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「どうぞ」
ユルーゲルに促され、五と書かれた閲覧室の扉を潜った。その途端、独特の匂いがジェシーの鼻をかすめる。ちょっとカビ臭いような、でも草の匂いにも感じる、古書ならではの香りだった。
その正体を表すかのように、両壁に設置してある本棚が、目に飛び込んできた。中には辞典や辞書といった類いの物しか入っていないという、天井まである本棚は、どこか圧さえ感じてしまう。
けれどジェシーにはどれも懐かしく感じられ、部屋の中央にあるテーブルをなぞりながら、椅子に腰かけた。
「変わらないわね」
当たり前のことだったが、敢えて口に出したかった。他者の目がないから、という理由もあった。しかし一番は、やはり後悔が強かったのかもしれない。
国外追放された回帰前は、一度も魔塔を訪れなかった。国に入れない、いや帰らない、と決めたのは、他ならぬジェシー自身なのだから、仕方のないこと。
父やカルロとは、定期的に会っていたから、そこまで感じなかったが、母と再会した時やソマイア邸に足を踏み入れた時と同じような、胸に込み上げてくるものを感じた。
それもこれも事情を知っているユルーゲルの前だから言えたことだった。
しかしユルーゲルは敢えてそれには答えず、奥にある本棚から二冊取り出した。そして、ジェシーの前に置く。
「二冊とも紋章の図鑑ね。新しいのと、古いのがあるけど……」
どういうことなのかしら、と双方見た後、説明を促すように視線をユルーゲルへと向ける。
「はい。ジェシー様からの連絡を受けた後、最初にこちらの新しい図鑑の方から調べました」
「けれど古い方も一緒に出す、ということはこっちも調べたのよね。その理由は、さっき言っていた“気になった”ことと関係しているのかしら」
「それも踏まえた上で、ジェシー様は私に、『鈴蘭』が入った紋章の中から、王が接触したと思われる家門、と条件を付けられた。私はそう捉えました」
元々『鈴蘭』が入った紋章が複数あることを予想して出した注文だった。
ただ魔法が得意ってだけではなかったようね。
「古い方を調べたのは、新しい図鑑から見つかった家門が、子爵や男爵ばかりで、王が関わるような家柄ではなかったからです」
「その理由は可笑しいわ。現に王子は、こないだまで子爵令嬢を恋人にしていたのだから、可能性を否定する材料にはならないんじゃないかしら」
「やはり、そういう意図があったんですね。けれど王は、王子とは違って遊び人ではありません」
ご落胤がいるのに?
思わずジェシーは疑いの目を向けた。
「実は伝手を頼りに、王のことを調べて貰ったら、ある女性の存在が浮上しました」
「やっぱりそうじゃないの」
「王の名誉のために言いますが、王子のような一時の恋人ではなく、幼い頃から思いを寄せている相手なんです」
ユルーゲルは古い方の図鑑を開き、ジェシーに見せる。
「こちらを御覧ください。ルメイル侯爵家の紋章です」
見開きのページには『鈴蘭』が入った紋章が描かれていた。三つの剣が交差する所に二つの鈴蘭も交差している紋章。
これを見た限りだと、騎士の家系と思うが、ジェシーにはもっと気になることがあった。
「ルメイル侯爵家、と確かに書いてあるけど、聞いたことがないわね。まさか――……」
「没落はしていません。所謂、貧乏貴族です。そのため、侯爵家とは名ばかりで、社交界にすら顔を出していません。が、これは近年のことで、侯爵の一人娘であるヴァネッサ嬢、と言っていいのか分かりませんが、彼女が幼少の頃は随分華やかな生活をしていたと聞き及んでいます」
「そう。なら、王と関わりがあったとしても、可笑しくはないわね」
侯爵家なら、王城に出入りすることも、王族と接触することも可能だ。
大人ばかりの王城に、幼い王子と同い年くらいの令嬢がいれば、相性がいくら悪くても、顔を合わすこともあるだろう。そして、運良く仲良くなることだってあるはずだ。
「実は、ヴァネッサ嬢がちょうど社交界に出るような年齢の時に、侯爵が事業か領地経営かは分かりませんが失敗したらしく、借金まみれになったそうです」
「それは怪しいわね」
「はい。ゾド公爵家、もしくは教会がやったのでは、と当時噂に上がっていたことも判明しています」
ジェシーは思わず頭を抱えた。あり得ない話ではなかったからだ。何故なら四大公爵家は、そうやって王族から徐々に権力を奪っていったのだ。様々なやり方を使って。
「それで、貴方が“気になった”ことを、そろそろ教えてもらえないかしら」
「私の口から言わなくても、ジェシー様はもうご存じのはずです」
「だけど、それについて貴方がどこまで調べたのかは知らないわ」
先に答え合わせをすることなく、ジェシーはユルーゲルを見据える。そんな無駄なことをしなくても、ユルーゲルから聞き出せば、自然と分かるからだ。
ユルーゲルは、諦めたように息を吐き、ジェシーの向かい側の椅子に腰を下ろした。そして、
「ヴァネッサ・ルメイルには、ご子息がいらっしゃいます。結婚歴がないのにも関わらず」
前置きをすることなく話し始めた。