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◇ ◇


沙羅と土曜日の約束を取り付けた慶太は、足取りも軽くオフィスへ入った。


「おはようございます」と前室に待機している秘書の中山の挨拶に「おはよう」と返す。

そのまま、奥にある社長室へ入る。部屋の中央には黒い革のソファーセット、その奥に置かれたオーク材の一枚板で出来た机は、この部屋へ招く者へ権力を見せつけるためのようなセットだ。

社長椅子とも言われるエグゼクティブチェアに腰を下ろした。

あまり好きではない部屋だが、仕事が出来るならどこでもいい。改装などすれば余計な経費がかかる。


慶太の父親で、現会長の高良健一が築いたTAKARAグループ本社ビルは、金沢駅西口の中央公園近くにある。

慶太が32歳の若さで社長に就任して三年。以来、親族経営の弊害とも言える旧態依然を徐々に浄化して、苦しい情勢の中でも確実に利益につなげて来た。特に慶太自身がプロデュースした、客室のすべてが特別室のTAKARAリゾートは、憧れの宿として”TAKARA”の名前を全国に浸透させた成功例だ。


コンコンとノック音がして、中山が入って来る。

タブレットに記載された今日の予定を確認するためだ。

しかし、今日は開口一番に、記載とは違う予定を告げる。


「社長、会長がお見えになっております。お部屋でお待ちです」


会長に就任してからは、健一の出社は不定期だ。商工会議所や業界団体への根回しが主な仕事なのだ。

だから、わざわざ呼び出すなんて何の用事だろうと思いながら、会長の待つ部屋へ足を踏み入れる。


「おはようございます。会長」



他に家庭があった健一とは親子でありながら、慶太には温かな家族としての思い出などなかった。

豪奢なテーブルを挟んで、向かい合ったふたりの間には、ピンと張りつめた空気が漂う。


「忙しい中、呼び出したのは他でもない。聡子の一周忌も済んで喪も明けた事だし、お前もそろそろ身を固めたらどうだ。男は家庭を持ってこそ一人前だと言うじゃないか。先日、商工会の集まりに出た際に、これを預かった」


目の前に置かれたのは、6切りサイズがすっぽり入る大きさの封筒だ。わざわざ開かなくても、中身は予測が付いた。

お見合い写真だ。


慶太はスッと背筋を伸ばし、健一を見据える。


「会長、せっかくのお心遣いですが、お見合いでしたらお断りします」


キッパリと言い切る慶太。その様子に、健一は何かを思いついたように片眉を上げた。


「なんだ、意中の相手がいるのか。どこのご令嬢だ?」


いままで、母親の聡子から結婚話しが出た事があっても、父親の健一から結婚の話しをされた事は無かった。

だから、結婚の時期や相手については慶太自身の判断にゆだねられているものだと思っていた。

だが、こうしてお見合い写真を目の前に置かれた今、強引に進められそうだ。

妹の萌咲から言われた言葉が脳裏に過る。

『慶ちゃんの見通しは甘いと思う。いくら愛し合っていても、わたしの母とは結婚しなかった人なのよ。それは、恋愛と結婚は別だと考えているからよね』


ふたつの家庭を持っていた父親。それは、利益のために慶太の母・聡子と結婚し、愛のために一ノ瀬萌咲の母・咲子の家に通っていた。

慶太は、意を決したようにギュッと膝の上で拳を握りしめる。


「いえ、結婚相手は自分で見つけたいと考えています」


「それなら、見合いも一つの出会いだぞ。会ってみて自分の目で確かめてみれば良いじゃないか」


ごり押しとも言える健一の様子。

これは、地元有力者の息が掛かったお見合いなのだろう。

付き合っている人が居ると言えば、沙羅について詮索されてしまうはずだ。上手く隠しつつお見合いを断らなねばならない。


「いえ、TAKARAグループの社長としての私を望む相手とは、結婚をする気はありません。高良慶太個人を望む人と一緒になりたいと思っています」


これは、結婚に対して慶太の真剣な思いだ。

だが、健一はそれを青臭い考えだと鼻白む。


「はっ、バカな事を言って……。お前がどう思って居てもTAKARAの息子である事には変わりない。この先の会社の行く末を思えば、より条件の良い相手を選んで行くのが賢い生き方だ」


「《《父さん》》、時代は変わりました。会社のためだと望まない結婚をしても心が貧しくなるだけです。家庭が上手くいかなければ、仕事に支障を来すでしょう。それに愛情のない結婚は、冷えた家庭になるのを父さん自身も知っているはずです」


慶太は息子の立場で、健一の結婚生活をチクリと刺す。

耳の痛い言葉に、健一はグッと言葉を詰まらせた。


「結婚というのは、お互いの家柄が釣り合ってこそ契約が成立する。TAKARAのために立ち回りが出来る者でなければ、お前にしても結婚相手にしても余計な苦労を背負う事になるんだぞ」


「だからこそ、結婚相手は一緒に苦労出来る人でなければならないんです。もしも、この先TAKARAが傾き、暮らしぶりが貧しくなったとして、そのお見合写真の人は、逃げ出さずに居てくれるのでしょうか?」


何かを考えるように健一は、指先でトントンとテーブルを軽く弾いた。

そして、口角をクッとあげ、子供に言い聞かせるようにゆっくりと話し出す。


「どんな相手か会って見なければわからないじゃないか。見合い相手は、立華商事のお嬢さんだ。年齢は26歳、現在は立華で秘書をしている。どうだ、好条件だろう?」


強引に推し進める健一の様子に慶太は納得がいった。地元商工会での大きな力を持つ立華商事とのお見合いが上手くいけば、仕入れや物品の販売に持ちつ持たれつの関係になる。TAKARAグループと立華商事の双方にとって利益になるのだ。


嫌な汗が、背中を伝う。

ここで折れて見合い相手と会う事になれば、一気に結婚までの流れになり兼ねない。慶太は、焦る気持ちを押さえ、ゆっくりと頭を下げた。


「どんな好条件で有っても、私はお見合いをする気はありません。お断りをさせていただきます。お手数をおかけして、申し訳ございません」


お見合いをさせたい健一。

お見合いをしなくない慶太。

ふたりの話しは、どこまで言っても交わらない。


ふーっと、健一が大きく息を吐き出した。


「仕方ない、考える時間を与えよう。期間は1週間。その間に、良く考えるんだ」


慶太は、おもむろに立ち上がり、健一を真っ直ぐに見据える。


「1週間経っても私の考えは変わりません。では、失礼します」


ドアを開け、慶太は応接室を後にする。

社長室に戻る間、唇を噛みしめていた。


◇ ◇


部屋に残った健一は、革のソファーの背に凭れた。疲れたように息を吐き出しながら、天井を仰ぎ、皺が刻まれた眉間に手を当てる。


「時代が変わった……か」


健一が結婚した頃は、昭和のバブル景気で沸き立っていた。その景気の波に乗り事業拡大を進めるため、毎日、朝から晩まで仕事をするのが当たり前の時代だった。

景気が良いとはいえ、健一が引き継ぐのは地方の旅館。その旅館を維持するだけでも大変な作業だ。

今のようにネット予約などない時代、旅行の予約といえば、旅行情報誌に掲載されるか、地元の観光協会で紹介してもらうか、それと旅行会社からの予約だ。

毎日がむしゃらに走り回り、各所に頭を下げ、オススメのお宿に取り上げてもらおうと努力したものだ。


そんな、健一の結婚相手に両親が選んだのは、呉服屋の娘だった聡子だ。

花嫁修業と言われるお茶やお花の免状を持ち、もちろん着付けも完璧で、凛とした佇まいは老舗旅館の女将としての資質を備えていた。

ただ、聡子とのお見合いが決まった時、健一には、長年の恋人・一之瀬咲子があった。聡子と違い、おっとりとした咲子は、男として守ってあげたいタイプだ。

老舗旅館を支えるために、どちらが良いのかは、誰に聞かずとも明白だ。

泣く泣く咲子と別れ、聡子と夫婦に。


聡子と結婚してからというものの、時代の後押しもあったが、事業は急成長を見せ、全国各地にTAKARAホテルを展開させた。

長男の慶太も生まれ、傍目には順風満帆の人生。

それを思えば、両親の見立ては間違いなかった。

だが、いつも心に隙間風が吹いているような寂しさを抱え、手放してしまった|女性《ひと》を思い出していた。

そして、咲子との再会し、ズルズルと関係を続け、ふたつの家庭を持ってしまった。

不倫は文化とか、不倫は男の甲斐性などと、男の浮気が容認された時代。

10年ひと昔と言うなら、30年以上も前の健一の行いは、過去の遺物もしくは悪習。

今なら、倫理感が無いとか、道徳観念がどうとか、騒がれるだろう。


「さて、どうしたものか……」


健一の思考をさえぎるように、コンコンとノック音がした。

入って来たのは、秘書の中山だ。


「会長、お茶をお持ち致しました」


「ああ、ちょうど良い所に来てくれた」


健一が何かを思いついたように片眉を上げる。


「悪いが慶太の身辺調査をしてくれないか?」


「社長の身辺調査ですか?」


「ああ、早めに頼む」


そう言って、健一は、満足気に口角を上げた。





蝉時雨 ~不倫のち不貞~

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