テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
54 ◇資格がない
私は実をいうと、瑛士くんのしたことをとやかく言う資格のない
人間なのだ。
娘と妻、どちらの苦しみが大きいのだろう。
夫の心を他所の女に持っていかれて、どちらの苦しみが大きいとか
意味のない比較なのは重々分かっているのに、こんな事を平気で
比べてみたりする私はそういう嫌な人間なのだ。
娘の心からの苦しみを知った時、私は瑛士くんを娘以上に憎み
心の中で罵倒した。愛娘を不幸にされ辛かった。
それなのに……。
妻に、私はそれ以上のことをしていたにも関わらず妻に対して
娘に対するのと同様に妻の心に寄り添ったことがあっただろうか。
自分こそが妻を苦しめていた諸悪の根源なのに、妻の怒りや
苦しみ悲しみというものにこれまで寄り添ってきたと自信をもって
いえるだろうか。
妻の父親からすれば、私はとんでもない男だなぁ。
瑛士くんと娘のことで、初めて妻の苦しみ、そして妻の両親の大きな
悲しみを理解できた思いがする。
瑛士くんに文句を言えるような人間じゃないことは重々承知しているが
それでも文句を言わずにはいられなかった。
それにしても……。
今思えば私は、妻の気持ちを置き去りにしてきてのだなぁ~と思い至った。
あの事件から何年になるだろうか!
私たちはアラ還をとうに過ぎ、所謂世間で言うところの年金受給者暮らしに
突入している年金生活者だ。
娘の眞奈の結婚生活が順風満帆であったなら、今のように昔のことを
振り返ることもなかったかもしれない。
それぐらい私の中では昔のことになっていたのだが果たして……
妻はどうだったのだろうという思いに至った。
娘のことで私たち夫婦の事を振り返ることになろうとは!
今まで身近に感じていた妻が、実は遠くにいたのかもしれないと
思うようになってきた。
55 ◇過去からの亡霊
妻も娘も孫の将大を私に託して買い物に出掛けた日曜の昼下がり。
将大が昼寝をしたので独りの時間を消化するべく小さなボリュームで
TVをつけた。
ちょうど不倫もののドラマがかかっていて、不倫されたけれど結局は
夫を許す形で元鞘に戻った妻。
その正妻が放った言葉が正に、自分たちの関係性にドンピシャなような
気がして、私の身に怖気がはしった。
正妻の妹が聞く。
「お姉さん、本当にお義兄さんを許すの?
私、義兄さんの顔見てると何だか腹立たしくってぇ~。
自分のしたことなんてどこ吹く風で、すっかり姉さんに許されて
この先も平穏無事に”共に白髪の生えるまで”仲良くいられるって
信じ切ってるじゃない!」
「許したいけど世の中には許したくても、許そうと思ってもどんなに
そう頑張ってもできないことがあって、異性問題はその最たるものだと
思うわ。
娘のためもあってここまできたっていうのもあるし、この年になって
もういろいろゴチャゴチャするのも煩わしいから騒がず大人しくしてるけど
あんなクズに私の愛情が戻ることはこの先一生ないわね。
まぁ、せいぜい愛情のある振りをして頑張るかなぁ~」
「だよねぇ~」
「だよぉ~。
奇跡的にこんなおばぁちゃんでももらってくれる男性が現れたら
その時、旦那捨てるわ。あははっ」
TVの中の女性の言葉が妻の気持ちと同じとは言い切れないが、
女優の放った言葉を耳にしたことで、これまで妻からの自分への愛情を
信じて疑わずに与えられていると、愛されていると、単純に信じてきたが、
本当にそうなのだろうか? と、ここにいたり……数日前までの自分では
いられなくなってしまった。
一生添い遂げると愛していると神様の前で誓いを立てたのに
一瞬と言えどもパートナーを裏切った人間には、愛情を求めたり
受け取ろうとしたりする資格などないのだ。
もしかすると、もう妻を愛したりする資格すらないのかもしれない。
56◇ ” Regret the my past. 過去を悔いる “
あの日のことは今も鮮明に覚えている。
まさに痛恨の極みとも言うべき……
それは、忘れたくても忘れられない過去の光景だった。
深夜いきなり家の電話が鳴り響き止まない電話に妻が最初に
気付き起きた。誰からだろう? こんな深夜の電話は大抵よくない知らせと
相場は決まっていて、私と妻とどちらの家のことだろうなどと、意識が
覚醒しつつあった私はそんなことを考えていた。
「あなた……来てください!」
妻から大声で呼ばれ、私が側に近づくと……
「ねぇ、どういうこと?」
妻の顔からは血の気が引いていた。
「彼女の言ってるご主人って……もしかしてあなたのことなの?
誰なの? 彼女誰なの? あなたの知ってる人なのね?」
この時点で相手が誰なのか、何を言ってきているのか私に分かる
はずもなく、取り敢えず妻の握りしめている受話器を取り電話に
出た。
繰り返ししゃべっているようで、私にも相手の話が聞けた。
「ねぇ、答えてくれませんか。さっきからお願いしてること」
私が妻と代わったことを知らない相手はしゃべり続けた。
「私、奥さんが羨ましいです。
お子さんにも恵まれ愛妻家のご主人もいて……全部持ってる奥さんが
羨ましくて憎いです。
奥さん、ひとつでいいから私に譲ってください。
ご主人を私に下さい」
何ということ!
電話の主は、私と深い関係になったことのある藤原紀子だった。
彼女は既婚者で、いつもの彼女は控えめで真面目な道理をわきまえている
女性だったのに、どうしてこんなことに。
すると今度は家のインターホンが鳴り響いた。
家まで来てるのか?
ただごとではないと、その時私に戦慄が走った。
#夫婦
コメント
1件
第19話、読み終えました……重くて、胸にくるものがありましたね。主人公が「自分には娘を責める資格がない」と自覚するところから、過去の不倫の記憶——深夜の電話、妻の前での発覚まで、じわじわと後悔が積み上がっていく感覚がひしひしと伝わってきました。特に55節のTVドラマの台詞が、主人公の心に突き刺さるシーンは象徴的で、他人事じゃない痛みがあります。この先、夫としての贖罪の物語になっていくのか、それともさらに深い闇が待っているのか…続きが気になります。