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 目を覚ますと、部屋には朝の薄明かりが差し込んでいた。

 うるさいぐらいに鳴いていたセミの声もなく、空気は春先のように肌寒い。


「さっむ」


 身体を震わせながら身体を起こした瞬間、目に飛び込んできた光景に思わず息を呑んだ。


「は?」


 夜明けの光に照らされた部屋が、まるで長年放置された廃屋のようになっていた。

 割れた窓ガラスに、ボロ布同然のカーテン。畳は至るところが黒くカビて、埃が白く積もっている。木製の折り畳みテーブルは埃で真っ白で、足が一本外れて傾いていた。

 その中で唯一、腐敗から免れた場所がある。

 俺が倒れていた場所だ。人の形をしたその部分だけが、綺麗な青草色の畳のままだった。


「えっ!?」


 何度見渡しても、置かれた家具はすべて俺のもので間違いない。


「なんだよ、これ」


 混乱しながらも、とりあえず目の前に落ちていたスマホを手に取った。画面を開くと、見慣れない文字列が目に飛び込んできた。



 4月 1日 6時02分



「しがつ……四月!?」


 何度目を擦っても、表示は変わらない。今は八月だ。四月なんてありえない。

部屋といい、スマホといい、いったい何がどうなっているんだ。


「夢、だよな……?」


 きっとそうだ。間違いない。

 ひとまず誰かに連絡を、とホーム画面に目を向けた瞬間、手が止まった。画面に表示されているアプリは、昨夜ダウンロードした『トワイライト・ワールド』のアイコンひとつだけだ。ラインも、メールも、連絡先も、ネット接続のアイコンも、設定アイコンさえも消えている。画面上部の電波マークも電池残量も、何もない。

 スワイプしても他の画面は出てこない。


「―――…マジかよ」


 部屋だけじゃない。スマホ全体もバグっている。

 背中に冷たい汗が浮かぶ。

 スマホをポケットに突っ込み、外に助けを求めようと俺はよろよろと立ち上がった。ミシッという音とともに畳が踏み抜かれたのは、その瞬間だった。


「いってぇえ、何が……」


 踏み抜いた穴から、虫たちがわらわらと顔を出してくるのを見て、血の気が引いた。


「ぎゃぁあああああああああああああ!!!!」


 全身に鳥肌が立つ。俺は一直線に玄関へと駆け出した。部屋中の埃が舞い上がり、目の前が白く染まる。


「げほっ、げほっ!」


 口元を手で覆いながら、必死で玄関へと駆け抜けた。靴はすべてカビだらけで埃まみれ。触れることすら躊躇する物体だ。早々に諦めた。


「な、なんだよ、何だよこれ!」


 半泣きのまま鍵を開け、錆び付いたドアノブを回す。

 ――ギッ。扉は開かなかった。


「こ、こんな時に!」


 築五十年のボロアパートは時々立て付けが悪くなる。こういう時はドアの左下端を蹴ればいい。分かってはいるが、今の俺に力加減などできるはずもない。

 思いっきり蹴り飛ばした。


 バゴォン!


 扉が吹き飛んだ。


「え?」


 吹き飛んだ扉を見て、俺は呆然と立ち尽くした。確かに焦っていたとはいえ、扉が吹き飛ぶなんてありえない。大家さんになんて説明しよう。


「い、いや、それよりも外だ!」


 気を取り直して外へ飛び出した瞬間――足が止まった。


 そのすべてが、倒壊していた。

 蔦や苔、植物に覆われた民家。隣の一軒家は屋根を突き破って生えた巨木に飲み込まれ、もはや「かつて家だったもの」としか表現できない。アスファルトの道路はあちこちひび割れ、地面から伸びた草木が灰色の舗装を緑に染めている。駐車場の車にいたっては蔦と苔に全体を覆われ、遠目には巨大なマリモにしか見えない。それが車だと分かるのは、その形がどう見ても車にしか見えないからだ。


 ――緑に覆われて廃墟となった街。


 そう表現するしかない光景が、目の前に広がっていた。


「な、なんだよこれ」


 信じられない。昨日まではなんともなかったはずだ。一晩たっただけで、街が崩壊しているなんて現実的にありえるのか?


「そんな馬鹿な。それこそ、ありえな―――…い?」


 言葉が不自然に途切れた。背後から、裂けるような音が響いたからだ。


 ――ビシッ。ビシビシバキッ。


 音はどんどん大きくなっていく。振り返ると、アパートの壁や屋根に大きなヒビが走っていた。それと同時に、アパート全体がガタガタと揺れ始め、その動きとヒビが限界に達したと思われたその時、ボロアパートは自分の体重を支え切れずに倒壊した。


「うわっ、ぷっ!」


 立ち上る砂ぼこりに顔を覆う。数分ほどして砂ぼこりが収まり、目を開いた。

 ボロアパートは完全に倒壊していた。しかも周囲と同じように草木が伸び、苔に覆われている。たった数分のうちに数百年分の年月を重ねたかのような光景だった。


「……どういう、ことだよ」


 言葉が出ない。腕に切り傷ができて血が流れていた。その痛みが、これがすべて現実だと非情にも教えてくれていた。

 誰かに助けを求めようと、周囲を見渡す。しかし廃墟と化した街に人影はない。あれだけ大きな音が鳴ったのに、誰も様子を見に来ない。


「本当に……誰も、いないのか?」


 その時だった。廃墟の奥で、何かが動いた。

 気のせいか。いや、違う。蔦や草木が揺れている。風のない朝に、明らかに何かが動いている。


「ッ、助かった!! すみません!!」


 思わず声をかけた。返事はない。けれど、草木の揺れは止まらない。


「あの……?」


 異変を察して、声が弱々しくなった。

 じわりと、全身に悪寒が広がる。

 人ではない。本能がそう告げていた。

 ポケットのスマホからアナウンスが鳴ったのは、その時だ。



  ≫≫チュートリアルクエストが到着しました。


  廃墟の奥からゆっくりと影が姿を現した。

  真っ先に目を引く緑の肌。背丈は小学校低学年ほど。顔は醜く、腰には動物の毛皮が適当に巻き付けられ、その腹はでっぷりと突き出ている。黄色く濁った瞳は嫌らしくゆがめられ、紫色の舌を垂らした口元からは涎が流れていた。


  手には、錆ついた包丁があった。刃の先は、俺へと向けられている。


「げひひ……げへへへっ」


  汚らしく濁った低い声で、ソイツは嗤った。

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