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とある伯爵家の嫡女として、アネモネはアディチョーク国の王都ウォータークレスで生まれた。


何不自由なく育つ環境のはずだったが、幸せとは言い難かった。アネモネの母親が病気で亡くなり、その翌年、父親は再婚することを選んだから。


再婚相手の女性は父親の愛人で、既に二人の間には子供がいた。


仲良くする気がはなからなかった継母と異母兄弟は、アネモネを徹底的に虐げた。


目まぐるしく状況が変わり、日に日に自分の置かれた環境が劣悪なものになっていくアネモネは、この先一生幸せになれるとは思えなかった。


可哀想にと同情の眼差しをよこす使用人はいたけれど、かと言って、義理の母に向かって物申してくれる者は誰もいなかった。


痩せ衰えてこの世から消えてくれることを切に願っていた継母は、アネモネに手を差し伸べる連中は皆、敵だとみなした。即刻解雇した。


使用人にも家族がいる。生活がある。我が身が可愛いのは皆、一緒。アネモネが屋敷の中で孤立するのに時間はかからなかった。


そして気付けば、使用人以下の生活を送るようになっていた。


薄桃色の壁紙と大きな窓がお気に入りだった自室は物置に代わり、日替わりで袖を通すのが当たり前だったドレスは、使用人のお古の、これまたお古に変わった。


悪い夢でも見ているのかと思った。もしこれが悪夢なのだとしたら、すぐに醒めるものだと思った。


それは幼さゆえの楽観的な考えでしかなかった。


具のない水のようなスープ。固く干からびたパン。それすら口にすることが叶わない日々が続き、母親の代わりだった年配メイドが屋敷を去った時、アネモネはようやっと現実を受け入れた。


けれど、受け入れたからと言って、何も変わらない。アネモネは数少ない幸な記憶すら、捨て去りたいと願うようになってしまった。


アネモネより2つ年下の義理の妹ことエルダーは、母親譲りのチェリーブラウンの髪と、父親譲りの琥珀色の瞳を持ち、記憶の限りでは、いつも目を吊り上げている女の子だった。


性格は母親に瓜二つで、控えめに言って嫉妬深くて残忍。思いやりとか労りなどというものは母親の腹の中に忘れてしまったのかと思うほどだった。


その持ち前の性悪さは、すべてアネモネに向けられていた。


子供の無邪気さを装って、アネモネが大切にしていた絵本を暖炉の中に捨てたり、実の母親の形見の人形を2階の窓から捨てたり。


お気に入りのドレスにインクをぶちまけたり、こっそり菓子に泥をかけたり。


一体どうしてここまで極悪非道なことができるのだろうと、アネモネは粉々になった人形を前にして、悲しみを飛び越え、ある意味感心した。


彼女の歩む未来は、きっと世に言う”悪役令嬢”とやらになるとお節介なことを考えた。


でもエルダーは、アネモネの予想を見事に裏切ってくれた。


義理の妹と過ごしたのは10年近く前のこと。目の前にいる貴族令嬢は、もしかして人違いかもしれない。きっと人違いだ、そうに決まっている……と期待したけれど──


「まったく女性を馬車から突き飛ばすなんて酷い人ね」


不愉快そうに顔を顰めた表情を見て、やはりエルダーだとアネモネは確信を得た。


ただ怒りの視線が自分ではなく、自分を傷付けた相手に向けられているのが信じられなかった。


思わず唇を噛んだら痛かった。夢ではない。


「立てる?大丈夫?」

「……あ、はい。だ……大丈夫です」


義理の妹の手を借りるわけにもいかず、アネモネはなんとか自力で立ち上がった。


でも、すぐによろけてしまう。これは気分の悪さだけではない。アニスに突き落とされた衝撃が残っている。


「ねぇ、本当に大丈夫?」

「……は、い」


無様に倒れるわけにもいかず、何とか踏ん張って、アネモネはエルダーに頭を下げた。


「ありがとうございます、お嬢様」

「ううん、いいの」


その表情に浮かぶのは、世界中の憎悪を凝縮したようなものではなく、慈しみに満ちた笑みだった。トレードマークだったつり目は、今は綺麗な弧を描いている。


(ああこの子は、こんなふうに笑うんだ)


10年という長い年月で、彼女を変えたのはなんだったのだろう。


そんなことをアネモネがぼんやりと思った瞬間、エルダーはぎょっとしたと思ったら、びっくりするほどの早さでアネモネの手首を掴んだ。


「やだっ、あなた怪我してるじゃないっ」


悲鳴に近い声を上げてくれるが、たかが擦り傷だ。


アニスに投げ捨てられた時にできたものだが、擦り傷程度で騒ぐことではない。だが、深窓の令嬢なら致し方ないのか。


あらためて、過ごしてきた環境の違いを見せ付けられてしまった。


「これくらい、平気です」

「平気じゃないわよ、血が出ているじゃない。痛そう……ねえ、お家は近いの?良かったら私の家に来て。手当てするから」

「お、お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です」

「そう?なら、少し離れた場所に馬車があるから、送って──」

「大丈夫です」


2度目の”大丈夫”はかなりキツい言い方になってしまった。しかもエルダーの言葉を遮る形となってしまった。


記憶の通りなら、ここで間違いなくエルダーは癇癪を起こすだろう。でも、今の彼女は「そう」と呟き肩を落とすだけ。


「じゃあ……これ使って」


てっきり機嫌を損ねてプンスカ怒りながら去っていくと思ったけれど、エルダーは自分のハンカチを、そっと差し出した。


アネモネがおずおずと受け取れば「さっきの馬車の紋章ちゃんと見たから。わたしが後でとっちめてあげるからね」と言って去って行った。


最後にふわり笑ったその顔は、ちょっと気が強い天使のようだった。

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