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第276話 旧実験区画
【異世界・王都イルダ東部/旧実験区画・夕方】
王都東部の外れには、長い間使われていない区画がある。
周囲を高い石壁に囲まれ、入口には王都軍の封鎖札が何重にも貼られていた。
建物そのものは古く、研究施設というより、小さな砦を改修したような造りをしている。
確認された最後の候補。
《候補E・旧実験区画》
ここだけは、ほかの候補と違っていた。
一人ではない。
複数の意識に似た反応が重なっている。
そして何より。
「やっぱり、止まった」
サキがスマートフォンを見る。
reの白い光は、入口から数メートル手前で動かなくなっていた。
王都地下。
深灰の森。
旧砦。
それぞれの場所では、弱くても道を示した。
だが、ここでは違う。
白い線そのものを出そうとしない。
アデルが建物を見上げる。
「前と同じだな」
「うん」
サキが答えた。
ハレルもreを見る。
「嫌がっているかどうかは、まだ決めない方がいいんですよね」
イヤーカフからノノの声が返った。
『うん。反応しない理由が分からないから』
今回の調査には、ハレル、サキ、リオ、アデル、ダミエ、ヴェルニ、それに王都軍の調査班が同行している。
候補Aの女性。
佐野悠真。
三浦啓介。
候補D。
それぞれの捜索が進んだことで、人員を旧実験区画へ回せるようになった。
ヴェルニが封鎖札を見る。
「これ、誰が閉じたんだ?」
王都軍の記録官が答える。
「現在の封鎖は二十六年前です。その前にも数回、閉鎖と再開を繰り返しています」
「何の施設だった」
「古い記録では、結界事故の調査施設です」
ダミエが顔を上げた。
「結界事故?」
記録官が資料を開く。
「戦時中、王都周辺で起きた大規模な結界破断、魔術暴走、転移事故などから回収された物品や残留反応を調べていたとあります」
ノノの声が止まった。
数秒後。
『今、もう一回そこ読んで』
記録官が同じ部分を読み上げる。
「転移事故です」
ハレルが聞く。
「昔から転移ってあったんですか?」
「意味が今と同じかは分かりません」
アデルが答えた。
「魔術による短距離転移も、昔から転移と呼ぶからな」
『でも調べる価値はある』
ノノの声が少し変わった。
『候補Dは十一年前。レグナ・フォルスさんは七年前から現実側にいる』
ハレルも気づく。
「クロスワールドゲートより前だ」
『そう』
ただしそれが何を意味するか
まだ誰も断定しなかった。
アデルが封鎖札へ手を伸ばす。
「まず中を見る」
◆ ◆ ◆
建物内部は暗かった。
窓の大半は石で塞がれ、通路には古い机や棚が放置されている。
紙の記録はほとんど腐っていたが、石板や魔術式の一部は残っていた。
ダミエが先頭を歩く。
「踏まないで」
足元に薄い円形の線。
王都軍の兵士が足を止める。
「罠ですか?」
「違う」
ダミエはしゃがんだ。
「測定用」
指を近づけると、消えかけていた文字が浮かぶ。
《境界厚》
《空間偏位》
《意識残留》
ノノが通信越しに読み取る。
『……かなり古いけど、やってることは今の私たちと似てる』
ヴェルニが言う。
「昔の奴らも、今と同じもの調べてたってことか?」
『そこまでは言えない。でも、“意識残留”を測ってたのは確か』
アデルが奥を見る。
「候補Eの反応は?」
『前より近い』
水晶板に複数の点が表示される。
一つ。
二つ。
五つ。
八つ。
だが位置が安定しない。
一つの部屋に複数いるように見えた直後、二つへ減る。
また増える。
リオが眉を寄せた。
「人間が動いてるわけじゃないな」
『うん。動き方がおかしい』
サキがreを見る。
画面の白い光は、まだ進もうとしない。
ハレルが言う。
「reが進みたくないなら、無理に案内させない方がいい」
アデルも頷いた。
「そうだな。サキ、スマートフォンはそのまま持っていてくれ。
ただし、ここから先はreの線を頼りにしない」
「分かった」
サキはスマートフォンを胸元へ寄せた。
画面の中でreは白く光っている。
だが、旧実験区画の奥へ続く線は出さなかった。
さらに奥へ進む。
通路の突き当たり。
厚い石扉があった。
その表面には、古い王国文字で一つだけ書かれている。
《境界災害資料室》
ヴェルニが読む。
「災害?」
ダミエが扉へ触れた。
「結界、死んでる」
「開けられるか」
「できる」
ダミエが残った固定線を解除すると、石扉が低い音を立てて動いた。
冷たい空気が流れ出す。
中には。
何十もの小さな容器が並んでいた。
◆ ◆ ◆
容器の大半は空だった。
透明な石。
銀色の輪。
割れた水晶。
焼けた布。
人間のものかどうか分からない骨片。
そして壁には、古い記録札。
アデルが一枚を読む。
「《北部戦線・第三結界崩壊地点》」
別の札。
「《王都西方・二重結界衝突後に回収》」
さらに。
「《対象消失。周囲に人体由来と思われる意識痕を確認》」
ハレルが振り向く。
「人体由来?」
ノノの声が入る。
『全部記録して』
王都軍の記録班が一斉に動き始める。
ダミエは部屋の中央に立ったまま、床を見ていた。
「残ってる」
「何がだ」
アデルが尋ねる。
「人」
ハレルたちの表情が変わる。
ダミエはすぐに言い直した。
「違う」
床へ膝をつく。
「人だった反応」
魔力を薄く流す。
床全体に。
複数の光が浮かんだ。
一つ。
三つ。
六つ。
十。
だが、どれも輪郭を保てない。
現れては崩れ。
別の場所へ重なり。
また消える。
ノノが息を呑む。
『候補Eって……これ?』
ダミエが頷く。
「たぶん」
「生きている人ではない?」
サキが聞いた。
「ほとんどは」
ダミエは慎重に答える。
「昔の跡」
アデルが光を見る。
「意識の残響か」
「そう」
部屋に残っていたのは、十人の生存者ではなかった。
過去。
この施設へ集められた複数の異常反応。
誰かが消えた時の痕跡。
意識が一瞬だけ触れた跡。
同じ人物の反応を何度も保存したもの。
それらが重なり合い、現在も複数の人間が存在するように見えていた。
ハレルは少しだけ息を吐いた。
「じゃあ、ここにはもう助けられる人はいない?」
『待って』
ノノが止めた。
水晶板。
一つだけ
消えない反応がある。
ほかの光が過去の記録に合わせて揺れる中。
部屋の北側。
壁の奥。
細い一本の線だけが、一定の方向へ伸びていた。
『これだけ違う』
アデルが近づく。
「何がだ」
『残響じゃない』
ノノが波形を拡大する。
『今も続いてる線』
部屋の空気が変わった。
◆ ◆ ◆
ダミエが北側の壁を調べる。
「ここから外へ出てる」
「どこへ?」
「分からない」
ノノが現実側の日下部へデータを送る。
『そっちでも見て』
『受信しました』
数秒。
日下部の声が返る。
『似た記録があります』
「何に?」
『リーネ・アストさんです』
全員が黙った。
イデールが知っていた王都治療班の女性。
異世界から現実へ転移。
病院へ収容。
三日後。
停電とともに消失。
その後の所在は分かっていない。
ノノが二つの波形を重ねる。
旧実験区画から現在も伸び続ける線。
リーネが現実側の病院から消えた時に残った転移痕。
完全には一致しない。
だが、途中に現れる歪み方。
反応が一度消え。
別の位置へ現れる特徴。
よく似ていた。
『偶然とは言い切れない』
アデルが壁を見る。
「この線を辿れるか」
ダミエが首を振る。
「ここからは無理」
「なぜ」
「途中で切られてる」
細い光。
途中までは続く。
だが、ある位置から先だけ。
黒く消されている。
ハレルが尋ねる。
「カシウス?」
『可能性はある』
ノノは慎重だった。
『カシウス側はリーネさんの名前から現在位置へ繋がる線を遮断してる』
つまりここに残っているものは
リーネ本人ではない。
しかし彼女がどこかへ移された時に使われた経路と、同じ仕組みに繋がっている可能性がある。
その時。
サキが突然、スマートフォンへ目を落とした。
「……待って」
画面の中でreが強く揺れていた。
「何か来る」
サキが振り返る。
reの白い光が細かく震え、今度は自分たちが入ってきた通路の方向へ短い線を伸ばした。
◆ ◆ ◆
廊下の奥から音がした。
ガリ。
石を削るような音。
ヴェルニが入口を見る。
「兵士じゃないな」
アデルが剣を抜く。
「全員、記録を持って下がれ」
王都軍の調査員たちが回収した石板と記録札を抱える。
ダミエが出口へ結界を張った。
次の瞬間。
黒いものが壁を這った。
影。
一本ではない。
複数。
「来るぞ!」
ヴェルニの声と同時に、廊下から黒い獣が飛び込んだ。
一体。
二体。
三体。
影獣。
ジャバ本人はいない。
だがハレルには分かった。
偶然ここへ来たわけではない。
「記録を狙ってる?」
アデルが前へ出る。
「その可能性が高い!」
一体目が石板を持つ兵士へ飛ぶ。
リオが間へ入った。
右手首の副鍵には触れない。
通常魔術。
〈捕縛・第三級〉
光の鎖が影獣の前脚へ絡みつき、床へ引き倒す。
「副鍵は使ってない!」
リオが通信へ言う。
『見えてる』
ノノが返した。
『そのままで!』
二体目。
ヴェルニが手を向ける。
〈風刃・第三級〉
風が廊下を走り、影獣を壁へ叩きつけた。
三体目はダミエの結界へ突っ込む。
黒い爪が白膜へ食い込む。
ダミエの目が細くなる。
「面、替える」
結界の角度が変わる。
影獣の力が横へ流され、そのまま床へ滑った。
アデルの術が続く。
〈封縛・座標杭〉
四本の光杭が床へ突き刺さり、影獣の身体を固定した。
「退路を確保!」
アデルが叫ぶ。
王都軍の調査員が順番に部屋を出る。
ハレルは最後まで壁の細い線を見ていた。
リーネへ繋がっているかもしれない痕跡。
ここで失えば、また手掛かりが消える。
「ハレル!」
アデルの声。
「行け!」
「でも記録が――」
「もう取った!」
ノノの声が入る。
『こっちに保存した!』
ハレルは頷き、サキとともに出口へ向かった。
その時。
影獣の一体が固定杭を引きちぎった。
真っ直ぐ、サキへ。
リオが動く。
だが副鍵を使えば危険だ。
その前に。
reの白い線が床へ走った。
攻撃ではない。
サキの足元から左へ。
《避ける》
「サキ、左!」
ハレルが腕を引く。
二人が横へ退いた直後。
影獣の爪が空を切った。
ヴェルニの炎が横から叩き込まれる。
黒い身体が崩れた。
「今だ!」
全員が廊下へ出る。
ダミエが最後に手を合わせる。
「閉じる」
石扉が落ちる。
同時に結界。
一枚。
二枚。
三枚。
黒い影が扉へぶつかったが、それ以上は追ってこなかった。
◆ ◆ ◆
【旧実験区画・外部】
全員が外へ出た。
負傷者はいない。
回収記録も無事。
アデルが人数を確認する。
「全員いるな」
王都軍の兵士が頷く。
ヴェルニが建物を見る。
「俺たちが来たから襲ってきたのか、それとも線を見つけたからか」
ノノが答える。
『たぶん後者』
「監視されてた?」
『少なくとも、候補Eの反応を詳しく解析し始めてから黒い観測反応が増えてる』
アデルが低く言う。
「なら、敵もここを隠したい」
ハレルは考える。
「リーネさんに繋がるから?」
『可能性は高くなった』
ノノはそう答えたが、
そこで別の資料を表示した。
『でも、もう一個気になる』
「何?」
『ここの古い記録』
壁から回収された石板。
そこには。
《境界衝突》
《人体消失》
《意識残留》
《未知座標》
という言葉が残っている。
記録年代。
最も古いものは。
白峰やクロスゲート社の研究より、明らかに前だった。
ハレルが画面を見る。
「じゃあ……」
ノノは慎重に言った。
『転移そのものを、白峰たちが最初に作ったわけじゃないのかもしれない』
誰も答えなかった。
風が。
封鎖された旧実験区画の壁を抜けていく。
『まだ仮説だよ』
ノノが続ける。
『でも候補Dは十一年前。レグナさんも七年前には現実へ来てる。ここにはもっと古い転移事故の記録まである』
アデルが石板を見る。
「昔から、世界の境界が破れることがあった」
ダミエが静かに答える。
「大きい結界がぶつかれば、層は歪む」
「それだけで別世界へ?」
「普通はならない」
ダミエは少し考える。
「でも、絶対じゃない」
その一言。
ハレルは忘れなかった。
もし、ずっと昔から。
偶然二つの世界を渡ってしまう人間がいたのなら。
白峰やカシウスがしたことは
転移を作ったのではない。
<起きていた現象を、意図的に起こせるようにした>
そんな可能性がある。
だが今、それより優先することがある。
ハレルはノノへ尋ねた。
「リーネさんの線、追えますか」
『旧実験区画だけじゃ無理』
「じゃあ?」
『現実側』
ノノが答える。
『リーネさんが病院から消えた三日間を、最初から調べ直す』
現実世界で何が起きたのか。
誰が。
どんな入口を開いたのか。
そこを見つければ。
切られた線の先へ進めるかもしれない。
アデルが言った。
「やろう」
夕暮れの中、旧実験区画の上に長い影が落ちていた。
候補Eは。
多数の生存者ではなかった。
だが。
その場所に残された過去が。
次の失踪者へ続く道を示し始めていた。
夕凪ゆな
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上野文
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コメント
1件
うわああ第276話も重すぎる……!!😭✨ reが進もうとしなかった場所、そして「過去の残響」が候補Eだったっていう真相、めっちゃ切ない……。でもその中に一本だけリーネさんに繋がる現役の線があって、しかも転移そのものが白峰よりも前から存在した可能性に触れたところ、世界観の広がりがヤバすぎる!! 影獣との戦闘もreがサキを避けさせた瞬間が一番グッときたよ……reもちゃんと“守る”方向に動けるんだね🥺💕 次は現実側のリーネさんの三日間を調べ直すのか……もう待ちきれない!!