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ヘクターの運転で混乱の渦中にある特設会場に到着したウーヴェは、当然ながら警察関係者から関係者以外は近寄るなと威圧的な態度で制止されてしまうが、ヘクターがバルツァーの社員証を提示しつつ会長夫妻に社長が中にいる、彼らと連絡を取りたいのでヒンケル警部に連絡を取ってほしい事などのやり取りをしている横で顔見知りの警官がいないかと周囲を見回していた。
発砲事件が起き負傷者が出てしまった事で前夜祭は取りやめになってしまうだろうが、テレビで事件を知った関係者が続々と会場に詰めかけているのか、周囲は中と遜色ないほどの混乱ぶりだった。
ステッキの握りを自然と力を込めて握りヘクターが警察との交渉を終わらせるのを苛立たしげに待っていたウーヴェは、お待たせしましたこちらへどうぞと先導する制服警官の声に従うヘクターに遅れないようにと歩き出す。
被害者が救急車で運ばれた後、血に汚れたレッドカーペットの周辺には警察が現場を踏み荒らされないようにと規制するテープを張り巡らせているが、成り行きを見守っている人々の後ろを制服警官の後について通り抜けた二人は、特設会場の舞台に上がる階段近くで仲間らと話している見慣れた背中を発見する。
「警部!」
「!!」
ヘクターが周囲を見回しここで待っていろと警官の威圧的な言葉に素直に頷く横でヒンケルとコニーの姿を発見したウーヴェが声を掛け、振り返った複数の顔に軽く会釈をする。
「ドク! 来てたのか!?」
「テレビを見て……犯人は連行されたようですが、リオンは……?」
ハイディ・クルーガーを狙撃した犯人はすでに警察が身柄を確保したようだが二度目の発砲をしたリオンはどうしていると雑多な感情を目の中にだけ浮かべて問いかけたウーヴェは、微苦笑しつつ肩を竦めるヒンケルが親指でぞんざいに背後を指さしたことに首を傾げ、そちらに顔を向けて一瞬何事が起きているのか理解出来ない顔で目を瞬かせる。
ヒンケルの親指の先から、痛い止めてと言っているのだろう不明瞭なものと、あなたという子は本当にどうしてそんな危険なことをするのですかというどちらも聞き覚えのある声が流れてきて、あれはどうしたものかというコニーの呟きに咄嗟に返事が出来なかったウーヴェは眼鏡の下できつく目を閉じ、同じ感想を抱いているらしきヘクターに肩を叩かれて頭を左右に振る。
彼らの前で繰り広げられていたのはいい年をした大の大人がまるで幼稚園か小学生の子どものように、ナイフとフォーク以上の重いものなど持ったことが無いのではと思われるたおやかな美しい手によって頬を思いっきり引っ張られている光景だった。
「……これは……」
「ごめーん! もうしませんっ!!」
お願いだから許してムッティとこの年になって公衆の面前で頬を引っ張られる痛みと羞恥とに顔を赤くしながら不明瞭な悲鳴を上げるリオンと、あのような危険なことをするなんて許しませんと怒り心頭の顔でリオンのよく伸びる頬を引っ張る母の姿にただ呆然としてしまったウーヴェだったが、このままではリオンの頬と名誉が傷付くだけではなく母が公衆の面前で大の大人を子供のように叱っていたなどと噂――と言ってもこれは厳然たる事実――されてはたまったものでは無いため、咳払いをして二人と母の剣幕に口も手も出せずにただ見守っている父と兄に呼びかける。
「母さん、そろそろ許してやって欲しい。リオンも反省しているだろうし……」
それに何よりも公衆の面前でそんなことをするのは母さんらしくないと、幼い頃の己の姿とリオンをダブらせながら救いの手を差し伸べたウーヴェに一斉に視線が集中し、父と兄の顔があからさまに安堵に染まり、母が我に返って咳払いをしたのを見届けたウーヴェは、赤くなって痛みを訴えている頬を押さえて目尻に涙を浮かべるリオンの前に立つとくすんだ金髪をそっと撫でて目尻にキスをする。
「オーヴェぇ……っ」
「そんな情けない顔をするな」
それに母さんに叱られる原因となった事をテレビで見ていたが母さんが怒るのも無理は無いぞと肩に顔を寄せてしがみついてくるリオンの後頭部を撫で背中を撫でたウーヴェは、きっと父さんも同じ気持ちだろうと顔を見、己の予想が間違っていないことに気付く。
「だから止めなかったんですよね、父さん、ノル」
「あ、ああ……。いきなり立ちあがって発砲した時は心臓が止まるかと思った」
いくら人々の動揺を抑える為の発砲であったとしても銃を構えている警官たちがいる中での発砲は自殺行為だとウーヴェにしがみつくリオンを睨みながら呟いたレオポルドだったが、盛大なため息を吐いた後、ヒンケル警部は分かっているだろうがとヘクターの背後で何とも言えない顔を左右に振ったヒンケルに苦笑し、とにかく二人が来てくれて助かったと近くにあった椅子を引き寄せて興奮冷めやらないイングリッドを座らせる。
「レオ、大きな声を出したら喉が渇いたわ」
「そうだろうな。飲み物を探して来よう」
「会長、俺が行ってきます」
イングリッドが溜息とともに疲れたと愚痴を零し微苦笑したレオポルドが周囲を見回すが、ヘクターが手を挙げて二人の返事を聞く前に飲み物を入手できそうな場所を探して移動する。
「まったく……。あまり心配をかけさせるな」
「……反省、してる」
ウーヴェの肩に懐いたままのリオンのくすんだ金髪に手を乗せたのはギュンター・ノルベルトで、軽く撫でたかと思うと徐々に手に力を込める。
「いでででで! 兄貴、いてぇ!!」
「うるさい。心配させた罰だ」
先程はイングリッドだったが今度はギュンター・ノルベルトに叱られることになったリオンを気の毒には思いつつも両親や兄の怒りも理解できる為にどうするべきか思案していたウーヴェは、耳元で放たれる悲鳴がうるさかったと己に言い訳をしつつ兄の顔を見つめて眉尻を下げる。
「ノル、もう許してやってくれ」
「……仕方がない」
ウーヴェの懇願には流石に勝てずに最後に今まで力を込めて握っていた頭を撫でたギュンター・ノルベルトは、制服警官と一緒にやってくる責任者らしきスーツ姿の男性に呼ばれて顔を向け、今回の事件についての徹底的な調査、搬送されたハイディ・クルーガーへのケアと今後のことについてと話しかけられるが、ビジネスの話については今はやめておこう、明日連絡をくれと伝えて母の横に同じく椅子を引っ張ってきて腰を下ろす。
「こんな時にビジネスの話などしていられるか」
警察による事情聴取に付き合わなければならないだろうしいつ始まっていつ終わるのかも判然としないのにとギュンター・ノルベルトが舌打ちしつつ珍しく強い口調で愚痴を零すと、それが聞こえていたのかヒンケルが微苦笑を浮かべつつやってくる。
「もう少し待っていただけますか、社長」
「ああ、警部を批判した訳じゃないから気にしないでくれ」
「……リオン、お前はここでの聴取というわけにはいかないからな」
会長や社長らは間も無く帰ってもらえるはずだが発砲をしたリオンについてはここではなく署で話を聞かせてもらうことになると腕を組んで盛大な溜息を零した後にニヤリと笑みを浮かべたヒンケルは、懐かしい取調室に入るぞとリオンの肩を叩く。
「げー」
「あんなことをするからだ、馬鹿者」
一同に会した愛すべき人達から寄って集って馬鹿と叱られてしまったリオンは唯一叱ることがないウーヴェにもっとしがみつこうとするが、何かを思い出したように目を見張った後、ウーヴェを突き飛ばすように距離を取る。
理由が分からずに突き飛ばされて少し蹌踉たウーヴェはどうしたとリオンの顔を覗き込むが、血が着いていると己のスラックスを摘んで眉尻を下げる。
「彼女を介抱してたから血がついてる……。オーヴェのスーツにも血がついちまう」
「あ、ああ、そうなのか?」
「撃たれたって分かったら……」
身体が自然と動いていたと身体に染み込んだ癖というのは抜けないものだなと肩を竦めるリオンにウーヴェが理由のわからない溜息を零すが、そっと手を伸ばして額に張り付いていた前髪を掻き上げてやると、この場にいる誰よりも優しい手つきで髪を撫でる。
「よくやったな、リーオ」
例えやり方が多少強引であったり他者には理解できないことであったとしても負傷した人をすぐに介抱できたことは素晴らしいことだとリオンを手放しで褒め、頬を抓られ叱られたショックから落ち込んでいたリオンを救うように笑みを浮かべる。
「オーヴェ……」
「ただ、やってしまったことへの説明はしなければならないだろう? 警部の聴取を受けろ」
「……ん」
両親や兄が叱るのは何事もなかった安心感の裏返しだと気付いているウーヴェだったが、まずは負傷者を介抱したことを褒めたいと笑顔で伝え、ついでヒンケルらと一緒に懐かしい警察署に戻って聴取を受けろと苦笑するとリオンが額を肩に押し当ててくる。
その髪を撫でつつ前と全く変わらないリオンの様子に何とも言えない顔で腕を組んでいるヒンケルに合図を送ったウーヴェは、耳を寄せてくれる彼に部外者なのは重々承知だがリオンの聴取に付き合っても良いかと囁き、いてくれたほうが捗ると返されて今度はウーヴェがなんとも言えない顔になる。
「そういう事なら……待たせてもらおうかな」
「え、オーヴェも一緒に行くのか? なら聴取を受ける」
「まったくお前は……!」
ウーヴェが同行すると分かった瞬間のリオンの顔の変化に誰もが呆れて何も言えない中、小さな笑い声を零したイングリッドに皆の視線が集中する。
「……リオン、こちらにいらっしゃい」
先程己の頬を抓りあげたたおやかな手に招かれて恐る恐る近づいたリオンは、イングリッドが両手を伸ばしてリオンの頭を抱え込むように抱き寄せたため、椅子の背もたれに手をついて寄り掛からない様に気をつける。
「もう二度とあの様なことをしてはいけませんよ」
「……約束する」
「ええ。そして……わたくし達を守ってくれてありがとう、リオン」
彼女が撃たれた時にわたくし達をまず庇い、危険が無いと判断をしたことはちゃんと気付いていますよと、その後の行動のことで叱ってばかりだったが、それまでの行動もちゃんと見ていたと教えられ、リオンの手がイングリッドの背中に回される。
「……ダンケ、ムッティ」
「ええ。……家に帰ったらお尻ペンペンですからね」
「げ!」
働きを認めて褒めるがやはりあれだけは許せないとウーヴェにも通じる笑みでリオンを絶句させたイングリッドは、聴取を受けていらっしゃい、終わればウーヴェと一緒に何時になっても良いから家に来なさいとも囁くと、肩を落として三度ウーヴェに抱きつくリオンの背中に楽しそうな笑い声を届け、皆の顔にも程度の差はあっても明るい笑みを浮かべさせるのだった。
事件の取材や簡単な聴取などでごった返す特設会場を後にし、懐かしい前職場である警察署にウーヴェと一緒にやって来たリオンは、階段をゆっくり登りつつここを毎日走り回っていた頃を自然と思い出す。
あの頃はまさか己が天職と思っていた刑事を辞める事など想像すらできない事だった。
毎日忙しく上司のヒンケルはクランプスと罵倒してしまうほど畏怖の対象ではあったが、それでも皆が己の仕事に誇りを持ち、事件に巻き込まれてしまった人への気遣いと犯人ではなく罪に対する怒りを持っていたが、ああ、自分もそうだったと感慨深い溜息をつい零してしまうと、側にいるウーヴェの肩がぴくりと揺れる。
それを敏感に察したリオンが気分を切り替える様にウーヴェの腰に腕を回し、あんなことがあったから有名人からサインをもらえなかったと鼻を啜ると、メガネの下のターコイズが呆れた色に染まり出す。
ウーヴェの心の動きをそれで読み取って胸を撫で下ろしたリオンは、懐かしの刑事部屋のドアを開け、みんな元気か仕事をしているかと大声を出す。
「うるさいぞ、リオン!」
「少しは静かにしろ!」
リオンの声にすかさず別の大声が返ってくるがその声を誘発した方もされた方も一瞬にして時を遡った気持ちになってしまい、懐かしさに目元を和らげる。
「マックス、久し振りだな」
アーベルと定期的に会っているのかと問いかけながら手を出したリオンにマクシミリアンが懐かしいと目を細めながら手を出し元気そうだと久闊を叙していくが、リオンの声に気づいた他の部署の面々がわらわらと刑事部屋に顔を出し、あっという間に人が溢れかえってしまう。
己の伴侶が元の職場でどれだけ友好的な人間関係を築いていたのかを今更ながらに思い知らされたウーヴェは、嬉しそうな顔で元同僚たちと話し込むリオンを同じ様な顔で見守っていたが、廊下から荒々しく歩く複数の足音と逃げないから手荒にしないでくれ、杖がないと歩けないと懇願する声が聞こえて入口付近で廊下を振り返ると、屈強な男達に囲まれて白髪が増えてきた髪を乱し、揉みくちゃにされたかの様に衣類を乱れさせていた初老の男が見えかくれする。
確かに彼の言葉通りに足を引きずっている様でステッキがないと歩行出来ないウーヴェがつい気の毒そうに見つめると、それに気付いたリオンがウーヴェを背後から抱きしめて血の気がなくなりそうな頬にキスをする。
「……あれがハイディ・クルーガーを撃った犯人」
「何だって!?」
リオンの囁きに驚きの声をあげて周囲にいた刑事達がその声に驚いて廊下を見るが、そこにいるのが映画祭をぶち壊した犯人だと知り、これから聴取が始まるのだろうと声を潜める。
新聞社に脅迫状が届いていたことを公表せずに内々で事件を処理しようとしていたこと、警察がそれに失敗してしまいターゲットを負傷させてしまった事実は時が経つにつれより詳細な情報が同じマスコミを通じて流されるだろうが、何故彼女を狙撃したのか、単独犯なのかなどと言った事件の背景についてはこれからの聴取で解明されるだろうとリオンが囁き、ウーヴェが思わず顎の下でゆるく重なるリオンの腕に手を重ねる。
「……何故、彼女を撃ったんだろうな」
「そーだな……。その辺、ちゃんと聞きてぇな」
その場に居合わせた者としては何故というのが気になると囁きコニーが取調室に来いと以前と同じ調子で呼びかけたため、ウーヴェの頬に再度キスをして行ってくると伝える。
その前をハイディ・クルーガーを撃った男が男達に囲まれたまま通り過ぎるが、リオンを見た瞬間に男の顔が驚愕に染まり、今までの弱々しい雰囲気からは考えられないほどの強い意志でもってちょっと待ってくれと叫ぶ。
「きみ、きみは……、ヴィルヘルムに許してくれと伝えてほしい……!」
「は?」
初老の男の懺悔の声にただ驚いて目を見張ったリオンは、彼がいうヴィルヘルムが誰のことかが一瞬理解できずに素っ頓狂な声を上げるが、ヴィルヘルムとハイデマリーに謝ってほしい、きみにも申し訳ないことをしたと再度の懇願と謝罪をされてウーヴェと顔を見合わせる。
「何で俺が謝られるんだ?」
今回の事で謝られることがあるとすれば止血の為と傷を負った顔を見せない様にするために被せたジャケットの弁償だけだとリオンが呟くと、逆に男が驚いた様に目を見張って立ち尽くす。
周囲にいた男達も早く行けと促したいが根が生えた様に動かなくなってしまった男に舌打ちをし、リオンに向けて早く話を終わらせろと命じるが、俺が始めた話じゃないとしかリオンも言い返せなかった。
「きみは……ヴィルヘルムとハイデマリーの子ども、だろう……? 違うのか……!?」
「!?」
男の茫然自失の呟きに周囲にいた誰もが言葉を無くし二人の子供だろうと問われたリオンの顔を見つめる事しか出来ず、リオンの隣にいたウーヴェもクリニックで考えては打ち消していた仮説が恐るべき早さで脳内で組み立てられていくのを感じつつも、呆然とリオンの横顔を見つめる事しか出来ないのだった。