが、早月は、そこから月子を褒めはじめた。
「でも、意外に均一に切ってるじゃない。
いい感じに味がしみそうよ
味付けが良くなれば、かなりいいんじゃない?」
早月は月子に、頼りがいのある笑顔を向ける。
さすが看護師長……。
職場でもこんな感じなのかな、と蓮太郎が思ったとき、月子が早月に向かい頭を下げた。
「ありがとうございますっ。
お姉様のお母様っ。
では、こちらの料理のお味はどうですか?」
何故か、月子は唯由の母に心酔しはじめた。
なんだかわからない迫力のせいか。
初めて作った料理を褒められたからか。
いや、よく聞いたら、そんなに褒めてはいないんだが……。
唯由が、堂々と月子にアドバイスをしている母に、
「あの~、お母さん……、全然、料理しないよね~」
と呟いていたが、誰も聞いてはいなかった。
「なに、あんたたち、旅行行くの?
別にいいわよ。
行ってきなさいよ」
全員で食卓を囲んでいるとき、早月が言った。
突然、キャンセルが出たらしく、食べてる途中で保子から電話がかかってきてしまったのだ。
蓮太郎が早月に唯由と温泉旅行に行ってもいいかと訊くと、早月はあっさりオッケーを出してきた。
唯由が、あ~……という顔をする。
親が反対しているから行かないと言い訳して、最初、断ってきたからだろう。
「反対しないんですか?」
蓮太郎は、そう早月に訊いてみた。
「反対して欲しいの?」
と言われ、急いで首を振る。
「それにしても、美味しいわね、このちりめんじゃこのパスタ。
唯由、レシピ教えてよ」
「お母さん、作るのっ?」
「作るわけないじゃない」
なんなんだろうな、この親子、と思いながら、蓮太郎は眺めていた。
月子はひとり静かに初めて自分の作った料理を食べている。
「まずいけど、美味しいですわっ」
と感激しながら。
唯由がわかるわかる、と頷いていた。
唯由も最初はそうだったのだろう、と思っていると早月が唯由に感心したように言う。
「しかし、人間、やればできるもんね。
リンゴの皮もむけなかったあんたが。
学校の家庭科で提出することになってたパジャマも三条に縫わせたあんたが、人に家事を教える立場になるなんて」
「三条はパジャマまで縫えますの?」
と驚く月子を振り向き、早月は言った。
「ちょっと、三条、大事にしなさいよ。
ほんとうにいい人なんだから。
他の使用人たちもよ」
そう言われ、月子は黙る。
「あんただって、いつまでもお嬢様でいられるとは限らないわよ。
好きになった男が貧乏人だったらどうするの?」
いやいや、お母さん、と唯由が口を挟んだ。
「貧乏生活もなかなか楽しいよ」
「待て待て待て」
蓮太郎が唯由の言葉に異を唱える。
「手土産買うのに、店ごと買い占めるような奴が貧乏生活とか言うのおかしくないか?」
月子と早月が、唯由ならやりそうだ、という顔をして笑っていた。
「諦めないでっ。
さあ、もう一度最初からっ」
唯由の呼びかけに、月子が、はいっ、と答える。
食後のデザートにと、唯由が月子に林檎をむかせていた。
月子は、
「お姉様に、料理上手になる魔法をかけてもらいたい」
などと抜かしていたが、魔法どころか、とんだスパルタだ。
どうしても手が震えて、林檎の皮が細切れになってしまう月子を唯由が叱咤する。
「月子っ、怖がらないで。
包丁を友だちだと思ってっ」
いや、包丁が友だちな奴、嫌なんだが……と思いながら、眺めている蓮太郎に、早月が訊いてきた。
「ところで、雪村って、もしかして、あの雪村さん?」
雪村真伸のひ孫だと言うと、……ああ、と早月は言う。
その、ああ、があまりいい感じではなかったので、なにかまずかったかな、と蓮太郎は思った。
家同士で揉めているということはないと思う。
月子と自分の見合い話が何度も出るくらいだから。
早月は、キッチンに立つ唯由が月子を、
「その調子、その調子」
と褒めているのを見ながら言ってきた。
「いや、雪村さんちじゃ、唯由も私みたいに苦労するのかなと思って。
お金があれば、人生楽しいってもんじゃないからね」
私には蓮形寺の暮らしは窮屈だった、と早月は言う。
「家事やらなくていいのは良かったんだけどね。
まあ、今もやってないけど」
いや、どうやって暮らしてるんですか……と蓮太郎が思っていると、
「今はほら、コンビニやデパ地下や、家電が家事やってくれるじゃない」
と言って早月は笑う。
「まあ、ホテル住まいという手もあるけど」
……まるで自分は金持ちではないかのように言うが。
やはり、この人も感覚がズレている、と蓮太郎は思っていた。
自分がズレているのは、人に言われてもよくわからないのだが。
人がズレているのは、何故だか、よくわかる。
そう思ったとき、早月が蓮太郎を見つめ、言ってきた。
「唯由を幸せにしてやってね。
ちょっと変わった子だけど。
あれでも、唯由なりに一生懸命やってるみたいなの」
苦笑しながら言うその言葉に、放任すぎるように見える早月の娘への愛を感じ。
この期待に応えられるだろうかな、と蓮太郎は不安になった。
すると、そんな蓮太郎の表情を見て、早月は笑う。
「大丈夫よ。
浮気せず、隠し子も作らず、昔の恋人と一夜の過ちとか……
犯さなきゃいいだけよ……」
ぼそりと言ったその言葉は、声の大きさのわりに室内に響き、ひっ、と唯由と月子が振り返っていた。