テラーノベル
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食べたいものって聞かれても意外とすぐには思いつかないんもんだな。
俺は好き嫌いもアレルギーも無いから何でも食べられる。お昼にご馳走になったピザも美味しかったけど、夜はもっとがっつりボリュームのあるものがいいかもしれない。
日雷の名物を事前に調べておけば良かった。出発前に姉に『観光に行くくらいの気持ちで行け』なんて言われたのを思い出す。特待試験を受けるのが目的なので、残念ながらそこまでの余裕は持てなかったのだ。
日雷に到着して早々、色んな事があった。俺以外の特待生候補との出会い……魔道士のクラスとレベルについての説明……高ランク幻獣の襲撃。そして、東野もとい『蓮杖時雨』との再会――――
これらの出来事が僅か数時間の内に起こった。まだ試験本番にもなっていないというのに激動の一日すぎる。
時雨がいなかったら日雷に来ることは出来なかった。俺にとって恩人といえる存在だ。初めて会った時は変質者にしか見えなかった彼だけど、今はとても頼もしく感じている。まさかここまで認識が変わるとは思わなかった。
日雷で判明した彼の素顔と本当の名前。顔を隠していた理由はまだ不明だけど、『蓮杖』という苗字には聞き覚えがあった。どこで聞いたのかずっと考えているがなかなか思い出せない。結構最近だったような気もするけど……
『蓮杖』について思考を巡らすと意識がぼんやりとしてしまう。まるで思い出すのを妨害するみたいに頭の中に白いモヤモヤが広がっていくのだ。すぐそこまで答えが出かかっている気がするのに、もどかしいったらない。
体が怠い……
あれ? そういえば……俺は今どこで何をしてるんだっけ。
柔らかくて暖かいふわふわした物が体全体を包み込んでいる。ものすごく気持ちが良い。いつまでもここにいたくなってしまう。
『――――!!』
何か聞こえた気がする。人の声だと思うけど、内容までは分からない。目を開ければ自分がいる場所も声の正体も判明するだろうに……それが非常に難しかった。俺の目に問題があるわけではない。スティースにかけられた怪しい術は、時雨と榛名先生が解いてくれたのだから。それならどうして、こんなにも目を開けるのがつらいのだろうか。
『とーおーるー!!』
『は? 誰……』
誰かが名前を呼んでる。さっき聞こえた声と同じだ。今度ははっきりと内容が分かったのに、俺の体は動いてくれない。いや、動きたくないのだ。もうしばらくこの心地良い場所にいたい。声の主が誰かは知らないけど、放っておいてくれ。
『とおる! とおる!!』
今度は体を揺さぶられながら、さっきよりもはっきりと聞こえる音量で名前を連呼される。うるせー……誰だよ。せっかく気持ちよく寝ているんだから邪魔をしないで欲しい。
寝ている……?
俺は寝ていたのか……目を開けるのがつらい理由が判明した。でも、どこで寝てるんだろう。ここはどこだ? 俺の名前を呼んでいる人物は何者なんだろう。
微睡みの中に沈んでいた意識がゆっくりと浮上していく。閉じた貝殻の如く開こうとしなかった瞼も軽くなってきた。もう少しで開きそうだ。
「あ、やっと起きた」
「……誰?」
「えー!? もう僕の顔忘れちゃったの? 一度見たら絶対に忘れられないってご近所で有名なのにー」
半開きの目にはその人物の姿はぼやけて写り、はっきりとは見えなかった。すぐ側に誰かがいるのはちゃんと認識できているけど、姿形までは不鮮明で判別ができない。
「そろそろお昼になるよ。透は昨日の昼から何も食べてないんだよ。お腹空かない?」
腹? 意識したら急激に空腹感が込み上げてきた。時雨と夕食を食べに行く約束をしていたんだっけ。のんびり寝ている場合じゃないな。起きないと……でも、まだ何を食べたいか決めてない。とりあえずざっくりとした希望だけでも伝えよう。
「……えっと、肉とか」
「透、まだ寝ぼけてるよね。僕のことちゃんと分かってる?」
頬を緩く摘まれた。痛い……呼びかける言葉は優しいのに扱いは結構雑なんだよな。この人。
そうか、やっと分かった。俺にさっきから話しかけている人物が誰なのか――――
「……時雨さん?」
「そうだよ。ようやく頭が働きだしたみたいだね、透」
目の前にいたのは『蓮杖時雨』だ。まるでモデルのような整った顔とスタイルを有する男。色素の薄い髪に紅の瞳。どちらも珍しい色合いで非常に美しいと思う。
「ここどこ? 俺いまどうなってるの?」
「ここは僕が持ってるマンションのひとつ。透は丸一日寝てたんだよ」
時雨から視線をずらして部屋の中を見渡してみた。ダークカラーで統一された落ち着いた内装。家具も同系色で揃えられており、全体的に高級感が漂っている。窓めっちゃデカいな。何階の部屋か分からないけど、外の景色がよく見えそうだ。
目を治して貰った以降の記憶が全くない。榛名先生は? 小夜子と真昼は? みんなはどこに行ったんだろう。どうして俺は時雨の部屋で寝てるんだ?
「ごめん、時雨さん。俺……全然覚えてない。多分また迷惑をかけちゃったみたいだけど、説明して貰えるかな」
「うーん……迷惑なんてひとつもかけられてないけどね。寝起きのせいかな。透はまだ混乱してるのかな」
『ちょっと待っててね』と言い残して、時雨は部屋から出て行ってしまった。ひとり残された自分はもう一度室内を観察する。
ここ寝室だよな……すげー広い。時雨は自分が持ってるマンションって言ってたけど、お値段はいくらするんだろうか。想像するのが怖い。俺が寝ているこのベッドだって絶対高級なやつに決まってる。
蓮杖時雨はプライベートジェットを所有するとんでもない富豪であることを今更ながらに思い出した。
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