テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
アディが魅了を習得してから、エメラは『悪夢』を見なくなった。
それどころか夜にアディと抱き合って眠る時に、今までにない『幸福感』を感じるようになった。
「アディ様……もしかして、魅了を使ったのですか……?」
ある朝にベッドの上で寄り添いながら、エメラはアディに問いかけた。
アディはエメラの身体を解放して起き上がると背伸びをした。窓からの朝日を受けた素肌の胸板が目に眩しい。
「ふふ、いい顔だね。どう? 前より気持ちいいでしょ?」
「……そ、そういう意味では……」
「前までは独学で魅了を使ってたからさ、失敗して変な感じにさせてたかも」
それを聞いたエメラは毛布を乱暴にめくり上げて起き上がった。強く握りしめた両手の拳が怒りに震えている。
「じゃあ、わたくしが毎晩、変な夢を見たり記憶が曖昧だったのは……!」
「あぁ、不完全な魅了をかけたせいだね。ごめんね」
そんな無邪気な笑顔で軽く謝られてしまうと怒る気も失せてくる。
失敗した不完全な魔法をかけられたエメラに、悪夢と記憶障害という副作用が起きたのだ。
エメラは急に虚しい感情に襲われて、力なく肩を落とした。
「そんな事をなさらなくても、わたくしは……」
魅了を使わずに愛してほしいと思う心と、魅了のせいにして罪悪感から逃げたいと思う心が葛藤している。この迷いがあるうちはアディを心では完全に受け入れていないのだと思うと、それが更なる罪悪感として積み重なっていく。
身体の熱が冷めると少し肌寒く感じてきた。体を縮こまらせた様子のエメラを見て、すかさずアディが自らの肌で温めるようにして後ろから抱きしめる。
「ねぇ、僕を愛してる?」
「……はい。もちろんですわ」
「でも言葉だけじゃダメなんだよ。ねぇエメ姉、はやく身籠ってよ」
アディの囁く愛の言葉が、まるで呪いの言葉のように聞こえる。
懐妊は結婚の成立を意味する。そのためならアディは魅了だろうと何だろうと、あらゆる手を使うだろう。
「エメ姉、愛してるよ」
エメラの側近としての責任感が、アディへの愛に歯止めをかける。
今のアディは、まだ魔獣王には相応しくない。
魔法もだが、人としての振る舞い、知識や経験も足りない。しばらくは側近としてサポートしながら育てていく必要がある。
せめて現在の正式な魔獣王である父のディアが、息子のアディを認めて王位を譲るまでは。それが魔獣界の未来のためなのだ。
そして、エメラ自身が過去の未練と罪悪感を断ち切り、心からアディを愛せるようになるまで時間がほしい。
それまでは、どんなに愛を注がれても結婚……いや、懐妊する訳にはいかない。
「エメ姉も僕を愛してるなら……身籠って」
狂愛と魅了を持ち合わせたアディの前では、それは時間の問題でしかなかった。
そんな朝の執務室にて。
アディは普段通りにデスクに着席する。そしてデスク越しの正面にエメラとクルスを立たせた。
「思ったんだけどさ、クルスくんも入った事だし、二人で魔界に挨拶に行ってきてよ」
最近は朝のアディの思いつきで一日の最初の仕事が決まる。
スケジュール管理をする側近としての二人の立場は形無しである。
エメラとクルスも慣れたもので、文句も言わずに黙ってアディの思いつきを最後まで聞いている。
「クルスくんも仕事で魔界に行く機会が増えるだろうし、今後も魔界とは友好関係を保たないとね」
すっかり魔獣王になったつもりのアディだが、まだ『自称』魔獣王である。
だが当然、エメラはそんな突っ込みなど一切口にしない。
優秀な側近であるエメラは、アディの意図を汲んで全てを受け入れた上で最善を尽くす。
「承知致しました。魔界の皆様にクルスさんのご紹介と、ご挨拶をしに行きますわ」
「うん、よろしくね。父さんと母さんと、オランじいちゃんによろしく」
オランじいちゃんとは魔王オランの事であるが、見た目は20代で若い。
エメラは魔王と仲が悪いので、じいちゃん呼びを聞く度に笑いが込み上げてくる。不仲というよりはケンカ友達の感覚に近い。
そして隣のクルスも嬉しそうだ。
「魔界のお城に行けるんですね! 僕、初めてで緊張します……!」
いや、緊張している顔には見えない。
どうもクルスの言動は演技くさいし、こんなに嬉しそうなのは魔界に行けるからではなく、エメラと二人きりで行けるからに違いない。
と、そこまで勘ぐって、エメラは肝心な事を思い出した。
「ですが、アディ様。わたくしは一人での外出は禁止とのご命令でしたわよね?」
「一人じゃないよ、クルスくんと二人だからいいんだよ」
いや、一人での外出よりも、クルスと二人きりでの外出の方が危険度が増すと思うのだが……。
どうしてアディは、恋敵のクルスを疑いもせず警戒もしないのだろうか。
クルスがエメラを狙うという考えには至らないのが不思議だ。
その時、アディがニヤニヤした妙な目線をエメラに送った。
アディがこういう目をした時は何か悪巧みをしている時だと、エメラはすでに分かっている。
「あー、クルスくん。先に外に出て出発の準備をしておいて」
「はい、分かりました。失礼します」
アディがさり気なくクルスを執務室から出した事で、いよいよ嫌な予感がしてくる。エメラは平然を装いつつも身構える。
二人きりになったところで、アディが手招きをしてきた。
「ふふ、いい事を思いついたよ。ちょっと、こっち来て」
「……はい」
エメラは静かに歩を進め、アディの座るデスクのすぐ前に立つ。
するとアディが内緒話をするかのような仕草をしたので、エメラは腰を折ってアディの顔の近くに耳を寄せる。
……かと思えば、アディが唇で触れたのは耳ではなく唇だった。
「……っ!」
突然のふいうちキスに、エメラは声を上げる事もできずに金の瞳を見開いた。
しかも、これは単なるキスではない。熱い魔力が唇から伝わり、体内を巡っていくのが感じ取れる。
(これ……は……)
それに気付いた時には唇は解放されていた。目の前では、悪魔のような微笑みを浮かべながらアディが舌なめずりをしている。
「魅了の魔法をかけたよ」
「あ、アディ……様……?」
全身を巡った身体の熱が、耐え難い衝動を生み出す。エメラは口元を両手で押さえて、震える身体から溢れ出そうとする欲望を必死にこらえる。
……自分の全てが、アディを求めている。
すでに何度も夜に経験したので分かる。この魔法の効果の恐ろしさを。
今から魔界へ向かおうとしているのに、なぜ、このタイミングで魅了の魔法をかけるのだろうか。
「そのままで行っておいで。帰ってくるまで我慢できたらご褒美をあげるよ」
「アディ様、そ、そんな……わ、わたくし……」
魅了の効果が切れるのは『満たされる』もしくは『時間の経過』どちらかしかない。アディに満たしてはもらえない今、魔法の効果が自然に消えるまで耐えるしかない。
しかし、アディの注いだ魔力の強さからして数時間は持続するだろう。
……これは、アディの狂愛が生み出した娯楽、魅了の魔法の『我慢と放置プレイ』だ。
「いいねぇ、僕を求めるその目。でもダメだよ、おあずけ。帰ってきたら可愛がってあげるからさ」
心底楽しそうに笑うアディは、さすがに悪魔の血を持つ魔獣。
魅了の魔法は魔獣の繁殖に使用されるだけあり、気が狂いそうなほどの衝動的な愛の高まりを生み出す。
さすがのエメラも今すぐ全ての仕事を投げ捨てて、本能のままにアディに抱かれたいと思ってしまう。
それでも姿勢を正し、いつものようにエメラは両手を前に揃えて礼儀正しく一礼をする。
「行って、まいり……ます」
「うん、行ってらっしゃい。くれぐれもバレないようにね」
魅了の魔法をかけられている事を誰にも気付かれないようにする、という『秘密プレイ』まで加味された。