テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
羽海汐遠
10,584
130
29
D_D本舗
2,198
勤勉さなくして報酬なし。怠慢であることは、この場所、特殊審問部隊シェンシェン支部では許されないことだ。連合がどうだか知らないが、少なくとも、この場所では。きっと、連合もそうであることを祈りたい。名誉ある、秩序の執行者たる国際検察局の現場監査官として、切実に祈る。もちろん、私の信じる……あの目を思い出すだけでも背筋が薄ら寒くなるような。ハイドレンジア最高司令官が怠慢を許すような質でないことは分かっているつもりだ。私の心には、いつだって彼の目がある。 私は、部下を正さなくてはならない。目の前の彼女に向き合うと、ゆっくりと口を開く。
「汝、マオ。今年度は二度も過ちを犯し、昨年度の怠慢の罰を受けたうえで集会中に居なくなるとは……何事だ?」
だから、冷徹な教育をしなければならない。目の前のいびつな瞳を持つ地方審問官のマオは、最初こそ積極的で聡明な期待の新人に見えたが、“それ”は彼女の表向きの顔にすぎなかった。彼女には審問官として欠陥が多すぎる。いや、人間としても。人を壊す兵器の才能はあれど、我々は兵器を育てているわけではない。正義の執行者たる審問官を育てているのだ。
「リコリス様、ち、ちがうんです……」
「何が違う?言ってみろ」
「確かに私は罪を犯しましたが、居なくなったのは、ヤマ様に連れられて……」
確かにあの後、ヤマ主席審問官も共に席を外していた。だが、狡猾な彼女のことだ。迂闊に信じるべきではない。ただ、こんな彼女が地方審問官になれたのは……不気味なことに、主席審問官に彼女が気に入られているのも一因らしいが。駄目だ。彼を疑うべきではない。私が主席審問官を、そして最高司令官を疑えば、私の矜持はどこにも向けられなくなってしまうのだから。とはいえ、私は此奴を……マオを、信じることができないのも、確かだ。
「私が汝を信じられるとでも?」
「ほ、本当なんです……嘘は、吐きません。これまでにどれほど教育を受けたか……」
「一世紀経ってなお、審問部隊地方審問官最下位を誇っている人間の言うことか?」
彼女が目を閉じる。散瞳した瞳で受ける光が眩しいからでは無いだろう。私は、そんな彼女の前髪を掴むと、彼女に囁いた。
「覚えていろ。汝がいくら寵愛を受けていようと、我々は汝を信用していない」
そのまま、次の任務地へ歩き出す。私は新人審問官達の支部分けをしなければならない。主席審問官や大審問官と共に行うゆえ、実に重要ながらも名誉ある仕事である。自身の見る目には自信がある。片目は潰れ、もう片方もすっかり摩耗しているが、そのぶん精神的な目は養われたようだ。制服を少しばかり直すと、足を一歩ずつ踏み出した。
「おう、リコリス!いつもは一番乗りだってのに、こんな遅くになるなんて珍しいな?」
一瞬だけ高揚した気分に包まれるが、すぐに落ち着きを取り戻した。動揺を隠すように手を組んだ。
「おか……ツォンテ様、申し訳ございません。少し部下の教育を行っていたもので」
ツォンテ様は、ウィルトゥース大陸担当の主席審問官である。その小柄な身体に反して立派な一本角と鋭い眼光は、彼女がフィルンとしての血を濃く持っていることを思い出させる。育て親であるものの、シェンシェンで任務をこなしていれば会うことは少ない。こうやって会うのも、実に久々だ。
「お母様でいいって、リコリス。あっ、ちょっと背が高くなったか?」
「不老長寿薬を飲んでいますから、きっと靴を新調した為でしょう。それに、このような場で貴方様との関係を誇示するのはあまり良い行為だと思えませんから」
彼女は馴れ馴れしくも私の肩に手を回した。悪い気はしなかったが、地方審問官としての威厳のため、そっと距離を取ろうとした。
「……教育、とな」
仄かに心臓を射貫かれたような冷たい感触を感じると、その先には自身の上司たるヤマ主席審問官が佇んでいた。紅く冷たい視線は今になっても耐え難いが、それが自身を今の立場へと導いたのも事実だろう。ずきん、と胸が痛む。
「はっ、なんでありましょう?」
「誰かが粗相でもしたのか」
彼の声は低く響き、既に着いていた数々の地方審問官達の立てる僅かな物音までも鎮まらせる。
「マオ・セイ……彼女の行動は、目に余るものでしたから。少し叱っただけです、しかしながら、集会を勝手に抜け出すというのは……」
「リコリス、私が連れ出したのだ。マオもそう言ってはいなかったか?」
「私は……彼女を信じられません」
「そう言っていなかったか、と聞いているのだ」
私のしたことは間違ってはいなかったはずだ。後ろめたく思うことなど何もないはずだが、心臓が早鐘を打つ。彼女が昔、自律神経の働きについて答えていたことを思い出した。あの時の彼女は、信用に足る人物だったのだ。
「……言っていました」
「私も誤解させたのは悪いと思っている。だが……私が、彼女に嘘を吐かせるような教育をすると思うか。或いは、彼女の教育を任せていたお前がそれを許したのか」
「……いいえ」
彼は不意に立ち上がると、おもむろに私に近づいた。
「信頼を覚えるのだな、リコリス。疑うことのみで、真実は突き止められまい」
「……はい」
何も言い返せずに立ちすくむ。ツォンテ様やウラヌス主席審問官が私を励ましてくれるものの、脳にその言葉を入れるのは難しかった。喉の奥を締め付けられたような感覚を味わうだけで、それ以外の感覚は全て雑音に等しくなってしまう。昔の私ならば、部下をもう少し信用していただろう。彼女のように直属の部下ならば、特に。今、それを許さなくなったのは……しかし、いけない。全ては私の責任なのだから。
「とにかく、みんなあつまったみたいだし……はじめよっか!だいじょうぶ!失敗はだれにでもあるんだから!」
沈んだ意識にも溶け込んでくるほどの純真な声が聞こえて、やっと顔を上げる。急いで所定の席に腰掛ける。コロニアやシェンシェンなどの広い地域には地方審問官は百ほど存在するが、それでもこの仕事を担当できるのは各支部三、四人程度。それはつまり否応なしに先ほど私を戒めた上司の近くに座らなければならないということであった。緊張は未だ解けない。指の置き場さえも掴めない。
「リコリスや」
希望支部別に整理された各新人の資料を並べながら、彼が囁いた。
「なんでございましょう……」
「私は此処まで連れて来るほどにはお前を評価している故。ただ、私が教えたことを身に刻んでおけば良い。今は自らの職務に集中するが良い」
コロニアはゼロ、ウィルトゥース大陸は指で数えられるほど、あとは均等。彼が私をケアしようとしていることは分かっているのだが、なんと答えればいいのか戸惑い、私は「はい」とだけ答えた。いや、それが期待という名の重圧であることにも気づいていたのかもしれない。途端、空気が少しだけ変わる。
「ヤマ公、そんなんでアフターケアしてるつもり?ははっ、相変わらずヘッタクソ、あぁ、リコリスちゃん?今のは言い過ぎたっていう謝罪の意を」
「理解しております、ウラヌス様。私は大丈夫ですゆえ、お構いなく」
彼女に軽く応えると、上司の指示を待とうと、既に伸びた背を更に伸ばして姿勢を正す。
停滞した世界に上下関係など必要無いと言う不届き者も存在するが、やはり、それは詭弁であろう。私は、ウラヌス様の、彼女の碧い瞳に映される自分の姿を怖がった。彼女ら主席審問官にはやはり、そういう実力があるのだ。実力者に従うことは自身のためにもなる。言い聞かせるかのように反芻し、傾聴の姿勢を保つ。
「ウィルトゥース志望の奴ら、やけに優秀……これ、学力検査でもトップレベルじゃない?後から入れられた体力だけのバカ達がかわいそ……」
「アタシの支部で学力なんぞ関係ない、寧ろ体力のないヤツのほうが問題だ。そういうのはお前の支部に入れておけ」
「あぁ、あの車椅子で来てた子……ってことは相当優秀みたいだけど、態度が目に余ったし、コロニアに寄越してくれない?」
ウラヌス主席審問官、ツォンテ主席審問官、そしてコロニアのハデス主席審問官は口々に意見を交わす。ヤマ主席審問官やフィルンのシャーロット主席審問官、シャルル大審問官はただ沈黙して成り行きを見守っているようで、やはり手の置き場に困るような状況であった。ただ、呼吸や視線がその邪魔にならないように気を遣うのに精一杯になるしかない。
ふと横を見ると、実質的にシェンシェンでの二番手たるアカシア地方審問官が意見をまとめていた。彼女が記録をしているならば、私は余計にやることがない。他の地方審問官達の様子はシェンシェンでは考えられないようなものだ。ふとルノンクル地方審問官と目が合う。彼女……彼……いや、この審問官は仕事はできるが異常な嗜好の持ち主で、だからこそコロニアに居るのだろう。その目はギラついていて、若い女性新人審問官の資料を舐めるように見ている。自由に発言をする審問官もいれば、周りを不審にチラチラと見やる審問官もいる。シェンシェンのほうが異端なのかもしれないが、忘れてはいけない、我々の常識はシェンシェンのものだ。
「まあ……普通に体力だけ多いのはウィルトゥースで、精神分析結果いいのはこっちに送ってよ。無能はコロニア……それ以外は、テキトーで」
アカシア地方審問官が手元の紙を差し出す。
「ウラヌス様、此方先程の話し合いを纏めた簡単なメモでございます」
「さっすが、ヤマ公の部下は違うね?」
彼女がこちらに視線を向けてくる。私はともかく、アカシア地方審問官と同期であるはずのリン地方審問官も対応の仕方に困っているようで、少しだけ安堵する。しかし、あまりこのような醜態を晒していてはいつ自分がマオのような評価を持ってしまうかも分からない。さながら、処刑台に座らされているかのような気分だ。私の前任たるアシュリー地方審問官の気持を思えば、さらにその気は強まるものだ。
「優秀な指導者のお陰でございます」
アカシア地方審問官は当然のようにそう答えた。不意に背中に衝撃を感じる。それは隣に座ったヤマ主席審問官のもので、気にするな、と励ましてくれているらしかった。もしもこれが新人であれば叱責にも感じられただろうが、これ以上息を詰まらせることもなさそうなほど緊張していたこの身が刺激によって少し弛緩したのは、やはり私が彼と長く付き合っているからだろう。
シェンシェンの審問部隊でなければ、もしかしたらこんな緊張や不安を感じる必要はなかったのかもしれない。しかし、私はこの主席審問官以外のもとで働きたくはなかった。絶対的な権力者以外のもとで、命や尊厳は保障されないことを知っていたからだ。
息苦しさを感じるその場所からは出たが、やらなければいけないことは山ほどあった。実務的なものもそうだが、何よりまずはマオに誤解を詫びなければならない。彼女はきっと気にしてはいないだろう。しかし、そうしなければ私の指導者としての面子が立たない……いや、この考えは不適切だ。私のためではない、秩序のためだ。
「……主席審問官、マオ・セイはどこに?」
「それは本当に今せねばならぬことか、よく考えたうえで言っているのか?」
自身の首が締まるような圧力。本来、我々は新人宿舎の見回りをしなければならないのだった。いや、新人宿舎の見回りを行うより下の地方審問官の監視とも言うべきかもしれない。
「そうでなければ、時間は溝を生むだけではありませんか」
「お前は彼女を理解できていないな。あれはお前が思うよりもヒトとしての体をなしていない」
また、身体が強張る。
「……ですが」
「リコリス、お前は秩序を盾に自身を削りたくないのだろう。理解している、私もお前のその行為がまったくの無意味とは思うまい……しかし、お前のやり方では溝を深めるだけかもしれないとも思わないか。あれは言っても分からぬ」
何が言いたいのか、理解できたような気がした。
「つまり」
「一緒に行ってやる、と言っているのだ……アカシア、リン、先に行っておけ。特にコロニアの奴らが変な行動をしていないか見ておけ」
「……物好きですこと」
アカシア地方審問官はそう言ってリン地方審問官の背中を押す。マオは見回りに回さなかったのか、当然といえば当然だろう。彼女は聡明で、それに他にも仕事はあるのだから。
軽く背中を押されてそこに入る。事務室、いくらかその部屋はあるが、どこも同じだ。そこは目新しい場所ではなかった。リン地方審問官のほうがもう少し慣れているだろう、普段は北西部の者が使っているそこは、このウミンタの雰囲気にそぐわないほどに潔癖な場所だった。
マオ地方審問官はその奥の方の一席に座って一人で黙々と課題のチェックを行っていた。成績の悪い地方審問官は、大抵事務向きなだけであることが多い。彼女もその1人だ。だから国際検察局での業務に専念するように言われたというのに、ウイハ地方審問官との離別を恐れて断り続けたのだという。到底理解できない話だ。自分が生かせない場所で生きるというのは、魂を無駄にしている。
ヤマ主席審問官の体躯の大きさと我々の地位の高さから事務室の面々は視線を投げかけてきたが、流石というべきか直ぐに業務に戻る。その中でもマオだけは別で、緊張感を感じさせる開いた瞳孔でこちらをじっと見つめていた。
手をこまねくと彼女は素早く椅子をひいて、とことこという効果音が似合うような様子でやってきた。空気が少しだけ、ネットにボールがハマったときのように一瞬ながらもあとに引くように、ゆるんだ。そのまま外に出る。廊下もまた静かで、よく声が通る。
「マオ……マオ・セイ?」
口を開いても誰も制止する様子がなかったので、続ける。マオはネコが人間の様子を伺うような目線を向けた。つくづく、この子がチンコンなどではなく、凶暴なフィルンに見えることがある。ハイエナか、ネズミか、そしてそんな雰囲気とは裏腹に最もしっくりくるのがネコだった。一見聡明で愛らしい態度の裏に、猛獣を飼っている__飼っているよりも、放牧しているようなものだ。
「先刻はすまなかった……いくら汝であれど、罪を被せるなど、すべきではなかった」
「……リコリス様、私のこといつもフルネームで呼びますよね?」
あまりの予想外の反応に唖然として、今度は私が彼女を見つめることしかできなかった。
「あ、えっと……気にしてないですよ、私の信用が足りないのがだめだったんですよね?多分……リコリス様が私をフルネームでよく呼ぶのって、信用してないから、ですか?」
暫し考え込み、驚く。それは実際にそうであったからだ。ほかの地方審問官は__彼女よりも新人の者ですら、本人の前でそう呼ぶことは珍しかった。それは信頼していないことを示すようなもので、昔から避けていたことであったというのに。
「なぜ、それを……」
「えぇっと、なんとなく?」
彼女が未だにここに留まる理由が、留まることを許されている理由が、限りなく鋭く突きつけられた気がした。
「あっ……ごめんなさい、今日エイプリルフールじゃないですか、そこまで深く受け止めなくても……そういえば今日はヤマ様の誕生日ですよね?おめでとうございます!」
「マオ」
厳格な声色であった。彼は私の背後から一歩踏み出すと、彼女にそっと触れた。
「それは話の本筋でないと分かっているだろう、彼女はただお前に詫びようとしていただけだ。……虚言は許されるべきでないが、節制__演技は、特にお前のようなものであれば必要だ」
「う……ごめんなさい」
謝りに来たのに謝られてしまった事実が少し不可解で、私は何か言葉を発することができなかった。これが私への謝罪とも思えないが、そういうことにしておこう。
「マオ、少し考えたのだが……」
主席審問官は不意にそう語る。
「お前には、本部に留まってもらおうかと思う。教育にも……効果的だろうからな。」
「そ、それって……」
「ウイハは従来通りだから、会えない月日はあるかもしれないが……お前が連合に行くのを拒み、改善しない以上、こうするほかに道がなかった」
ウイハは彼女の親友で、いつ如何なる時も共にいた。それから離されることが彼女にどのような負荷をもたらすかは、ある程度想像に難くない。
「うぅ……」
「主席審問官、お言葉ですが……彼女のメンタルをある程度維持する者がいないならば、彼女の業績はより酷いものになるのでは」
庇うつもりはなかったが、彼女に過度な負荷をかければ、さらに無辜の市民が犠牲になるかもしれない。しかし、それは杞憂と言うように、彼は言葉を継ぐ。
「地方審問官の任から外し、審問官補佐の任を与える」
「は?……失礼しました、しかし……」
異例のことだった。通常、定員が108人と決まっているシェンシェンの地方審問官は、その任を外されるのであれば然るべき形で処分されるか連合のほうへと送られるかであるのに、審問官補佐、というのはなかなか珍しい。いや、これまでに一度も無かっただろう。何しろ審問官補佐とは、審問官として働く適性がないと判断された者が就く、所謂最底辺の雑用係なのだから。
「う、わたしのこと処分したいなら、すれば……」
「そうするには惜しい人材だろう。なに、ただの審問官補佐ではない……私の直属だ」
「……は?」
もはや、開いた口がふさがらなかった。珍しいなどというレベルではない、前にも後にもなかっただろう。マオのことを主席が特別扱いしているのは知っていたが、合理的配慮の範囲内にしても、少し受け入れがたい。
「すまない、此奴を有効活用する方法がこれ以外になくてな」
「……はぁ、それならば、なぜ……」
私の部下はあんなにもあっさりと処分されてしまったのに。私もマオの優秀さを認めないわけにはいかないことはよくあるが、しかし、だからといって。だがその問いを主席に、ましてやマオにぶつけてはならない。それに、それをまた問うのであれば、私が生かされた理由だって分からないのだ。
身を焦がす炎は私の根さえも燃やし尽くし、その残骸は未だ肺の中を蝕み続ける。秩序のためという重りのような鎧を着せられて、私は彼らを必要な犠牲ですらない、私の逸脱が生んだ産業廃棄物として扱うことしかできなくなってしまった。あのときの判断は、誰からしても間違っている。
およそ1世紀半ほど前のこと、私は連合の名の下にコロニアの民と闘っていた。群がる虫どもを、たかる鉱石どもを、立ちはだかる植物どもを__彼らコロニア種族を潰してしまうことはいとも容易いことだ。ちょうど人がハエを叩き潰すかのごとく、連合軍の捕虜とすることもできた。そしてそれが我々の使命だった。それでも、捕虜が生きたまま串刺しにされているのを見るのは、私を揺らがせるのに当初は十分なことだったらしい。だから、逃がした。私の部下だけは、そんな惨状に巻き込みたくはなかったので……その足掻きは無駄なことであったが。
彼らは炎に飲まれて苦しみながら死に、私はそれを磔にされながら見ていた。随分と昔のことであるのに、彼らの顔は思い出せないが、蜃気楼越しの喘ぎ声に、伸ばされた腕、無力感、その暑さと苦しさが生み出した塩味が舌に触れた感触、それらはくっきりと思い出す。__「それはお前の業が燃えているのだ」と罵られ、目を閉じようとすれば槍で突かれ、彼らが灰になるまで、その光景を文字通り目に焼き付けた。
「彼らは、そこまで悪いことをしたのですか。罰するのであれば、私だけで良いではないですか……」
あまりにも居たたまれずにそのような愚直な理由をぶつけてから、その答えを聞いてから、私は私の感情が作る秩序など信じられず、彼らを盲信するに至った。その銀髪の美しい男__最高司令官は鬱陶しさを見せることなくただ無邪気に言った。
「お前の部下を彼岸に逃がしてやっただけだ。本望だろう」
不意に、大きな掌が私の頭を覆う。その手つきは優しく、引っかかった鉤爪さえも痛みよりも安心を与えるので、私はどこか感情が抑えきれず、一粒、あの時と同じように雫を垂らした。
「あの時のことをまた、思い出しているのだな……リコリス」
「……ええ、申し訳ありません。全ては、私が間違っていた故、その罰を、報いを受けているだけであります」
マオは変わらず私を無邪気な瞳で見つめていた。彼女にはまったく邪気が宿っていないようで、ただ傍若無人な子供のような様子だった。
「リコリスさまは……悪くないと思うけど……」
「は?なんだお前」
はっとしてまたもや口をつぐむ。仏の顔も三度までなどという諺が東部には存在するらしいのに、私はこのような言葉遣いを今日で三回もしてしまった。
「あ!お前って言った!めずらしい!」
「こ、これは、その……」
昔はたしかに、部下達にお前と言っていた気がする。いつからか、それをやめてしまったのは何故だろうか、決別のためだったのだろうけど、よく思い出せない。
「落ち着け」
軽くこつんと叩かれ前を向けば、彼女も同じようにされたようで少し不貞腐れたように下を向いていた。これでは、獣というよりも__子どもだ。
「……マオ、すまない。おま……汝は、彼らとは違うのだったし、私もまた未熟者で、汝に秩序を語る権利は無かったかもしれない」
秩序とは人それぞれのものなのかもしれない。最高司令官と主席審問官の秩序は思い返せば異なることが多く、結局目先のそれに従うしかなかった。私は考えることができなかった。
「リコリス」
「……はい?」
「なにか、悟ったことでもあるのか」
私は、酸素をめいっぱい吸うと、声を出した。
「私も、考えねばなりませんね、そろそろ」
やはり、私は間違えている、そのような声が脳から聞こえては、振り払うことしかできないでいる。その息苦しさをよけるように、また息を吸う。
「私は私の仕事をします。新人の見守り、そうですね?」
「ああ。2人とも持ち場に戻れ」
たかが数分の会話のなかで、ようやく火の中でも生きていけるほどの酸素を手にした気がした。気がしただけかもしれない。まだ息苦しさがあるのだから。秩序からの逸脱は恐怖に等しいものだが、避けられないことである。強迫観念の鎖が少しだけ緩むと、私は少し目障りにも感じるその官帽を深くかぶり直した。しばらくは、つけたままでいなければならないだろう。
コメント
1件
この第3話、とても重くて繊細な空気が流れていて、惹き込まれました。リコリスの内面——秩序に縋ることで自分を保とうとしながら、過去の記憶に苛まれ、なお「私は間違っているのではないか」と考え始めるその変化が胸に刺さります。特に、ヤマ主席審問官の「信頼を覚えるのだな」という言葉が、彼女にとっては呪いにも救いにもなり得るなと思いました。 そしてマオの存在が異質で良いですね。無邪気そうなのに、なぜかリコリスの核心を突く。あの「なんとなく?」の一言にゾクッとしました。世界観の設計も丁寧で、シェンシェンの空気感がじわじわと肌に染みるようでした。続きがすごく気になります。