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「これは一体何事だ?」


部屋のドアのそばに千秋さんが紙袋を手に持って立っていた。

千夏さんは泣いている私をハグしてくれていたので、千秋さんにとって衝撃的なシーンだったのかもしれない。


「千秋ー、おかえり!」


千夏さんの声がやけに明るく部屋中に響いた。

千秋さんは私のそばに寄ると、千夏さんを真顔で見つめた。


「紗那を泣かした? いくら親でも許せないな」


千秋さんがわりと本気で怖い顔をするので私は慌てて否定した。


「違うの。私が怖い夢を見てうなされていたから慰めてくれたの」


千夏さんは私から離れると、空になった器を載せたトレーを手に持った。


「千秋が帰ったからアタシは用済みだわ。サナ、また明日ね」

「はい。ありがとうございます」


私は深く頭を下げて礼を言った。

千秋さんは真顔のまま私の近くに来て、そばにある椅子に腰を下ろす。

彼は紙袋の中身をごそごそ取り出し、それをテーブルの上の皿に並べていった。


「ドーナツ、食べれる?」

「うん。少しなら」


千秋さんは真顔から笑顔になり、大きなドーナツを半分に割った。


ドーナツはシンプルなプレーンとチョコの生地の2つあった。それらはシュガーシロップでコーティングされている。

砂糖がまぶしてあるものやクリームが入っているものと違って、結構あっさりとした味わいなので意外と食べられた。

そうそう、クリスピードーナツのオリジナルの味だ。


私がプレーンを食べてチョコにも手を出そうとすると、千秋さんはふっと笑った。


「よく食べるな」

「さっきお粥を完食したら勢いがついちゃった」

「いいことだよ。今は食べたいものを食べればいい」

「ありがとう」


千秋さんはおもむろに私の額に手を当てた。


「熱は下がったな」

「うん。体も少し軽くなった気がする」

「ごめんな、紗那」


千秋さんは急に神妙な面持ちになり、どきりとして不安になった。

なぜ、謝るんだろう。千秋さんは何も私に謝るようなことをしていないのに。むしろ、私が謝らなきゃいけないくらいなのに。


そんな思いにかられていると、彼はため息まじりに言った。


「俺が毎晩、君を寝かさないから」


私は口に入れていたドーナツを吹きそうになった。


私が咳き込むと千秋さんは急に慌て出し、私の背中をさすってくれた。


「大丈夫か? まだ調子が」

「ちがっ、ごほっ……」

「実は俺、ちょっと反省したんだ。慣れない土地に来て食生活も変わったのに紗那は語学習得や仕事に向けて頑張っていたなと。それなのに俺は紗那を休ませてやる時間を与えてやらなかった」

「あの、もういいよ」


本気で困惑の表情をしながら語る千秋さんを見て私は猛烈に恥ずかしくて熱が上がりそうだった。


「これからは少し回数を控えめにしよう」

「あのっ……!」


これは、チャンスかもしれない。

私は少し自分の心境に変化があったことを、きちんと彼に説明するべきだと思った。どうやって切り出そうかと思ったけど、彼はストレートに話すから私もそのままの思いをぶつけた。


「千秋さん、その……」

「うん?」

「もう避妊しなくていいですよ」

「えっ……」


そう。彼はずっと私がそうならないように気をつけている。

なぜなら私が母親になることを極度に恐れていたからだ。

私は自分の子どもを愛せる自信がなかった。

だけど、今なら言える。


「私、千夏さんやマイケルや千秋さんみたいな家族を作りたい」


私が笑顔でそう言うと、彼は少し驚いた顔をしたあと、微笑んで私の髪を撫でた。


千秋さんは出会ってから今までずっと、何よりも私の体調や心を守ってくれる。彼は私の人生に関することで私の意思を無視することは決してなかった。

黙っていたらきっと、彼の思いやりが私の今の心とすれ違ってしまいそうだから、私は勇気を出して彼に告げることにした。


「わ、わたし……千秋さんの子どもが見てみたいなー、なんて……」


恥ずかしいけど、正直な気持ちを口にしたら、なんだか今までの不安がすべて消えてしまったみたいに心が楽になった。

千秋さんは少し驚いた顔で目を丸くしていた。


あれ? 喜んでくれるかなって思ったのに……。


少し不安がよぎった次の瞬間――。


「紗那!」


目の前がくるりと反転し、私はベッドに押し倒されてしまった。

千秋さんが私の腕を掴んで覆いかぶさってくる。


「え? えっ……?」

「そうか。正直に話してくれてありがとう。これで心おきなくできるよ」

「い、いや……いきなり、ていうか今?」

「本当はもう少し自分を抑えようと思ったんだけど、もういいかな」


彼はするりとネクタイを外す。

私は慌てて制止した。


「ちょっと待って! 私、病み上がりだし」

「ここまで熱烈な告白をされたら子作りをしないわけにはいかないだろう」

「今じゃないでしょ!」


もう、千秋さんは振り幅が大きすぎるんだよーっ!!!


千秋さんはスムーズな動きで私の頭を抱えて、私の額や髪にキスをする。そのとき私はハッとして慌てて顔を背けた。


「お風呂入ってないし、汗かいてるし、匂うからあんまり近くに寄らないで」

「大丈夫。君の匂いならなんでも愛おしい」


そう言って彼は私の頬にキスをする。

そっと目線を上げるとばっちり彼の目と合って、その瞬間に唇にキスをされそうになり、とっさに避けた。


「千秋さん、今キスしたら私の風邪が感染うつっちゃうかもしれないよ」

「いいよ。君の体の中にあるウィルスなら喜んで受けよう」

「バカなこと言わないで! 仕事に支障が出ちゃうよ」


千秋さんは真顔になり、ため息をついて私から離れた。

ちょっと可哀想かなって思ったけど、仕方ないよね。


それにして、彼はいつも冷静で何事にも動じないのに、なぜか私のことになると感情に素直に行動する。そういえば、この人って出会ったときからそうだった。

いつも自分に素直でストレートに気持ちをぶつけてくる。そういう子どもっぽい部分も、なんだか可愛くって、私はとてつもなく愛おしく思える。


千秋さんが私をちらりと見た。

私は笑顔で首を傾げる。

彼は物欲しそうに私を見つめながら訊ねる。


「ハグくらいしてもいいだろうか?」

「え? うん。いいよ」


彼は私を抱き寄せて、やっぱりそれだけでは終わらなかった。


不意打ちにキスをされてしまった。

唇が触れた瞬間、びっくりしたけど、同時にもう諦めの境地にいたった。


「……熱がまた、上がっちゃうよ」

「俺がもらってやる」

「バカなこと……っ、ふっ」


今度は軽いキスじゃなくて、頭が痺れるくらい深くて長いキスだった。


あーあ、もうどうなっても知らないって思った。

だけど、もうこの際だから、久しぶりの彼とのキスに酔いしれてしまった。



その2日後、千秋さんは見事に発熱して1日寝込んだ。絶対私の風邪が感染うつったんだろうと思ったけど、彼は翌日には劇的に回復していた。


「うそでしょ? 1日で治るの?」

「君とは体質が違うし、免疫力も高いからね」

「何それイライラするー」


私が真顔で言い放つと、彼は満面の笑みで返した。


「だから、これからも君の病魔は俺が取り去ってあげるよ」

「……千秋さんが言うとリアルなんですけど」

「そうだよ。本気だからね」


たしかに彼は私を傷つけるものすべてから守ってくれた。

代わりに今の私は彼でいっぱいに満たされていて、どんな困難が降りかかってもきっと大丈夫だって思える。


「絶対、離してあげない」


私が彼の腕を掴んで肩を寄せると、彼は嬉しそうに笑って言った。


「それ最高だね」



ようやく引っ越し先に荷物を移動した日の夜のこと。

最後に家族みんなでレストランのディナーを楽しんでいたときに、突然千夏さんから報告があった。


「あたしたち、結婚しようと思うの」


私が「おめでとうございます」という横で、千秋さんはわりと冷静な反応をした。


「ふうん、おめでと」

「うん、ありがとー!」


千夏さんは息子の冷めた返事にも動じず明るく返答した。


「あっさりなのね」


と私がこっそり言うと、千秋さんは真顔で返した。


「もうずっと(マイケルと)一緒にいるからどっちでもいいよ」

「そっか」

「他人の結婚に興味ないし」

「親でしょ!」

「そういえば俺たち結婚式どうする?」


千秋さんはさらりと話題を自分たちの方向へ変えてしまった。

てっきり結婚式はしないものだと思っていた。なぜなら私は挙式に呼べる身内はおろか友人だっていないんだもの。


「招待できる人がいなくて……」


私がおずおずと答えると、千秋さんは笑顔で「大丈夫」と言った。


「じゃあ、ふたりでひっそり挙げようか」

「それがいいかも」


すると千夏さんが明るく話題に入ってきた。


「それなら合同披露宴しちゃう? 親子で」

「絶対に嫌だ」


千夏さんの提案を、千秋さんは即座に断った。

で、私たちは結局ふたりきりで小さな教会で誓いの言葉を交わすことにしたのだった。


これでおしまいだと思っていたのに、なぜかやっぱり披露宴をすることになった。とはいえ、日本みたいに準備に半年かけて招待客を選んで料理や演出を考えて引き出物を用意して、などということはまったくなくて。


森に囲まれたレストランを貸し切りにして気軽におこなえるガーデンパーティだった。ゲストは千秋さんの会社関係者と家族や友人知人などで、立食形式の簡易的なものだった。

私はスレンダーラインのシンプルなドレスを着て、千秋さんはグレーのタキシード姿。それほど派手ではなく、本当に気軽に楽しめるものだったので、緊張することもなかった。


前日に雨だったから室内になるかなと思ったけど、当日は雲ひとつないくらい清々しい青空が広がっていて、最高の日となった。


千夏さんは「息子が立派になって」と号泣して、なぜかとなりでマイケルも泣いていた。


その後、私は在宅でできる仕事を紹介してもらって、それほど負担にならない程度に働いている。休日には千秋さんと近くの公園に散歩に行ったりしてゆるりと過ごす。


日本に帰ることはとうぶんないだろう。

それどころか、旅行もしないことにした。


今は自分の体を大切にしたいから――。









Wishing you a never-ending love……

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