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第三十七章 総回診の異変
――朝。
目を覚ましたとき、ひとりのはずなのに、どこか満たされていた。胸の奥に残る熱も、触れられた感触も、全部、消えていなくて。
翔太は、そっと目を閉じる。
――思い出すだけで、苦しいくらいに、あたたかい。
翔太💙「……れん」
小さく呼んだ名前に、自分でも、少しだけ戸惑う。
白衣に袖を通す手が、止まる。
翔太💙「……最悪」
小さく呟いた声は、どこか甘かった。
翔太💙「……っ……なにほんと最悪……バカ蓮///」
白衣を着ていれば見えない、誰にも知られない……蓮だけが知っている。鎖骨下の胸の上あたりに残る赤い跡。
〝また今度な〟そう言った彼の言葉だけが、今の翔太を前へ進めてくれている。
朝の食堂。
いつもと同じ風景のはずなのに、何故か落ち着かなかった。
(……なんか、見られてる?)
蓮に言えば、自意識過剰だと言われそうだなと思いながら、スプーンでスープをひと掬いする。
突如食堂に響いたアナウンスに、空気が一変する。
急いで食事を済ませると、皆、足早に食堂を去って行った。
康二🧡「はよ食べや……遅れたらあかんで」
翔太💙「おはようございます……食べるの遅くって」
康二🧡「そんなしょっぴーも好きやで♡ところで昨日さぁ、見てもうたで?」
翔太💙「なにを?」
康二🧡「ふふふ……俺にみられたからには覚悟しいや」
大きな手で翔太の頭をポンと弾くと、顔を上げたその頰に付いていたご飯粒を、さりげなく取った康二は〝何やっても可愛えぇなぁ〟とウインクして去って行った。
亮平💚「何頰赤らめてるの?」
翔太💙「あっ阿部先生……」
亮平💚「?」
テーブルに手を付き顔を寄せた亮平。じっと翔太を見つめる。
亮平💚「亮平、でしょ?あの後、何かあった?」
翔太💙「な……なにもない」
〝ふーん〟訝しげに首を傾げた亮平は、顎に手を当て何やら考えているようだった。翔太は、居た堪れなくなりトレーを抱えて席を立った。
カウンターにトレーを置いた背後に、音もなく翔太を追いかけてきた亮平は、肩に顎を乗せて耳元で囁いた。
亮平💚「今晩、俺の部屋においで……いいね」
翔太💙「えっと……今日は」
亮平💚「仕事なの?」
翔太💙「いえ、そうじゃなくて」
亮平💚「じゃぁ返事は、〝はい〟だよね?翔太?」
翔太💙「……はい」
〝いい子〟頭を撫でた手が、頬を撫で肩をグッと掴んだ。
亮平💚「さっきから、そこに何かあるのかな?」
左鎖骨下を、人差し指で突いた亮平。慌てて小さく握りしめていた拳を太腿の脇に収めた。すかさずその手を取った亮平が、間合いを詰めた。
〝今晩待ってる〟低い声色で囁くと、また静かに去って行った。
翔太💙「…………っ……やばっ急がなきゃ」
――――――
📢「まもなく総回診が始まります。
各科の医師は廊下へ整列してください。」
静かに響く院内放送。
それを合図に
廊下の空気が変わる。
長い廊下に敷かれた深い紫色のカーペット。
ずらりと並らんだ、白衣の列。
コツ、コツ、コツ。
先頭に立つのは、理事長 深澤。
また新しい時計を買ったらしい。
わざとらしく袖を捲り、必要以上に若くて可愛い看護師にだけ、さりげなく時計を見せている。
その後に続くは、
外科医 目黒、内科医 阿部。
カツ、カツ、カツ。
静かな病院に鳴り響くヒールの音。
いつもと違うのは、皺だらけの白衣に、寝癖つけたラウ男の姿がある事だ。
そして、そのラウ男を引っ張るようにブランド物のヒールを鳴らして歩く、ラウ子の姿があった。
ラウ男🤍「……おい、なんで俺が教授戦にエントリーされてんだよ」
ぼそ、と低い声。
ラウ子🤍「え?知らない♡」
即答。間髪入れず。
ラウ男🤍「は?お前だろ絶対」
ラウ子🤍「証拠あるの?」
さらりと返す。
ラウ男🤍「……あるわけねぇだろ」
ラウ子🤍「じゃあ違うね♡」
にっこりと笑って、歩調を緩めない。
ラウ男は舌打ちをひとつ落とした。
何やらぶつぶつと文句を言っている。
――その少し後ろ。
看護師長 ラウールは、何も言わずに立っていた。
騒ぎを止めるでもなく、視線を逸らすでもなく。
ただ――見ている。
一瞬だけ。
その視線が、翔太の方へ流れた気がした。
すぐに、何事もなかったように前を向く。
依然として異様なこの光景。
コツ、コツ、コツ。
誰一人、口を開かない。
視線は前。
背筋はまっすぐ。
――のはずだった。
ほんのわずかに、列の空気が揺れる。
理由なんて、誰も言わない。
ただ――
視線が、集まっていた。
一人に。
翔太は、列の中にいた。
白衣の裾を、無意識に握る。
(なんでこんな……)
心臓が、やけにうるさい。
コツ、コツ。
足音が近づく。
理事長の影が、目の前を通り過ぎる――その瞬間。
ぴたり、と。
足が止まった。
辰哉💜「……へぇ」
小さな声。
それだけで、廊下の温度が変わる。
辰哉💜「空気、変わったね」
小さく、笑う。
そして――何気ない顔で、深澤は続けた。
辰哉💜「そういえばさ」
一歩、歩きながら。
まるで雑談みたいに。
辰哉💜「あの俳優の子、どうなったの?」
一瞬。
空気が、凍る。
誰も、動かない。
視線だけが一斉に、翔太へ向く。
翔太の喉が、鳴る。
(なんで……ここで)
辰哉💜「外泊、だったよね?」
軽い声。
理事長を前に緊張で、声が出ない。
助け舟を出したのは亮平だった。
亮平💚「順調です」
柔らかく、隙のない声。
亮平💚「外泊の管理も、こちらで――」
被せるように。
蓮 🖤「……俺が見てる」
一瞬。
空気が止まる。
蓮 🖤「脳外の患者だ」
低く、はっきりと。
亮平、わずかに目を細める。
亮平💚「もちろん」
笑っているのに、冷たい。
亮平💚「ただ――」
一歩、距離を詰める。
亮平💚「外泊中のリスク管理は、内科の領域でもあるよね?」
辰哉💜「いいねぇ」
楽しそうに、笑う。
辰哉💜「ちゃんと取り合ってるじゃん」
辰哉💜「患者のこと」
翔太に注がれた視線。
逃げ場が、ない。
名前を呼ばれていないのに――
“自分のことだ”と分かってしまう視線だった。
廊下の後方。
抑えた声のはずなのに――
やけに、よく通った。
「……昨日あの二人、朝帰りだったらしいぞ」
「は?マジで?狼とできてるんじゃなかったのかよ」
一瞬。
空気が、止まる。
誰も振り向かない。
誰も、口を開かない。
――なのに。
全員、聞いている。
亮平💚「……聞こえてるんだけど」
柔らかい声。
でも、空気が一段、冷える。
わざわざ拾うその一言で、空気が、逃げ場を失う。
蓮 🖤「……このおしゃべり」
低く、落ちる声。
一瞬で、空気が張り詰める。
廊下の後方。
――一瞬の、沈黙。
康二🧡「……え、俺?」
わざとらしく目を丸くする。
照💛「またお前なの?」
呆れた声。
康二🧡「いやいや、俺だけちゃうやろ?みんな気になってるやん?」
肩をすくめて、笑う。
亮平💚「……ほらね」
小さく、息を吐く。
亮平💚「広まるの、早いと思った」
その視線が、ゆっくりと蓮に向いた。
蓮 🖤「ゴシップ好きのガセネタだな」
即答。
迷いなく、切り捨てる。
亮平💚「そうかしら?」
わずかに、笑う。
その視線が――翔太に、落ちた。
亮平💚「蓮……俺、大概譲ってあげられるけど、今回ばかりは
そうはいかない」
蓮 🖤「佐久間の件なら――十分譲歩したつもりだが?」
亮平💚「蓮も冗談言うんだ?変わったね」
蓮 🖤「お前は少しも変わらないな」
蓮 🖤「……だから嫌いなんだよ、そういうとこ」
わずかに声が低くなる蓮を他所に、亮平は、愉しげに目を細めた。
一歩、近づく。
亮平💚「覚えてるじゃん」
小さく、笑う。
亮平💚「随分昔のことだって、忘れたって言ってたのに」
わずかに、首を傾げる。
亮平💚「――本当に、それだけ?」
一瞬。
空気が、張り詰める。
蓮の視線が、わずかに動く。
――翔太へ。
亮平は、それを見逃さない。
亮平💚「やっぱりね」
小さく、笑った。
亮平💚「持ってかれちゃったんだ……蓮」
辰哉💜「……いいねぇ」
くす、と笑う。
辰哉💜「そういうの、待ってた」
一歩、進む。
辰哉💜「恋の巨塔だねぇ〜」
――ほんのわずかに、目を細める。
辰哉💜「……いいじゃん、壊れるくらいの方が」
その目は――
誰よりも愉しそうだった。
そのまま、何事もなかったように歩き出す。
――回診は、続く。
でも。
さっきまでの“整った列”には、もう戻らない。
――誰一人、気づかないふりをしたまま、列は進んだ。
コメント
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ふっかさんに笑いが止まりません🤣🤣🤣🤣