テラーノベル
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「広いなぁ……。ここが来月の大会会場?」
泉は、潮風の吹くメインスタンドの最上段から、広大な競技場を見渡して感嘆の声を上げた。
週末を利用しての下見。陸の「本番の空気を知っておきたい」という提案に、いつもの五人が集まった。
「ああ。ここで、俺はくるみ先輩が提示した『理想のタイム』を叩き出す」
陸はトラックを見下ろしながら、余裕のある、けれど一切の妥協を感じさせない表情で言った。
「あの人はマネージャーとして完璧だ。俺の限界も、可能性も、全部見透かしてる。……だからこそ、その期待を軽々と超えてみせたいんだよね」
陸の視線は、すでにスタートラインに立つ自分を捉えているようだった。憧れのマネージャーに、ただの「手のかかる後輩」ではなく「一人の選手」として認められたい。その一途な熱が、彼の余裕ある佇まいに凄みを与えていた。
「お前ら、あんまりはしゃぐなよ。下見が終わったら、さっさと帰るぞ」
優が不機嫌そうに、けれどいつものように冷静に周囲をチェックしている。
「もう、優くんは。せっかく海が近いんだから、少しは楽しもうよ!」
紗良が瞬の袖を引いて、「ね、瞬! あそこの展望デッキ、行ってみない?」とはしゃいでいる。瞬は「わかったから、そんなに引っ張らないで」と苦笑しながらも、彼女の歩調に合わせて歩き出した。
「泉、お前も行くか?」
陸が振り返り、泉に声をかける。
「あ、私は……。さっきの補助競技場の入り口、マネージャーとしての動線を確認しておきたいから、先に行ってて!」
「そうか。さすが泉、熱心だな。……じゃあ、中央ロビーで15分後に集合な」
陸は親指を立てて笑うと、優を促して展望デッキの方へと向かっていった。
(……よし、しっかりしなきゃ。私も、くるみ先輩みたいに……)
泉は一人、メモ帳を手に複雑な通路へと足を踏み入れた。しかし、この競技場は迷路のように入り組んでいる。さらに、今日は別のイベントの準備も重なっており、あちこちの扉が閉まっていた。
「あれ……ここ、さっき通ったかな」
気づけば、周囲に人の気配がなくなっていた。半地下のような薄暗い通路。波の音と自分の足音だけが響き、急に心細さが押し寄せる。カバンを漁るが、一番大切なスマホがない。さっきのスタンドに置いてきてしまったのだ。
「どうしよう……。陸くんたち、待ってるよね……」
焦れば焦るほど、出口が分からなくなる。あの日、屋上で独りぼっちだった時の記憶が、冷たい影となって足元から這い上がってくる。
その時だった。
「――おい」
背後から響いた、低くて少し苛立ったような声。
泉が弾かれたように振り返ると、そこにはポケットに手を突っ込み、少し肩を上下させている優が立っていた。
「優、くん……? なんで……」
「……陸が、お前が遅いってうるさいからだ。……ったく、お前は本当に、目を離すとすぐどっか行くんだな」
優は吐き捨てた。けれど、その瞳は怒っているというより、何かを確かめて安堵したような、妙に落ち着かない色をしていた。
「ごめんなさい……。道が分からなくなっちゃって」
「……。……来い。出口はこっちだ」
優はそれ以上責めることなく、踵を返した。
泉は慌ててその背中を追う。
「優くん。……もしかして、探してくれたの?」
「……陸が騒いでただけだ。俺は、アイツがうるさいから動いただけだ」
優は前を向いたまま、ぶっきらぼうに答えた。
でも、その歩幅は、泉が遅れないように、驚くほどゆっくりと調整されている。
「……ありがと。優くん」
「……、……別に」
優の背中越しに、遠くで陸の「おーい! 泉、無事かー!?」という明るい声が響いてきた。
太陽のように遠くから皆を照らす陸と、すぐ隣で無愛想に歩く優。
泉は、優の大きな背中に守られながら、自分がまだ「自分の居場所」を探している最中なのだと、改めて実感していた。
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