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結婚とは、当人同士のことだけではなく、お互いの家族親族、そして子どもがいれば子どものことも含めてたくさんの責任がある。
“好きだから結婚しました”はいいとしても、
“嫌いになったから別れました”とは易々と言えない。
恋人同士から入籍して家族になるということは、安心できる場所を手に入れることができるのと引き換えに、たくさんの《責任》を抱えてしまうということだ。
その窮屈な《責任》は、自分勝手に投げ出すことはできない。
大切なものを守るという義務もあるし、その大切なものは幸せの源でもある。
自分のわがままで自分が楽しむ時間を手に入れるために、誰かを傷つけたりしてはいけない、絶対に。
ランチしながら話した、成美との約束。
「そんなこと、結婚した時から覚悟して弁えてるつもり。下手なことはしないから」
“大丈夫よ”と付け足して、成美はエレベーターで彼が待つという部屋へ上がっていった。
成美は大丈夫だろうと思った。
_____若い男に人生を振り回されたりはしないだろう
私はゆっくりコーヒーを味わってから、遠藤が待つバイト先の事務所に歩き出した。
駅前のバス停に着くと、スマホを取り出し“お待ちしています”という遠藤駿からのメッセージを読み返す。
_____わかってる、仕事の社交辞令なんだから
それでも、結婚してから夫以外の男性からこんなメッセージが届くと、胸の辺りがきゅっとする。
車窓に映る自分の顔を見て、前髪を少し下ろした。
バスから降りて歩いていけば、前髪なんてすぐに崩れてしまうだろうけど。
_____なんだかなぁ……
まるで好きな人に会いに行く中学生のようだ。
「なにやってるんだか……」
浮き足立っている自分自身を戒めるように、わざと声に出した。
バスを降りて、200メートルほど歩く。
誰に見られているわけでもないのに、背すじを伸ばして歩いて行く。
自動ドアの前に立つと、遠藤の姿を確認して中に入った。
「こんにちは」
「こんにちは、岡崎さん。わざわざお越しいただきありがとうございます」
カウンター越しに、遠藤が頭を下げた。
「あ、いえ、私にとっては散歩のような息抜きを兼ねているので。えっと、これ、確認してください」
データを打ち込んだメモリをカウンターに乗せた。
「わかりました、プリントアウトしてみますので、そちらでお待ちください」
パソコンにセットしてクリックすると間もなく、プリンターから書類が次々と繰り出される。
遠藤は、その書類を取り出しトントンとひとまとめにしてクリップで留めると、胸ポケットから取り出したメガネをかけて一枚一枚目を通している。
_____あ、いいなあ
真剣な眼差しで、書類の不備をチェックしていく遠藤の横顔にドキッとした。
「うん、いいですね、よくできています」
こちらを振り向きながら、メガネを外す遠藤を、ジッと見てしまった。
「ん?」
「あの、すみません、メガネされるんですね」
「ホントは視力悪いんですよ、強い乱視があって。でもメガネをかけるとイカつく見えるらしくて。細かいものを見る時くらいしか使わないです」
「そうなんですね。イカついというより、キリッとしてカッコよかったから……」
答えてから、思わず口を押さえた。
_____何を言ってるんだろ、私ったら
「ぷっ、そうですか?初めてそんなふうに言われましたよ」
うっかり口に出したセリフに、我ながら焦ってしまって違う話題を探す。
「えーと、あ、そうだ、先日はすみませんでした。お忙しいときにメッセージを送ってしまって」
返事が来なかった時のことを謝罪した。
「こちらこそ、すぐに返事ができなくてすみません。あの日は、息子がいたのでスマホを置いていました」
「ご家族団欒の時間だったんですね、お邪魔しました」
「えぇ……まぁ」
ふっと、視線を落とす遠藤。
_____また?家族の話題になると表情に翳りが見えるんだけど
「お子さんて、何歳なんですか?」
「5歳になります」
「うわー、じゃあ、活発に動き回って追いかけるのが大変そうですね」
「……」
「すみません、私何か失礼なこと言ったみたいで」
返事がない遠藤に、とりあえず謝る。
「すみません、その、なんて言うか、どう答えればいいのかわからなくて」
「いいんですよ、私、時々無神経なことを言ってしまうみたいで、夫からもよく叱られます」
なんとかこの場の雰囲気を変えたいのだけど。
どちらも言葉が続かず、しんとしてしまった。