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#ハッピーエンド
#婚約破棄
激動の騒乱が明けた帝都には、皮肉なほどに穏やかで白々しい静寂が戻っていた。
月城様が示した、国家を一段で灰燼に帰しうる強大すぎる力。
それに恐れをなした朝廷は
表向き「月の神子は天へと帰還した」と公式に記録することで合意した。
それはつまり、戸籍の上で私はこの世界から消え去り
名実ともに月城様という男だけが知る「秘密の存在」になったことを意味していた。
外界との繋がりをすべて断ち切り
私は彼の広大な屋敷という名の、美しくも甘い檻の深奥に匿われたのだ。
その夜、天に昇った月は驚くほどに大きく、地上を射抜くような輝きを放っていた。
私たちは、誰も立ち入ることの許されない二人きりの奥庭にいた。
狂い咲いた満開の桜が、青白い月光を浴びて、まるで白銀の薄衣のように透き通っている。
「……輝夜。あの月を見て、ふと……帰りたくなったりしないかい?」
背後から、吸い寄せられるように月城様の温かな腕が回された。
彼は私の肩にそっと顎を乗せ
消えゆく幻を繋ぎ止めようとする子供のように、私を抱きしめる腕の力をじわりと強める。
その僅かな震えに、彼の心の奥底に澱のように沈む不安が透けて見えた。
「いいえ、月城様。…私の帰る場所は、もう、あなたの腕の中以外にはありませんから」
私がゆっくりと振り返り、彼の首筋にしなやかな腕を回すと
月城様は予想外の反撃に遭ったかのように、その端正な目を見開いた。
いつもなら余裕たっぷりの微笑みで私を翻弄し
翻弄される私を愉しんでいたはずの天才陰陽師が
今は耳の先まで林檎のように赤く染め、私の視線を避けるように不器用にも俯いている。
「……ふふ。あんなに大胆に、命を懸けてまで愛を告白してくださったのに。今は、そんなに照れていらっしゃるのですか?」
「……君は、案外意地悪だね。あんな風に真っ直ぐ『大好きだ』と言われてから……私の心臓は、誇張でなく、ずっと狂ったように鳴り止まないんだ。術で抑えることさえできないほどに」
月城様は困ったように苦笑しながらも
私の腰をぐいと引き寄せ、逃げ場をなくすように密着させた。
至近距離で見つめ合う。
彼の深い瑠璃色の瞳には
夜空に懸かるどの星よりも美しく、そして底知れないほどに熱い情愛が宿っていた。
「輝夜…君はもう、名実ともに私だけの『かぐや姫』だ。月へも、未来へも、誰の手にも返さない。一生、この私の腕の中で、甘やかされ、愛し抜かれて生きていく覚悟は……もうできているかい?」
「ええ……。私を、ずっと離さないでくださいね、月城様。あなたがいない世界なら、私は消えてしまったほうがマシです」
私の決然とした答えに、彼の瞳が感極まったように潤んだ。
彼は私の頬を大きな両手で愛おしそうに包み込むと
神仏に祈りを捧げるような
至高の宝物を崇めるような敬虔な手つきで、ゆっくりと顔を近づけてくる。
「愛している。……私のこの命も、魂も、これまでに積み上げたすべての研鑽も。そのすべてを、君一人のためだけに捧げよう」
重なり合った唇からは、夜風の冷たさを容易く溶かすような、体温以上の熱が伝わってきた。
それは、かつての孤独を埋めるための執着ではなく
魂の深淵で互いの存在を認め合い、分かちがたく結びついた「深い愛の契約」。
触れ合う唇が、名残惜しそうに離れるとき。
月城様は私の耳元に唇を寄せ、これまでで一番甘く、心根を蕩けさせるような声で囁いた。
「……おいで、輝夜。今夜はまだ始まったばかりだ。君が、私なしでは一秒たりとも眠れなくなるまで……たっぷり時間をかけて、愛してあげるから」
かつて仕事一筋で、己の心を削り、ただ帝都の守護神として生きてきた冷徹な天才。
結界の奥、月光が降り注ぐ二人だけの箱庭。
風に舞う桜吹雪の中
銀色の髪と青色の髪が幾重にも重なり合い、幸せな吐息が静かな夜の空気に溶けていった。
そこにはもう、陰陽師も神子もいない。
ただ、永遠を誓い合った、一対の恋人たちがいるだけだった。