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それから数日間
喫茶「桜」の営業は
穏やかな日々が続いていた。
レイチェルは
桜での業務にも完全に慣れ
ローラースケートで
ホールを軽やかに滑り
皿を運ぶ姿にも
余裕が感じられるようになっていた。
その為、時也は喫茶 桜の
『悩みが解決する』という噂を
さらに広める為に
店内に漂う心の声に
集中する時間を増やしていた。
今もカウンターの奥で
コーヒーを丁寧にドリップしながら
静かに目を閉じ
集中している。
レイチェルは
そんな時也の横を通り過ぎ
下げた食器を厨房に運び込んだ。
「お前が来てから、随分と楽になったわ」
食洗機の扉を閉め
スイッチを押したソーレンが
さらに食器を運び込んできた
レイチェルに向けてニッと笑うと
大きく伸びをした。
「ふふ。役に立てて良かったわ!
時也さんも
悩みの解決に集中できてるみたいだし」
「最近は転生者の来店もねぇしな⋯⋯。
アイツも必死なんだろ」
レイチェルは
一瞬だけ表情を曇らせ
カウンターの時也を
そっと見つめる。
「うん⋯⋯
悩みを解決する数を増やして
さらに噂を広めようとしてる感じだね。
時也さん⋯⋯
精神を削り過ぎないと良いけれど」
ソーレンはそれを聞くと、肩を竦める。
「アイツは言ったって聞かねぇよ。
やるっつったら、やる。
ああ見えて、頑固なんだよ」
(⋯⋯やれやれ。
心配を掛けてしまってるようですね)
時也は二人の会話を
背中で微かに聞きながら
さらに集中力を高めていた。
スペシャルドリンクの注文がなくても
客が心で悩みを呟いていれば
答えられる内容である限り
答えを書いたメモを添えた
ソーサーを用意する。
(5番テーブルのお二人連れ⋯⋯
女性の悩みには答えられそうですね)
時也は用意していたドリンクを
トレイにそっと載せると
レイチェルを振り返った。
「レイチェルさん
これを5番テーブルの女性にお願いします」
「はい!」
レイチェルは笑顔でトレイを受け取り
ローラースケートを滑らせて
テーブルへと運んでいく。
その背中を
優しく見送った時也は
再び静かな店内を見渡した。
その時
一番奥のテーブルにいる男性客が
目に入った。
深く椅子に座り込み
手元の本を眺めているが
何度もちらちらと
視線をアリアに向けている。
(あのお客様⋯⋯もしかして)
時也はゆっくりと
その客の心に意識を集中した。
微かな心の声が拾え始める。
(⋯⋯ふむ。なるほど⋯⋯)
時也の中である確信が生まれた。
彼は手早く新しいコーヒーをドリップし
カップを丁寧にトレイに載せると
自ら男性のテーブルへと向かった。
「あ、ご注文ですか?
どこのテーブルです?」
レイチェルが首を傾げると
時也は穏やかな笑顔で
小さく首を振る。
「これは⋯⋯
僕が運びますので、大丈夫ですよ」
時也は静かな足取りで奥へと歩く。
男性の前を通り過ぎる瞬間
足元がもつれたようにトレイが傾き
熱いコーヒーが男性客の腕に降り注いだ。
「お客様、申し訳ございませんっ!」
普段は冷静で落ち着いた時也の
珍しく焦った声が店内に響く。
「えっ!?
時也さんが失敗?
珍しい⋯⋯お客様、大丈夫かしら」
レイチェルは
慌てて駆け寄ろうとするが
その腕をソーレンが掴んで引き止める。
「行かなくていい」
「え!?」
レイチェルが驚きで振り返ると
ソーレンは意味深に笑った。
「ありゃあ⋯⋯
別な意味での『特別ゲスト』さ」
レイチェルは
その言葉の意味を図りかねて
戸惑いながら時也を見つめる。
時也は静かな口調で
男性客に謝罪を重ね
腕を冷やす為だと言って
店の奥にある居住スペースへと
連れ出そうとしている。
男性は少し抵抗したが
時也の穏やかでありながらも
有無を言わせぬ口調に押され
やがて奥へと向かった。
(時也さん、一体何が⋯⋯)
レイチェルは不安げに
その背中を見つめたが
ソーレンは再び皿を拭き始めている。
「気にすんな。俺らは仕事だ」
ソーレンのその一言に
レイチェルは心を落ち着かせ
再び笑顔でホールへと戻っていった。
時也は男の腕を引き
喫茶 桜の居住スペースを通り抜けて
裏庭へと出た。
人気のない空間に
冷たい風が吹き抜け
木々の葉がさざめいている。
「⋯⋯火傷を冷やすんじゃ?」
男は訝しげに、時也の背中を睨んだ。
店内では礼儀正しく
穏やかだった男が
何故わざわざ外に連れ出したのか⋯⋯
嫌な予感が脳裏を掠める。
「⋯⋯えぇ。冷やして差し上げますよ」
時也は振り返える。
その顔には先程までの
柔らかさは微塵もなかった。
鳶色の瞳には冷酷な光が宿り
薄く口角が持ち上がる。
「アリアさんを狙う⋯⋯
その低俗な頭を、ですが」
男の表情が一瞬、引き攣った。
だが直ぐに
観念したように舌打ちし
懐に手を伸ばす。
「⋯⋯ちっ!バレてやがったか」
「はい。
此処に 貴方のお仲間が
潜んでいる事も
存じてます」
その言葉に呼応するように
周囲の茂みや物陰から
ぞろぞろと男達が姿を現した。
黒づくめの服に身を包み
手にはサプレッサー付きの
銃が握られている。
鈍い光を放つ銃口が
次々と時也へと向けられた。
「バレたところで⋯⋯
あの女の取り巻きに
何ができるんだよ?」
取り囲むように男達が陣取り
静寂の中
ただ銃器の金属音が
乾いた響きを残す。
銃口が引き金を引かれるのを
今か今かと待っていた。
時也はそんな男達の顔を
一周するように見渡し
静かに、しかし
嘲るように口元を歪めた。
「逆に伺いますが
貴方達程度で
彼女に近付く事ができるとでも?
穢らしくて⋯⋯
きっと彼女の瞳にも映らないかと」
「⋯⋯撃て」
乾いた銃声が
鋭い音を立てて裏庭に響く。
数発、いや、
それ以上の弾丸が発射された。
⋯⋯が。
銃弾は時也の目の前で
ぴたりと静止していた。
無数の弾丸が
空中で唸るように回転し
まるで見えない壁に
阻まれたかのように動かない。
「⋯⋯なっ!?」
男達の間に動揺が走る。
宙に浮かぶ淡い紫の光の護符が
静かに揺れながら
弾丸を押し留めていた。
護符から漂う光が
まるで時也の盾のように
優雅に広がっている。
「僕程度に
当てられないのでは⋯⋯
やはり貴方達では
彼女の前に立つ事すら
叶わないでしょうね」
時也はゆっくりと
まるで舞うような動きで
数枚の護符を宙に放った。
護符は風に乗り
無数の桜の花弁となって
時也の周囲を漂い始める。
「それでは、皆様⋯⋯さようなら」