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11 トキシックワーカーって何
「ねえ、菊池さんが退社したんだ!ショックー」
「ね」
わたしは万城目さんと朝ご飯を食べている。
あの無敵の菊池さんが?
思わず、ヨーグルトを吹きそうになった。
彼は優雅にカフェオレを飲んでいる。
「俺はもう行くね。きほ、リモートでしょ?」
「うん、午後から半休。友達と約束あるから」
「夜は、絶対に家にいて欲しいな」
「はーい!」
ふと、違和感がよぎった。
菊池さんが辞めても、何にも感じないんだ…万城目さん。
いつも、周りの人全員にめちゃくちゃ気を遣って、優しいのに、
ずいぶん冷めてんだな。
今年はずっと、一緒に働いてたんじゃないの…?
私から言うまで、退職について何にも話さなかった。
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菊池さんの退社で、同期のマッチョ中川君、佐藤ちゃんからグループチャットに連絡があった。
「集まって昼飲みしようよ!」
中川君は傷病手当をもらいながら休職中。
佐藤ちゃんは教務部でひっそりと在庫管理をしている。本当は飲んだりしちゃダメだけど
緊急事態!
「菊池さん、何があったの?信じられない」
「知らない…同じチームだったらしいんだけど、万城目さん何にも話さないから」
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この3人で居酒屋に来るのは久しぶり。
万城目さんと同棲してから、夜は出かけたことが無い。
彼が心配して嫌がるし、私もずっと一緒にいたいから。
「まさか同棲してるとは!俺の知らない間に!」
「会社ではイチャつかないでよ?」
2人には万城目さんと付き合って幸せだと改めて報告した。このまま結婚したい。
すると、中川君と佐藤ちゃんは気まずそうにモジモジした。
「何?」
「きほの幸せを壊す気はないんだけど、俺たちさ…万城目さんってちょっと微妙だなって思ってるんだ」
「きほ、一緒にいて何とも思わないの?」
「え、普通に幸せだけど」
私は目を見開いた。
毎日、幸せしかないんだけれど…二人に悪いかと、会社や恋愛の話は
ほとんどしていなかった。
何が言いたいの?
「微妙って?ちょっと抜けてるって意味?」
「その反対」
「もしかしたら、確信犯」
心臓がズキンと打った。この2人は、意地悪でこんなことを言う人じゃない。
「…はっきり言ってくれていいよ」
「俺、今家にいるじゃん。元気だけど。んで、冷静に考えたら、万城目さんのいう事言信じすぎたかなって」
「よく一緒にいたもんね」
「あの時は、菊池さんと直に話し合えばよかった」
マッチョ中川君の真っすぐな視線。
「私も。万城目さん優しいから色々アドバイスしてもらったけど、今考えるとそれが引き金かなって」
「何でもかんでも、彼のせいにしないで!自分がした事でしょ?」
2人はしゅんとした。
「ただの妄想、ごめんね。ただ、ふと思っただけ」
佐藤ちゃんがぽつっと言った。
「前、話したよね?離職感染が流行ってるって」
「何それ?インフル?」
「その人の周りに人はいなくなる。トキシックワーカー」
「トキシックって何よ?あんなに優しい彼に…」
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中川君が検索して、画面を見せてきた。
「毒を巻き散らかして周りを退職させたり有害社員にさせるって」
その画面にはこう書いてあった。
・トキシックワーカーの特徴
・有能で人の倍は働く
・人当たりが良い
・便利な人間は利用し、邪魔な人間は退職に追い込む
・良心はない
「…ごめん。もう帰るね」
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私は、立ち上がって走って店を出た。心臓が痛いくらい早く鳴っている。
そんなわけない。あんなに私を優しく忍耐強く育ててくれた、唯一の恩人。
尊敬出来て、信頼できる王子様のような恋人。
彼に直接聞いて、誤解を解こう。
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昼下がり、万城目とナオさんはリサーチチームの会議室の片づけをしていた。
観葉植物のごみを取る。
万城目が、ナオにペットボトルのお茶を渡した。
「菊池さん、案外早かったな、ナオさんのお陰、ご苦労さん」
「…今ごろ、もっといい会社にいるといいけど」
「ここに居られたら、俺たちの仕事なくなるよ?」
「それは困る」
ははは…と笑い声。
「今日、早めに帰って準備するんだ。きほにクロージングしなくちゃ」
「クロージング?営業か?」
ナオさんは、スマホで検索して事務的に準備する万城目に聞いた。
「きほちゃんの、どこが一番好きなの?やっぱり顔ですか」
万城目は、あっはっは…とびっくりするくらいの大声で笑った。
「俺、自分の顔が一番好きだから他人なんかどうでもいいよ」
「へぇ、、」
ナオさんは理解できないと言う風にうなずいた。
万城目は、スマホを置いて目頭をもんだ。
首をまわして、ポキポキと鳴らす。
「あー疲れる」
「きほってこの会社のオーナーの娘なんだよ」
「ええっ!何その情報網!」
「だから、わざわざ教育係に立候補して使える人間にしてやったんだよ」
「あ、そうなんだ…」
ナオさんは怯えて、震えていた。
(こいつ普通じゃない)
「ナオさん…寒いの?」
ナオさんは黙って首を振る。
会議室の窓のシャッターをおろす。
「この会社にいる限りは、絶対に」
万城目は、シャッターの隙間から眼下のビル群を眺めた。
「絶対に、きほを離さない」
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私は駅から走ってマンションに向かった。
「もうすぐ着くよ」
「わかった!俺はもう家にいるからね、気を付けて」
メッセージから愛が伝わってくる。
「ハァ、ハァ、ハァ」
走りながら、中川君の真っすぐな目、佐藤ちゃんの心配そうな顔がよぎった。
万城目さんは、このメンバーで集まるのはやめて欲しいとずっと言っていた。
「せっかくここまで育ったのに、一緒にいると影響受けちゃうから心配なんだよ」
私は彼の言う事を聞いていた。
でも、菊池さんの退職にクールな万城目さんに違和感が抑えられず、
急遽3人で会ったのだ。
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暗唱キーを押す。
ドアを開くと、真っ暗だった。
「あの、万城目さん…?」
廊下も暗く、何も音がしない。
リビングにキャンドルの光がいくつも揺れている。
廊下の途中から、真っ赤なバラの花びらが置かれていた。
万城目さんが、跪いてバラの花束を抱えて待っていた。
「ええ、なに…どうしたの」
「待ってた。俺の気持ちを受け取ってほしい」
彼は跪いて、水色の指輪の箱をパカッと開けた。
「きほ、俺と結婚してください」
わたしの胸は不安から感動に変わった。
目が涙で潤んで見えなくなる。
「はい…!」
もっときつく抱きしめて。
胸の奥でどうしようもなく騒ぐ、私の不安や疑念がなくなるまで。
激しく抱いて、忘れさせて欲しいーーー。