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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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ひんやりした空気を肌に感じて、橋本は目が覚めた。

見覚えのあるインプの天井が視界に飛び込んできたことに、妙な困惑を感じて目を擦る。軽い耳鳴りと目眩がするせいで、考え事をしたくても集中できない。


「何で、こんな場所で寝ちまったんだ」


倒されているシートと一緒に起き上がると、上半身にかけられている茶色のブルゾンが目に留まった。


「あ……、これは雅輝のか?」


宮本の名前を呟いた瞬間、橋本の背筋にゾワっとしたものが走った。


『ただ言えることは飛んでも飛ばなくても、俺はここを失敗せずに走り抜く。陽さんの信頼にかけて!』


「そういえばこの車で、空を飛んだんだった……」


橋本の信頼をかけた宮本が無事にやりきったことに、大きなため息をついて、心の底から安堵した。

飛んだ瞬間は覚えてる――気持ち悪い浮遊感や車窓から見えた景色までも、しっかり覚えているというのに、その後のことがちーっとも思い出せず、額に手を当てながらうんうん唸って、無理やり思い出そうと試みた。


(――駄目だ。思い出そうにも、目まぐるしく変わる景色や、雅輝の楽しげな顔しか出てこない。遊園地の絶叫系に乗っても、こんなことにはならないのに、どういうことだよ!?)


躰にかけらていたブルゾンを手にして車から降りると、少し離れた場所にいる人混みの中から、宮本と店長が走ってやって来た。


「陽さん、大丈夫ですか?」


息を切らしたまま話しかけた宮本は、心配するような表情で橋本をじっと見つめる。


「あー、目が覚めたときは何がなんだか記憶が曖昧で、ボーッとしちまったけど、少しずつ思い出してる」


苦笑いを浮かべて肩をすぼめる橋本に、店長は声を立てて盛大に笑った。


「橋本さんだけじゃないですよ。宮本っちゃんの横に乗った奴のほとんどが途中でギブするか、目を回して戻ってくるかの二択なんですから」

「そうなんですか……。俺だけじゃなく」


レールのないジェットコースターのような宮本の走りを体感した身としては、非常に複雑な心境だった。


「だけど宮本っちゃんの走りを間近で見て、橋本さんもかっ飛ばしたくなったんじゃないですか?」


ダウンヒルの最中の出来事を思い出そうとしているときになされた質問に、橋本は我に返った。そのせいで思慮が追いつかなかったが――。


「あそこまで速さを求めませんが、持ち主よりも上手に乗りこなす雅輝のドラテクには憧れます。これ、貸してくれてありがとな」


橋本が持っていたブルゾンを押し付けるように手渡したら、宮本は当惑の面持ちでそれを受け取る。


「陽さんが俺に憧れるなんて、とんでもない!」


憧れると言いきった橋本に、宮本は慌てて背を向けるなり、大きな躰をふるふる震わせた。その様子を間近で見た店長が、さっきよりも大きな声でカラカラ笑う。


「失恋から立ち直るべくして、走りに集中した結果、最速の男として名を馳せたというのに、慕って来る奴はそろって野郎ばかりで、相変わらず浮いた話に発展しないのな。残念過ぎる宮本っちゃん!」

「自分の車を持っていない時点で、走り屋から第一線を退いているというのに、その言い草はあんまりですよ。浮いた話くらい、自分で何とかするし」

「「えっ!?」」


橋本と店長が同じタイミングで、短い声をあげた。

ふたりが驚いたことに宮本はびっくりして、顔を引きつらせながら振り返ると、何か問いたげな眼差しが躰に突き刺さるように放たれていた。


「雅輝おまえ、自分で何とかするような恋を、現在進行形でしているのか?」

「宮本っちゃんのことだから、二次元にいる薄っぺらい彼女じゃないよな?」


たじろぐ宮本に橋本は苛立ち、両肩を掴んで揺さぶった。


「はっきり言えよ。店長さんが言うような、非現実的な女に恋してるのか?」

「ち、違いますぅ。現実にいらっしゃる方です」

「「マジかよ……」」

「……俺が恋することは、そんなに驚かせる話題なんでしょうか?」


手渡されたブルゾンを握りしめながら問いかけた宮本に、橋本は何と答えていいのか言葉を選んだ。その間を埋めるように、店長は得意げに口を開く。


「驚くに決まってるだろう。宮本っちゃんってば俺の店に誰かと来ても、決まって野郎ばかりだったし、世間話をしたって車のことか二次元の話しかしなかったから」

「そうだぞ。そういう盛りあがらない話題ばかりの男が、浮いた話くらい自分で何とかするといきなり言い放ったんだ。相手がどんな奴か気になるのは、当然のことだろ」

「そうそう! それでその現実にいらっしゃるお方は、どんな奴なんだ?」


鼻息を荒くして興味津々に訊ねてくる、ふたりの視線から逃げるためなのか、宮本は持っていたブルゾンで顔を隠した。


「そこまで、興味を持つほどのことじゃないですって。普通よりも、ちょーっとばかり顔が綺麗な方で」


ブルゾンの中から聞こえた声はくぐもったものなれど、内容がはっきりと聞き取れたことで、橋本と店長は目配せしながら笑いを堪えた。


「宮本っちゃんよりも年下か?」

「……年上です」


(雅輝の持つ優しさを生かすなら、年上よりも年下のほうが有効だと思うのに。キレーな年上のお姉さまによしよしされたいのか、コイツは――)


「顔が綺麗な年上って、落とせそうな感じがしないのは、俺の経験値から判断できた。雅輝、俺が仲を取り持ってやる!」


言い終わらないうちに、橋本が宮本の手からブルゾンを強引にひったくり、隠している顔をあらわにした。


「陽さん、いきなり……」


情けないくらいに真っ赤な顔をしている宮本が、心底弱りきった様子で橋本を見つめる。


「どこのどいつなんだ、おまえの好きな奴は?」

「……今は教えません。進展らしきものがあったときに教えてあげます」

「宮本っちゃん、その進展らしきものは、絶対におとずれるのか?」


立て続けになされる質問に、宮本は眉根を寄せて頭を抱えた。


「進展よりも失恋するほうが濃厚なんで、放っておいていただけると、俺の心の傷の具合が浅くて済むんですけどね」

「諦めるのかよ!?」


奪ったブルゾンを突き返しながら、橋本がちょっとだけ怒った口調で訊ねた途端に、宮本の表情が一瞬にして変わった。押し付けられたブルゾンを手荒に掴むと、横を向いたままそれを着込む。


「俺は誰かさんみたいに、何年も想いを秘めるような、器用な真似はできませんので」

「ちょっ、何で俺の話をここで持ち出すんだよ……」

「まあまぁ! ふたりとも、いきなりオーバーヒートしないでくれ。宮本っちゃんの恋バナについては、後日進展があったときにでも教えてくれ」


その場に漂う険悪な雰囲気を一掃するような、店長の明るい声が響いた。


「少しでも発展させるなら、見栄えを良くする努力とか、何かしら行動すればいいのに。デコトラばかり装飾してもな」


それはそれは小さな声で告げたものだったのに、宮本はそれを聞くなり垂れ目をキッと釣り上げて、橋本を睨みつけた。


「俺が陽さんみたいにカッコいい男なら、ここぞとばかりに自分に手をかけますよ。だけど実際の見た目がモブキャラレベルだから、整形でもしない限り、どんなに手をかけたって、無駄なことになるんですっ」


「整形なんかしなくても、おまえの特技の走りを見せれば、綺麗な年上だってイチコロだろうよ」

「ええ、ええ! 確かにイチコロですよねー。誰かさんは白目を剥いて、気を失っていましたから」


ニヤニヤしながら得意げに語る宮本を、苦虫を噛み潰した表情で橋本は睨んだ。


「宮本っちゃん、せっかく仲直りしたそばから喧嘩に発展させるなよ。発展させていいのは恋だけだからな」

「だって、陽さんが……」


怒りのこもった声をあげて睨み返す宮本の肩を、店長は宥めるようにぽんぽん叩いた。


「気を失った俺のことを、心の中でバカにしてるんだろ」

「橋本さんも落ち着いてください」


睨みあうふたりを交互に見つめながら、呆れた顔で店長が仲裁に入ったものの、場の雰囲気がまったく改善されないことにやれやれと肩を竦め、ぶつぶつと唱えるような声で呟く。


「売り言葉に買い言葉って言うけど、のほほんとした天然系の宮本っちゃんが、誰かに噛みつくところを拝めるなんて驚き。橋本さんも、いい感じで煽るのが上手いし」

「煽ってるつもりは、まったくないんですが」

「いやいや、俺の気にしてるところを、コアに突っついてますよ」

「もう! 宮本っちゃんは、いちいち食ってかからない。こんな言い合いで、ふたりの仲の良さを見せつけないでくれよ。仲がいいほど喧嘩することを表してるって」


ズバッと突きつけられた事実に、橋本と宮本はそろって口をつぐんだ。


「宮本っちゃんの年上の想い人が橋本さんなら、間違いなくいいカップルが成立するだろうに。どちらかの性別が女だったら良かったのにな」


(何かが間違って、雅輝とカップルが成立したとしても、お互いタチ同士だから、ネコになるならないで喧嘩になる気が激しくする……)


「あれ? ふたりして黙ったままでいるなんて、俺の意見に同意してくれるの? いいカップルになる話」

「「まさか!」」


寸分違わぬタイミングで、同時に口を開いたふたりは、一瞬だけ見つめ合ってぱっと目を逸らした。


「雅輝が女だったら、化粧はしない服もダサい口が悪いの三点セットだろうよ」

「そういう陽さんこそ、ここぞとばかりに厚化粧して無駄に若い格好に身を包んで、実年齢を誤魔化すでしょうね。極めつけは上から目線で、ギャーギャー口うるさそう」


顔を背けたままあえて視線を合わせず、それぞれの悪口を言い合う姿に、間に挟まれている哀れな店長が大きなため息をついた。


「アハハ……。何となく想像できちゃうところが、漫才コンビみたいだな。いっそのこと、お笑いを目指してみたらどうだ?」


もう手がつけられないと考えたのだろう。店長は投げやりな口調で告げるなり、大勢のギャラリーに向かって歩きだした。それを追いかけるように、宮本は橋本に背中を向けて歩を進める。だがすぐに立ち止まり、仕方ないという感じを醸し出した顔で振り返った。わざわざ立ち止まった宮本を見て、橋本はむっつりした声で話かけてみる。


「……何だよ?」

「インプのタイヤ、もう少しグリップ力を抑えたもののほうが、走りに安定感が出ると思います」


唐突にタイヤのことを指摘した宮本に、小首を傾げて問いかけるしかない。


「普通の速度でもか?」

「はい。インプの車重って1440kgもあって、5ナンバークラスの車の中では重量級なんです。今使ってる柔らかいタイヤなら、車重がかかって、走りに粘りがある分だけタイヤの消耗が激しいですし、陽さんの走り方を考えたら、硬めのタイヤのほうが、しっくりくると思いますよ」

「俺の走り方?」

「デコトラで同じ車線を一緒に走りましたし、ハイヤーの後部座席から陽さんの運転を直接見ているから、いろいろわかるというか。むぅ……」


(店長さんが言うように、説明が下手過ぎる。こっちが聞きたい部分を濁すところが、雅輝クオリティと表現できちゃうだろうな)


ちょっとだけ唇を尖らせたままで告げられる宮本の言葉に、橋本は何だかおかしくなって笑いだした。


「な、何で笑うんですか。俺、笑われるような変なことを言いましたっけ?」


人差し指で頬をぽりぽり掻きながら、不満げな表情を滲ませる眼差しに、橋本はしっかりと視線を合わせた。


「さすがは、白銀の流星と呼ばれるだけのことはあるなと思ってさ。アドバイス、サンキューな」


橋本が右手親指を立てて礼を言った瞬間に、ふいっと背中を向けられた。


「どーいたしまして! それじゃあ」


立ち去り際の宮本の頭頂部の寝癖が大きくひょこっと揺れたのが、橋本に向かってお辞儀をした感じに見えた。


(しかし、インプのタイヤを指摘されるとは思わなかった。それなりに高いタイヤを履かせておけばいいだろうという甘い考えを、雅輝に見透かされてしまったな)


肩を落としてインプに乗り込み、エンジンをかける。聞き慣れたエンジン音は、いつもなら橋本の気持ちを鼓舞するものとなるはずなのに、浮上するどころか、どんどん落ち込んでしまった。

耳の奥に残っている、宮本が高速走行したときのエンジン音が今の音をかき消した。


「大人しい俺の走りじゃ、おまえは満足できないんじゃないのか? 普段は使われることのないポテンシャルを、雅輝に引き出してもらえて良かったな……」


ハンドルを握りしめながらアクセルを踏み込んでも、インプは橋本に答えることなく、踏み込んだ分だけのエンジン音を耳に伝える。

そのまま大勢のギャラリーの目を避けるように、三笠山をあとにすべく、ゆっくりと坂道を下った。四つ目の緩やかなコーナーを曲がり終えた瞬間に、後方を走る車のライトがルームミラーの中にキラッと映りこむ。

邪魔になるかと考えたときには、ぴったりと背後に張りつかれてしまった。


(一瞬で間を詰めるような、馬鹿な速さを出すということは、雅輝が運転しているのかもな――)


最初から競う気がない橋本は、左ウインカーを出して横に退けると、ターボの音を響かせた赤い車が横に並ぶ。


「あ、店長さんの車だったのか」


思いっきり顔を引きつらせながら、助手席で手を振る店長と、ばっちり目が合った。運転席でハンドルを握る宮本はまっすぐ前を見据えたままアクセルを踏みしめ、インプの前に車体を滑り込ませる。

ハザードランプを数回点灯させるなり、橋本の車を置いていくように一気に加速して、難のあるコーナーを次々と攻めていった。

厳つい車体のNSXが瞬く間に小さくなって走り去って小さくなっていくのに、宮本がアクセルを開けるたびに、エキゾーストノートが峠に大きくこだました。

心地いいその音をずっと聞いていたくて、橋本は迷うことなくウィンドウを下ろし、秋の冷たい空気を躰に浴びながら、耳では宮本の存在を感じて帰路に着いたのだった。

不器用なふたり この想いをトップスピードにのせて

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