テラーノベル
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「あら。いつ気が付いたの?」
いつも柔和で微笑みを絶やさなかったオーナーが、初めて私を鋭い目で見た。敬語もなく、彼女の正体に気が付いたことに賞賛を送るような――そんな雰囲気だ。男性だとばかり思っていたけれど、違ったんだ。
「小山内先生の事務所ですれ違った時です。ダイヤのピアスが見えました。なにか光ったような気がしたのですが、思えば、この場所を教えてくれたのもお義姉さんでしたよね?」
「ふ……美輪ちゃんは鋭いね」
「あの……どうして私の味方をしてくださったのですか? 慎一とは姉弟なのに……」
「あんな弟だからよ。私の結婚生活は、慎一のせいでダメになったの」
お義姉さんは、カウンターの向こうで静かにカップを置いた。その手が、ほんの少しだけ震えていた。
「……聞かせていただいてもいいですか」
私が促すと、お義姉さんは窓の外へ目をやった。午後の光が、彼女の横顔を切り取るように照らしている。
「五年前のことよ」
低く、でも穏やかな声で語り始めた。
「私には夫がいた。当時はまだ小さな会社を立ち上げたばかりで、お互い必死に働いていてね。すれ違いも多かったけれど、それでも信頼し合っていた。そう思っていた」
「……慎一が、何かしたのですか」
「慎一はね、夫の会社に出入りするようになったの。義弟ですもの、夫も邪険にはできなかった。最初は仕事の相談という名目で。でも実際は——」
お義姉さんは、ふっと息を吐いた。
「夫に、女性秘書を紹介したのよ。慎一が。しかも自分の彼女を夫に差し出したの。信じられる?」
「そんな……」
「若くて、愛想の良い子だった。慎一は夫に吹き込んだらしいの。『姉さんは仕事にかまけて、家のことを何もしない。男として寂しくないのか』って」
「……っ」
「慎一は、なにかと私をライバル視していたの。女なのに仕事ができて生意気だって、そういう理由。だから夫の方なら籠絡(ろうらく)できると思ったのね。で、夫はその言葉を真に受けた」
静かな店内に、マカロンの甘い香りが漂っている。
「気が付いたのは、彼らの関係が続いてから結構経ってからだった。最初は隠していたけれど、最後の方は隠しもしなかったから、問い詰めたらあっさり認めた」
「そんな……」
「慎一が秘書を引き合わせた、一ヶ月後から関係は始まっていたの」
私は言葉を失った。
「夫を責めた。当然よ。でも彼は言ったわ。『真琴が冷たいから寂しかった』と。浮気するヤツってほんとにこの台詞言うんだって、妙に冷静になってその言葉を聞いた気がする」
お義姉さんの声は静かだった。静かなのに、その一言一言がずしりと重かった。
「慎一に怒鳴り込んだわ。そうしたら、あの子なんと言ったと思う?」
私には想像がついた。でも、聞かなければならなかった。「……どう言ったのですか?」
「『俺は秘書を紹介しただけだ。そんな簡単に落ちる男を選んだのは姉さんだろ』って」
なにも言えなかった。あまりに酷い慎一の言葉。お義姉さんはどれだけ辛かっただろう――
「それで離婚したのですか?」
「ええ。未練はなかったわ。あの一言で、夫への気持ちも綺麗に消えた」
お義姉さんは小さく笑った。自嘲とも、解放とも、とれるような笑みだった。
「辛かったのはね、自分を責めたことよ。私が仕事ばかりしていたから。私が気が付かなかったから。慎一の言う通り、私に隙があったから——そう思い続けた時期があった」
「お義姉さんのせいじゃありません!」
「今はそう思えるわ。でも当時は無理だった」
彼女はカウンターから出てきて、私の隣に腰を下ろした。
「私ね、本当はもっと早くあの家を出るつもりだったの。これでも劇団に所属していて、メイクや演劇をするのが大好きなのよ。今、本業はそっちなの。小さな劇団だけど、頑張ってるの」
「えっ、そうだったのですか!?」
全然知らなかった……!
「実家の時の私は、ああいうキャラを演じていたの。派手にしてバリバリ稼いだりしたら、また慎一に恨まれるし、私の家、男尊女卑ひどいから。引きこもっていたら声もかけられないし、家賃浮くし」
「へええ……!」
#アラスター
64
そっか。どおりで!
結婚当初のお義姉さんは綺麗だったのに、離婚して戻ってきたらボサボサになっていたのは、そういう事情があったからなんだ。
「マカロンができるまで、実家に寄生してやろうって思っていたんだけれど、美輪ちゃん見ていると、胸が痛かった。私と同じ顔をしていたの、あなた。何かを諦めた時の顔。どんどん痩せていくし、きっと慎一はロクにお金も渡していないんだろうなって思って。あいつケチだから」
お義姉さん……。
ずっと味方はいないって思っていたのに、私のこと、気にしてくれていたんだ……。
「だから早く出ていけって言ったの。嫌な義姉がいたら、ひとつの離婚理由になると思って」
お義姉さん、きっと私のために実家に留まってくれたんだ。
それで、助けてくれて――あっ!!
「あ、あの……もしかして私を助けるって依頼してくれたのは、お義姉さんですか……?」
「まあね」
ずっと、静稀が依頼してくれたのだと思ってた。
「だからここのチラシを持って行って、マカロンに来るように仕向けたのよ。手の込んだことをしてごめんなさい。私が義姉だって知ったら、美輪ちゃん、もしかしたら頼ってくれないかと思って」
私は唇を噛んだ。泣いてはいけないと思ったのに、目の奥が熱くなる。
「そうそう。美輪ちゃんに渡すものがあるの」
カウンターの上に置かれた、結構な大きさの段ボールを彼女が指さした。「開けてみて」
こんなに大きな段ボール、いったいなにが入っているんだろう。
封はされていなかったので、蓋を開けてみる。
するとそこに入っていたのは――慎一に売られたはずの、父の形見の画材道具一式だった。
コメント
1件
お姉さんも辛い思いしてたんだ… 慎一…最悪( ´A` ) お姉さんの分も反撃できて良かった(T_T)