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第八話「前を向くって、こんなに難しかったっけ」
朝。
目が覚めた瞬間、少しだけぼんやりする。
何か大事なことを忘れているような感覚。
でも、すぐに思い出す。
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(ああ…)
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胸の奥が、少しだけ重くなる。
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ベッドから起き上がる。
鏡を見る。
少しだけ目が腫れていた。
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(…最悪)
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昨日、泣いたせいだ。
分かっているのに、また少しだけ気持ちが沈む。
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「よし」
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小さく声を出す。
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(もういいでしょ)
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そう思った。
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昨日で終わった。
ちゃんと、言われた。
“もう無理”って。
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だったら、もう――
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(引きずるの、やめよ)
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それが正しい。
分かってる。
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制服に着替えて、家を出る。
春の空気は、相変わらず優しい。
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桜は、まだ咲いている。
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(ほんと、タイミング悪い…)
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こんなに綺麗なのに。
こんなに、全部が続きそうに見えるのに。
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学校に着く。
教室に入る。
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いつも通りの景色。
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その中に、秀一もいる。
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視界に入る。
でも――
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(見ない)
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決めていた。
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席に座る。
カバンを置く。
教科書を出す。
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全部、いつも通りにやる。
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「みゆき、おはよ」
「おはよ」
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友達と普通に会話する。
笑う。
ちゃんと、笑える。
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(ほら、大丈夫)
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やっていける。
普通に戻れる。
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授業が始まる。
ノートを取る。
先生の話を聞く。
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ふと、視線が動きそうになる。
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(ダメ)
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すぐに止める。
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(見なくていい)
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もう関係ない。
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そう、言い聞かせる。
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昼休み。
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「今日さ、帰り寄り道しない?」
友達の一言。
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「いいね、行こ」
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すぐに答える。
前なら、少し迷っていたかもしれない。
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(もう、自由なんだから)
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一緒に帰る相手もいない。
気にする必要もない。
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それでいい。
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放課後。
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友達と笑いながら、教室を出る。
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そのとき――
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一瞬だけ、目に入った。
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まだ教室に残っている、秀一の姿。
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ほんの一瞬。
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それだけで――
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足が止まりそうになる。
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(……やめて)
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すぐに視線を逸らす。
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「みゆき?」
「なんでもない、行こ」
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笑ってごまかす。
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ちゃんと、できてる。
ちゃんと、前に進めてる。
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はずなのに。
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帰り道。
友達と別れて、一人になる。
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静かになる。
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その瞬間。
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(……なんで)
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胸の奥が、急に苦しくなる。
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さっきまで笑ってたのに。
普通にしてたのに。
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全部、一人になった途端に崩れる。
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「はぁ…」
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小さく息を吐く。
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ポケットからスマホを取り出す。
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開かない。
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開いたら、終わる気がした。
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それでも――
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指が、勝手に動く。
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画面を開く。
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トーク一覧。
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一番上にある名前。
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――秀一。
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(見ないって決めたのに)
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開く。
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最後のやり取り。
自分が送ったメッセージ。
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既読は、ついていない。
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それだけなのに。
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胸が、ぎゅっと締め付けられる。
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「……バカ」
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小さく呟く。
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(なんでまだ期待してんのよ)
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もう終わったはずなのに。
ちゃんと終わらせたはずなのに。
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なのに。
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「……会いたいじゃん」
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こぼれた本音に、自分で驚く。
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(違うでしょ)
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否定する。
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(もう関係ないって決めたでしょ)
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そう言い聞かせるのに。
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止まらない。
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「好きなのに…」
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ぽつりと、落ちる。
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また、あの言葉。
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「なんでこうなるの…」
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前を向こうとしてるのに。
忘れようとしてるのに。
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全然、できてない。
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桜が、風に揺れる。
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少しずつ、花びらが落ちていく。
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まだ咲いているのに。
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終わりに向かってる。
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その景色が――
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やけに、重なった。
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(…無理だよ)
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小さく、呟く。
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前を向くなんて。
忘れるなんて。
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そんな簡単なことじゃなかった。
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春は、まだ続いているのに。
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心だけが、置いていかれていた。