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「どちらから始めますか?」
いつの間にか何もなかった広間には、最初にトランプゲームをした丸いダイニングテーブルが設置され、雅次とアリスは向かい合って座っていた。
「どっちでもいいよ」
雅次は言いながら改めてアリスを正面から見つめた。
息子の翔真(しょうま)とどこか似ている。
いや、アリスの方が少し大きいだろうか。
「アリス君は、何歳だ?」
言ってから自分で笑ってしまった。
死神に年齢を聞くなど馬鹿げている。
デーモン閣下よろしく十万歳とか言われるのだろうか。いや、あれは悪魔か。
「14歳です」
しかしアリスは事も無げに答えた。
「翔真君の2個上、ですかね」
―――全てお見通しってことか。
雅次は目を伏せた。
「それではゲームを始めましょう。どちらからスタートしますか?」
アリスがテーブルの上で手を組む。
「君からどうぞ」
早くゲームなんて終わらせて、翔真のところへ行きたい。
雅次は顔を上げて微笑んだ。
アリス 『1』
雅次 『2.3』
アリス 『4.5』
雅次 『6』
ーーーーーーーーーーーーーーー
息子の翔真は、不妊治療の末やっとできた、愛の結晶だった。
1歳。
あんなにできにくかったのに、妊娠中も生まれてからも、これといって何の問題もなく、彼はすくすくと育った。
しかし雅次には一つ気になることがあった。
「……あら、かわいい。女の子ですか?」
買い出しに行ったスーパーで、帰りに寄ったコンビニで、ことあるごとにそう声を掛けられた。
それは水色のTシャツを着ていようが、緑のジャンバーを着ていようが同じで、そのたびに自分か妻が「男の子です」と恐縮しながら否定するのだった。
確かに……
翔真は目が大きく色白で、男の子の赤ちゃん特有のどっしりがっしりとした感じもなく、フワフワと軽かった。
「大きくなったら鍛えてやんなくちゃ」
これは雅次の口癖で、妻はそれを聞くたび「はいはい」と笑っていた。
3歳。
幼稚園に入り、スモックを着るようになると、男の子らしさはますます失われ、翔真は同級生のママさんたちにモテた。
6歳。
小学校に入っても相変わらずで、黄色い雨合羽をきた姿を、通りすがりの女子高生たちにスマートフォンで撮られたりしていた。
「野球でもやらせるか。柔道や空手でもいい」
言いながら市報を睨む雅次に、妻は笑った。
「別にいいんじゃないの?無理にやらせなくても。翔真はそういうタイプじゃないんだし」
確かにそうだった。
翔真は外で遊ぶよりも、家でお絵描きやピアノを弾いていることを好んだ。
人形遊びも大好きで、近所のお姉さんにもらったシルバニアファミリーやリカちゃん人形も、雅次がかってやった戦隊ものの人形やロボットと共に大切に遊んでいた。
「翔真はこれでいいの」
あまりに雅次が心配するからか、妻の口調も日に日に厳しくなっていった。
―――俺だって、そう思うよ。だけど―――。
そう思わない奴らだっているだろ?
アリス 『7.8.9』
雅次 『10』
小学校も高学年になると、翔真はますます雅次の理想とする“息子”から遠ざかっていった。
家の外で遊ばなくなり、近所の女子たちとゲームや読書をして過ごすようになった。
髪の毛も坊主や刈り上げを嫌がり、少し伸ばしてますます女の子みたいになった。
洋服も青や緑は着ずに、茶色や紫を好んで着るようになった。
その姿を見ているうちに、雅次の中には否が応でも、《《彼》》の姿が浮かんできた。
小学、中学と一緒だった同級生、“智子”。
本名ではない。
智也だったか、智彦だったか、智樹だったか忘れてしまった。
でも自分たちはずっと、智子と呼んでいた。
彼はバレエを習っていた。
ボールの方ではなく踊る方だ。
睫毛が長く、上に姉が2人いるためか、話し言葉もどこか女の子っぽかった。
小学生高学年頃から、男子を中心に彼をからかう者が現れた。
だが仲の良い女子が彼を囲うように守っていたため、いじめには発展しなかった。
しかし中学校に入り、いろんな小学校からの生徒が入り乱れると、そうもいかなくなった。
13歳の彼は明らかに他の男子とは異質だった。
滑らかな姿勢の良さ。
艶やかな視線の交わし方。
長い睫毛に色白の肌。
そのどこか浮世離れした容姿は、他の学校から来た男子たちの癪に障った。
そして―――。
いじめが始まった。
靴を隠され、ノートを破られたのを皮切りに、トイレで水を浴びせられたり、体育着をカッターで刻まれ、その行為はどんどんエスカレートしていった。
そしてある日、智子は学校に来なくなった。
クラスで先頭を切って智子をいじめていた男が、”智子を女にしたらしい“。
そんな噂が流れ出した時、智子は転校していった。
だから―――。
ダメだ。男らしくしなければ。
ダメだ。強くならなければ。
アリス『11.12.……13』
5月。
12歳になったばかりの翔真の手を引き、雅次は床屋に行った。
そして男らしく刈り上げてもらった。
色白の肌を焼くために、毎週釣りに連れて行った。
魚がかかるまでの間、筋トレやストレッチをして過ごした。
ある日、会社から帰ると翔真が泣いていた。
その背中を妻が擦っている。
「―――どうした?もしかして……いじめられたのか!?」
駆け寄る雅次の手を妻は払った。
「翔真、もう釣りに行きたくないんだって」
「―――は?」
「こういうボーイッシュな髪型も、男の子っぽい服装も、肌が焼けるのも嫌なんだって」
「―――――」
茫然と立ち尽くしてしまった。
翔真が智子と重なって見える。
とても理解できなかった。
雅次は絞り出すように言った。
「……どこをどう間違えたら、そうなってしまうんだろう」
持っていた鞄を落とし、愕然とした雅次を、妻は睨んだ。
「間違い?」
「間違いだろ?男は男らしく、女は女らしくあるべきだ……」
妻が黙って立ち上がる。
「やはり不妊治療の末にできた子だから、遺伝子レベルで何かがおかし―――」
そこまで言ったところで、頬におおよそ“女性らしくない“パンチが飛んできた。
「あなたは……あなたは、翔真を何だと思ってるの!」
妻の声が狭い家の中で割れた。
「この子だって一人の人間なのよ!!他の誰とも違う個性があるし、好きなように生きていっていいの!!」
「…………!」
翔真が立ち上がり、父親と母親の間を走り抜け、家から駆けだしていった。
「―――お前は何もわかっていない。社会からはみ出した人間は、もう二度とその中に嵌れないんだよ!」
「何よ、はみ出したって!いろんな人がいていいのよ!いろんな考えがあっていいの!みんなで社会は作っていくのよ!?」
「―――――」
「今はそうやって人と違う人間を排除する時代じゃないの。受け入れていく時代なの!」
言いながら妻はハンドバックの中からスマートフォンを取り出した。
「ほら!」
一枚の画像を見せてくる。
その中で翔真は女の子の服を着ていた。
短い髪を髪留めで止めて、日焼けした肌にファンデーションを塗っていた。
メイク道具を持ったクラスメイトの女子たちが微笑んでいる。
男子たちが翔真に顔を寄せピースサインをしている。
「―――かわいいものが好きなんだって」
妻は涙目で言った。
「でもかわいい女の子が、好きなんだって」
「……………」
「手前で鏡を持ってる女の子。翔真の彼女なんだって」
雅次は視線を移した。
ひと際可愛らしいみつあみの女の子が、カメラに向かって口を窄めて投げキッスをしている。
「―――私は翔真の生き方を肯定する」
妻は雅次を睨んだ。
「それであなたのいう“社会“からはみ出すなら―――」
鼻で笑った。
「そんな“社会”、くそ食らえよ……!」
雅次 『14.15』
―――俺はなんて愚かだったんだろう。
起きもしていないいじめを怖がるばかりに、自分の大事な息子を否定し続けてきてしまった。
100円ショップで、水鉄砲を買ってやるといったのに、和紙の折り紙を買うのが翔真だ。
プロ顔負けの腕前で睡蓮の花を作るのが翔真だ。
それをクラスのみんなに配ると言って、30個も作って学校に持っていくのが翔真だ。
風邪で休んだだけなのに、3日目にクラスのみんなから千羽鶴が送られてくるのが翔真だ。
誕生日会もらったプレゼントが袋に入りきらず、妻が車で迎えに行くのが―――
翔真だ!!
拭っても拭っても涙が溢れてきた。
父親から自分のことを否定され続けた12年間は、翔真にとってどれほど長かったことだろう。
優しい翔真が父親を“否定”して、母親に助けを求めるまで、どれだけ我慢したのだろう。
これからは翔真が好きな服を着せてやろう。
翔真が望む髪型にしてやろう。
それで自分が言った“社会”からはみ出すなら
心無い人間たちから攻撃を受けるなら。
俺がいくらでも戦ってやる。