テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
千年の昔から「神社の守り主」と称される巫女、御鏡白雪(みかがみ・しらゆき)は、深い霧に包まれた奥つ山の古社・天鏡神社をたった一人で護っていた。
かつてその神社は、国中のあらゆる厄災や異形を封じる大結界の要であった。時代が移り変わり、下界の人々が神の存在を忘れて久しい今も、白雪は夜ごとに境内の掃除をし、神前で舞を納め、社を護り続けている。
白雪の手にする神楽鈴は特別なものだ。一振りすれば清らかな風が吹き抜け、邪気を祓う。しかし、その鈴を振るたびに、彼女の記憶が少しずつ削り落とされていくという宿命があった。神の力をその身に宿す代償として、彼女の魂は「守り主」という役割そのものに変質していたのだ。自分がなぜここにいるのか、昔どんな家族がいたのかすら、もう覚えていない。
ある雨の降る晩、神社の鳥居をくぐり、ボロボロになった一人の男が倒れ込んできた。男の名は葛城(かつらぎ)。界隈の妖(あやかし)を追っていた退魔師だった。
「ここは……まさか、伝説の『神社の守り主』の社か……」
白雪は静かに男の手当をし、温かい茶を出した。男は驚いた。噂では「恐ろしい神の化身」とも「感情を持たない人形」とも言われていた守り主が、目の前でただ穏やかに微笑んでいるからだ。
「なぜ、一人でここを護り続けるのですか。人々に忘れられた神社など、捨てて下界で暮らせばいい」
葛城の問いに、白雪は自分の手を見つめながら答えた。
「理由……それは覚えておりません。けれど、ここを守らなければ、この山から溢れ出た影が、下界の人々を飲み込んでしまうことだけは分かります。私にとって記憶は残っておりませんが、この手が、この足が、守るべき道を知っているのです」
その直後、山奥の封印が破れ、膨大な異形の群れ——古の陰気が神社に向かって押し寄せてきた。境内の木々が激しく揺れ、鳥居が鳴動する。
葛城は刀を抜こうとしたが、負傷した体ではまともに戦えない。
「下がりなさい」
白雪は静かに前に出た。緋色の袴を風にはためかせ、神楽鈴を高く掲げる。
「天鏡の神よ、我が身を器とし、清浄なる威光を示したまえ」
彼女が舞い始めると、夜空を裂くような眩い白銀の光が境内を満たした。鈴の音がシャラン、シャランと鳴り響くたび、押し寄せる異形たちは光の粒子となって消え去っていく。
だが、葛城は見逃さなかった。鈴が鳴るごとに、白雪の瞳から薄っすらと感情の光が消え、髪の毛がさらに透き通るような白へと変わっていくのを。
最後の大妖を祓い終えたとき、白雪はその場に膝をついた。葛城が慌てて駆け寄る。
「おい、大丈夫か!?」
白雪は葛城を見上げ、少し首をかしげた。その瞳は澄み渡っていたが、どこか遠くを見ているようだった。
「……あなたは、どなたですか?」
白雪は、先ほどまで手当をして会話を交わしていた葛城のことさえ、鈴の代償として忘れてしまっていた。
葛城は胸を突かれるような思いを抱きながらも、優しく微笑んで答えた。
「俺は……通りすがりの旅人です。あなたが、この神社と俺の命を守ってくれたんですよ」
白雪は少し驚いたように目を丸くしたあと、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「そうですか。お役に立てたのなら、良かった……。私は、この神社の守り主です。いつでも、ここでお待ちしておりますよ」
自分が誰かを救った記憶さえ失っても、彼女は「守り主」として、今日も変わらず神社に立ち続ける。葛城は固く誓った。世界がどれほどこの場所を忘れようとも、自分だけは彼女の戦いと、その美しさを覚えていようと。
朝霧が晴れ、静かな境内に、また一つ清らかな朝が訪れた。
#自由
もずく
1,241
11
エコ

233
コメント
1件
第11話、読了しました。神楽鈴を振るたびに記憶が削られていくという設定の切なさが、今回のラストで一気に炸裂しましたね。“あなたは、どなたですか?”——先ほどまで手当をして言葉を交わした相手を忘れてしまう代償が、余韻として重くのしかかってきます。それでも「守るべき道を知っている」と言い切る白雪の芯の強さが、設定の美しさを支えているんだなと感じました。葛城が「通りすがりの旅人です」と名乗る選択も優しくて、二人の距離感がこれからどうなるのか気になります。