千空、と名乗るよそ者妖術使いの少年は、たくさんの新しいおかしなものを村に持ち込んだ。見たこともない道具、嗅いだことのない匂い、聞いたことのない音、信じられないくらい美味しいもの、雷のように夜を照らした眩しさ。
そして、今私が看病している、このゲンという男の人。
最初に見たときから、きれいな人だと思っていた。顔つきも立ち姿も、どこか眼を引く姿をしている。千空はラーメンという、ずっと昔に滅んだものを私たちに見せてくれたけれど、この人もずっと昔に滅んだものを仕事にしており、彼のどことなく目立つ姿というのも、それに由来するらしい。
「げいのうじん」という仕事については千空と、ゲン自身が教えてくれた。でも、ちょっと私には理解ができなかった。人に見られるだけで食べ物が分配される仕事で、そのためにはきれいにしている必要があり、つまりこの村で皆がしているような仕事をしてはいけないのだそうだ。クロムみたいに遊びまわっているのとも、また少し違うらしい。
だからゲンは、どんなときでも人に見られることを意識しているようだった。こんな、半死半生のボロボロの姿でさえも。
「俺、ね、ずっとキッレーなステージでスポットライト浴びてたのよね。……こんな泥の中で殺されるとかちょっとリームーなのよね」
起きるのを待って全身の汗を拭く。背中のヨモギの膏薬を貼り替える最中に、ゲンはそんなことを言った。
看病はタイミングが全てだ。体力の回復を最優先に、寝ているときは起こさない。水や薬湯は少しずつ飲ませ、吐きそうになっていたら顔を横に向けて喉の詰まりを防ぐ。目がさめたときに身を起こせそうだったら、身体を清めて膏薬を貼り替える。傷からの発熱で眠りが浅いから、なるべく定期的に汗や血を拭き取って清潔を保ってあげたいが、全て怪我人の身体のペースを見極める必要がある。
ただ、この人は基本的には健康な青年だ。容態の急変さえ避ければ少しずつ回復しそうではあった。かといって、無駄に体力を消耗してほしくはない。だから咎めることにした。
「私には分からないって分かっているんでしょう、喋らないで、回復に専念してください」「カオリちゃんだっけ? 厳しーんだ……俺クチから生まれたからさあ、喋らないと死んじゃうのよ」「そんな人いません、さ、こっち向いて。顔と胸の軟膏も替えるから」
もう一度「厳しーんだ」と言いながらも、ゲンは素直にこちらに身を向けた。ちょっと村では見たこともないくらいヒョロヒョロの薄い胸に、赤黒い痣が痛々しい。
「誰が、こんなこと……」思わず呟くと「……知りたい?」ベビみたいな冷たい笑顔にゾッとする。「……やめておく」と返せば、「賢明ね」とにっこり笑って言われる。
少しだけムッとして、膏薬を貼り替える手元が乱暴になったのだと思う。ゲンが情けない悲鳴をあげた。
「いやぁっ優しくしてぇ!?」「気持ち悪いですよ、ホラ下も!」「え、いや下は……自分でできるから……」「いいから!」
ひん剥くと前を隠して身を竦める。嫌な気持ちは分かるけれど、今はそんなことを言っている場合でもない。ズタズタの足の裏と、すねと、はぎと、腿まで清めれば、少しはさっぱりした様子になった。
「ふぇ〜恥っず……でもありがとね……」
掠れた声で礼を言うと、ゲンはまた青い顔でぶるっと震えた。慌てて寝かせて布団をかける。呼吸が浅くて早い。また熱が上がるかもしれない。
「お水、飲める?」「……ちょっとリームーかも、冷たいのヤダ」「でも飲まないと」「……カオリちゃんが口で飲ましてくれんなら、いけるかも」「……馬鹿にしないで」「メンゴ、恥ずいの仕返しね、これ。……。」
ひひっ、みたいな笑いの直後、ゲンは唐突に気を失った。一瞬身体が弛緩して、それからまた強張る。身体が戦い始めている。
今日は寝ずの看病になりそうだった。
◇◇◇◇
浅い海を浮き沈みするみたいに、意識が途切れ途切れに引き戻される。半分夢みたいな記憶の中で、顔や背中の汗を拭かれたり、やわらかな感触が口から水を流し入れてくれるのを感じた。
早朝の薄明かりに目を覚ますと、カオリと呼ばれている村の女の子が、薬湯の鉢を持ったままこっくりこっくり船をこいでいた。
「……カオリちゃん?」「……あっ、ごめんなさい、寝てたみたい。どうしたの? 何か欲しいものある?」
女の子の優しい声に、ちょっと胸が痛んだ。バイヤー、俺そこそこジーマーに弱ってるね。
「んーん、平気、ありがと。お水ほしーな」
つとめて甘えた声でお願いすると、カオリちゃんは口に水を含んで俺の頭を持ち上げた。あれ?
「ちょま、……ん」
躊躇いなく唇が重なって、一匙ぶんくらいの生暖かい水が流し込まれる。この感覚には覚えがある。……もしかして。もしかしなくても。ずっとやってくれてたんだ。
さっきは痛んだ胸が、なんとも甘い想いに充ちた。喉を鳴らして水を飲む。
「……飲めるように、なってきたね」「うん、も一口ほしーなあ」「ん」
また唇が重なる。水が流し込まれて、喉が鳴る。もっと甘えたくなって、口が離れる前に首を引き寄せて、舌を絡めてみた。抵抗は無かった。
「……ん」夜の終わりの薄明かりの下、切なげに眉を潜める彼女が見えた。 俺はずるいことをしている。人の使命感や善意に、別の理由を付けようとしている。この子を利用するために。
ようやく口が離れると、口をぐいっと拭いながら「……こんな元気出てるならもう大丈夫ね」と言われた。確かに身体はだいぶ楽になっている。
「カオリちゃんのおかげだねえ、ありがと」
身を起こせば、汗の不快感もない。寝ている間に身を清めてくれていたのだ。こんな優しくされたのなんて、3700年前にもあっただろうか。
「ジーマーで、ありがと。ゴイスー助かったよ」「だって、もっときれいな場所にいなきゃならないんでしょ? こんな泥だらけの村じゃなくて」「あー、そんな事言ってたねえ、俺」「聞かせてほしいの、貴方がいた場所の話」「……そうね、まずは俺が初めてステージに立ったのはーー」
良いことも、嫌なこともあった。 きれいで汚い、俺の主戦場。 笑顔と言葉とメンタリズムで人の心を操る仕事。 たくさんの嘘で、本当の笑顔を引き出す仕事。 賢い人はたくさんいた。でも、優しい人は一人もいなかった。 こんなに優しくしてくれる人もいなかった。 俺は19歳で、その最前線にいた。どんどんずるくなれるのが楽しかった。 だって人の心は嘘でしか救えないじゃないか、そう思ってたから。
「……だから俺、君みたいな子に甘える資格なんて、本当はないんだよ」「人に頼るのに、資格とかないじゃない」「頼らないよ。俺は君に甘えて、君を騙して利用するの」「……もう、行くってことね」
日が昇ろうとしていた。村の朝は早い。もう抜け出さなくちゃならない。そろそろ戻らないと、司ちゃんが俺を疑って来てしまう。
「君は看病に疲れて、早朝についウトウトしちゃった。その隙に俺は寝床を抜け出していなくなった。そういう筋書き。……ごめんね、君のこと悪者にする」
くしゃっと頭をなでると、悔しそうに顔が歪んだ。もしかしたら俺はこの先どこかで死ぬかもしれない。そうしたら、彼女の献身と優しさまで無駄にしてしまうんだ。
「ほんと、メンゴ。これで最後にするから」
ちゃんと、戻ってくるから。
できない約束は言いたくないなと思い、そんな自分の想いにびっくりする。優しくされて調子が狂ったみたいだ。
「……生きてね」「当たり前じゃん、俺、自分が一番かわいーもん」
胸に手を当てれば、ほのかにポカポカとあったかい。 ……キレーなステージでは得られなかったものだ。大木に刻まれた「はじまりの日」を見たときの燃えるような気持ちとも違う。……なんか、いいね、こういうのも。
きっと俺は、これから変わっていく。そんな確信めいた予感を抱きながら、司ちゃんのもとに急いだ。
さあ、これからどんな嘘をつこうか。
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