グランドは不安要素を抱えながら煌《きら》びやかな大理石の開廊《かいろう》を、砦内部の簡易兵舎へと急ぎ歩を進める。アランビア文字で彫刻を施され、美しく個性を与えられた石灰岩の小さな尖頭アーチ《オジール》を潜ると、目の前に天井の高い空間が広がった。
石造りの円状の施設は、砦の1柱の最上階に位置し、天井はその文化の象徴とも謂《い》える金張りの丸屋根で被われている。その壁には幾何学模様のタイルで装飾を施され、大人一人分の穴が就床場所として掘られていた。一番上は三段目までとなっており、実質此処で40名が寝起きしている。
中心部は太い柱が天井を支え、就寝時の見張りが出来るよう、警備兵1人分の空間が柱内部に確保されていた。各々の就床場所から中心部の太い柱までには、自在式の縄が延び、洗濯物等が吊るされ生活感を醸《かも》し出している。柱を中心とした広間には、身体を鍛える者や、読書に勤《いそ》しむ者達で、その姿は喧騒の最中《さなか》にあった。
砦は常時40人が交代制で警備に当たり、其々《それぞれ》が持ち場を与えられていた。15日間の勤務が終わると、街の奥に有る兵舎へと移動し、街の治安維持と重要施設の警備を同じく15日間受け持つ事となる。一方で、街の兵舎で15日勤務した者は砦の勤務へと移る事となる。
休日は毎週金曜日となり、特別な意味を持つ休日とされていた。信仰と教義に基づき、金曜日は主要な礼拝日とされ、金曜礼拝《ジュアーマ》と呼ばれていた。街の中心に有るジャーミィ《大規模な礼拝堂》に集まって集団で礼拝を行う金曜礼拝は、主に午前中から取り行われ、午後は比較的自由を与えられた。
「寝ている者は起床せよ‼ 君主の命《いひつ》けである! 火急の為、その場で傾注《けいちゅう》――― 」
中心部の太い柱で、兵士達の警護を担当する警備兵が、壁から砕けたタイルの欠片を踏み鳴らし号令を掛けた。穴蔵と謂う、悪い表現しか思いつかない唯一個人に与えられし館《やかた》の館主達は、髭を蓄えたその薄汚れた顔を何事かと挙《こぞ》って覗かせた。
「先程の揺れを感じた者も多いと思うが、現在これが天災であるのか、または敵襲であるのか情報が乏しく、危殆《きたい》に瀕《ひん》する状況に直面している。この度、私グランドが不在のシュマール大隊長殿の代わりに閣下より指揮を執るよう拝命致した。諸君等には私の傘下に入って頂き、早急に任務に当って欲しい」
グランドは取り急ぎ轍鮒《てっぷ》の急《きゅう》を告げたが、予想通り、兵士達との見えない確執が邪魔をする事態となった。当然だ。見慣れぬ男が突然やってきて、大隊長の代理で有ると云い命令を聞けと宣《のたま》う。不信感も拭えず、そんな状況下で言う事を大人しく聞く方がおかしいのだから。
「グランドさんだっけか? あんたの噂は聞いてるぜ、閣下の側近候補だってな? 言い方は悪いが、立ち位置も定まらないうちにもう士官気取りか? 」
「そうだそうだ、何処の馬の骨かも分からねぇ人間に従うなんてのは御免だぜ」
「御尤《ごもっと》もな意見、痛み入る。先ずは陳謝を」
グランドは掌《たなうら》を胸に腰を折って見せ、こう続けた。
「私は元レンイスタ王国《キングダム》参謀本部所属グランドだ。国はカルマに敗戦し属国と成り果てた。命辛辛逃げ延び、この国に流れ着き閣下に拾われたと言う身の上だ。母は木に吊るされ首が捥《も》げて死んだ。幼い妹は目の前で生きたまま火焙《ひあぶ》りになった。父親の頭は槍の穂先《ほさき》に突き刺され、晒され戒めにされた。家族は全員、骸さえも残さず殺された…… 何一つ残さずだ」
俯き強く握った拳が怒りと悲しみで震えてた。そして力強く熱の篭《こも》った誠実な眼差しを皆に向け、思いの丈をぶつけた。
「これは脅しではない。若《も》しもこれが敵襲で、初動で後れを取れば君達の家族も死ぬぞ? 私は受け入れてくれたこの国を、我が故郷と同じようにはしたくない。私が気に食わないので有ればそれでも構わない。しかし、そんなくだらない事で大切な家族を危険に晒さないでくれ、頼む」
頭を垂れたグランドの姿を前に、1人の男が声を上げた。
「勝手に何処かの甘ったれた貴族様だとばかり思ってた。悪く思わないでくれ。俺は元傭兵で、あんたと同じ異国人だ。安定した収入と、定住出来る場所を求めて漸くこの軍に腰を落ち着けた所だ。やっと手に入れたこの場所を失う訳には行かない。何をすればいいのか言ってくれ、俺はあんたに従う」
すると続々と穴蔵の男達も賛同するかの如く言葉を漏らした。その中の中心的人物と思われる男が、一際大きな声を上げる。
「そんな愛国心の欠片も持たぬ流れ者連中に、国を救われたとあれば寝覚めが悪い。我々も貴殿に従う。此処は我々の母国だからな」
「すまない感謝致す。時間が無いんだ、取り急ぎ警戒と状況の確認を頼みたい。各班長は至急こちらに来てくれ」
「そうか、では聞くが設計図は何処だ? それとこの開発に関わっている助手を教えろ」
「―――――⁉ 」
「隠しても無駄だ。お前たちの研究はもう既に我々も把握している」
「いっ、一体何のお話でしょうか? 研究ならば多岐に亘《わた》ります故、設計図と言われましても皆目見当が」
「その答えはお前をこの先ずっと後悔させる事になるぞ? おい! 娘の衣服を全部剥ぎ取り跪かせろ」
「なっ!? 何を――― 」
衣服を全て切り裂き、娘を跪かせると、薄汚れた床板に両手を突く様に命ずる。覆面の兵士が手の甲を軍靴《ぐんか》で踏み、動かないように固定すると、鋭く光る短剣を抜いた。今正に訪れようとする惨劇を、瞼に焼き付けてはならぬと囚われた者達は目を背ける。
「勘違いするなよ? これは取引では無い。言わなければ全員此処で屍となる。助かりたければ我々に有益な情報を提供しろ」
「んんんッ―――」
猿轡《さるぐつわ》をされた娘は激しく声を漏らし抵抗すると、ランタンの焔が刹那に揺れる。声にならない呻《うめ》き声と倶《とも》に願い叶わず、美しい指の中の1本が無情にも躊躇わずに跳ね飛ばされる―――
「ヴがぁぁぁッ――― 」
切断された美しい指は主から切り離されると、命尽きる芋虫のように僅かに悶え転がった。
「あぁ、アンジェリカ、あぁ何と言う事を。何と言う事を……。お願いですもうお止めください、娘を傷付けるのはもう止めて下さいお願いします」
「ならばお前の誠意を見せるんだな、でなければ…… 」
「わっ、分かりました、話します、お話し致しますからどうか……。書斎の本棚の中の一冊に、こっ古代民族学の本が御座います。それを調べて下さい。鍵が出て来る筈です。その鍵で本棚の裏の隠し部屋へ入れます。あなた方が欲しがっている設計図は其処《そこ》に有ります」
部隊の隊長と思われる人物は、部下に顎で促《うなが》すと確認を急がせた。
「娘の止血はお前がやれ、大事な娘なのだろ? 」
老年の男は拘束が解かれると娘を抱え込み、涙を浮かべ必死に止血を試みる。
「大丈夫、大丈夫だからな。私が付いているからなアンジェリカ、直ぐに手当てをしてやる」
「他に有益な情報を齎《もたら》す者は生かしてやる」
拘束された者達に向け、最後の勧告を告げる。すると手入れの為されていない長い髪を振り乱し、左右の焦点の合わない眼窩《がんか》の下に酷い隈《くま》を患った、不気味な白衣の男が縋《すがり》り付いてきた。
「わっ、私は往《い》にし方《え》のイヒッ、まっ魔法陣と錬金術の禁忌とされるアハッ、肉体と魂を完全ななッな存在に錬成する研究を、しししている者ですフヘヘッ禁錬術《きんれんじゅつ》は未だ途上ではああッありますが、せっ先日、漸《ようや》く魔法陣をををッ解析することにぃ成功し、かかッか解読までに至りました。このまま研究のごごッご機会を頂ければァヒッ、必ず成果をあげててッて御覧に入れます。ですので、どどどッどうか命ばかりは」
「おっ、お前は何を言っているのか分かっているのか? 禁錬術は禁忌の錬金術。中止せよとあれ程命じた筈《はず》ではないか、まさか研究を続けていたのか!! 自分が何をしているのか分かっているのか!? 」
その発言を受け、隊長と思われる男が肩を聳《そび》やかせ、老年の男を蹴り飛ばす。髪を掴み上げると、黙れとばかりに床に顔面を叩きつけた。
「がはッ―――」
「誰が口を開いていいといった? 此奴は今私と話をしている」
「フヒヒッ、わっ私は貴方ががッが、思う程にぃ、かかか科学者なんですよ。きょッ教義にばかり縛られていては、ししッし進歩は望めません。歴史に名を残すにはアハッ、多少のぎぎッぎ犠牲は必要なんです」
「聞こうか。貴様の言う成果とはなんだ? 」
「イヒッ成果とは、いいッ往《い》にし方《え》の人成らざる者をよよッよ呼び出す事にぃ至るかと…… 」
「ほう、貴様、保身の為に悪魔に魂を売るか? 」
「必要とあらばグヒヒ、ああッあ悪魔と呼ばれる研究にぃ身を捧げたくぞぞッぞ存じます」
「名は? 」
「ろろッ、ロイ・マルクスと、ももッも申しますイヒヒ」
「ふんっ、面白い。ならばお前も一緒に来てもらおう」
すると突然カシューにより、奇襲を知らせる喇叭《ラッパ》の音色が、其々《それぞれ》の場所で響き渡った―――
「頃合いだな。設計図を手に入れ次第撤退するぞ。博士とその家族と助手2名及び、このイカれた研究員以外は皆殺しにしろ」
翻弄されし戦火の闇は、何を狙い訪れんとせんや。理を汚す存在は、此れ乱世に何を齎し、何を代償とせんとする。闇の彼方に蠢く力は、砂上の楼閣なれば、人々を新たな恐怖へと、誘い現れんと欲す。
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