ちょい長です。
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いるまの葬儀から一週間。
なつの顔色はさらに悪くなっていた。
LANやみことたちが
何度も訪ねてくるけれど、
なつの耳にはその声がほとんど届かない。
「ご飯、食べてる?」
「……、食ってる」
そんなこと言って誤魔化したけど
昨日の皿がまだ流しに置かれたまま。
LANが帰ったあと、
部屋は静かになる。
テレビもつけてないのに、
どこかから声が聞こえた。
――なつ。
ふっと顔を上げる。
何もない。
けれど、壁の奥からかすかに
呼ぶ声がする。
「……いるま?」
耳を澄ますと、また同じ声。
“冷蔵庫の方だ”と思って、ゆっくり歩く。
冷蔵庫を開けると、
中には――アイスが一つ。
あの日、買いに行ったはずのアイス。
包み紙は少し湿っていて、
手に取るとぬるい。
――でも、確かにある。
「……誰が、置いたんだ?」
答えはない
ただ、背後から肩を叩かれるような
感覚がして、反射的に振り向く。
いない。
けど、テーブルの上にはもう一つの
コップが置かれている。
水が入っていて、氷が溶けかけていた。
「……いるま、なのか?」
声が震える。
誰もいないはずの空間で、
“ぽた、ぽた”と水滴が落ちる音がする。
次の瞬間、スマホが鳴った。
画面には“いるま”の名前。
なつの手が震える。
通話ボタンを押す。
「……いるま?」
『……なつ。』
確かに聞こえた。
懐かしい声。優しい呼吸。
でも、電波の奥に混じるような
ノイズが不気味に響く。
「どこにいるの……?」
『ここにいるから――。
もうすぐ 帰るな』
通話が切れた。
画面を見ると、履歴はない。
着信履歴にも、発信履歴にも。
まるで最初から、
何もなかったかのように。
なつはスマホを持ったまま、
床に崩れ落ちる。
「……夢じゃ、ないよな……?」
壁の時計が再び鳴り出す。
“カチ、カチ、カチ”という音が頭の中で
増幅していく。
その音にかぶさるように、
また、いるまの声がする。
――なつ、泣くなよ。
――俺、ちゃんといるだろ。
なつは笑った。
涙が止まらないまま、笑った。
「……うん。いるよな。いるま、
いるもんな……」
テーブルの上のアイスが、
いつの間にか二つに増えていた。
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朝、カーテンの隙間から光が差し込む。
だけど、部屋の空気は夜のままだ。
なつはテーブルの前に座っていた。
そこには二つの皿、二つのカップ。
そして、食べかけのアイス。
「……いるま、起きろよ。
LANたち来るって」
そう言って笑うけれど、
隣の席には誰もいない。
なつには見えている。
いるまが座っている。
頬杖をついて、いつものように半分笑って
こっちを見てる。
「お前、寝癖すげぇな」
――そう言った気がした。
だから、なつも自然に返す。
「うるせぇ、そーいういるまこそ」
笑い声が響いたような気がした。
インターホンが鳴る。
LAN、みこと、すち、こさめ。
心配そうな顔で立っている。
「なつ……大丈夫?」
「ん、大丈夫だよ。今、いるまと朝ごはん
食べてた」
沈黙。
四人が顔を見合わせる。
みことが優しく言う。
「……なつくん、いるまくんは……」
「だから、そこにいるって」
なつは指をさした。
けれど、みんなの視線の先には、
空っぽの椅子。
LANが眉を寄せる。
「なつ、それ……誰もいないよ」
「……え?」
なつの笑顔が、一瞬で凍る。
「何言ってんだよ、見えるだろ、ほら」
椅子を向ける。
いるまが、笑っている。
でも、LANたちには何も見えない。
「なつ、最近ちゃんと寝てる?あのさ――」
「うるさいな!お前ら、なんでそんなこと
言うんだよ!」
声が震える。
「俺の目が、耳が、全部おかしいって
言いたいのか?」
LANがそっと手を伸ばそうとするが、
なつは一歩下がった。
「俺、ちゃんと話してんだよ。
そこにいるの。俺の隣にいるまが
いるのに……なんで信じてくれねぇんだよ」
みことが涙をこらえながら呟く。
「なつくん、もうやめようよ……
いるまくん、もういないんだよ」
なつの表情が歪む。
そして、ぽつりと笑った。
「……お前らがいないんじゃないの?」
その瞬間、
部屋の照明がチカッと点滅する。
LANたちが思わず後ずさる。
壁の時計が狂ったように回り始め、
なつの背後――
確かに“誰か”が立っていた。
いるまの輪郭。 ぼやけた笑顔。
その目だけが、まっすぐにLANたちを
見つめている。
「ほら、いるだろ」
なつの声は震えながらも確信に満ちていた。
「俺、間違ってねぇよ……」
部屋に響く時計の音が止まらない。
LANの声も、みことの手も、
どこか遠くの世界みたいに聞こえていた。
「なつ、行こう。ちょっとだけで
いいから、先生のとこ行こう」
「……俺、病気じゃねぇって」
「わかってる。でも、寝れてないでしょ」
LANの言葉に返す力もなく、
なつはそのまま腕を掴まれるまま
すちの車に乗せられた。
窓の外を流れる街の色が、
どこまでも灰色だった。
病院の白い壁。
漂うアルコールの匂い。
看護師が優しく微笑んでいるのに、
なつの中では“視線を向けるべき人”は
もういない。
「最近、よく眠れませんか?」
「……寝るのが怖いです」
「なぜですか?」
「……起きたら、いなくなる気がするから」
医者は何も言わず、処方箋を書いた。
白い紙。
そこに、なつの運命が小さく
書かれていた。
睡眠導入剤
LANが会計を済ませる間、
なつは待合室でぼんやり外を見ていた。
空が赤く染まり、街路樹の影がガラス越しに歪んで映っている。
――その影の中に、
いるまの姿が一瞬だけ混じった。
「……いるま?」
瞬きしたときには、もういなかった。
ーーー
家に帰ると、すちが心配そうに食事を
用意してくれていた。
「薬、飲んで早く寝なよ。ちゃんと効けば、楽になるから」
「……うん」
なつは笑うふりをした。
だがその笑みは、
限界のギリギリでひび割れていた。
部屋に戻る。 薬の瓶。
一粒、手のひらに落とすと、
まるで氷みたいに冷たかった。
「……寝たら、会えるかな」
呟いて、水で流し込む。
意識がゆっくり溶けていく。
視界が暗くなり、
音も、匂いも、現実も、消えていく。
最後に浮かんだのは、
あの日と同じ笑顔。
コンビニの帰り道でこちらを
振り返ったいるま。
街灯の下、
「すぐ戻るから」
――そう言った声。
闇が完全に落ちた瞬間、
耳元で囁く声がした。
『なつ、ほら……言っただろ。
すぐ戻るって。』
なつは目を開けた。
そこは、 あの夜の部屋だった。
そして、目の前に――
確かに“いるま”がいた。
コンビニの袋のカサカサという音。
それは、もう二度と聞けないはずの
“日常の音”だった。
「……え?」
ゆっくりと目を開ける。
リビングから聞こえてくる低い声。
「アイス買ってきたぞ」
息が止まった。
その声、その響き。
幻聴じゃない。
耳の奥が焼けるように熱くなって、
なつはふらふらと立ち上がる。
いるまが――
白い袋を片手に、いつものスウェット姿で
立っていた。
柔らかく笑って、
「どうした、なつ?寂しくなっちゃったか アイス食べよぜ」
なつの目から、涙が一気に溢れた。
喉が詰まって言葉が出ない。
走るように駆け寄って、
そのままいるまの胸にしがみついた。
「……っ、いるま……ッ、なんで……
なんでいなくなったの……!」
声が震えて、
いるまの服をぎゅっと掴む。
「なつ……」
腕が、そっと肩を包み込んだ。
温かい。
現実と同じ温度。
その温もりを確かめるように、
なつは頬を擦り寄せた。
「もう、行かないで…置いてかないで……ッ」
「……置いてかねぇよ。ここにいるじゃん」
いるまは笑う。
泣きじゃくるなつの頭を撫でながら、
ゆっくりと背中をさすった。
「バブちゃん かわちぃね〜w」
「だって、もう……もう、
帰ってこないって……」
「はぁ??。俺、帰ってきたろ?」
なつは顔を上げた。
涙で滲んだ視界の向こうで、
いるまが優しく微笑んでいる。
その笑顔が、あまりにも“本物”だった。
「……ほんとに、いるの?」
「ほら」
いるまはなつの手を取って、
自分の頬に当てた。
「ちゃんと、ここにいる。なつが
信じてくれないと、消えちまうだろ?」
なつの指先が震えた。
その肌の感触、鼓動、息。
全部、確かにそこにあった。
「……うん、信じる。もう離さない」
「よし、いい子」
いるまが笑って、なつの涙を拭った。
「ほら、泣き止んだらアイス食べよ。
ほら見ろ、ちゃんと買ってきたんだぞ。
チョコとバニラ、どっちがいい?」
「……チョコ」
「わかった。ほら、座れ」
ふたりで並んで座る。
あの頃と同じ場所で、同じ距離で、
アイスを分け合う。
テレビはついていないのに、
部屋には笑い声が満ちていた。
なつは何度もいるまを見た。
瞬きのたびに消えそうで、
怖くて目を逸らせなかった。
――これが夢だとしても、
もうどうでもよかった。
夢の中でしか逢えなくてもいい。
“今、ここにいる”ならそれでいい。
そんな風に思った瞬間、
時計の針が静かに止まった。
時間が、閉じた。
「……いるま?」
隣を見た。
そこには――
枕がひとつ。
布団のしわも、片側だけ。
「あれ、、…?」
何もない。
温度も匂いも、もう消えていた。
「……っ……やっぱ……夢かよッ……」
なつの声が掠れる。
喉の奥からこみ上げる嗚咽が止まらない。
手のひらを見ても、そこに残っていたはずの温もりがない。
涙がぼたぼたとシーツに落ちる。
「なんでだよ……やっと、会えたのに……っ」
「もう一回……会いたいのに……っ」
声が震え、息がうまくできない。
枕に顔を押しつけて泣いた。
ぐちゃぐちゃになって、
嗚咽が部屋中に響く。
――そのとき。
玄関の方でドアの音がした。
「なつくん……寝てる?」
こさめだった。
買い物袋を手に、
様子を見に来てくれたのだ。
返事がない。
リビングを抜けて、
寝室の前で足が止まる。
中から、押し殺すような泣き声。
耳を澄まさなくても、
わかるほど悲しい声。
こさめは、そっとドアを少しだけ開けた。
カーテンの隙間から差す朝の光の中で、
なつがうずくまりながら泣いていた。
誰もいないベッドに手を伸ばして、
何度も何度も名前を呼んでいる。
「いるま……ッ…」
その声は、まるで子どものように
弱々しかった。
こさめは一歩も動けなかった。
何を言えばいいのかわからない。
助けたいのに、
その痛みの深さに、
触れることすら怖かった。
「……なつくん」
そう呼びかけた声は、
泣き声にかき消された。
こさめは、
何もできずに、ただその場に
立ち尽くしていた。
そして小さく、
「……ごめん」と呟いてドアを閉めた。
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あ”あ”あ”あ”あ”あ”すきぃぃ(;:)