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 窓を開けて風を通しているリビングで夏の間は飾りになっている暖炉の隅、日付と山の名前が記されている形のきれいな石や古びた木製の小箱の隣に、リオンとゾフィーの二人が腕を組んでこちらに向けて満面の笑みを浮かべている写真をそっと置いたウーヴェは、カウチソファで小さな子どものように身体を丸めて横臥しているリオンの様子を窺い、ここで良いかと問い掛ける。

「ん? うん、そこで良い」

 暖炉の上ならばここに座る自分たちをいつでも見守ってくれるからと笑い、少しだけ位置を直して納得した証に頷いたウーヴェがリオンの横に腰を下ろすと、横臥したままずるずると移動し、ウーヴェの腿に頭を載せてくる。

「どうした?」

「んー? なんかさ、久しぶりにレバーケーゼのスープ食って美味かった」

 ランチに食べたいと思ったが作る手間などを考えて夜に食べようとウーヴェが提案し、それに頷いたリオンがならばランチは適当な店で食べようと笑ったが、かなりの時間躊躇った後にゲートルートはまだちょっと入れないと小さく告げ、その思いをしっかりと理解しているウーヴェが薄くなってきた痣を指先で突いて他の店の名前を挙げたのだが、結局ランチは通い慣れているイタリアンレストランでパスタを食べたのだった。

 そのランチも良かったが、やはり二人で初めて一緒に作ったスープが美味しかったと笑うリオンにウーヴェも満更でない顔で頷き、美味しく食べられたのなら良かったと笑ってリオンの口の端を撫でる。

「この痣が消えるのにはもう少し時間が掛かりそうだな」

 この痣が薄れて完全に消えてしまうまではもうしばらく時間が掛かり、心の傷の治癒にはもっと時間を要するだろうが、二人で一緒に治していこうと告げて額にキスをするとリオンの顔がくすぐったそうに顰められて首も竦められる。

「……うん」

 いずれ家族になるつもりだとの言葉はリオンの中で溶けて骨の髄にまで染み渡り、聞かされた直後の不安な気持ちや胸の痛みなどをもたらすことは無くなっていて、ただ素直に頷けばウーヴェも安心したように目を細めて髪にキスをする。

「週明けから仕事に復帰するんだろう?」

「ボスにもそう言ってある。な、オーヴェ」

「どうした?」

 仕事の話になるとさすがに何処かのスイッチが切り替わるらしく、小首を傾げるウーヴェを起き上がって真正面から見つめると、ジルのことだと苦笑してウーヴェの目を瞠らせる。

「彼がどうしたんだ?」

「うん。あいつさ、ゾフィーの……仲間、だったけどさ」

「ああ、そうだな」

 己の姉が人身売買組織のメンバーだった事実は最早どうすることも出来ないが、やはり自らの口でそれを告げるにはまだまだ感情が揺れて言葉に出てしまい、ウーヴェが穏やかな顔で無理をするなと伝える代わりにリオンの髪を掻き上げて見えた額にキスをし、そのまま頭を抱き寄せるとリオンも素直に身体を寄せる。

「ゾフィーとジルの仲間割れってことは、組織としてはどうなんだ?」

「どう、とは?」

「組織の中でどんな地位にいたんだろうなって……」

 もしも彼女が組織の中の下っ端であれば痛くも痒くもないだろうし組織としては別の人間を派遣するだけだろうが、ジルベルトはどうだろうと呟くとウーヴェが柔らかな髪に口を寄せつつ考え込む。

「ジルさ、あいつプライド高いから。あいつが下っ端なんて考えられねぇ」

 どちらかと言えばロスラーの方が下っ端のような気がすると呟いてウーヴェの肩に頭を預けて欠伸をしたリオンは、ジルベルトが組織の中でも重要な位置を占めているのならばまた会うことがあるだろうとも告げてウーヴェが口を開く前、暗く冷たい笑みを浮かべてまるでその場に彼がいるかのように囁きかける。

「……お前のきれいなきれいな顔を潰してやる。待ってろよ、ジル」

 ウーヴェの腕の中で囁かれる言葉は甘言のような響きを持っているのに内容は戦慄を感じてしまうもので、一つ身体を震わせたウーヴェに気付いたのかリオンがぎゅっとウーヴェの服を握りしめる。

「大丈夫だって」

「……彼のことは警部やみんなと相談して決めるんだ、リオン」

 独自に彼の行方を追いかけるようなことをせず頼れる上司や仲間に一任し、彼らの指示に従った方が良いと僅かに汗を浮かべつつ見ると、青い瞳の中に決して埋めることの出来ない暗くて深い穴を作ったリオンが驚きに目を瞠る。

「大丈夫、オーヴェ」

 単独行動はしない、お前に誓うと片手を上げて宣言するものの、もしもその機会が訪れたとすればきっとリオンは元同僚であり姉を殺した男に向けて拳を振り下ろすことを躊躇わないだろう。

 どんな理由であれ暴力を振るう姿を見たくないと強く願っているウーヴェにとってはその未来は決して明るいものではなかったため、出来るならば戻ってきて欲しくないと胸の裡で呟きリオンの頭に頬を押し当てる。

「……ま、あいつのことはボスと相談するな、オーヴェ」

「ああ」

 今すぐどうこうすることはないだろうとひとまず胸を撫で下ろしたウーヴェにリオンも笑みを浮かべ、お前が心配するような事にはならないから安心しろと片目を閉じて伸びをすると、不安が消えない端正な顔にキスをする。

「リオン……」

「……ジルをぶっ殺しても……ゾフィーは戻って来ねぇし」

 そんな復讐を行ったところでゾフィーが本当に喜ぶとも思えないどころか、夢に出てきて叱り飛ばされそうだと苦笑し、だから絶対にそんなことはしないと誓うリオンにウーヴェが信頼している証に頷いて柔らかな髪を何度も撫でる。

「もう今は考えるな、リーオ」

「……そうする」

 彼の身柄を拘束したいのは分かるが今は何も考えるなと目を細め、暖炉の写真へと顔を向けたウーヴェにつられるようにリオンも視線を投げ掛け、こんな未来が待っていることなど予測もしないで笑う己とゾフィーを見て軽く唇を噛む。

 この写真を見るたびにゾフィーの罪やそんな彼女の苦しみを見抜けなかった己の愚かさが心の中に影を落とすのかと思うといっそ写真を破り捨てたくなり、己の思いを行動に移そうとした瞬間、やんわりと肩を押さえられて額にキスを受けて青い目を瞠れば、広くなった視界でウーヴェが窘めるにしては優しい視線で見つめてくることに気付く。

「オーヴェ……っ……」

「今はまだ無理だ。でも、いつか必ず傷は癒える」

 だから傷から目を逸らすために写真を破るのではなく向き合えるようになるために飾っていようと笑い、まだそんな気持ちになれないのならばあの写真は別の場所に飾ろうかと優しく提案されてリオンが唇を噛んでウーヴェの肩に顔を押しつける。

「……いい……っ……」

「そうか。じゃああのまま飾っていよう。お前と彼女が本当にいい顔で笑っている写真だからな」

 あんな風に笑いあえるのは家族として心を通わせていた証だとも告げると、無言でウーヴェのシャツをリオンがきつく握りしめる。

「血の繋がりがないから家族じゃない、前にそう言っていたな?」

 今回の事件にゾフィーが関係していることが明らかになりつつあった頃、家族について口論したことがあったが、こんな風に笑っている彼女とお前が家族ではないとは誰も思わないと苦笑し、家族であることは血の繋がりだけで証明されるものでもないとも告げ、腕の中で頷くリオンの背中を撫でてそのままカウチソファに背中を沈め、乗り上げる形になったリオンをしっかりと抱き締める。

「……マザー・カタリーナには家族になるつもりだとお伝えしたが、大切なことを聞き忘れていた」

 だから答えてくれと頭を擡げてリオンの顔を見れば、不安に揺れる青い瞳が見つめ返してきていて、そんな顔をする必要はないことを伝える代わりに片目を閉じ、お前の返事をまだ聞いていないと少し笑み混じりに問い掛けるとリオンの目がみるみる見開かれていく。

「……オーヴェ……?」

「ああ。俺はお前といずれ家族になりたい。そう思っている」

 家族になる、それは互いの心のありようの話ではなく公的に認められた関係になること、つまりはいずれは結婚しようと言われているのだと気付いたリオンがパチパチと瞬きをし、全身から力が抜けたようにウーヴェに寄り掛かる。

「お前はどうだ?」

「……返事なんて……決まってる、じゃねぇか、オーヴェ……っ」

「そうなんだけど、聞いてみたいだろ?」

 どうなんだと目を細めて囁けば、オーヴェのイジワルトイフェルというお決まりの文句が流れだしてウーヴェの胸板で弾ける。

「どうなんだ、リーオ?」

「…………イジワルオーヴェなんか嫌いだっ! 結婚なんかしねぇ!」

「そうか、残念だな」

 家族になろうというウーヴェの誘いをリオンが断るはずがない、それを知っているのに答えを求めるウーヴェにイジワルと叫んだリオンは、残念だなと返されて顔を上げるが、残念という言葉がいつから歓喜を表すものになったのかと思うような顔で見つめられていて、そんなリオンに向かってウーヴェの目が細められ目を逸らすことが出来ないような笑みを浮かべる。

「リーオ。俺の太陽」

 リオンとウーヴェの間では最早言い慣れたり聞き慣れたりしている言葉だったが、今日の晴天のような笑顔を早く見せてくれと口に出したウーヴェにリオンが目を閉じ、次いでゆっくりと目を開けると破顔一笑してウーヴェの名を呼ぶ。

 その笑顔が今回の事件で喪われていたのだと改めて気付いたウーヴェは、唐突に、ああ、独りになりたくない、喪いたくないとより感じていたのはリオンではなく己だと気付き、リオンと口論をしてからこうして互いの体温を感じることが出来なかった日々を振り返ると同時に、喪う恐怖を感じた身体が自然と震えてそれがリオンに伝播したようで、どうしたんだと問いかけるように青い眼が見つめてくる。

「――!」

 己にとって太陽のような存在だと今までも、またたった今も告げたばかりだが、己の言葉がそれ以上の重みを持っていたことに小さく吐息を零したウーヴェは、小首を傾げるリオンの頬を撫でて一度目を閉じ、オーヴェと呼ばれてゆっくりと瞼を持ち上げる。

 次第に広がる視界で驚きと疑問と己に対する思いを瞳に浮かべたリオンが不思議そうな顔で見つめてくるが、ウーヴェが口角を持ち上げると釣られたように笑みを浮かべ、いつだったか笑って欲しいと言われたことを思い出し、その言葉を返す為に寝返りを打つと何がしたいのかを察したリオンがウーヴェの身体の下に入り込む。

「…………昨日も一昨日も言ったが……本当に、お帰り」

 お前を端的に顕す笑みを連れて戻って来てくれてありがとうと、リオンの額に額を重ねて微かに震える声で囁けば、ウーヴェの顔の下で短く息を飲む音が響く。

「……っ、……う、ん……」

「いつか涙は止まる。その時はまた今みたいに笑ってくれ、リーオ」

 やはりお前の顔から笑顔が消えるのは見たくない、笑っているお前をすぐ傍で見ていたいんだと素直な思いを告げると、リオンの喉が奇妙な音を立てつつウーヴェを何度も呼び、肘をついて頬を両手で挟んで震える閉ざされた瞼にキスをするが、リオンの腕が背中に回り、目尻や頬の高い場所、鼻の頭にキスをし、最後は唇にそっと口付けるとリオンもそれに応えるように薄く口を開く。

 こうして抱き合いながらキスが出来る様になった事にどちらも抑えが効かなくなり、互いの息が上がりそうなキスをしたあと、息を継ぐように顔を上げて短く呼吸を繰り返すリオンにウーヴェが珍しく我慢できなかったのか、落ち着いた頃合いを見計らって再度キスをするとリオンが応えてくれる。

 離れてはまた唇を重ねるキスの合間にリオンが苦しそうにウーヴェを呼び、僅かに顔を離してリオンを見れば、眉間に皺を刻みながら震える声で謝罪をしてくる。

「どうした?」

「…………心配、掛け……、ごめ……っ!」

「…………もう良い。もう良いんだ、リーオ」

 この間ずっと心配をし不安だったが、またこうして抱き合えるようになったのだからもう良いと笑い、謝罪を繰り返すリオンの頭を抱え込むように腕をついたウーヴェは、本当に心配を掛けてしまったし人前で服を脱がせるような恥を掻かせてしまったことを詫びて来た為、あの時の言葉は本心だがもう忘れてくれと苦笑する。

 今振り返ってみればある意味無我夢中だったこともあり、あのような行為を取ってしまったのだが、その時に告げた、持っている事でお前を喪うのならば捨てることなど惜しくないとの思いは嘘ではなく、今も静かにウーヴェの心の中に存在していることを伝えると、リオンがウーヴェのシャツを握りしめる。

「……オーヴェ……っ!」

「ああ。ここにいる」

 だからもうそんな顔をするなと今度は打って変わったように優しいキスを何度も何度も繰り返し、リオンの顔から罪悪感を薄れさせていくのだった。



 ウーヴェの温もりを全身で受け止め、謝罪をする度にもう良いと宥められてしまい、どうしてこんなにも優しく総てを受け止め許してくれるのだろうとふいに感じ、ウーヴェの背中をぎゅっと握りしめていた手で抱きしめる形になっている肩胛骨を撫でる。

「……オーヴェ」

「どうした?」

「…………何で……」

 そんなにも優しいんだと、もしも立場を逆転させればきっと自分ならば付き合いきれずに放り出して別れを選んでいるだろうと囁くと、沈黙が続いた後に小さな溜息が顔の傍に落とされる。

「毎回喧嘩する度にあんなことをしなければならないのなら考えるが、まだ数える程だろう?」

 それなのに、たった一度や二度大きな喧嘩になっただけで別れるなんて短気すぎないかと苦笑されて目を瞠ったリオンは、口の端を笑みの形に持ち上げているのに見下ろす瞳が真剣なウーヴェに見つめられて息が止まりそうになる。

「ど、して……だよ、オーヴェ……っ」

「どうしてと言われてもなぁ」

 何故そんなに優しいのか教えろと悲鳴じみた声に怒鳴られて眉尻を下げたウーヴェは、起き上がると同時にリオンの腕を引いて己の上半身でしっかりと受け止めると、少し痩せて薄くなった背中を叩いてリオンの肩に顎を載せる。

「どうしてと言われても本当に困るな…………いや、素直になっても良いかな」

 リオンのくすんだ金髪に手を差し入れて軽く押さえつけ、片手で背中を抱いたウーヴェは、リオンが身動きを取りにくくなるような強さで身体を押さえつけ、その耳に素直な俺も好きだと言ったなと囁きかけると深呼吸をした後に口を開く。

「お前は俺の太陽だ。生きとし生けるものが太陽を必要とするように俺にもお前が必要なんだ、リーオ」

 お前がこの家に帰ってこなかった日々、付き合う前ならば当然だったがこの家の静けさと広さを心底疎ましく感じてしまい、恥ずかしい事を告白すればレオをずっとベッドに座らせていたと最後だけは僅かに冗談っぽく伝えると、リオンの口から湿り気を帯びた吐息が零れる。

「そ、れ、……俺が……っ……」

「うん? ああ、俺が言いたいことだって?」

「そ……う!」

「ああ、悪かった。でも本当のことなんだ、リーオ」

 お前がいなくなったこの家は本当に人が住んでいるのか疑いたくなるほど静かで、確かに俺がいるはずなのにまるで夜の墓地で生きているものが自分だけのように感じてしまったとも伝えると、小さく鼻を啜る音が聞こえてくる。

 さっきは泣くなと言い、満足したら笑ってくれとも言ったウーヴェだが、満足するまでにはもっと涙を流させた方が良いことに気付き、顔を見ないことを教えるように後頭部に手を宛がってリオンの痣と無精髭に覆われた頬に頬を触れあわせると、重ねた頬の間に一筋の熱を帯びた流れが吸い込まれていくのを感じる。

「もしもこの先、また何かのことで喧嘩をしたとしても……」

 頼むから黙っていなくならないでくれ、お前の為に用意をしたあの部屋に籠もるだけにしてくれと、リオンの姿を見ることもなければ声すら聞けなかった日々を思うと心胆が寒くなってそれが身体に震えとして伝播していくのを止められず、本当に珍しく素直に己の本心を吐露したウーヴェは、リオンの肩が震えて寄り掛かってくることに気付き、決して手放すことも見放すこともないと囁きながらその身体を抱きしめる。

「リーオ……愛してる」

 今までもこれから先もまだまだ自分たちの心を試したり悲嘆に暮れる出来事が待ち構えているだろうが、お前を愛しているから乗り越えていける、だからお前も一緒に顔を上げて横を歩いてくれと囁き、言葉だけではなく何度も髪を撫でて背中を撫で、寄り掛かる身体を受け止めるウーヴェの耳に微かな嗚咽が流れ込み、今回の一連の事件で初めてリオンの感情が素直に表に出たことを察して目を閉じる。

 今ここで流す涙が肉親を喪った悲しみだけではなく、その悲しみから立ち直る為であることにも気付いている為、先日のように耳にするのも辛い悲鳴を聞いた時とは違ってウーヴェも希望を抱けるようなものだった。

 だから決して泣き止めとは言わずにリオンの心のままにさせていたウーヴェは、永遠にも感じられる短い時間が過ぎた後に涙声で名を呼ばれ、テーブルに手を伸ばしてティッシュの箱を引き寄せて何枚か引き抜くと、リオンの顔の前辺りにそれを差し出す。

 程なくして盛大に鼻をかむ音と咳き込む声が聞こえ、背中を撫でると一度止まったはずの涙がまた溢れ出したようで、情けない声が響いて瞬きを繰り返す。

「オーヴェぇ……っ……な、……だ、止まら、ね……っ!」

「無理に止めようとするな」

 身体が涙を流させているのだから収まるまでそのままにしていろと苦笑し、顔を拭くタオルを取りに行く為に立ち上がろうとするが、小さな子どもがしがみつくようにリオンが腕に力を込めた為、立ち上がるどころか呼吸が困難になりそうな苦しさを感じてしまう。

「リオン、苦しいぞ」

「……………………」

 何処にも行かないと言っているだろうと少し語気を荒めるウーヴェだがリオンの腕の力は弛まず、早々に諦めたウーヴェが立ち上がる事を伝えて一緒に動いてくれと頼むと、渋々感を隠しもしないリオンが立ち上がる。

 そのままベッドルームに何とか向かってドアを開けたウーヴェはバスルームのドアにまで辿り着き、顔を洗ってこいと背中を押すように叩くと一つ頷いたリオンがそそくさとバスルームに駆け込んで行く。

 あの様子ならばもうベッドに入るかも知れないと思案し、リビングや玄関の戸締まり、リオンの為に用意した部屋の戸締まりも確かめた後にベッドルームに入ると、リオンはまだバスルームから出てきていないようだった。

 ウーヴェの言葉通りにベッドに座っていたはずのレオは今は入って右手にあるソファに大人しく座っていて、リオンが戻ってきたことに安堵している顔に見えるテディベアに目をやって肩を竦めたウーヴェは、バスルームのドアが開いて俯き加減のリオンが出てきたことに気付き、クローゼットのドアを開けながら今日は疲れただろうと問えば、小さな掠れた声がうんと答えてベッドに座ろうとする。

「リーオ、パジャマに着替えろ」

 一昨日と同じことを繰り返すつもりのないウーヴェが素早くパジャマを差し出し、ベッドに腰を下ろしたリオンが今は良いと言ったため驚きに目を瞠る。

「リオン?」

「……オーヴェ、お願いがある」

 ベッドに胡座を掻いて両足首を掴んだリオンが顔を背け何やら呟くが、それをまったく聞き取ることの出来なかったウーヴェがもう一度言ってくれと苦笑しつつリオンの顔の傍に耳を寄せ、聞こえてきた言葉に呆気に取られたようにリオンの横顔を見つめると一気に頬が赤くなり、顔だけではなく身体全体でそっぽを向くようにウーヴェに背中を向けてしまう。

 リオンの頬が赤くなった理由を考えるよりも先に己に向けられている背中に手を回して顔だけではなく首筋まで赤くしているリオンを抱きしめると、顎の下で軽く重ねた手に熱を持った手が重ねられる。

「――良いのか?」

「……お前が……オーヴェなら……いい」

 ぼそぼそと呟かれる言葉の意味を受け止めるように目を閉じたウーヴェは、赤くなって熱を持つ頬に背後から頬を重ねてくすんだ金髪を抱き寄せるが、抱きしめている背中に体重を掛けるとその重みに負けたようにリオンの上体がベッドに伏せるように曲げられる。

「……オーヴェ、重てぇ」

 ウーヴェの重さを背中で受け止めたリオンの口から笑い声が流れ出し、胸を撫で下ろしたウーヴェがにやりと笑みを浮かべ、青い石のピアスが填る耳朶に口付けてそのまま口に含んで続きを強請るように囁くと、楽しげな笑い声がぴたりと止まり、代わって挙げられた手がウーヴェの頭に回される。

 それを了承の合図にしたウーヴェがリオンの頭にキスをした後、肩を掴んで背後に引き倒すと、羞恥に目元だけを赤らめつつも目を逸らすことなくじっと見つめてくるリオンに一つ頷き覆い被さるように両手を突いて逆さまになっている唇にキスをする。

「……ん……っ……」

「――リーオ。愛してる」

 これからもきっと二人傍で泣いたり笑ったりする日々でも必ず伝えるだろうが、誰よりも何よりも愛している、他の誰よりもお前のことを必要としているんだと囁き、リオンの頭が上下に揺れたのを確かめると同時に彼の横に横臥し、顔だけを向けるリオンの額と鼻の頭にキスをすると、目を閉じろと伝える代わりに瞼にキスをする。

 大人しく目を閉じるリオンにもう一度覆い被さったウーヴェは、背中に自然と回される腕に小さく笑みを浮かべるのだった。

 


 いつもとは逆に抱いてくれと小さな声で頼んだリオンは、いつもとは何処か違う表情を浮かべながらキスをし、己に痛みを感じさせない気遣いと欲よりももっと大きな情を教えてくれるようなウーヴェの優しさや温もりに触れ、堪えていたものが溢れ出しそうになる。

 この二、三日の間にもしかすると自分は一生分の涙を流したのではないかと思う程涙を流していたが、今もまたまるで壊れた蛇口と涙腺が直結しているかのように涙が溢れそうになり、ぎゅっと唇を噛んでそれを堪えるとリオンの心の動きに気付いたウーヴェが伸び上がってリオンの目尻に口付けて我慢するなと囁く。

 その声に素直に従った身体がまた涙を溢れさせ、眦を伝ってシーツに染みこんでいくが、愛情を確かめ合う為に抱き合っている最中どころか日常生活でもこうして涙を流したことなどリオンの記憶にはなく、またリオンがその時々に付き合っていた彼女達の中にもセックスの最中に泣き出すものなどおらず、一体自分はどうなってしまったんだと半ばパニック気味に思案した時、ウーヴェがリオンの混乱をも見抜いた顔で目を細め、止まることなく流れ落ちる涙にキスをし、あるがままにいろと囁きかける。

「オー……ヴェ……」

「……今までの分を一気に流すのも悪くはないな」

 横臥しつつ耳に口を寄せて苦笑気味に囁くウーヴェにリオンの顔が一瞬で赤くなるが、泣かせるようなことを言うお前が悪いんだと自暴自棄気味に叫ぶと、それは申し訳ないことをした、お詫びにもならないだろうが受け取ってくれとやけに真剣な声で囁かれ、羞恥を押し殺して水の膜の向こうのウーヴェを見たリオンは、予想に違わない優しさと真摯さで見下ろされていることを知り、自然な気持ちのままウーヴェの首に両手を回してしがみつく。

「……今まで泣いたこと、ねぇのに……っ」

 こんな風に泣くなんて考えもしなかった、俺の涙を見たのだから責任を取れと涙声で捲し立てると、宥めるようなキスが頬や目尻に降ってくる。

「責任か。――最後の最後までずっとお前の傍にいるというのはどうだ?」

 これで責任を取ったことにならないかと囁くウーヴェだが、リオンが頷いたのを見計らい、だから俺だけじゃなくお前も俺を一人にしないでくれとも囁いてリオンの口から涙混じりの吐息を貰うと、素肌の胸をぴたりと重ねるように身を寄せる背中を抱き、泣き笑いの顔でウーヴェを呼び続けるリオンの顔に笑みが戻って来るようにと願いつつキスをする。

 キスの合間に一人にはしないこと、またお前も独りにはしないでくれと懇願するリオンに己の言葉は絶対に守る自信を秘めたウーヴェがリオンの首筋に顔を寄せて痕が残りそうなキスをする。

 そのキスがリオンの身体の奥に火を灯し、小さな火を身体全体へと広げる為に少し首を傾げるとウーヴェが更に首筋に顔を寄せ、そのまま耳朶のピアス穴にキスをする。

 ピアス穴から頬、こめかみ、額、最後に笑みを浮かべていた唇にキスを受けながらウーヴェの腰に両足を絡めると腿を撫でた手が内股へと滑り落ちてびくんと腰が揺れる。

 いつも己がしていることをされる、その入れ替わった立場を楽しめるような余裕が今のリオンには無く、ただウーヴェの手が今まで身体を重ねた誰よりも熱くて優しいことに一気に頭に血が上りそうになる。

 ウーヴェと付き合うまでは女としかセックスをしたことが無く、女の柔らかな肌が己の下で押しつぶされる様や受け入れてくれる様に興奮してきたが、女よりも誰よりも熱い身体で受け止められ熱を伝え合うように胸を重ね、今もまた優しい手が肌を辿り腰を撫でそのまま内股へと辿って行かれると胸の奥がじわじわと熱くなってくる。

 この優しい手を持つ男は、こうして抱き合いながら涙を見せたり快感やそれ以外の感情が溢れて言葉にならない声を放ったとしても、心の在処をしっかりと見抜き、それを許し大きく広い心で包み込んでくれるのだ。

 その包容力、安心感は女性的ではあったが、今のリオンはそれが強さの表れでもあることに気付いていて、己よりも穏やかでしなやかな強さを持つ男の前に跪きたくなる欲求が芽生え、奇妙な声が喉から流れ出す。

 己が認めた唯一無二の男の前では膝を折っても恥にはならない、そんな事を考える相手はウーヴェが初めてだったが、そう考える己を恥ずかしいと思うどころかそんな男に愛されている事実に身体が震えそうになる。

 その気持ちが顔に出たのか、ウーヴェの目が細められた後、額に口付けられてウーヴェの片手が何処にあるのかを思い出させるような刺激が足の付け根辺りに生まれ、自然と腰が引けるのをやんわりと優しい手付きで抑えられてしまう。

 決して痛みを覚えさせない、そんな意思を感じるような優しい手が肌の上を滑り、その手がもたらす熱と快感に顎が上がってウーヴェの首筋の後ろで軽く重ねていた腕がほどけてシーツを握ってしまう。

 今まで何度も抱き合ったウーヴェなのにまるで初めて身体を重ねる時のような緊張と期待が胸に溢れ、シーツを握る手に手が重ねられて満足そうに吐息を零すと、それらが満ちた胸にウーヴェが口を寄せ、鼓動が跳ねたのを唇で確かめる。

 そのキスが今まで数え切れない程抱き合ってきた夜と同じだった為、リオンの中に少し余裕が生まれ、それをも見抜いたウーヴェが肋骨の下辺りや少しだけ速くなった鼓動を生み出している心臓の真上に口付け、臍にもキスをするとそのまま己の手がまさぐっていた場所へと顔を寄せ、リオンの喉が息を飲む音を生む。

 いつもよりも敏感にその行為を受け止める己に気恥ずかしさも感じるが、ほんの少しだけそれを堪えると生まれる快感が深く大きくなっていく。

 今回の事件で二人離れ離れにならざるを得なかった日々を無意識に振り返り、その日々に終止符を打てるのだと気付くと、その気付きが沸騰しそうな血液に乗って体中に巡っていく。

 そうしてその熱がリオンの中に生まれた快感をより大きくしつつウーヴェにも伝わり、ウーヴェがリオンの手を取ってそっと掌を重ね合わせ、掌だけではなく身体全体で繋がろうと伸び上がりながら囁きかけてリオンの頷きを貰い、身体だけではなく心も繋がろうとも囁くと、心に関してはもう離れられないほど繋がっていると返されてウーヴェの目が僅かに見開かれる。

 リオンの今までの人間関係が身体から始まるものであったり身体を重ねることだけで伝え合うようなもので、ウーヴェのように己の心や身体の隅々まで優しい手で撫でられる関係など初めてで戸惑いがあったが、すべてを委ねるように重ねられているウーヴェの手を握る手に力を込めると、戸惑いも唯一無二の男へ密かに感じている服従心もひっくるめて愛していると囁き、熱い吐息で誘いに乗ってくれるウーヴェの背中を片手で抱きしめるのだった。


 

 熱を吐き出した後の気怠い時間、いつもならばリオンがバスルームに駆け込んでタオルなどを持って来るのだが、さすがにいつもとは逆に身体を動かす気力も体力もなくじっとしていると、ウーヴェがリオンに比べれば遙かに丁寧に身体を拭いてくれる。

 それが終わった頃にようやくリオンが瞼を持ち上げ、ウーヴェが隣に潜り込んでくるのを助けるようにコンフォーターを持ち上げると、これもまたいつもとは逆にリオンの腰に腕を回して身を寄せてくる。

「明日はまだ休みだ。ゆっくり寝よう、リーオ」

「…………うん」

 この休みが明ければ以前と同じようで何処かが違う空気の中に飛び込むことになるが、それまでは何も考えずにこうして互いの体温だけを感じていようとウーヴェに提案されて素直に頷いたリオンは、ウーヴェの吐息を間近で感じつつ目を閉じる。

 今日一日の出来事が脳裏を巡り、空へと旅立つ儀式を終えたゾフィーが笑顔で手を振ってきた為、リオンも笑みを浮かべて小さく頷く。

 その動きに気付いたウーヴェがそっと見守るが、目を閉じているリオンにはそれが分からず、幼い頃姉にお休みのキスをした時と同じ顔で唇の両端を持ち上げる。

「……お休み、ゾフィー」

 お前が命を賭けて教えてくれた事は忘れない、だから安心して空から見守っていてくれとも囁き、そっと瞼を持ち上げると視界いっぱいにウーヴェの優しい柔らかな笑みを湛えた顔が現れ、驚きよりも恋人の笑みが嬉しくて顔中をくしゃくしゃにしつつウーヴェへと身を寄せる。

「オーヴェ、オーヴェ……っ!」

「ああ」

 名を呼び短く返す、たったそれだけの行為でも二人には互いの気持ちがしっかりと伝わっていて、顔を寄せてウーヴェがくすりと笑うとリオンも釣られて小さく笑う。

 ようやくいつもの笑顔が戻って来たなとウーヴェが指摘すると、リオンの目が軽く見開かれるが、ウーヴェが常に望み、またリオンを端的に表すような笑みを浮かべてうんと頷く。

「オーヴェがいてくれるから……また笑えるようになった」

 お前がいつも見守り抱きしめてくれたからゾフィーの死を受け入れて旅立ちを見送ることが出来たんだと伝え、目を細めるウーヴェにぎゅっとしがみつく。

「オーヴェ……愛してる」

「ああ。俺もだ」

 この間経験した家族についての埋められない意見の相違や光を喪った世界に身を横たえていた頃でさえも真っ直ぐに己を見つめ、どん底にいた己を優しく強く引き寄せてくれたウーヴェに感じる思いを太古の昔から存在する大切な言葉で伝えたリオンは、ウーヴェに背中をぽんと叩かれて照れたように笑みを浮かべる。

 欲を吐き出した身体は気怠かったが、心は静かな湖面のように穏やかに澄み渡っていた。

 その心に愛しているの言葉でさざ波を立てた二人だが、身体の疲労からくる睡魔には勝てそうになく、どちらからともなく欠伸をすると枕に頭を預けて目を閉じる。

「お休み、オーヴェ」

「ああ。お休み、リーオ」

 こうして枕を並べて眠り朝を迎えられるようになったのだと改めて実感したウーヴェは、穏やかな顔で目を閉じるリオンの鼻先と額に口付けた後、自らも恋人の後を追うように眠りに落ちるのだった。

 


 その夜、同じベッドで心が満足するまで抱き合って穏やかな深い眠りに落ちた二人は、朝の光がブラインドの隙間から差し込む時間になっても目を覚ますことは無いのだった。




Über das glückliche Leben.

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